22世紀日本:中学生男子二人の月キャンプ
ちょっと昔。小学生の私は、本に囲まれ、本を読むのが大好きな子どもでした。3年生になるころには、私は「図書室のヌシ」のような存在でした。小学校の図書室で定番人気といえば、学習まんがです。中でも子どもが月へ行く学習まんがは、何度も何度も読み返しました。学習まんがは貸出禁止でしたから、下校のチャイムが鳴るまで、私は図書室に居座ってページをめくり続けました。
そのころの気持を思い出しつつ、ちょっと未来の月旅行について考えてみました。
「一緒に、地球の出をみてみない?」
自由研究で何をするか相談したとき、ユウが言った。
「地球の出を見るって? 宇宙に行くのか?」
「うん。月から地球をみるんだ。きっときれいだよ」
「へえ。面白そうじゃないか」
レンは、意外に思いながら、ユウの提案に賛成した。
意外だというのは、月に行くという提案をユウの方から持ち出したからだ。
ユウとレンは、小学校以来の友人だ。お互いの子育て支援ロボが、二人の相性がよいと引き合わせたのだ。
内省的で、思慮深いユウ。
外向的で、明朗活発なレン。
性向は正反対だが、二人はすぐに仲良くなった。いつもだと、レンが提案し、ユウがついてくるという関係だが、今回は逆になった。それだけ、ユウの側に意気込むものがあるのだと、レンは考えた。
「それで、せっかく月に行くなら。オプションをいくつかそろえて、月キャンプしようと思うんだけど、どうかな?」
「月キャンプか! できたらすごいけど、可能なのか?」
「うん。可能だけど、必要な育成ポイントが高い。ロボとも相談したけど、ぼくは勉強を。レンはスポーツで成績ださないといけない」
「おれも確認しよう。ロボ、リストをみせてくれ。えーと……うわっ。通信帯域だけ、飛び抜けて高いな」
「うん。でも、月キャンプするなら、地球と月の常時接続は絶対にゆずれないからね」
22世紀日本の中学校には、自由研究がある。
宇宙で中学生に人気なのは、月面だ。月面最大のロボット都市アシモフとクラーク恒点観測所。月低軌道都市衛星ハインラインが特に応募が多い。
応募が多ければ、誰でも無制限に参加とはいかない。
そこで使われるのが、育成ポイントだ。子どもにとってはお小遣いのようなもので、何もしなくても毎年与えられる。
さらに、学問、芸術、スポーツなどの成績に応じて追加の育成ポイントが与えられる。これを消費して、追加のオプションを購入するのだ。
「ポイント節約に、月面バギーを二台じゃなくて一台にするのはどうだ?」
「通信帯域はバギーの台数は関係なしに一人当たりだから、あまり節約にならないよ」
「それでも、少しは節約できる。大型バギーだと搭載量が増えるし……うわっ、大型バギー、予約が詰まってる」
「予約に割り込むにもポイントがいるよ。やっぱり二台にしよう」
月キャンプに必要な物品のリストは次のようになった。
月面バギー。移動と運搬に使う。
太陽光発電パネル。長時間の移動だと、バギーの内蔵バッテリーでは不足するため。
衛星通信機。月の低軌道通信衛星と常時リンクするため。
カメラなどの観測機器。自由研究で使う。
ロボットハンド。自由研究で使う。
「これ以上、削れるものはなさそうだな」
「あとはポイントを稼ぐだけ。頑張ろうね」
「ユウはいいけどな。おれはギリギリだよ」
それから二ヶ月。ユウとレンは育成ポイントを稼ぐために、努力した。
ユウは、AIとの適合試験。
レンは、スポーツだ。
レンが得意なスポーツは、クラシック・スポーツに分類される。自分の肉体だけで走ったり跳んだりするものだ。
「レン! 記録会の配信、見てたよ。すごいじゃないか。走り幅跳びも、走り高跳びも、記録更新だよ」
「へへ。ありがとな。新しいサポート・スーツのおかげさ。体がなめらかに動くんだ」
「サポート・スーツなら全員が着てるじゃないか。レンがすごいんだよ」
記録会のあと、ユウはほっぺを赤くしてレンをほめた。
レンはくすぐったい気持ちで、ユウを応援する。
「ユウこそ、明日の適合試験を頑張れよ」
「もちろん! ここ数日はしっかり睡眠もとったし、十分にリラックスして適合試験にのぞむよ。期待しててね」
翌日。
青ざめた顔で落ち込むユウを、レンは必死になって励ますことになる。
