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赤と雷雨  作者: 芽生
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薫風

体調の良くなったエナに会いに行くために、エナの好きな花を手土産にエナの居に向かうキーヒ。

そこでエナと仲睦まじく話す男を見かけてしまい、キーヒは打ちひしがれて神界に戻ってしまう。

エナはキーヒが来たことを悟り、落ちていた花を胸に抱く。

そして、エナと話していたエリュインと縁ができた経緯を思い出して鬱屈した思いになってしまうエナであった。

 人界の国家間の戦争は規定の時間通りに定められた場所で行われるのが通例だ。それは都市が巻き込まれないようにすることで難民を減らすのが目的である。ただし、これに神が関与してくるとそれが崩されるのも通例である。

 神が関与すると、その信仰に比例してその神の能力も強大になっていく。武神なら兵を殲滅することもあるだろうが、天気や疫病の神等が関与してくると戦場だけではなく、その近隣の都市にまで影響が出てくるのだ。天気なら雨や雷轟が広範囲に降り注ぐため、氾濫や火事が起きることもある。疫病なら敵兵の間で感染症が流行るが、戦力外となった兵が近隣都市に運び込まれるため、そこから感染が拡大してしまうのだ。また、武神同士の戦闘もその荒々しさのためか、戦場以外にもその爪痕を残すことになる。そのため、指定された戦場となりやすい国境付近の都市は医者が多く存在し、都市を囲む塀は堅牢性に長けたものが一般的となっている。

 逆に内陸の都市は農耕や創作等が産業の中心となるので、わりと緩やかな雰囲気の場所が多い。そのため、技術の研鑽は内陸の方が発達しており、それを国境に伝えるのが定石である。

 そして、神が関与するとそれぞれの神界に神が人間を引き連れて攻め込むこともあるのだ。そのように攻め込めば、その国の神を殺せるため、その国の軍力が削げるからだ。そして、戦争ではほとんどの場合、神が関与するので神界内部でも他国の神が攻め込まないように警護が厳重になる。警護に関わる神は武力のある神である。武神は戦争で使われるため、武の功績を上げている他の神が警護にあたるのだ。

 キーヒは武神と手合わせをして勝利を収めてきたため、神界の警護を担うことになった。ただ、警護の司令は主神が行うことになっている。キーヒはその神格と権能と鍛錬とで一騎当千の戦力であるが、軍を指揮する能力がそこまで育っていないため交代制の遊撃部隊を率いることになった。もちろん、その間でも天気の仕事をこなさければならないので、かなり忙しくなってしまうことにキーヒは閉口したが、それでもエナが安心して療養できるように、そしてこの神界を護るためにもキーヒは自分に課せられた役目を粛々と行うだけであった。

 エナがいる都市が国境より離れた場所にあるので戦火から免れるのは僥倖であるとキーヒは思えている。そして、ほんの僅かでも時間ができれば、水鏡でエナの様子を見ていた。最初はエナは床に伏せていることが多かったが、最近では少しずつ散歩をして気を紛らわしているようである。また、元来働き者であるためなのか創具師としての仕事や職人の指導も無理をしない範囲で行っているようである。エナが少し疲れているように見えたら、職人や侍女が休むように言ってくれているようなのでエナも休みやすいようである。そのようなエナの姿が眺められるだけでキーヒの士気は上がっていった。

 そして、この戦争は苛烈を極めたためか、多くの国境付近にある都市が壊滅状態になった。その難民を受け入れるためにエナのいる都市も慌ただしくなっているようであり、エナもどこか落ち着かないらしくて強張った顔をすることが多くなっている気がする。

 通常の戦争ならここまで凄惨な結果にならなかっただろうが、互いに引くに引けない結果、無辜の民が犠牲になったのだろう。それを見過ごすほどエナの都市の人間は矮小ではなかった。

