16-3
ルーテアに指示を出し、同じように俺が隻眼狼を誘導して、ルーテアが弓矢で攻撃することを三度行う。しかし、すべて結果は同じだった。俺とルーテアの連携も上手くなり、攻撃と攻撃の間隔は狭まったのだがそれ以上の速度で隻眼狼はこちらの攻撃に順応していった。これ以上は矢の無駄にしかならない。
「ルーテア。一旦、攻撃中止」
ただ、無駄に攻撃を繰り返したわけではない。こちらもあちらを観察して、分析する。隻眼狼はこちらに攻撃をする意識が低い。少しだけ隙をさらすように立ち回ったが攻撃してこなかった。罠を疑った可能性もあるがそれを考慮しても攻撃よりも防御を優先しているのは間違いない。
狼の狩りはチームワークと体力を生かした持久戦だったはずだ。逃げる獲物を執拗に追いかけ、体力が切れたところを仕留める。目の前の隻眼狼が一頭であることを考えると怪我を避ける立ち回りが出来なければ生きてはいないだろう。……ダンジョン内のモンスターが普通の生物のような狩りをして、食事を必要とするかははなはだ疑問ではあるが。
その場合、逃げることは遠回りな自殺になる。こちらより体力があるかどうかは不明だが、『捜索網』の移動速度を考えるに背を向けて全速で走ったとしても移動速度はあちらに分がある。なにより、逃げる獲物を追い詰めるのはあちらの得意な戦い方だろう。
籠城戦よろしく、ここで隻眼狼の根気が挫けるまで戦うのはどうだろうか。いくら狼が持久力に優れているとはいえこちらは三人いるのだ。交代制で防衛すれば先に体力が尽きるのはあちらだ。……まぁ、深く考えるまでもなく悪手である。こちらに援軍はありえないが、あちらにはあるかもしれない。確固たる援軍ではなくても他の魔物が乱入してこればそれに乗じて隻眼狼も攻撃に加わるだろう。……なにより、あの目を見ていると体力が尽きても諦めない気がしてならない。
では、どうするか。
「今から体を張って近接戦闘する。俺が危ないと思っても助けるために近づくな。チャンスがあったら遠距離で仕留める準備をしとけ」
「分かった。隙が出来たらしっかり、仕留めるから無理すんなよ!」
「了解です。ユウジさん。嫌狼玉は使いますか?」
「頼む」
すっかり忘れていたがルーテアが推定灰色狼だが姿形が狼である以上、嫌狼玉が有効かもしれない。嫌狼玉とは調合したオオカミ除けの香を大きく玉に丸めて導火線をつけて、火をつけたら即座に香りが広がるようにしたルーテアオリジナルのアイテムである。
狼除けの香を何度か実験した結果、発見された際に追い払えるほどの効果はなかったのだが発見されていない状態だとこちらの匂いも覆い隠すようでこちらを避けるように移動したのを確認した。
そして、思わぬ効果として狼の集中力を散らす効果があることに気づいたのだ。戦闘の際にオオカミ除けの香を焚いているとそちらが気になるらしく、戦闘中にも関わらずちょくちょく意識が香へと向かうのだ。
それに気づいてから三人で話し合い念のための切り札として作成した次第である。使用する薬草類を考えるとお高いアイテムなので普段使いは出来ないが今、この時のためのアイテムといっても過言ではない。
隻眼狼がアイテムの使用準備を開始した後列に襲い掛からないよう警戒しながらしばらくすると導火線に火が付く音が聞こえる。そのあと、俺の頭上を越えて嫌狼玉が隻眼狼の後方へと飛んでいく。自分を害すことが出来るものではないと判断したのか隻眼狼は玉をスルーするが効果はすぐに表れる。
不快を知らしめるように唸り始める。遅れて何度か嗅いだことのある嫌狼玉の匂い。怖気が走るような唸りだが嫌狼玉が有効だったことに感謝する。怒りのため攻撃性が増したとしてもこちらを観察しながら、完璧な回避を行っていた平静な状態に綻びが生じたのだ。
思わぬ状況の好転。あとは俺が覚悟を決めて、どじらずに遂行するだけだ。
鼻から息を吸い、口から強く、短く吐き気を引き締める。俺の両手にあるのは一本の槍。ダンジョン探索をするようになって扱い始めた武器だが俺なりに分かったきたことがある。
利き手である右手で槍の後方を持ち、左手は前。今回は追いかけながら突くことになるので膝を軽く曲げるだけで腰はあまり落とさない。
槍は中距離を得意としていて、それを相手に押し付けることができる。博打をうたずに、繰り返し突きを繰り返すことがシンプルに強い。レンやルーテアとの対人模擬戦では近距離に入らせないように距離を保ち、体勢が崩れないように左手は軽く握り右手で槍を突き出す手数を重視する形に持ち込むとほとんど勝ちとなる。
