第7話 『騎士と男』
「手の甲の紋様…」
対峙している男の左手に刻まれた紋様は知っている。確実にそれについての知識はあるはずだ。
「――! 貴様、ガルノか」
レイは眼前にいる男が何者なのか脳内にある記憶の欠片をかき集め、ようやく正体に思い至った。
彼の名前はガルノ。左手の甲に獣の牙のような紋様が刻まれている男。帝国大火災の犯人なのではないかといわれている人物。
「あなたも有名になったわね」
「――どうでも、いい…」
ガルノの目はレイ一人に向けられている。
獲物を狙う獣の目。
殺しを楽しむ狂人の目。
そして、どんな相手だろうと力で粉砕する強者の目。
それが、ガルノの瞳。
「あぁ…食いてぇなぁ…」
「――――!」
レイは反射的に権を構えた。
ガルノの異様な殺気を感じとり、危険だと本能的に察知して行動したのだ。
「ガルノ、自制してくれる? 理性なくされると私が困るんだけど」
「わかってる。…でもな、メイア。…強そうな奴を見るとつい…。喰いたくなっちまうんだよ……なぁ!!」
一歩踏み出す。それをしたのはガルノ。
「仕方ないわね…」
呆れるメイアを尻目に、地を強く踏みつけ前へと進む。レイとガルノの距離は十メートル程あるが、彼なら距離を詰めるのに一秒で事足りる。
「死ねよ」
ガルノから繰り出されたのは、右ストレート。フルデメンスの時と速度はさほど変わらない。この攻撃は顔ではなく、胸部へと向けられた。
レイは当然これに対処する。
まず避けるのはもう間に合わないので除外。ならば避けずに鎧で受け止め攻撃に転じるのが最善かと考えたが、迫る拳が突如光り出したことに気付き、とっさに剣でガードをする。
「今回の発動は私がやったんだけど、流石は黒剣とその使用者と言ったところかしら」
ガードはしたがガルノの殴りは重い。
今度は自分の意思ではなく、相手の物理的な力によって無理やり後退させられた。
そんなレイに向けて、浮遊している女は笑みを見せた。
「やっぱり黒剣には私の魔法は効かないのね。鎧になら効いたでしょうけど」
「――魔術師。先ほどのも貴様の魔術か」
フルデメンスを殴り飛ばした時もガルノの拳は紫色に発光していた。
「正解。でも私は魔法使いって言われるのが好みだわ」
「…どちらも同じだろう」
レイが防御時に気付いたことというのは、ガルノの拳が何らかの魔術によって強化されていたということ。恐らくあのまま攻撃を受けていれば鎧は砕かれていた。
「二人は厳しいか…」
問題は魔術師がいること。戦闘において、サポートがいるのといないのでは強さの差は歴然だ。その差を埋めるのは剣士一人では非常に難しい。ましてや女の強化対象であるガルノは不意打ちとはいえ、エクリプスの幹部フルデメンスを一発で戦闘不能にしている強者である。
一対一ですら勝てるかわからないというのに、そこにサポートが加わってしまえば勝ち筋はほぼない。
「ならどう? 私たちにその黒剣と欠落姫を渡してくれない? 渡してくれたらあなたは見逃してあげる」
「断る」
「あら、即決ね。そんなすぐに断られるとちょっと悲しいわ」
即決。そんなの彼女にとっては当たり前だ。
主人を残して自分だけ助かるなどあっていいはずがない。命に代えてもエレナを護ることこそが、彼女の使命であり存在意義なのだから。
「いや好都合だ。始めようぜ、黒剣使い。お前の全力俺に見せてくれよ」
子供のような笑顔を見せるガルノ。その笑顔には不気味さしかない。
「………」
深く、息を吐く。心を落ち着かせるためだ。
鎧を纏っていても、ガルノから垂れ流される異様な気配はそれを貫通してレイに接触してくる。
「ガルノ。あの子移動してるわ」
今にも突進しそうなガルノの肩に女の手が置かれた。するとガルノは落ち着きを取り戻したのか、前のめりになっていた姿勢が元に戻った。
「なんでわかるんだ?」
「さっきあの子に触った時に刻んでおいたの」
「なるほど。準備がいいな」
この状況とはまるで関係のない話。
女の様子を見るに想定外の事態のようだが、その報告を受けてもガルノの表情に変化はない。
