高級娼館 黒猫 ~ナイマンのソフィア~
ソフィアはお店に戻るべく薄暗くなったアウクスブルクの町を急いでいた。荷物持ちの従者の少年も一緒である。
女将さんに頼まれたお使いが長引いてしまい、こんな時間になってしまったのだ。
「早くしないとお店に遅れてしまうわ。急ぎましょう」と従者の少年に声をかける。
その時、いかにもといった定番のならず者たちがソフィアと従者を遮った。
「お嬢ちゃん。良いべべ着てるじゃねえか。有り金と身包みおいていけ! そうすれば命だけは助けてやる。もっともその前にたっぷり楽しませてもらうがな…ヘっヘっヘっ…」
ソフィアは助けを呼ぼうとするが恐怖で声が出ない。従者の少年も同様のようだ。
ならず者がソフィアの肩に手をかけた。
「きゃーーーっ」とやっとの思いで叫び声が出た。
が、次の瞬間、その男は数メートルも蹴り飛ばされていた。
男はふらつきながら立ち上がると、凄んで言った。
「何しやがる。こんなことして、タダじゃ済まさねえぞ!」
気づくとソフィアの横には薄暗くて見難いが全身真っ黒の軍装をした軍人が立っていた。白銀のマスクをしており顔はよく見えない。
子分らしき男が声をかける。
「兄貴やべえぜ。あの黒づくめの軍装は…」
「まさか暗黒騎士団か」
「それに、あのマスク…」
「げっ! しかも白銀のアレク…」
「ひーーーっ」と恐怖の声をあげながらならず者たちは一目散に逃げて行った。
「大丈夫かい。お嬢さん」
「ええ。危ないところをどうもありがとうございました」
が、ソフィアの心臓はまだ早鐘を打っていた。
そっと助けてくれた軍人を見てみる。マスクはしているがとてもハンサムそうだ。
それにさっきの声。とてもいい声をしていた。あの声で恋の歌でも歌ってくれたら…
だめよソフィア。これは恋ではなくて、前にお姉さまが言っていたつり橋効果だわ。恐怖で心臓が早鐘を打っているのを恋と勘違いしているのよ。
「アダル。悪いが2人を家まで送ってやってくれ」
あの人は赤髪の少年を護衛につけてくれた。
──本当は本人がよかったのに…
◆
今夜は白銀のアレクことフリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲンのシュバーベン大公国近衛第6騎士団長の就任披露パーティーが開かれた。
それがお開きとなり、帰ろうとした矢先、軍務卿のハーラルト・フォン・バーナーと近衛騎士団長のコンラディン・フォン・チェルハの2人に捕まってしまった。
「主賓が真っ先に帰るなど言語道断。2次会へ行くぞ。付いてこい」
バーナー軍務卿は酔いで赤ら顔になっており、既に若干呂律が回っていない。
「そうだそうだ。お坊ちゃまに高級な遊びの何たるかを教えてやる」
チェルハもこれに賛同した。
どうも行きつけの店があるらしい。
──ぼったくりバー見たいなところじゃないだろうな…
フリードリヒのマジックバッグにはいざという時のためにかなりの大金が入っており、また本当にいざという時のためにダイヤモンドもいくつか持っていた。
まあ、これがあれば大丈夫か…。しょうがない。
フリードリヒは千鳥足で歩く2人のあとに付いていく。
すると繁華街からどんどん離れていき、ある豪邸の前で止まった。
「つきましたよ。軍務卿」
「軍務卿と言うな。ここでは旦那様と呼べといっただろう」
「へい。わかりました。ツェーリンゲン卿。俺のことは番頭さんと呼べ。わかったな」
「わかりました」
どうやら貴族の身分を隠して出入りしているらしい。ただ服装や態度でバレバレだとは思うのだが…
豪邸はお店という感じがしない。
が、よくみると目立たないように看板があった。
──高級娼館黒猫
「高級娼館!?」
フリードリヒは思わず声を上げてしまった。
フリードリヒはこの世界へ転生する前世も含めてそういう風俗系の店には行ったことがない。
「私は、こういうお店はちょっと…」
チェルハが言った。
「誤解するな。ここには体を売る者もいるにはいるが、本当に高級な娼婦は体を売ったりしないのだ。行けばわかる。とにかく付いてこい!」
「はあ…」
フリードリヒはしぶしぶお店に入っていった。
中に入り、バーナーたちの姿を見ると女将さんが言った。
「ロザリンド、ウルズラ。出番だよ」
どうやらいつもご指名の娼婦がいるようだ。
「おや。今日はもう1人いるんだね」
「ああ。今日が初めてだからサービスしてやってくれ」
チェルハがフォローしてくれた。
「ずいぶんと若い子だねえ。じゃあ。ソフィア。出番だ。とっとと支度しな」
「はーい」と可愛らしい少女の声が聞こえる。
部屋に案内されると軽食と酒が用意されていた。
──要はキャバクラみたいなところかな?