ユウの適合試験の成績が、まったく振るわなかったのだ。
「おれの方がけっこう稼げたんだし、合計したら育成ポイントは、なんとか足りるだろ。気にするなって」
「……うん」
「あー。AI適合試験って、出てくるパターンで連想したものを答えるやつだろ。いくらコツを掴んでも、パターンが合わなくて調子が落ちることもあるさ」
「AI適合試験は、調子がいいとか悪いとか、そんなもんじゃ成績は変わらないよ」
「そうなのか。いやでもおれがやった時には……」
「レンが受けたことがあるのは基礎コースじゃないか。パターンだって、天文学的な数があるんだ。個人的な経験なんかあてになるものか。ぼくが受ける上級コースは、本人の知的能力が直接問われるんだ」
「心配してやってるのに、そんな言い方はないだろ!」
レンの励まし方が雑だったのか。
ユウの落ち込みが捻じれていたのか。
二人は、喧嘩になってしまう。
それから三日間。二人が会って話すことはなかった。
子育て支援ロボは、子供の喧嘩に直接介入しない。その代わり、喧嘩の後は子育て支援ロボ同士が連携して子供のスケジュール管理を行い、それとなく距離と時間を置いて冷却期間をもうける。
「ごめん。レンはぼくのことを慰めようとしてくれたのに」
「おれも、言葉が足りなかった。ユウがすごいのはおれが知ってるって、言いたかった」
三日後。
昂ぶった感情が落ち着いた頃に、「偶然」図書館で出会った二人は仲直りした。
それからは、お互いに安堵して月キャンプの計画を進める。
いよいよ月キャンプの日がきた。
ユウとレンは、リュックを背負って待ち合わせ場所へ行く。
「よ! すごい荷物だな、ユウ」
「レンは軽装だね。大丈夫なの?」
「一泊だけだろ。大丈夫だって」
月キャンプは、地球からリモートで行うもの。
それぞれが自宅の部屋の中にいても、月キャンプはできる。
けれど、安くはない育成ポイントを費やしての自由研究だ。二人は記念に自分たちもキャンプをすることに決める。
場所は、高台にある災害疎開用アーコロジー。地震や台風などの災害に備え、地域丸ごとを疎開させるための集合建築である。今は日本のどこでも災害疎開がなく、がらんどうで、メンテナンス用のロボットと少数の引きこもりがいるだけ。自由研究で中学生二人がキャンプするにはもってこいだ。
「予約してあるのは……この部屋か! 広いな! 天井も高い。何に使うんだろう」
「外が見える窓がある部屋は、だいたい共有スペースだからね。ここは災害疎開時には、芝生を敷き詰めて公園になるんだ」
「せっかくだし、窓の近くにテントを設営しようぜ」
二人が寝るテントは密閉式の気密テントだ。ちょっとでも月にいる気分をだすためだ。
気密テントは災害疎開用アーコロジー内の倉庫から借りてきた。中と外の空気をフィルターを通して入れ替える。宇宙で使うものではない。疫病災害仕様だ。
骨格部分を組み立てたあと、しぼんだままの状態でテントの中に入り、出入り口を封鎖してからポンプを動かす。
テントがドーム状に膨らむ。個人用テントだが、広い。二人が寝転がってもまだ余裕がある。疫病災害仕様なので、トイレもついた介護ロボ型ベッドを入れられる大きさがあるのだ。
「お、中からだと透明なんだな」
「映像にも切り替えられるよ。ほら」
外の景色が、高い木々と青い山嶺の映像に切り替わる。
どこからか川のせせらぎと、鳥のさえずりも聞こえてくる。
「きれいだけど、どこだここは」
「デフォルト設定みたい。ちょっとまってね。月のカメラとつなぐから」
周囲の風景が、荒漠とした黒と白の風景に切り替わる。
少年二人は、同時に「わあ」と声をあげた。
この二ヶ月。自由研究の準備で月のことを調べてある。
白と黒のコントラストがきついのは、空気がないため。
空のどこにも地球がないのは、月の裏面にいるため。
時おり空を流れる星は、地球から月へ射出されたコンテナだ。
「ナマで見ると、やっぱり迫力が違うなぁ」
「うん。一・三秒ほどタイムラグがあるけどね」
「じゃあ、出発するか。まずは西に向かって前進だな」
「うん。しばらくは道なりに進むよ」
月における道というのは、これまでのバギーが作った轍の跡だ。
レンが遠隔操作用グローブを使って、仮想のハンドルを右に、左に、動かす。
