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時代劇ショートショート【うつろ舟】

作者: 音野内記
掲載日:2019/12/30

 魚屋の半吉が仕事を終えて長屋に帰る途中、人だかりに出くわした。物見高い半吉は辻にできたその人だかりを覗き込む。

 群衆の中心には、頭に手拭を巻いて派手な着物を羽織った男が左手に紙の束を右手に箸を持って立っていた。

「何でえ、瓦版売りか」

 半吉がつぶやいた時、瓦版売りが売り声を上げた。

「さあさあ、大変だ! 奇妙な舟が常陸国に流れ着いたよ」

(舟なんか、どうでもいいや)

 半吉は背を向けて歩き出そうとした。

「この舟から出て来たのがこれまた奇妙な女だ。この女、とびっきりの美人ときてる」

 美人という言葉に反応した半吉は、人混みをかき分けて瓦版売りの前に出る。

「どんな美人なんでえ?」

「それはこの瓦版に書いてるよ。買った、買った」

「しっかりしてやがるぜ」

 半吉は懐から一文銭を四枚取り出し、瓦版売りに押し付けるように渡すと、ひったくるように瓦版を受け取った。

 半吉は人だかりから離れ、瓦版を眺める。紙の下側に丼のようなものが描いてあり、その横に立ち姿の女が描いてあった。

「切れ長の涼しげな目、通った鼻筋、小さな口。なかなかの美人じゃねえか。それにしても、何ってえ着物だ。見たこともねえや」

 半吉は女の横に書かれている文字を読み始める。

「えーと、この漢字は何て読むんだっけな? まあ、いいや」

 半吉は独り言を言い、瓦版を懐にしまった。


 半吉がねずみ長屋に帰ってくると、井戸端にいた牛五郎に声を掛けられた。

「半吉、懐から出ているもんは何だ?」

「牛五郎さん、申し訳ねえ。ちょいと急いでやすんで」

 半吉はそう言って、真っ直ぐ隠居の正兵衛宅に向かった。

「ご隠居、いやすか?」

 半吉は返事を待たずに引き戸を勢いよく開けた。

「毎度毎度、お前さんはいきなり戸を開けおって。いつも言ってるだろう、返事を聞いてから開けなさいと」

 半吉は正兵衛の小言など聞いてはいない。ズカズカと上がり込んで座敷に腰掛けた。

「全くお前という奴は。それで、今日は何だい?」

「ご隠居にを読んで欲しいものがあるんで」

 半吉は懐から瓦版を取り出して正兵衛に渡した。

「何かと思ったら、瓦版じゃないか。どれどれ」

 正兵衛は本文を読み始める。


一、去る亥年の二月、かくのごとくの舟が沖に見えそうろう。それから、しばらく見なくなりそうろう。この度、小笠原越中守様のご知行地である常陸国かしま郡京舎ヶ浜へ。同年の八月の嵐に吹き付けられそうろう。うつろ舟の内に、女一人。年の頃は十九、二十歳ほどにて、身の丈六尺(百八十センチメートル)あまり、顔の色青白く、眉毛と髪赤黒く、身なりに至っては美しく、器量は甚だ美女なり。音声はかんばしり(高音)で大音なり。白木の二尺(六十センチメートル)ばかりの箱を離さず抱え、大切な物にみえ、決して人を寄せ付けぬなり。

一、敷物一枚、至って柔らかな物。

一、食い物、肉類を練りたる物。

一、茶碗のような物一つ。美しき模様有り。石には見えず。

一、火鉢らしき物一つ。鉄には見えず。

挿絵(By みてみん)

「この丼みたいな絵が『うつろ舟』じゃな」

 正兵衛は一人で納得すると、舟に添えてある文字を半吉に説明し始めた。

「舟の高さは一丈一尺(三百三十センチメートル)。幅は三間(五百四十センチメートル)。船体は紫檀と白檀で黒塗りのようじゃ。網目になっているところが窓で、ビードロや水晶らしい。丼の縁のようなところは鉄で朱塗り。下の筋金は南蛮鉄とある」

「舟の方はどうでもいいんで。女の方を読んでくだせえ」

「これくらいの字を読めんのか?」

「左っ側は平仮名なんで、『こはぜすいしょう きんのすじ びろうどおり(小鉤水晶、金の筋、ビロード織)』ってことはわかるんですがね、右っ側にわからねえ漢字があるんでさ」