ロザリンドとウルズラは、それぞれバーナーとチェルハの横に座ると酒を注ぎ、早速熱心に話を始めた。
少し遅れてソフィアが入ってくる。
「おまえはあの若い男の面倒をみてやんな」
「はい」
その男の姿を見た時、ソフィアは硬直した。
あれはこの間助けてくれた軍人さんだ。
服装も全然違うし、マスクもしていないけれど、女の直感がそう告げていた。
──また会えるなんて…うれしい。
ソフィアは喜び勇んでフリードリヒの横に座った。
だが、フリードリヒはソフィアを一瞥しただけで一言も口をきかない。
「…………」
──こういう時の気のきいた会話というのが一番苦手なんだよ。俺は…
ソフィアはソフィアで自分のことが気にいらなかったのかと心配になった。恐る恐る話しかけてみる。
「こういうお店は初めてですか?」
「ああ」
「真面目な方なんですね」
「そうかもしれない」
「…………」
会話が続かない。
ソフィアは思い切って助けてくれたお礼を言ってみることにした。
「先日は助けていただきありがとうございました」
「これは失礼した。先日のお嬢さんでしたか。お化粧も上手だし、見事な衣装を着ているから見とれてしまって気づかなかった」
「お世辞は下手なのですね。きれいなのはお化粧や衣装だけですか?」
「もちろんお嬢さん自信が一番美しい」
「何だか無理やり言わせたみたいで嬉しくないわ」
ソフィアはわざとらしく拗ねてみせる。
「それは私の表現力があなたの美しさに追いついていないのです。申し訳ない」
「今度のお世辞はちょっとだけ良かったわ」
「いや。決してお世辞では…」
少し打ち解けたフリードリヒとソフィアはお化粧や衣装のこと、料理のことなどを話題に会話が盛り上がった。
それをチェルハは横目で眺めていた。
──なんだかんだ言って盛り上がっているじゃないか。
「そういえば名前を聞いていなかったわ」
「フリードリヒだ」
「フリードリヒ様はあのならず者たちが言っていた暗黒騎士団というところの軍人さんなのですよね?」
「ああ」
「でも話してみるとぜんぜん軍人っぽくないわ」
「好きで人殺しをしている訳ではないからね」
「では、なぜ?」
「昇進するには一番の早道だからだ」
「どうして昇進したいの?」
「ある高貴な身分の方と結婚したいのだ」
「まあ…」
(うらやましい)と言いたかったが言えなかった。それこそ娼婦と貴族など身分違いも甚だしい。
「ところで、このお店は酒を飲んで女性と会話するだけの店なのか? 高級娼館と書いてあったが…」
「あとは歌を歌いあったり、詩のやりとりをするお客様もいるわ」
「なるほど、それは男女の関係としてはとても風雅な在り方だ。
それで高級娼館という訳か」
フリードリヒは納得した。
「何も東の遠い国でそういうお店があるのですって。それをこのお店の店長がこちらに持ち込んだみたい」
──そう言われてみれば、中国にそういうお店があったという話を聞いたことがある。
「お嬢さんは歌の方はどうなんだい?」
「もちろん歌うわよ。聞いてみたい?」
「ぜひ頼む」
そうすると誰かが合図でもしたのか、リュートを抱えた伴奏の男が部屋に入ってきた。
ソフィアが曲名だか何だかを耳打ちすると伴奏が始まった。
これはとてもポピュラーな恋の歌だ。
甘ったるい歌詞も歌として聞くと素直に聞けるから不思議だ。それも歌というものの持つ力なのだろう。
ソフィアの歌は上手かった。
声も美しいし、音程もリズムもしっかりしている。
──さすがにプロだな…
歌い終わると皆が拍手で称賛した。
ソフィアはフリードリヒの横の席に戻ってくると言った。
「どうだった?」
「素晴らしかった。お嬢さんに惚れそうになったよ」
「そのまま惚れてくれたらよかったのに」
「またまた。惚れられたお客に付きまとわられたりしたら鬱陶しいだけだろう」
「フリードリヒ様ならそんなこと思わないわ」