「よっ……ほっ……うん。ハンドルを動かしてから、実際にバギーが曲がるまで二秒近くあるな。一・三秒より長い感じがあるのはどうしてだろう」
「中継機器による遅延だと思う。追跡コマンドを送って確認してみよう。レンの手から信号が出て、このアーコロジーの管理AIを経由して、屋上の衛星通信機に。そこから低軌道通信衛星を経由して……」
ユウの指が、ゴーグルを通して自分にだけ見える通信の流れを追いかける。
地球から月へ飛ぶ時に手が大きく動き、隣にいたレンの頬をグニョリとつつく。
「わっ」
「あ、ごめん!」
仮想のハンドルが大きく曲がり、時間を置いてバギーがぐるりと曲がる。
バギーは踏み固めた轍の道からはずれ、ガタガタと揺れた。
レンが慌ててハンドルを逆に回す。今度は時差のせいで回しすぎてしまい、逆方向に轍を踏み外す。
「うおお、行き過ぎたっ」
「減速! まず速度を落として!」
しばらく悪戦苦闘してから、バギーを道に戻す。
「やれやれ」
「バギーを動かした人の体験ノートに、月のバギーを動かすのは、大型船を動かす感覚に近いってあったけど、実際に体験してようやくわかったよ」
「ああ。大型船だと、舵をあてても、反応が出るまで時間がかかる、って書いてあったな。でも、大型船を操縦したことなんかないぞ」
「月でバギー動かすより、珍しい体験だよね」
二台のバギーは連れ立って、時速二十kmで月面を西へと向かう。
バギーの運転はレンが行う。後続車は、先頭車の後をついていく設定だ。
「珍しい体験といえば、昔は公道で車を自分で動かせてたんだよな」
「自動車が、自動運転車のことじゃなかった時代だね。交通事故も多かったみたい」
「こうやってハンドルを握るのは楽しいけど、他の車が近くにいるところでは、動かしたくないなぁ。事故になりそう」
「月でも事故になるかも。うっかり、地球に遊びにきた宇宙人ひいちゃったりして」
「なんだよ、それ。月までくるんだったら、地球までこいよな」
「宇宙人の視点からすると、文明の中心は地球じゃなくて月だよ」
ユウの主張には、根拠がある。
22世紀地球の年間発電量は、約四千兆キロワット。
21世紀初頭の約二十兆キロワットと比較すれば、二百倍になる。
百年あまりに増えた分は、ほぼすべてが月で発電され、月で消費されている。
地球は電力でいえば、月の百分の一の産業しかないのだ。これは地球の環境負荷を下げるためという目的もある。
「でも、月には人はほとんどいないぜ。ロボットばっかりだ」
「火星もね」
「火星にはテスラ市にイーロン・マスクがいるだろ」
「本人はとっくに亡くなって、火星にいるのは復元人格だよ」
月の産業が地球文明を支えるようになったのは、ナノ化処理のおかげだ。
ナノ化処理は22世紀の錬金術といえる。電力さえあれば、ナノ化処理槽でどんな素材でも作ることができる。暴走すればナノハザードが起きて人間を塩の塊にしかねないので、その意味でも月にもっていくことに意味がある。月ならナノハザードが起きて月がチーズになったり餅になったりしても、地球は無事だ。
「そろそろバッテリー充電しようよ」
「おう」
バギーを止めて、太陽に向けて太陽電池パネルを広げる。
「出発してから、太陽はほとんど動いてないな。夜になるのははいつだっけ?」
「地球時間で四日後だよ」
地球が自転しているように、月も自転している。昼も夜もある。
月の自転は、地球を巡る公転と一致している。一ヶ月かけて地球を一周する間に、月では長い昼が過ぎて、長い夜がくる。
「バギーが充電している間に、ぼくたちも食事にしようよ」
「そうだな」
二人がいるテントは気密を保つため、自由に出入りができない。
なので月キャンプの間は、外で食事をすることができず、中に持ち込んだレーションを食べることになる。
これは二人が相談して決めたことだ。
気密テントに入ったまま一晩を過ごすことで、地球ではなく、月にきている気分を味わうのだ。
なお、携帯式のトイレもテントにあるが、念の為に二人ともオムツ型下着をはいている。
「ユウ。何をもってきた?」
「ぼくは、定番の宇宙食だね。カレーなんかの汁物は匂いがきついから、テントの中で食べるのはやめようと思って、揚げ物中心で」