 隠居は勝ち誇った態度で言う。

「右側には『錦のような織物、色は萌黄色なり』と書いてある」

「何でえ、着物のことかい」

 半吉は残念そうに言って、続ける。

「するってえと、この女は丼みてえな小舟に乗って常陸国の浜に打ち上げられたって訳ですかい?」

「そういうことだな」

「この女、何者なんですかい?」

「舟や身なりからすると、この国の者ではあるまい。異国の女のようじゃな」

「異国ってえと、唐土(もろこし)ですかい? それとも阿蘭陀(おらんだ)?」

「わからんな」

「ご隠居でも、わからねえことがあるんだ」

 半吉のそんな物言いに、正兵衛はムッとした。長屋では博識で通っている正兵衛のことだから、それを否定されるようなことを言われて気分を害したようだ。ましてや、無学の半吉に言われたのだから尚更だろう。

 半吉は正兵衛の様子を気にすることもなく、瓦版の右上を指差す。

「この判じ物みてえな字は、これは何て読むんですかい?」

 半吉が指した部分には、上から【三角に丸一つ】、【王】、【小さな丸】、【十に短い横棒】、【小さな丸】、【三角に丸二つ】が順に並んでいた。

「この字の横に『かくのごときの文字、船の中にあり』とあるので、うつろ舟の中に書いてあった異国の文字じゃろう」

「異国の字なら、ご隠居でも読めねえな」

「そんなことはないぞ」

 正兵衛は咄嗟に言ったが、直ぐに後悔したようだった。

「さすがご隠居だ。で、何て読むんで?」

「……」

 半吉は正兵衛の顔を覗き込んで、もう一度訊く。

「何て読むんで?」

「これはじゃなぁ……『ハッパフミフミ』と読む」

「それで、どういう意味なんで?」

 正兵衛は腕を組んで考え込んだ後、意を決したように口を開いた。

「これは異国の呪文じゃ。唱えるとうつろ舟が現れるのじゃ」

 半吉は「そうなんですかい!」と驚いた声を出すと、すっくと立ち上がり、礼も言わずに出て行った。


 半吉が瓦版を持ち込んできた日から十日程した夕方のこと、正兵衛は長屋の井戸端で牛五郎にバッタリ会った。

「ご隠居、知ってるかい?」

「何をじゃ」

「半吉のことだ。一昨日の晩、大川端を歩いていたらよ、川っ縁で訳のわからねえことをブツブツと言っている奴がいやがった。よく見たら、半吉じゃねえか。俺は『何をやってるんだ』と訊いたんだがよ、半吉は『構わねえでくだせい』と言うばかりで、唱えるのを止めねえ。俺は気味が悪くなって帰って来ちまった。後で長屋の連中に訊いてみたら、十日くれえ前からやってるみてえだ。変な信心でも始めやがったんじゃねえか」

「半吉は何と唱えていた?」

「よく覚えてねえが、確か……『ハッパフミフミ』と唱えていたかな?」

(あんな作り話を真に受けて、十日もそんなことをしているのか)

 正兵衛はうつろ舟の中の文字らしきものを異国の文字と推測しただけだったが、半吉は異国の字と早合点した上に、読める訳がないと決めつけた。長屋の隠居ごときが「異国の文字を読める訳がない」と思うのは当然のことだ。実際、正兵衛に異国の文字は読めない。だが、正兵衛は馬鹿にされたように受け取り、「わからない」と言うのが悔しくて、出まかせを話したのだった。

 正兵衛は自分の作り話のせいで半吉に無駄なことをさせる結果になった。しかし、正兵衛は申し訳ないと思うより呆れた。

「牛五郎、心配しなくてもいい。半吉のことだ、その内に飽きるじゃろう」

「ご隠居の言う通りかもしれねえな。ほっとくか」

 正兵衛が黙ってうなずいた時、「ご隠居!」との声がした。

 正兵衛と牛五郎の二人が声のする方を見ると、二尺四方くらいの木箱を持った半吉が立っていた。

 正兵衛は思わず身構える。作り話だったのがバレたと思ったのだ。

「半吉、今日は川っ縁に行かねえのか?」

 牛五郎の問いに、半吉が答える。

「もう、その必要は無くなったんで」

「どういうことでえ?」

「牛五郎さん、うつろ舟って知っていやすか?」

「今話題になってる常陸に流れ着いた舟のことだろう」

「そのうつろ舟に乗ったんで」

「えっ、何だって!」

 驚きの声を上げたのは正兵衛だった。

 唖然としている正兵衛を尻目に、牛五郎が訊く。

「本当か? ホラを吹いてるんじゃねえだろうな」

「牛五郎さんが信じられねえのも無理もねえ。でも本当なんで」

 半吉は真顔になっている。もしかしたら本当なのかもしれないと、牛五郎は思ったようだ。

「詳しく話してみろ」

「十日程前、ご隠居に瓦版を読んでもらったんでさ」

「丼みてえなもんが描かれた瓦版のことか?」

「そうでさ。その瓦版の最初に文字みてえもんが書かれていやしてね、それが異国の字で書かれた呪文で、唱えたらうつろ舟が現れると、ご隠居から教えてもらいやした。アッシは瓦版の美女にどうしても会ってみたくて、毎晩大川の川岸で呪文を唱えたんでさ」