 一方で神界の方でも厄介なことがあった。敵国の神が人間の兵を引き連れて神界に侵攻してきたのだ。それは戦争も終わりに近付いていたときであったため、自国がなくなるのなら敵国諸共破壊しようとしたのだろう。戦争で多くの武神がいなくても、主神を含め武の功績を上げている神が多くいるキーヒの神界側は負傷した神はいても、消滅する神はいなかったのは幸いであった。敵国の神は自国が負ければ、領土拡大と人の教育で自分たちへの信仰がなくなっていくため、消滅への一途を辿るしかないのだ。そのような道を歩みたくがないために、自滅覚悟で攻め込んできたに違いない。人界の戦争に多くの神が関与するのはそのような側面があるためである。

 キーヒのいる神界を崇め奉る国は長い間戦争にも勝ち続け、その領土を着実に広げている。そのため、技術や様々な文化が発展している。強大であるからこそ、平和を維持続けられるのだろう。そのような場の神になれたのだから、自分への信仰がある限り役目を果たしていこうとキーヒは改めて決意した。

 戦争も敵国が降伏することで終結し、神界も人界も慌ただしい日々であった。キーヒは天候を決める会議に参加しながらも、頭の隅ではエナのことを考えていた。エナは負の感情が向けられると痛苦を感じると話していた。エナのような創具師は戦争に加担したとみなされ、人々から忌み嫌われる姿を長いこと生きているキーヒは度々見ていた。それを以前は人間が醜悪だからそのような八つ当たりをすると一蹴していた。だが、今はエナがそのような感情に晒されていると考えてしまうと言葉にできない心苦しさを感じてしまうキーヒだった。

 人界の戦争は勝利したということは領土も広がるということでもあるため、キーヒが雨や雷を操作する範囲も広くなるということになる。広がった領土分仕事が増えることになるが、そこは魔法式を組み直して対応ができるはずである。それは今後魔法式を動かしてみて判断するしかない。

 戦争後の条約等も締結され、人界や神界の慌ただしさもなくなってきた。日常が戻ると、春は多くの花を咲かせ、木々を芽吹かせていることに気付けた。爛漫たる様が見られるのでエナも喜ぶことだろう。戦争があったためエナの様子を見られなかったキーヒは久しぶりに水鏡でエナを見てみる。

 水鏡に映し出されたエナは侍女も連れずに一人でしっかりとした足取りで森の中を歩いている。そして、綻び始めた小さな花を見ると、それを愛でるように眺めている。どうやら、戦争が終わったこともあり、エナは体調が元通りになったようである。

(これなら俺が会いに行っても良さそうだな)

 エナが嬉しそうに笑えているので心身共に健康になった証拠だろう。一時期は心労もあってやつれてしまっていたが、それも回復している。しばらくは戦争の残務処理があるので忙しいが、しばらくしたら暇が作れるので、あの約束を果たそうではないか。キーヒはそう決めると、水鏡の水面に触れて映し出されていたエナの姿を消す。そして、ゆったりと大股で水鏡の間を去った。

 それから数日後のことである。昼餉前に人界の天気における魔法式を組み、軽く鍛錬を行う。領土が広くなったため、魔法式の不具合が起こるかもしれないと思っていたがそれも部下の報告を聞いていると杞憂であったようである。この日は天気の会議も行われたが、それも恙無く終わったため、日常が戻ったということなのだろう。

 食堂で家族が集って食事をとるのも久しぶりな気がした。皆それぞれの役目で奔走していたのだ。このように食事がとれるだけで平和であることをしみじみと感じ入るキーヒだった。

 昼餉をとり終え、龍の姿になると、

「あら、キーヒ。これからどこかに行くの?」

 アルデリアが不思議そうに尋ねてくる。キーヒは一瞬だけ言葉に詰まるもなんとか誤魔化そうとして、

「……いえ、少し神界の様子を見てこようかと」

「そう? てっきりあの子に会いに行くのかと思っていたけど違うのね」

「うぐ!」

 楽しそうに目を細めて訊いてくるアルデリアにキーヒは何も言えなくなってしまっていた。

(母上は全て知った上でからかってきているのではないのか?)