「…………」
──微妙だ…これは営業トークなのか?いや、そうに違いない。
「フリードリヒ様は歌はどうなの? 貴族なのだから多少は嗜むのでしょう?」
「ああ。少しだけな」
「ぜひ聞いてみたいわ。良い声をしているから、きっと素敵だと思うの」
「う~ん。じゃあ。1曲だけだぞ。
ちょっとリュートを貸してくれ」
フリードリヒは伴奏の男からリュートを借り受けた。
「まあ。弾き語りができるのですか?」
「そんなに珍しいことかな? 町の吟遊詩人は皆やっているだろう」
「あれは皆プロの人たちですよ」
「そんなものかな?」
とりあえずフリードリヒは歌いだした。
定番の恋の歌だ
部屋の女子たちがキャーキャー言い始めた。
──別におまえのことを好きと言っている訳じゃないからな。ただの歌の歌詞だから!
「今こっちを見て『好き』って言ったわ!」
ここまでくると思い込みというのもたいしたものだ。
そそくさと演奏を終わって、ソフィアの横の席に戻る。
「素晴らしかったわ。フリードリヒ様がそんなに私のことを思ってくださるなんて、うれしい」
(あれはタダの歌詞で君のことを思って歌った訳じゃないから)と喉まで出かかったが、そんな全否定も可哀そうかと思ってやめた。
とりあえず、曖昧な日本人スマイルで返しておく。
「今度は詩を書いて欲しいわ。貴族なのだから書けるでしょう」
ソフィアの要求がどんどんエスカレートしていく。
即興で詩を書くなんて久しぶりだな。リャナンシーにさんざん添削してもらったっけ…
あまり難しく考えずに10分くらいで一気に書き上げた。一般的な恋の詩だ。
「どれどれ。見せて」
ソフィアは詩を読むと顔が真っ赤になっていった。
「こんなにフリードリヒ様が私のことを思ってくださるなんて…」
ソフィアは詩が書いてある紙を抱きしめると感慨に耽っている。
(それも一般論であって、君を思って書いたわけじゃないから)と今度も言いかけたが言えなかった。
結局、フリードリヒはこのお店、そしてソフィアのことが気に入り、度々一人で通う羽目になった。
彼女たちが喜んだりしているのはほぼ100%営業なのであろうが、それはそれで高級な遊びと思えば面白い。
しかし、お金の方もしっかりと高級なお店なのであった。
◆
今日も今日とてフリードリヒは黒猫に通っていた。いつも通り、ソフィアを指名する。
今日は前から気になっていることを聞いてみようと思っていた。
「こんばんは」
ソフィアがフリードリヒの横に座る。
「君のドイツ語には少しだがなまりがある。君は帝国の人間ではないね」
「それは…」
「別にそのことを責めようということではないんだ。君がどこの出身だろうと嫌いになったりはしない。約束しよう。ただ、君のことが知りたいだけなんだ」
「わかりました。私は中央アジアのナイマンという部族の傘下にある小さなオアシス国家の姫でした」
「ナイマン? モンゴル系の有力な遊牧民族の一つだね」
「なぜフリードリヒ様がそんなことをご存知で?」
「いや。そのくらい常識だろう」
「帝国では常識じゃありません」
「まあいい。とにかく続きを聞かせて」
「はい。それで…」
◆
13~14世紀。
ユーラシア大陸を凄まじい竜巻が襲った。モンゴルという名の竜巻が。これを軍事史では「モンゴルの竜巻の時代」と呼ぶ。
モンゴルの首長となるチンギス・ハーンは、青年時代の名前をテムジンといい、ボルチギン・モンゴル族の支族、キウト部の首領イエスガイの長男として生まれた。
若い頃は少数で砂漠に追いやられ、生存の苦しみと戦いながら青年戦士を集めて小部族を結成する。そして軍事的才能を発揮し始めたテムジンは実力でキウト部の首領となる。
そして彼を砂漠に追いやったタルグタイを反撃して撃破・処刑すると、ボルジギン・モンゴル族の首領となる。