「おれは、登山用のレーションだ。これ圧縮パン。親指の爪ほどの大きさだけど、袋からだして水に入れたら、一人分になる。ふかふかで甘いぞ」
「レンって、甘いの好きだね」
「大好きだ! 元気になるからな」
「そう言うと思って、甘いデザートも用意したよ。地球団子」
「地球にしちゃ黒いな」
「タレは食べる前にかけるんだ。表面に大陸や海が浮かんできれいだよ」
「いいな。地球の出のときに食べようぜ」
「じゃあ、レンが用意したパンを……本当に甘いや」
「だろ? ユウが持ってきた唐揚げがピリ辛だから、ちょうどいいな」
「コーヒーいる?」
「練乳いれてあるやつなら飲む」
「都市伝説だよ。いくら昔の人が雑な舌でも、そんなの作らないって」
「いーや。おれは信じるね」
二人が腹ごしらえをすませる間に、バギーの充電も完了した。
轍の跡が少なくなってくる。月の表面が近づいてきたのだ。
国際的な月面景観保護協定のおかげで、月の大規模建築物は裏面に集中している。地球から見られるのは、月低軌道をめぐる月低軌道都市衛星ハインラインだけだ。互い違いのマスドライバーでシルエットが「*」(アスタリスク)になっているので、月にカメラを向ける者たちの間では「ケツの穴」という隠語で呼ばれることもある。
「西に壁が見えるようになったぞ。もうすぐだ」
「屏風みたいにそそり立ってる」
「なんか世界の壁って感じだな」
「あの壁まで、距離は約三キロメートル。すぐ目の前だよ。高く見えるけど、てっぺんまでは百メートルくらい。地球の景色と見え方が違うから、勘違いしちゃうけど」
「世界が狭いから、実際より大きく見えるわけか」
月は地球より小さい。直径で四分の一。この差は、外から月をながめるより、月の上に立ったときの方がわかりやすい。地平線──月平線が近いのだ。地面──月面から見える範囲が狭く、バギーが移動すると、クレーターの縁やクレバスが、唐突に目の前に出現する。だまし絵の世界の中に入ったかのようだ。
二台のバギーは、壁を北に迂回するようにして進む。
バギーのモーター音が大きくなる。登り坂になったのだ。
「空気がないのに、音が聞こえるって不思議だな」
「バギーの中で発生している音だからね。キャタピラが地面を踏む感触も、レンのグローブを通して伝わってるでしょ?」
「おう。大きめの石を踏んだらゴリッ、て感触が掌に伝わってくるな」
「音や触感は、大事な情報だもの。たとえば足がしびれたら、うまく歩けないよね。それは、足の裏のセンサーがバカになってて、姿勢制御に必要な情報が、脳に伝わらないからだよ。すぐに転んじゃう」
「運転には、音や触感が大事ってことか」
やがてバギーは西の壁の上に出た。
上がってみると、壁は小ぶりな丘陵であることがわかった。
そこからさらに西。
月平線に、青い地球がかかっていた。
ぷっくらと膨らんだ地球だ。もう四日ほどで満月──満地球になる。
「おい、見ろよ! 地球だ! ほら! すげえぞ!」
「うん。すごいね」
いかにもこれから昇りそうな地球。西なので沈みそうと呼べばいいのか。
自由研究の予定をたてて二ヶ月。写真でも、仮想現実でも、何度も見てきた光景だ。
なのに、実際に見てみるとレンもユウも、「すごい」以外の言葉が出てこない。
バギーが止まる。
地球も止まる。
少年二人は、しばらく静止した地球をながめ、それから遠隔操作グローブをはめた拳をコツン、とぶつけた。
「地球が止まってるぜ。おれたちは地球を止めたんだ」
「うん。月の表面と裏面の境界線では、こういうふうに見えるんだね」
「ここだと地球は静止してても自転してるのがわかるな。それに、ゆっくりでも星や太陽は動くのに、地球は動かないのも面白いな」
「もう少し進んだら、地球が完全に月平線から出る。そこで地球を観測しよう」
「おう」
バギーが西へ進む。
西の空に地球が昇っていく。背後の星は沈んでいく。
「ユウ。ありがとな。おまえが自由研究で地球の出を見ようと言ってくれなかったら、おれはこの光景を見ることはなかった」
「こっちこそ、ありがとうレン。きみがポイントを余分に稼いでくれなかったら、ぼくは、これほどの臨場感でこの光景を見ることはできなかったよ」
二人の友情を祝福するように、地球は青く輝いていた。