 そのような疑問が頭を過るがにこやかに笑っている母の真意はキーヒにはわからなかった。

「……そうですが、その前に寄るところがありますから、もう行きます!」

 キーヒはそれだけをアルデリアに言うと、すぐに自居の庭から飛び去っていった。飛行してしばらくすると目的の場所に辿り着く。そこは戦争とは無関係と言わんばかりの場である”花畑”であった。キーヒは”花畑”の門を潜ると、近くで花の世話をしていた男神に話しかける。

「作業中にすまない。以前見た花で薄紅色の小さな花弁が幾重にも重なった花を探しているのだが、どの辺りで咲いているかはわかるか?」

 剪定していた男神は少し考え込むと、

「花の色形から考えると、もう少しこの間よりも早い時期の花だと思います。あちらの通路を行けば該当する時期に辿り着けるとおもいますので、そちらの神に尋ねてください」

「わかった。感謝する」

 キーヒは言われた通りの道を進んでいく。すると、確かに先程の間よりも幾分か冷え込む間であった。そこで水やりをしている女神にキーヒは尋ねる。

「作業中すまない。薄紅色の小さな花弁が幾重にも重なった花を探しているのだが……。確か地に生えていたはずだ」

 女神は水を止めしばらく考え込む。そして、何か思い出せたのか丁寧にキーヒに接する。

「それでしたら、こちらですよ」

 女神はどうやらその花の場所まで案内してくれるらしい。

「案内感謝する」

キーヒはその言葉に甘えることにした。案内された場所には確かにエナが好きだと言っていた花が群生していた。キーヒはそれを指さしながら、

「この花をいくつか貰っても構わないか?」

「ええ、勿論です。そういえば、以前キーヒ様が連れられていた娘もこの花を気に入っていましたよね。その娘に渡すのですか?」

 (たお)やかな笑顔で女神が言うので、キーヒは思わず苦虫を噛み潰したような顔になる。どうやら、エナを何度も”花畑”に連れてきたせいか、ここの神にエナの顔を覚えられてしまったらしい。

(女神というのは本当に恋愛話に敏感だな……。エナのことがここでも噂になっているとは思いもよらなかったぞ)

 キーヒにしては珍しく溜息をつきたくなったが、その感情をなんとか押し留めて花を数本手折る。

「それでは貰っていくぞ」

 ぶっきらぼうにそう宣言すると、キーヒは足早に”花畑”の門を潜る。そして、ある考えが頭に浮かぶ。

(遁甲して行けばエナは驚いてくれるかもしれんな。だが、俺が来たことは結界で察知できるとは前に言っていたが、花のことまでは気付くまい。花を貰って驚きつつも喜んでくれる顔を見たいからそうしてみるか)

 キーヒは遁甲すると、人界への門を創る魔法を使う。そして、できた門を人型のまま潜ってエナの居に向かった。龍の姿で花を持つと握りつぶしかねないから、そのようにしたのだ。昔のキーヒならそのような気遣いをしなかっただろう。そもそも、花を持っていこうとすら思わなかったはずだ。

 エナのいる都市の上に門ができたので、そのまま下降しながら街の様子を窺う。以前来たときは華々しくもありながらも整頓された印象があったが、街の中に小汚い格好をした人間が増えている気がする。どうやら難民の受け入れが上手くいっていないようである。そのためか、元来の住人との軋轢があるようで差別的な視線と妬みや嫉みの視線が交錯しているのを見かける。

(明らかに人間共の鬱憤が溜まっているではないか。このような場にエナがいたら苦しむのではないのか? これだから人間は醜悪なのだ)

 エナには持たない感情を露骨に出しながら飛行を続ける。キーヒは雨と雷轟を司るためか信仰を多く得る。そのためか、人々の願いの中に埋もれた悪質な感情を目の当たりにすることが多かったため、それに触れたくないためにキーヒは人間を厭うことにしたのだ。そうすれば自分が人間を侮蔑の目で見ることができる。見下すことで感情的にならないで庇護することもできる。役目も太陽神に言われた通りにすれば良いと思っている。そのようにして何百年と生きてきた。それが正しいと思っていた。