「俺と会った時に唱えていたのは、念仏じゃなくて呪文だったのか。それでどうなった」

 牛五郎は身を乗り出していた。

「昨日の晩、いつものように呪文を唱えていたら、突然大川からうつろ舟が浮かび上がってきやした。そしたら、フタが開いて、舟の中に吸い込まれたんでさ。何だ何だと思う間もなく、フタが閉まって、舟が沈み、凄い勢いで水の中を進みだしやがった。不安になって窓から真っ暗な外を見ていると、光り輝くでっけえうつろ舟みてえな宮殿が見えてきて、舟ごとその中に入ったんで」

 半吉は一息つく。

「もったい付けるねえ。続きを早く話しやがれ」

「宮殿の中はどこもかしこも銀色に輝いていて、見たこともねえ光景にたまげていると、目の前が真っ白になりやした。気が付くと、台の上に寝ていて、横に瓦版の美女が立っていたんでさ。美女の後ろには、三尺くれえの細長えタコが何匹も立っていて、そいつらが珍妙な料理を次々と運んで来やがった。その料理の美味いのなんの。たちまち飲めや歌えやの大宴会。宴会が終わってうつろ舟に乗ると、アッシは寝ちまった。気が付いたら、大川の川っ縁で横になっていやした。ご隠居は、瓦版の美女が異国の女と言ってやしたが、竜宮城の乙姫様でしたぜ」

 牛五郎は半吉の話を羨ましげに聞いていたが、正兵衛は疑いの念で聞いていた。正兵衛は、半吉が騙されたことに気付き、騙し返そうとしていると思ったのだ。

「竜宮城に行ったなど、とても信じられる話ではない。半吉、お前嘘を吐いているじゃろう」

「嘘じゃねえ。帰る時にもらったこの箱が証拠だ」

 半吉は持っていた木箱を差し出した。

「こんな箱が証拠とは、馬鹿馬鹿しい」

 正兵衛は受け取った箱のフタに手を掛ける。

「ご隠居、待った! それは玉手箱に違げえねえ」

 牛五郎が止めにかかった。

 しかし、正兵衛は「そんな訳あるはずないじゃろ」と言って、一気に木箱のフタを開けた。

 バン!

 轟音と共に、辺りが白い煙に包まれた。

 この木箱はタイムマシンのような装置だった。時空が歪み、十日前に戻った。


 白い煙が消えると、半吉は井戸端でボーっと立っていた。

(何をしようとしてたんだっけ?)

「半吉、懐から出ているもんは何だ?」

 牛五郎から声を掛けられ、半吉はハッとし、何をしようとしていたか思い出した。

「牛五郎さん、申し訳ねえ。ちょいと急いでやすんで」

 半吉はそう言って、真っ直ぐ隠居の正兵衛宅に向かった。

 牛五郎は「半吉、水臭(みずくせ)えじゃねえか」と言いながら、半吉の後を付いて行く。

「ご隠居、いやすか?」

 半吉は言うと同時に引き戸を勢いよく開けた。

「毎度毎度、お前さんはいきなり戸を開けおって。いつも言ってるだろう、返事を聞いてから開けなさいと」

 半吉は正兵衛の小言に反応せずに、瓦版を取り出して正兵衛に読んでくれるように頼んだ。

 正兵衛は仕様が無いという風に瓦版を受け取って、読んで聞かせた。

 正兵衛が本文を読み終えると、半吉の後ろで聞いていた牛五郎が口を出した。

「このうつろ舟ってやつは、まるで丼じゃねえか」

 パン! 半吉が手を叩いた。

「牛五郎さん、それだ!」

「何がだ」

 牛五郎は訳がわからず、半吉に説明するように促す。

「うつろ舟にそっくりな丼を作って、『うつろ舟丼』と名付けて売ったら、バカ売れするんじゃねえですかい?」

「半吉、お前……いい所に目を付けるじゃねえか。江戸っ子は新しもの好きだ。飛ぶように売れるに(ちげ)えねえ。俺の顔見知りに瀬戸物の窯元がいるからよ、そいつに作らせりゃいい」