それは槍のリーチが長いことに加えて突きの威力が高いためだ。魔物相手の場合、問答無用、全力前進で襲い掛かってくるのでその勢いを利用すればあっさりと根元まで刺さる。勢いを利用しない状態でも簡単に肉に食い込み、かすっただけでも裂傷が出来る。意識を当てることのみに集中できるのは初心者の俺には助かる。
唸り声に気圧されことなく前進。腰を入れ過ぎないように槍を突き出す。後方に跳躍して避けられるが構わず前進して、再度槍を突き出す。
今回、相対するのは隻眼狼。俊敏性はあちらに分があるが槍の攻撃範囲なら一方的に攻撃することが出来る。そして、急所ではなくても手傷を負わせることが出来れば俊敏性は落ちていつかは急所を捉える足掛かりとなる。かわされることが不利に繋がるわけではない。
それが分かっているのか隻眼狼は回避に専念しているし、避けるための距離も大きくとっている。
変化が現れたのは五度目の攻撃を仕掛けた時。回避距離が小さくなる。こちらの攻撃に順応を始めている。順応の速さは分かっていたのだが背中を伝う汗は冷たく感じる。想定内ではあるのだが嫌狼玉が有効に作用しているのか疑わしく思ってしまう。
長期戦は不利。間を置くことなく槍を突く。一刺し目で隻眼狼は範囲外へと飛び退る。ただし、躱されることは織り込み済みだ。槍を引き戻し、狙いを頭へと定め、間髪入れずに攻撃にうつる。二刺し目は後ろに置いた右足で飛び込み、右手を先ほどより突きだす。今までは見せていない連続かつ射程の長い攻撃。
槍が突き進む中、隻眼狼の瞳が映る。『高速思考』を発動していないのだがその瞳に愉悦が含まれることが分かる。
隻眼狼が頭を下げ、槍の進む先から隻眼狼の頭部が消える。そのまま、槍の射線をかいくぐるように体の全体が左方向へと流れる。大きく口を広げながら頭を中心に体が反転する。右側によけた場合、左腕を噛もうとしたら槍の柄が邪魔となる。
冷静な判断だと言える。隻眼狼も回避だけを行い、こちら疲弊するのを待っていただけではない。攻撃を仕掛けないことによって防御が頭から抜けた状態を待っていたのだ。おまけに相手の攻撃を誘発したうえでのカウンター。
反転が完了して、目が潰れている隻眼狼の左側面がこちらへと晒されるが口は大きく開かれており、あとは突き出された左腕に噛みつくだけだ。視線が途切れてしまうが攻撃するには必要なことであり、些細な問題だろう。
隻眼狼にとっては。
『高速思考』を起動。迫りくる顎が観察できるほどゆっくりとなる。だが、『高速思考』はあくまでも思考を高速化することによる疑似的なスローモーションであり、肉体を動かすスピードが向上するわけではない。今から噛まれないように左手を引いても噛まれるスピードに勝てずに間違いなく、噛まれる。
だが、覚悟の上だ。
槍から放していた、右手を動かし左腕へと伸ばす。
踏み込みに使った右足はそのまま前方へと伸ばす。
隻眼狼の顎が左腕の上下に到着する。
右手が左腕の小手に隠したナイフの柄を握り込む。
ナイフを鞘から抜き始めると同時に隻眼狼の顎が閉まり始める。
顎が完全に閉まる。
遅れてナイフが完全に鞘から抜け、前方に伸ばした右足が地面を踏みしめる。
隻眼狼が激しい動きで噛みついたまま引き倒そうと引っ張る。だが、右足は間に合っている。
左腕に力を籠め、右足を踏ん張りつっかえ棒のようにして隻眼狼の引き倒しを防ぐ。
肩が抜けたと思うほどの衝撃を耐える。一瞬引っ張る力が抜けるのが分かる。
この一瞬だけが俺の攻撃ターンだ。腑抜けて入れば二度目の引き倒しが来る。
右手に握ったナイフを左腕に喰いついている隻眼狼の喉元へと突き出す。
引き倒しを耐えるための体制。ナイフの威力を最大限に乗せるには心もとない距離。だが、このナイフはダンドン謹製。槍の弱点が近距離戦だということは分かっていたのでそれを補うためのサブウェポン。近距離戦を前提とした物なので、近距離でも威力を発揮できるよう切れ味に重きを置いて作成してもらったのだ。
右腕の下で行われているので視覚情報はないが、右手に握ったナイフに僅かな抵抗を感じる。だが、それは一瞬のこと。そのまま肉を突き裂く感触へと変わる。掌に重い衝撃。刃部分が完全に肉に埋まり、ナイフの柄が肉を叩いたのだろう。
ナイフを捻りながら引き抜く。視線の中の隻眼狼の口から血が大量にこぼれる。噛みついたままの頭部が動き、再び視線が交わる。
その瞳に浮かぶのは空腹。
慌てて、二度目のナイフによる突き込みをしようとしたが隻眼狼の体が白い煙へと置き換わっていく。それでも視線は外れず、こちらを食らおうという視線は揺るがない。
最後まで嚙みついたままだった頭部が煙となり、消えてなくなる寸前まで隻眼狼の左目からの視線は外れることなく、支えるものが煙になってようやく落ちて、外れた。
そうなってようやく恐怖から解放され、勝ったことが分かった。