 だが、それが少しずつ覆されようとしている。エナは『赤の一族』であるため、正確には一般的な人間と一線を画する。それでも在り方は人間で在りたいと願っている少女であるから、キーヒはその在り方は尊重するつもりである。キーヒの人間への態度は他の神からしたら頑ななものに見えるかもしれないが、家族は僅かに軟化しているのに気付いているようである。キーヒ自身もその変化に戸惑いを覚えてしまうが、それでもエナと共にいると心が安寧を覚えるため、それを消すような真似はしたくないと思ってしまっている。

 街の様子を見るのも飽きたので、すぐにエナの居に向かう。相変わらずエナの居には厳重な結界の魔法式が張り巡らされているが、それをなんとかかい潜って居に入り込む。以前、エナが僅かな違和感でも気付くと言っていたので気付かれたかもしれないが、それでも遁甲したままエナの部屋を覗いてみる。そこにはエナの姿がなかったので、工房を覗きに行く。

 工房まで辿り着くと、窓から中を伺うとちらりとあの赤い長大な比礼が見えた。

(ここにエナがいるのだな)

 声をかけようと思うと、その隣の人影にキーヒは気付く。長躯でありながら屈強な体つきをした武人然とした金髪の男が立っていた。会話の内容は聞こえないが、仲睦まじく話しているようである。そして、あろうことかエナはあのキーヒに向ける笑顔をその男にも向けていたのだ。

(ああ、そういうことか……)

 キーヒは愕然としながらも、頭の中を整理していく。エナは友人がいないと言っていたが、恋人がいないとは話していなかった。キーヒがほぼ毎日会っていたのに恋人の影がなかったのはその男が戦争に携わっていたため、忙しくてエナに会いに来れなかったのだろう。恋人ならエナを放っておくなど言語道断であるが、人間の恋の在り方に文句を言う筋合いはキーヒにはなかった。キーヒは雨と雷轟の神だ。愛や恋や縁結びの神でもないのだから、その二人の恋をかき乱すことはしてはならないのだ。

 キーヒは持っていた花を無意識に手放すと、すぐに神界への門を創って神界に戻っていった。


*****


「……キーヒ様?」

「どうした、エナ? 誰かいたのか?」

 『青の一族』であるエリュインがエナの恋しさを含めた態度を見て面白そうに話しかけてくる。エナは少しその反応を面倒だと思うが、久しぶりの来客なので無下にできないでいる。また、エリュインは戦争であったできごとを面白おかしく話してくれるので、話を聞くだけなら面白いとは思えている。だが、言葉の端々に傲慢さが滲み出ているため、苦手に思うこともあるのだ。

 エリュインと話している時に、結界が僅かに何かを感知したのをエナは気付いていた。そして、このようなことは以前にもあったのだ。だから、キーヒが遁甲してやってきたと思ったが、その気配もすぐになくなった。それを不審に思うが、エリュインの話の腰を折ったからか、エナの様子を勘繰ってきているのである。

「いえ、なんでもありません」

 エナはそう言いつつも窓辺に行くと、窓の下に花が落ちているのが見えた。エナは扉に向かって走ると、

「どうした、エナ! そのように急いで!」

 エリュインの制止する声を無視しても、エナは駆けるのを止めない。勢いよく扉を開けて外に出ると、問題の窓の側まで息を切らして走る。そして、そこで見つけた花は以前キーヒに連れられて行った”花畑”でエナが好きだと言っていた花であった。それが数本そこに落ちていたのだ。だから、キーヒが来たことは確信した。エナは丁寧にその花を拾うと胸に当てる。

(キーヒ様がいらっしゃったのに、どうしてすぐに声をかけてくれなかったんだろう?)