 二人の会話を黙って聞いていた正兵衛が諫めるように言う。

「浮利を追ってはいかん。『商い』は『飽きない』ということでもある。飽きずにコツコツと積み重ねていかねば、商いで成功はおぼつかないものじゃ」

「ご隠居、『木を見る瓶』って言うじゃねえですか。もたもたしてりゃ、儲け損なっちまう」

「それを言うなら、『機を見るに敏』じゃろう」

 正兵衛は呆れる。

「そんなことはどうでもいいぜ。大儲けする好機には違えねえ。指をくわえて見ってるって手はねえぜ。なあ、半吉」

 同意を求める牛五郎に、半吉は「その通りでえ!」と勢いよく答える。

 半吉と牛五郎の二人は、正兵衛が止めるのも聞かず勇んで出て行った。


 それから二ヵ月程して、半吉と牛五郎は江戸から少し離れた村にある窯元から「丼ができたから取りに来い」と連絡を受けて、引き取りに行った。

 二人が荷物を山積みにした荷車を引いてねずみ長屋に戻って来た時には、夕方になっていた。

「なんじゃ、それは?」

 荷車を見た正兵衛が訊くと、半吉が荷造りを解き、丼を取り出して見せる。

「どうでやす。うつろ舟にそっくりでしょう」

 正兵衛は丼を手に取って見る。

 半球型の丼の底には、黒い丸が描かれていて、そこから縁に向かって線が何本も放射状に引かれ、縁にも帯状の線が描かれている。フタの方には、蜘蛛の巣状の網目模様が中心に描かれており、その脇に四角と丸の網目柄が配置してある。

「確かに、うつろ舟にそっくりじゃが……丼の底に高台が無いし、フタにも摘みが無いぞ」

「そんなもん付けたら、うつろ舟に似なくなっちまう。形が大切なんでさ」

 牛五郎が半吉に加勢する。

「そうでえ、うつろ舟に似てなけりゃ意味がねえ。水を差すことは言わないで欲しいぜ」

 正兵衛はそこまで言われ、それ以上口出す気にはなれなかった。勝手にしろというような素振りを見せて自宅へ戻って行った。

 牛五郎は荷物を降ろしながら半吉に話し掛ける。

「半吉、明日から忙しくなるぜ」

「あっという間に売れちまうでしょうね。牛五郎さん、そうなったらどうしやす」

「岡場所にでもくり出すか」

「アッシは、吉原がいいや」

 二人の皮算用は遅くまで続いた。


 翌日の夕方、半吉と牛五郎が、ぐったりした様子でねずみ長屋に帰って来た。

 二人は井戸端で「うつろ舟丼」を入れた荷物を肩から降ろした。この日、二人は丼を売るために朝早く売りに出掛けていたのだった。

 半吉達の帰りを待っていた正兵衛は、家から出て来て、さも偶然かち合ったように装う。

「おや、牛五郎と半吉じゃないか。丼は売れたか?」

 正兵衛は勝手にしろと思っていたが、やはり気になっていたのだ。

 顔を洗っていた牛五郎は、無言でアゴをしゃくって半吉に答えるように促す。

「さっぱりでさ」

「商いは簡単なものではない。それがよくわかったじゃろう。で、幾つ売れた?」

「一つも」

「一つも売れなかったのか! さては真面目に売り歩かなかったな」

 牛五郎が立ち上がって反論する。

「そんなことはねえ。俺達はまず料理屋を訪ねたんだが、どこも相手にしてくれやしねえ。しょうがねえから、天ぷら屋で天丼を注文して『この丼によそってくれ』と頼んだんで。使ってもらえりゃ、うつろ舟丼の良さがわかってもらえるだろう。それに、俺達がうつろ舟丼で天丼を食ってるところを、店の客が見たら『面白い物があるぜ』とあちこちで喋ってくれるかもしれねえじゃねえか」

「お前達にしては考えたな。それでどうなった?」

「運ばれてきたうつろ舟丼のフタを開けようとしたら、つかむとこがねえから、滑って開けられねえ。だから、開ける手立てを考えようとして、手を離したのよ。そしたら、高台がねえから、丼が転がりやがった。フタが開いて、中から海老天が転げ出ると、見ていた客らが『女じゃなく、海老が出て来た』と大笑いよ」

 その様子を想像した正兵衛は、食いしばって笑いをこらえる。

「そんなことで諦める訳にもいかねえじゃねえか。道端にムシロを敷いて丼を並べたのよ。チラッと一瞥して、皆通り過ぎやがる。声を掛けても、「そんな話もあったな」って言って、興味を示しやがらねえ。二ヵ月くれえ前はうつろ舟の話で持ちっ切りだったのによ」