「あいつ風に言ったら、『成るようになる』だったか?」
「…何が言いたいの?」
「放置しておけばいい。アヤトの居場所がわかるなら尚更な。どうせお前の術式はそんじょそこらの魔術師には破壊できないだろ」
呆れたように女がため息をついた後、女は空を見上げた。
「――時間ね。ガルノ、やりなさい」
「元からそのつもりだ」
「なんの話を――」
一番警戒していたのはもちろん前方にいるガルノ。騎士として当然の判断だ。油断はしていなかった。
しかし、考えが甘かった。勝手に敵は二人しかいないのだと思い込んでいた。
「誰だ!」
無警戒だった後方からした物音にレイは反応し、振り向いた。
いたのは二人の男。素早い動きでエレナの方へと向かっている。間違いなくエレナを攫おうとしている。それをさせるわけにはいかないと、レイはエレナを護る為にガルノに背を向けて走り出す。
「バカか」
彼の言う通りだ。敵を目の前にして背を向けるなど戦場ではありえない。だというのに彼女はそれをした。冷静な判断が下せていない証拠である。
ガルノは右手の手先まで伸ばす。そのまま、またも一気に距離を詰め、レイの背中に向けて右手を突き出した。さながら槍のように細く鋭い一撃。
「――――!」
背後から迫る攻撃に気付いたレイは左足でブレーキをかけ、勢いを殺し、応戦すべく振り向いた。彼女の反応速度はガルノも予想外であった。が、もはや関係がない。
「メイア!」
「わかってる」
ガルノの上げた興奮気味の声。彼に答える落ち着いた冷静な声。
二つのすぐ後に浮遊している女が指を鳴らした。それと同時にガルノの手は紫色に発光し始めた。
(魔術…! しかも早い!)
魔術はまず魔術名を口にし、魔法陣を生成してから発動する。
女はそのどちらも無視して、指を鳴らすだけで魔法を発動させた。
魔術の基本を完全に無視している。
「その鎧を穿つ!」
驚いてばかりもいられない。彼の手はすぐそこまで迫っているのだ。
意識を戦闘へと集中させる。
女が使用したのは攻撃を補助する魔術であることはほぼ確定している。
そこまではガルノの手を見ればわかるからいいのだ。困るのは対処法。
先ほどのように剣でガードしようかと一瞬考えたが却下だ。これは現在進行形で体が動いている為無理なのだ。正確な防御ができない。
剣での防御ができない。ならば、回避する。次の攻撃に転じることができるため、いい案ではある。だがこれもレイは即座に却下した。
なぜなら、走るという動作をしていたところで急ブレーキをかけて振り向いたためである。まだ勢いを殺しきれていないため下半身を自由に動かすことができないのだ。つまり回避も不可能。
「ならば!」
別の方法だ。
防御もしないし、回避もしない。上半身は辛うじて動かせるのだからそれを使うだけのこと。振り向いた勢いを利用して黒き剣を力任せに振った。
ガードができないなら攻撃をすればいい。
「おもしれぇ!!」
運よく振るった黒剣の軌道上にガルノの手がある。このままいけば彼の腕を切断できる。
だというのにガルノは笑みを崩さない。自分の腕が両断されるかもしれないというのに笑っている。
「――戻りなさい」
二度目の指の鳴る音と共に、至近距離にいたガルノの姿がレイの視界から一瞬で消え失せた。
剣を振り切った後、レイはガルノの姿を探し、すぐに見つけた。
いつのまにかガルノはメイアの横まで後退していた。
「…お前俺の体のこと知ってるだろ」
「だから何? カードはなるべく隠しておいた方がいいでしょ?」
「確かにそうだけどよ…」
女が使用したのは転移魔法。それでガルノを攻撃から守ったのだ。
「――! エレナ様!」
時間にして五秒もなかったはずだ。だというのに地面に伏していたはずの少女の姿は既に無かった。二人の男の姿もだ。
「おいおい。お前の相手は俺だぜ?」
男たちを追いたいがそうもいかない。二人の敵がいる限り。
「邪魔をするな!」
「嫌よ。それよりあなたの方こそ早く倒れて黒剣を渡してくれない? あの子のことも気になるし、本当の目的が果たせなくなるから」