その威容に圧倒されたタタール部と東部モンゴルはチンギス・ハーンに編合される。やがて東部・中部モンゴルを統一するが、ケレイト部とナイマン部族の厳しい圧迫を受ける。
いよいよ全モンゴルの覇権を巡り雌雄を決する戦いが始まろうとしていた。
◆
ソフィアはナイマン部族の傘下にある砂漠の小さなオアシス国家の王家の娘として生まれた。
母はそのころに中央アジアまで進出していたヨーロッパ系の民族出身で金髪碧眼の容姿を持ち、ネストリウス派キリスト教の信者だったが、ソフィアの父の側室となりソフィアが生まれた。
父は東洋系の民族だったのでソフィアは東と西のハーフになる訳だ。日本からの転生者であるフリードリヒがソフィアを見ると親近感を覚えるのも、そのことが一因かもしれない。
ソフィアには兄がおり、後継ぎは決まっていたので、ソフィアはのびのびと育てられたが、将来的には有力部族の嫁として出さねばならない。それにふさわしい教育は当然受けていた。
また、ソフィアは母の影響を受けてネストリウス派キリスト教を信仰していた。
ソフィア母子には、アリエルという少女の護衛が常に従っていた。彼女もまたソフィアの母と同じ民族出身の騎士の末裔で、幼いころから武術を修め、特に槍術については右に出る者がいない実力だった。
ソフィアが9歳になったとき、ナイマン部族はチンギス・ハーンと雌雄を決することになった。
戦いの時期は刻一刻と迫ってくる。ソフィアの父は自由に動けるソフィアだけでも逃がすことを決めた。
ナイマン部族の多くのものは新参者のハーンに遅れをとるものかと息巻いているが、ソフィアの父は違った。チンギス・ハーンは天才的な軍事的才能の持ち主だと見抜いていた。でなければ、こんなに短期間にモンゴルをまとめ上げることができるはずがない。
「ソフィア。おまえだけでもアリエルと一緒に逃げるのだ」
「お父様はどうするの?」
「私は王として逃げる訳にはいかない。おまえだけはなんとかして生き延びるのだ。そして幸せにおなり」
アリエルは泣きじゃくるソフィアを無理やり馬に乗せると一目散に西へ向けて駆けていた。とりあえずチンギス・ハーンが攻めてくる東の反対方向へと…
アリエルは馬の疲れがピークになったとみると馬を降り、休ませる。そしてしばらくこの地で後続を待ってみることにした。
自分たち以外にも国を逃れてくる者がいるかもしれない。
もしいれば、これから先、力を合わせて生き延びることができる。
丸1日まっても後続は現れなかった。
もうあきらめかけたその時、こちらに向けてトボトボと歩いてくる馬がいる。
アリエルは馬を駆って近づくと誰何した。
「誰だ!」
「おお。アリエルではないか」
「これはハク・リー老師!?」
ハク・リーは漢民族系の学者で、中国の四書五経や多種多様な言語などに通じていた。また、ソフィアの家庭教師でもあった。
モンゴル族には知識人や技術者が少ない。このためモンゴル族は都市を占領するとこれらを優先して捕虜にすることが知られていた。
ハク・リーはこれを嫌って真っ先に逃げ出したのである。
それにハク・リーは言語学者でもある。この先有用であると思われるペルシャ語やラテン語の読み書きもある程度マスターしていた。これは大きな味方となりえる。
そして3人は次の議題を議論していた。
これから逃走するに当たり、2つの選択肢がある。
一つはこのまま西へ向かいヨーロッパの国を頼る方法。
もう一つは南下して中東のムスリム勢力を頼る方法である。
旅のしやすさを考えると南下した方がシルクロードのルートが使えるので旅はしやすい。逆に西は道が開発されていない。
だがムスリムは他の宗教に寛容ではなく、キリスト教徒であるソフィアたちは迫害されるリスクがある。逆に西はキリスト教国が多いため、そのようなデメリットは少ない。
議論は決定打を欠いた。
「それならば姫様に決めていただきましょう」とハク・リーは言った。
