その82
宮本との待ち合わせは、1日目も終わり際の薪割り会場だった。
グラウンドの隅に作られたそれは、明日のキャンプファイヤーのための薪を用意するためだけの会場だ。
大体必要量の薪はそろっているみたいだが、雰囲気を出すために片づけずに飾ってあるのだとか。
少し時間より早く着いた俺は、グラウンドにあるブースの人たちを撮影していた。
ふいに、声を掛けられる。
「こんな時でも仕事熱心なことね」
「待ち合わせの前なんてこんなものだろ?」
振り返った先にいたのは、宮本だった。
クラスTシャツに制服、新聞部の腕章というスタイルはなかなか新鮮に映る。
「もうすこし、楽しみにしてソワソワしていてくれてもよかったのよ」
「今更だろ。宮本もそうだろ?」
「私は、楽しみにしてたわよ。当然ね」
軽口を返しただけなのに、想像と違う反応に驚く。
少し恥ずかしそうにしているのにも。
調子が狂うとはこういうことを言うのだろうか。
俺は、この感覚を打ち払うように、言葉を返した。
「そうか、まあ、とりあえず、行くか。体育館ステージでいいんだっけか?」
「ええ。ステージのほぼクライマックスよ。ほかより早く終わるから。うちの吹奏楽部はそれなりに強いんだから、聞きに行きましょ」
そんなやり取りをして、日が少しずつ傾いてきた校舎を歩く。
体育館は、宮本の言った通り、クライマックスを見に来た生徒たちでごった返していた。
宮本はこういう混雑を好まないタイプだと思っていたが、そうでもないらしい。
「盛り上がってるわね。私たちも行きましょう」
そういって、俺の腕を引き、体育館の中ほどまでガンガンと進んでいく。
体育館ステージはその前までダンス部がやっていたこともあって、テンションの高い生徒であふれていた。
まあ、ダンス部は女子が多いから盛り上がっているのは男子が多いわけだが。
「ダンス部は、見なくてもよかったのか? いっこ前から見る余裕はあっただろ、時間的に」
「いいのよ。ほかの女子が華麗に踊ってるのを好きな男に見てほしい女がいると思うの?」
「お、おう、そうか」
眼光が鋭すぎて、俺はすぐに閉口した。
しかし、黙ってから、はたと気づく。
あいつ、さらっと「好きな男」とか言ったか?
いままで、そんなはっきりと表現したことはあっただろうか。
あのとき、はっきりと告白を断ってから、そんなことはなくなっていたと思ったけど。
「始まるわよ」
宮本の声に俺は思考を中断して、目線をステージへと向けた。
吹奏楽部の演奏は、宮本の前評判どおりに素晴らしいものだった。
それこそ、素人の俺でもわかるくらいには。
さらには、文化祭仕様でみんなによく知られている曲を多く演奏してくれていたから楽しみやすかったというのもあるだろう。
そして、会場が盛り上がってきたところで、校歌が演奏され始めた。
式典や行事で校歌のイントロが流れ始めたときは、面倒そうにする生徒たちが歓声を上げて立ち上がり、肩を組み始める。
俺が戸惑っていると、横から宮本が話しかけてきた。
「毎年、文化祭の1日目のクライマックスは吹奏楽部が校歌を演奏するの。それに合わせて肩を組みながら全力で歌うのが、少し前からのこの学校の伝統なのよ。騒いでるのは主に3年生ね。明日は、体育館ステージの大半が3年生の演劇だから、みんなで騒げるのはここしかないのよ」
「なるほどな」
そう納得したところで、宮本が肩に手を回してきた。
「だから、私たちもやりましょ」
「えっ」
返す俺の言葉を聞くこともなく、宮本は大声で歌い始めた。
こんなに大きな声をこいつが出しているところは見たことがなかったなと思いながら、俺も宮本の肩に腕を回してやけになったように歌った。
正直、大きな声を上げるなんてなれないことをするものだから、若干声がかすれたようになってしまったが、それでも、すっきりとして楽しかったのは確かである。
大合唱が終わると、自然と会場が拍手に包まれ、壇上の吹奏楽部にも割れんばかりの拍手が注がれる。
誇らしそうに、去っていく吹奏楽部の後姿を眺めながら俺も拍手をしていると、宮本が横から囁いた。
「ね、吹奏楽部のステージで、正解だったでしょう?」
直接表情も見なくても、どんな顔をしているのか想像がついた。
俺は、宮本の方を見ないで「そうだな」と笑った。
体育館はその後、自然と全員が外に出ていく流れをつくっていた。
この吹奏楽部のステージが終わったら、文化祭の時間は残り50分程度。