 そのような疑問が頭の中をぐるぐると駆け巡る。それでも、いつものキーヒなら声をかけてくるはずだ。

(キーヒ様……)

 エナはキーヒのことを思い出す。

 キーヒの名前を知らなかった頃、神界の代表のことは噂話で聞いていたが、年始の剣舞の儀式の共同練習の際に一度も顔を出さなかったほどの人間嫌いだとは思わなかったので、正直にいえば呆れている部分はあった。それでも自分に浅いが多くの傷をつけた相手なので、その剣技には舌を巻いたほどである。武神でもある女神の加護を受けた面をかぶり、増長させた能力でもあのように受け流すのが精一杯であったのだ。脅しのつもりで肉薄してもすぐに対応されてしまい、反撃されたり躱されたりしたのだ。そのような相手が存在することに驚愕していた。何よりキーヒは常人よりも見える線が少ないのだ。見える線を辿って剣を動かしても、すぐにその線が途切れてしまう。線が途切れてしまうのは、その箇所に隙がなくなり対応されるからである。キーヒはその速度が人間や武神と比べて異様に速いのである。だから、エナはキーヒに対してあの儀式で攻めあぐねていたのである。最初は急所に一撃を入れて失神させて終わらせようと思っていたが、それすらできずに逆にキーヒに攻め込まれていたのである。だから、エナは思ってしまったのだ。この神は自分を殺せるほどに力をつけるに違いないと。その考えは泡沫のように浮き上がったかと思うとすぐに消え去った。

 儀式の後にやってきて、色々連れ回されるのには戸惑うことも多かった。人間を厭うはずなのに自分をこのように扱う理由がわからなかったのだ。ただ、会う度に手合わせをしたいと言っていたので、気分を良くして手合わせを取り決めたいと思っているのかと思うと、そのいじらしさに微笑ましさを感じたものである。

 元来、エナは争いを好む性格ではない。そのような理由でエナはキーヒとの手合わせを最初は断っていた。また、神や人間の能力を模したものを仮面に落とし込み、その能力を利用できる能力があるため、その能力を使うとなると自分と手合わせしたというよりも複数人がかりで手合わせをしたように感じてしまうので、後ろめたくなるのだ。また、自分の能力の最たる純化という曖昧でありながらも強固な能力がある。その能力は未だに制御できていないので、自動的に発動しているようなものである。いや、自動的に発動したりしなかったりするのなら良いのだが、周囲の反応を見ていると常時発動している可能性が高いのだ。そのため、周囲に純化の影響が出てしまうため、”調停者”によってエナの居と工房がある地域には純化の影響を無効化までいかなくとも鈍化させる結界が張り巡らされている。だが、街に出てしまうと、人々の特にエナに対する感情が純化の影響でその感情が肥大化し、その感情に囚われてしまうことがほとんどである。そのせいで様々な迷惑を被ってきたので、エナは街に出ることも友を作ることも諦めて生きてきたのである。

 それなのにキーヒが無茶苦茶にエナを連れ回すので、誰かと共に過ごす時間を快く思うようになってきたのだ。キーヒはエナに対して純化の影響を受けないのかと疑問が湧くが、それはおそらく神という純粋な存在であるため、その能力や権能が強化されても性格には影響でないのではないかとエナは考えている。キーヒの母であるアルデリアもエナへの対応は真っ当なものであった。キーヒもエナに対して最初はぶっきらぼうであったが、少しずつその態度が軟化しているように思うのは純化の影響ではなく、キーヒの中でエナに対する扱いが変わっているのだとエナは信じたいのだ。今まで純化の影響を受けた人間でエナに対して好意的な態度を示す人間もいずれエナを神のように扱ってきたが、キーヒは穏健に、そして柔和な態度になっていくだけであった。キーヒからは自分に対して崇敬の念を感じないので、これは単純にキーヒの心境の変化だとエナは思っている。だから、そのようなキーヒをエナは好ましく思っていた。だから、一度手合わせをしてしまうと、キーヒはそれに満足して自分に合わなくなるのではないかと不安に思うようになった。そのように思い慕うキーヒから拒絶されるような行動を見せられたら傷つくのも道理である。