ソフィアの考えは決まっていた。
「お母さまの一族はもともとヨーロッパから移動してきたと聞いています。ならばその故地であるヨーロッパを一目見てみたいです」
これで方針は決まった。
一同は一路ヨーロッパを目指して西進する。
嬉しい誤算は、教会の対応である。
ソフィアたちがキリスト教徒と知ると泊る場所や食料などの援助をしてくれた。宗派は違うとはいえ、ネストリウス派と対立する派閥はなく順調だった。
また、大きな教会にはおおかたラテン語を話す神父が配属されていた。
ヨーロッパの言語はラテン語と文法等は似ているとはいえ、習熟には時間を要する。その際に神父に教えを乞えるのは大きなアドバンテージとなった。
特にソフィアは9歳という年齢からか、語学の習得が早かった。
冒険者の制度も役に立った。
路銀がなくなってくるとアリエルがクエストを請けて金を貯め、また出発するという日々が続いた。
一方で、ハク・リーによるソフィアの家庭教師活動も順調に進んでいた。東洋の知識がヨーロッパでどの程度有用か未知数ではあるが、何も教養がないよりはずっとましだ。
一行はキエフ(ロシア)公国を通り、ポーランド王国へ達した。
いちおうもうヨーロッパと言えばヨーロッパだ。
もう既に3年が経過しソフィアは12歳になっていた。
ハク・リーは訪ねる。
「姫様。最終目的地はどこにしますかな」
「ヨーロッパで一番大きい国はどこなの?」
「単に大きさということでしたら神聖帝国ですかな」
「わかった。そこにする。神聖帝国の首都に向かいましょう」
一行は神聖帝国に入ると、一路アウクスブルグを目指した。
併せてドイツ語の特訓も開始するが、もう何か国語もマスターしているソフィアには苦痛でもなんでもなかった。
アウクスブルグに着く。
まずはどうやって生計を立てていくか考えていかなければならない。
当面は冒険者ギルトでアリエルがクエストをこなしながら町の情報を収集していく。
アリエルが冒険者ギルドで情報を仕入れてきた。
「ツェーリンゲン卿という者が『ショッカク』というものを集めているらしい」
ハク・リーが答える
「『ショッカク』とは食客のことか、まるで孟嘗君きどりではないか。そのような者が神聖帝国にいるとは驚きだ」
3人は翌日。フリードリヒの食客館へ向かった。
まず、門を守っているタロスの威容が心を打った。
「あれは動くのか?」とアリエルは門番に尋ねる。
「食客館の主のフリードリヒ様が作ったんだ。当然動くさ。しかも強い」
アリエルが訪ねる・
「実は食客になりたいのだが。どうすればいい」
「何か一芸を持っていることが証明できれば入るのは簡単だ」
「あんたは何ができる」
「私は槍術が得意だ」
「なら。カロリーナの姐御に試験をしてもらうといい」
「そっちの爺さんは何なんだ?」
「わしは学者じゃ」
「ならタンバヤ商会からフィリーネの姐御を呼ぶから、相談してみるといい」
「そっちの子供は…ちょっと食客には無理だな。もう少し大きくなってからおいで」
アリエルはあっという間に合格した。
カロリーナは、「久しぶりにこんな剛の者に会ったよ。期待しているから頑張りなさい」と声をかけてくれた。
ハク・リーの方はフィリーネと相談した結果、タンバヤ情報部の人間に語学を教えることになった。語学は各国で情報取集するための基本だからだ。
ひとり取り残されたソフィアはアウクスブルグの公園をブラブラしていた。
すると吟遊詩人が人を集めて歌っている。
ソフィアは思わず聞き入り、感動した。
「感動しました。素晴らしかったです。もしよかったらなんですが、私に歌を教えてもらえませんか?」
「ああ。そういう勘違いちゃんはよくいるんだよね。僕は弟子は取らない主義なんだ。一昨日おいで」
しかし、ソフィアはあきらめなかった。