ほとんどの外部客は帰っていく時間である。
飲食ブースでは、メニューの売り切れが発生しているところも多い。
俺と宮本は、そんな閑散とし始めた校内のさらに比較的閑散としている文化部ブース付近を歩いていた。
「こんなところに何の用があるんだ?」
そう聞いても、宮本はかたくなに行き先を言わない。
「いいからついてきて」
と、楽しそうに言うだけである。
そして、歩いた果てに着いたのは、特別教室の多い棟の端。
屋上というには少々狭い謎の屋外スペースにつながる扉の前だ。
「実は、私はここのカギを持ってるの」
「なんだってそんなもんを」
「新聞部の先輩にもらったのよ。葉山先輩よりも一つ上の代のね」
そう言って、宮本は躊躇なくそのスペースに足を踏み入れた。
本当に何もない。
室外機のような設備の一部と、パイプ、落下防止の柵がある以外は特に物もない。
コンクリートの床だけが広がるスペースだ。
10人もいれば相当に圧迫感があるだろうこのスペースに、俺たちは二人で立っていた。
「ここはね、夕日がきれいなの。ほら、もう日が沈んでいくでしょう?」
宮本の指さす先には、確かに赤々とかがやく沈みかけの夕日があった。
もう、秋になってきたんだなと時計とその位置を照らし合わせながら考える。
もちろん、すぐにでも沈みそうだという夕日ではないから、まだまだ残暑の厳しい日常ではあるが、それでも時が過ぎたのを感じざるを得なかった。
「こんなところにわざわざ来たのは、これを一緒に見てほしかったのと、もうひとつ聞いてほしいことがあったから」
宮本はやけに真剣そうに、されどその視線は夕日に向けたまま語る。
「ここはね、1年生の時の私の世界なの。恋をしたいって口で言いながら、きっとどこか人と触れ合うのを恐れていた私の逃げ場。ここにきては下の生徒や夕日や、街を見て、人間ひとりひとりのちっぽけさを感じて、私の中の靄を払おうとしてた。一定の効果はあったから、無駄だとは言いたくなけれど、根本的な解決にはつながらないのよね」
そういう宮本が語りかけている相手は、俺だろうか。
それとも、過去の自分だろうか。
ただの独り言だろうか。
俺は、相槌を打つこともなく、隣で同じように夕日を見ていた。
「私は、今年、色んな人と出会えたから、色んな事を経験して、今、明確に自分が変わったんだって言い切れるわ。どこが変わったかわかる?」
「あ、んん、あんまりわからないな」
宮本にいきなり話を振られた俺は、びっくりするほど低レベルな返しをした。
宮本はそれに苦笑いした。
「そう。まあ、あなたはそんなものよね。これでも結構素直になった方なんだけど、気づいてほしいっていうのはこっちのエゴだから気にしないわ。でもね、素直になったからこそ、ちゃんと言っておくわよ」
そう言うと宮本は、俺の肩をつかんで、正面を向かせて言った。
「何があったか知らないけど、もうちょっとわがままになって。たまには、気遣いするのもやめて。私はもっと、本音のあなたが見てみたいわ」
言われた瞬間の俺の顔はどんなだっただろうか。
鳩が豆鉄砲を食ったような顔だっただろうか。
脳みそが、宮本のその言葉を処理するのを嫌がった気がした。
しかし、それについて考え直す前に、俺の鼻を、ほのかに甘い匂いがくすぐる。
俺の胸のあたりに、宮本が頭を預けていた。
髪の毛が、顔のすぐ目の前まで来ていたのだ。
俺はびっくりして、宮本の肩をつかんで離す。
「あら、そんなに驚くこと?」
「だって、お前、そりゃあ……」
「別にこれくらいいいじゃない。私からしたんだから、セクハラで訴えられることもないわよ」
宮本は、いたずらが成功したというようにクスクスと笑った。
その笑顔は、俺のイメージにある宮本とは離れていて、少し幼い少女のような笑い方だった。
「ねえ、写真撮ってよ。夕日が背景だと、映えるでしょう?」
宮本がそういって、俺にピースを向ける。
カメラを構えようとした俺に、宮本は言った。
「ちょっと、備品で撮らないでよ。完全にプライベートなんだから、スマホで」
「あ、ああ、そうだな」
俺は、たどたどしくも、スマホを取り出して、カメラを起動した。
撮る前の発色の調整などをしないカメラは久々である。
今のスマホのカメラは性能がいい。
色の出方は若干違う気もするが、きれいに宮本と夕日を切り取った画面が、俺の目に映った。
シャッターを切る。
ピースをこちらに向けた女の子が、先ほどまでよりもやけにまぶしく見えた。