「人の噂も七十五日と言うじゃろ。直ぐに忘れ去られるものじゃ。世の中はうつろい易いものじゃよ」

 正兵衛は牛五郎の話を聞いて少し哀れに思い、正兵衛なりに慰めた。

「うつろ舟丼を売りに行って、世の中のうつろいをわかったんじゃ、洒落にもならねえぜ。女房のお多江は怒るだろうな」

「牛五郎さんは怒られるだけでしょうが、アッシは有り金全部使っちまった。どうすりゃいいんだ」と、半吉は言い、「はぁー」とため息を吐いた。

 牛五郎もつられてため息を吐く。

 半吉と牛五郎は、うつろな目で夕日に染まる空を見上げた。


<終わり>

 新聞の先駆けとも言われる瓦版は「読売」とも呼ばれ、値段は四文ほどだったとのことである。流言飛語は幕府に取り締まられたため、実際は顔を隠した売り子がこっそり売ったらしい。

 瓦版の内容は庶民の関心が高いものが多く、火事や地震などの他、不思議な生物や事件に関するものもあった。

 画像の瓦版は、うつろ舟が打ち上げられて間もなく出された物と言われていて、うつろ舟に関する最も古い資料と思われている。

 うつろ舟の話は、この瓦版を作った者の創作かもしれないが、詳細であることから、真偽のほどは定かでない。


 大川は隅田川のことである。江戸時代はそう呼ばれていた。ちなみに、吾妻橋は明治に架け替えられてそれが正式名称となるが、以前は大川橋との呼称であった。


 瀬戸物は元々瀬戸焼のことであったが、東日本では日常用陶磁器の俗称として使われるようになっていた。


 うつろ舟については、様々な人が書き残している。その中には、滝沢馬琴もいた。馬琴は、うつろ舟が出現してから二十二年後に「兎園小説」を編纂し、「うつろ舟の蛮女」という文章を載せた。

 その要約を箇条書きにすると、以下の通りになる。

・享和三年二月二十二日昼頃、小笠原越中守の知行地である常陸国はらやどり浜の沖に舟のようなものが見えた。

・漁民らが多数の小船を出して、浜に引き上げた。

・舟の形は香箱ように丸く、長さは三間くらい。

・上部は硝子障子。松脂で塗り固められ、底は鉄の板を筋状に貼り、岩礁に当たっても壊れないようにしている。

・透明な部分から覗くと、一人の異樣な女がいた。

・眉と髮の毛が赤く、顔は桃色、頭髮は白く長いかつらが背中に垂れている。それは獣の毛か、撚った糸なのか、知る者はいない。

・言葉が通じないため、どこの者かと訊くこともできない。

・女は二尺四方の箱を持っている。特に大切な物と思われ、少しも離さず、人を近づけさせない。

・船内を探すと、水が二升ほど小瓶に入れてあり、敷物が二枚あった。菓子のような物や肉を練ったような食べ物もあった。

・女は、漁民らが集まって話し合っているのをのどかに見ていた。

・古老は、「異国の王の娘が嫁入りしたが、間男がいるのが発覚し、間男は死罪になったが、王の娘だから殺されずに済み、うつろ舟に乗せて生死を天に任せたのではないか。それならば、箱の中は間男の首に違いない。」と言った。

・昔、このような異人の女がうつろ舟に乗せられたことがあり、近くの浜辺に漂着したことがあった。その舟の中にはまな板のような物に載せられた生々しい人の首があった。言い伝えから考えると、箱の中身はそのような物だろう。だから、女は大事にして離さないのだろう。

・この事をお上に伝えれば、費用がバカにならない。同様なものを放り流した前例があるので、女を元のように舟に乗せて沖に曳航し、流したとか。

・もし仁の心があれば、このようなことは無かっただろう。女は不幸であった。

・舟の中には、異国の文字が多くあったという。後で考えれば、近頃浦賀の沖に停泊するイギリス船にも、これらの異国の文字があった。そうすると、女はイギリス、ベンガル、もしくはアメリカなどの異国の王の娘だろうか。これもわからない。

・当時の物好きが写し伝えているのはこのようなものだ。

・図や説明文は共に粗雑で詳しくなく物足りない。

・よく知っている者がいれば、訪ねてきて欲しい。

 当時の瓦版より詳しい内容になっているが、顔の色など、異なっている部分もある。尾ひれが付いて伝わったのかもしれない。

 ちなみに、馬琴はト書きで、衣服や頭髪の特徴からロシア属国の婦人かもしれないと、推測している。

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