来る日も来る日も吟遊詩人の後を付いて回り、その歌を一生懸命復唱している。これが良く聞いてみるととても上手いのだ。
吟遊詩人はついに折れた。
「わかったよ。弟子にしてやる。そのかわり覚えたらすぐにやめるんだぞ」
「はい。ありがとうございます」
ソフィアの歌の能力は段違いだった。
あっという間に歌を覚えてしまう。
「おまえさんにはもう教えることはないな…」
「わかりました。短い間でしたが、ありがとうございました」
ソフィアは次の吟遊詩人を探しては歌を覚えていく。
じきにソフィアのレパートリーは100曲を超えた。
◆
アウクスブルグでの生活も軌道に乗ってきたと思われた時、トラブルが起こった。
アリエルがクエストで大怪我をしてしまったのだ。
破傷風を発症し、高熱が続いている。このままでは命の危険がある。
「リー老師。何とかならないの?」
「今の医療技術では、あとは本人の体力次第としか…
いや。タンバヤ商会で開発されたという最新の薬を使えばあるいは…ダメだ」
「リー老師。その薬を使えば治るんじゃないの?」
「その薬は開発されたばかりで生産量が少なくとても高額なのです。とても我々では…」
「お金がないから買えないということ?」
「そういうことですじゃ」
「私なんでもするわ。私を今まで助けてくれたアリエルを助けたいの。今度は私が助ける番よ」
リー老師はしばらく考え込むとおもむろに口を開いた。
「一つだけ方法がないではありませぬ」
「何でもするわ。教えて!」
「アウクスブルグには黒猫という高級娼館があると聞きます。そこに身受けしてもらえればまとまったお金が手に入ります」
「身受けって、私の身柄を売るって言うこと?」
「そういうことですが、姫様には体を売るお覚悟がおありですかな?」
「体を売るって?」
「春を売るということですじゃ」
「…………?」
「姫様は風呂屋にいったことがありますな」
「ええ」
「そこにおりますじゃろ。春を売る女が…」
ソフィアにはようやく理解できた。
「春を売る」とは男と性行為をして代金を受け取ることだと…
「理解はしたわ。でも…」
「やはりこればかりは、わしからはお勧めできませぬ」
しばらくの間、逡巡するソフィア。
「やるわ。私が姫のプライドなんかにこだわっても、アリエルが死んでしまったら絶対に後悔することになる」
「姫様…」
リー老師の目には涙がうかんでいた。
◆
黒猫は歓楽街からは離れた場所にある豪邸だった。
ぱっと見はそういう店に見えない。
意を決して店に入ると従僕らしき少年が出てきた。ソフィアの様子を見て察したらしく「身売りですか?」と聞いてきた。
「は、はい…」
「わかりました。女将さんを呼んできます」
ほどなくして、妖艶な美女が出てきた。歳は30代くらいだろうか。
「この娘かい。身売りしたいっていうのは?」
「はい」
「ほう。なかなかの器量じゃないかい。歳はいくつだい?」
「12歳です」
「なら体は売れるね」
さも当然というその物言いにソフィアはドキリとした。
「字は書けるのかい?」
「はい」
「じゃあ即興で詩を作ってみな。もちろん恋の詩だよ」
ソフィアは意外な要求に驚いたが、普段リー老師からも鍛えられている。10分もせずに詩をかいて女将に渡した。
「ほう。これは面白い。東洋風の詩だね」
「ええ。私、そういうものしか書けなくて…」
「いや。これはこれで十分なセールスポイントになる。
歌はどうなんだい?」
「吟遊詩人に習った歌なら歌えます」
「ここで歌ってみな。もちろん恋の歌だよ」
と言われても、吟遊詩人から習った歌は大半が恋の歌だった。
そのうちから最もポピュラーなものを歌う。
女将はその歌声を聞いて目を見張った。素晴らしい才能だ。
(これはいける)と思った。久しぶりの上玉だ。
「最後に聞くよ。あんた処女だね」
「もちろんです」
「よし決めた。あんたは体を売らない高級娼婦ということで行く。そのかわり、接客と詩と歌はみっちりしごくからね。覚悟しておきな」
「はい」
体を売らないと聞いて嬉しくなったソフィアの返事は弾んでいた。
「身売りの代金はこれだけだ。文句はないだろ」
女将はリー老師に金額を提示する。ソフィアたちの年収の10倍以上の金額だった。アリエルの薬代としては十分だ。
「それで結構です」
「これでこの娘はうちのものだ。あんた名前は?」
「ソフィアです」
「じゃあ、ソフィア。早速今日から修行だよ」
「えっ! 今日から…」
「何言ってるんだい。帰しちまって、そのままとんずらされたらこっちの商売あがったりだ」
ソフィアとリー老師は顔を見合わせた。
「リー老師。あとはよろしくお願いいたします」
「わかりました。後はわしにおまかせください」
結局、アリエルはタンバヤ商会の薬のおかげで命をとりとめた。
◆
「…という訳で、わたしは黒猫で働くことになったんです」
「そうか。そんなに長い旅を…苦労したんだね。ソフィアは」
「そんな。みんなアリエルやリー老師のおかげです」
「いや。君の詩や歌の才能もたいしたものだ。そこはもっと自信をもってもいい」
──芸は身を助けるとは、まさにこのことだな…
「確かに食客の中にアリエルという凄腕の槍使いがいる話は聞いている。暗黒騎士団に何度も誘ったのだが断られた。要はソフィアの傍を離れたくなかったということか…
しかし、アリエルも水臭いな。言ってくれれば薬などいくらでもあげたものを…」
「えっ!」
「言っていなかったかな。私はタンバヤ商会の会長でもあるんだ」
「なんだ、そうだったんですね。そうすると私の身売りって…」
「そこは深く考えても仕方がない。結果オーライということで良いではないか」
「それもそうですね」
その帰り、フリードリヒはふと思いついて女将に聞いた。
「ソフィアを身受けするとしたらいくらだ?」
「そうさねえ…」
提示された金額はとんでもないものだった。
「これでは大店の1軒や2軒が買える金額ではないか」
「ソフィアには相当芸を仕込んでいるからね。その手間賃も込みさ」
「それはわからないではないが…」
──さすがに思いつきでする買い物ではないな。しばらくはペンディングか…
◆
紆余曲折あって神聖帝国のロートリンゲン大公に成り上がり、ナンツィヒに拠点を移したフリードリヒは悩んでいた。
もう長い間、ソフィアに会っていない。
ごっこ遊びの疑似恋愛と高を括っていたが、実際はこんなにもがっちりとハートを掴まれていたとは…
これはもう身受けするしかないか…
しかし、フリードリヒは別なことも考えていた。
男というものは女の前ではとかく恰好をつけたがる。特に酒の席や褥の中では…。そして口にしてはならないこともしゃべってしまう。
これは情報収集の道具として使えるはずだ。
どうせ金を出すなら店ごと買ってしまおう。
そして、商会のハント氏に黒猫を買収するよう命じた。
こうして高級娼館 黒猫はタンバヤ商会のものとなった訳だが、その効果は絶大だった。
貴族や大商人の裏情報がどっさりと報告されてくる。
本当に男とはしょうもない生き物だと思い知らされた。
◆
ソフィアをナンツィヒに連れてくることにしたフリードリヒはその扱いをどうするか考えた。
異国といえども姫なのだから愛妾ではなく、側室にしよう。特に悩まずにそう決めた。
結婚式はナンツィヒの大聖堂で行った。
宗派は違えども同じキリスト教徒なので大きな問題にはならなかった。
しかし、いざ結婚してみると世間では評判になっていた。
「ロートリンゲン大公は、異国であっても皇族であれば側室に迎え入れる」
(決めた時は深く考えていなかったが、世間的には大きな決断と映るのだな)と少し意外に思うフリードリヒだった。
そしてこの噂は、国外にも、というか国外にこそ広がっていくのだった。