 武官でもあるエリュインと鍛錬として手合わせをしたことがあるが、やはり見える線の通りに剣を動かすと傷を負わせることができた。模造刀での手合わせなので致命傷にはならなかったが、それでもエナはエリュインでは自分に敵わないと悟ってしまった。

 エリュインは武器の扱いが上手い方である。それは『青の一族』でもあり、また魂の結晶であるアラトスで創られた武器を使っているのもある。その武器を創ったのがエナであるため、エリュインの状態に合わせた調整をされているので、武器がとても馴染むのだ。そのおかげでエリュインは戦場では負け知らずである。そして何より、エリュインの真髄はその多様な戦術である。その戦術や戦略の罠に嵌って敵軍を殲滅し、士気を削ぐことに長けているのだ。また、自分が指揮官として振る舞いながらも、敵軍を圧倒する力で薙ぎ払うので自軍の士気が上がるのが特徴でもある。敵軍に恐れられ、自軍からは信頼と尊敬の念で見られているので軍や街を治める人間の評判は良い。そのようなエリュインでもエナとの手合わせでは敗北し続けた。エリュインは敗北を気にせず、エナの剣技を称えたので、勝者であるエナを責める兵を出さないようにしたのはエリュインだからできる話術である。それでも、エナを快く思っていない兵がエナのことを悪辣に言い合っているというのは噂では聞いている。そのような噂でも心苦しく思うが、それでもエナはそのような戯言を気にしないようにしていた。

 エリュインは自分の振る舞いを洗練し、相手に快く思わせるようにしているのは素直に称賛できるとエナは思っている。また、他の戦争の記録結晶を研究することで戦略や戦術の幅を広げる研鑽も怠らない。武術も他の『青の一族』や『赤の一族』と手合わせをしてお互いに高めあっていっているような禁欲的な面がある。努力や鍛錬が当たり前なので、それらを基にした自信に溢れているのがエリュインという男であるとエナは見ている。エナからしたら、文武両道を具現化したような人物であり、自分を常にさらなる高みに持っていくことを生きがいのようにしているように見える。そのような人物なので傲岸不遜な態度が滲み出ていることがままあるので、エナは少々苦手な部類の人間ではある。キーヒは真っ直ぐに育った結果、あのような性格をしていると思えるのだが、エリュインに関しては紆余曲折を経て尊大になったように受け取れてしまうのだ。それを考えすぎだと自分でも思ってしまうが、自身にかかっている純化の能力で理解力が常人よりもあるエナはエリュインの内部にある靄のような闇が自分に纏わりつくのではないかと思うと逃げ出したくなるのだ。

 端的に言えばエナはエリュインのことを、

(胡散臭い……)

 と、思ってしまっているので距離を取りたくなっている。そのようなことを口に出そうものなら両親から嗜められ、周囲の職人達も怪訝に思うだろう。それほどエリュインという男は皆から評判が良いのだ。エナと性質が正反対にも思えるエリュインが何故エナにちょっかいを出しているかというと、それは少し前の話になる。

 年始の剣舞の儀式の人界代表に選ばれるより前のことになる。冬の足音が身近に聞こえる時期に”調停者”に呼ばれて、『赤の魔石』と『青の魔石』がいる空間に向かった。そこは明るく広々とした空間で、豪奢な椅子が二脚隣り合って置かれている。その椅子の一つには黒髪に紅玉色の瞳で豊満な体つきの女が淑やかに座っており、もう片方の椅子には金髪に青玉色の瞳で靭やかな筋肉を持つ男が尊大に座っていた。これら二人は魔石達が気紛れに人の姿をとっている時の姿である。その姿を何度か目にしたことがあるエナは嫌な予感がしていた。魔石が球体形態をとっているときは、特に世間話のようなことを話すこともあった。だが、人の形態をとっているときは碌でもないことを言われるときだと身に沁みていた。その場にはエナだけではなく、エリュインも共に呼び出されていた。

 そして、『赤の魔石』が極めて明るくこのように言ってきたのだ。

「エナ、エリュイン。二人をここに呼んだのには理由があります。『青の魔石』とも話しましたが、『赤の一族』と『青の一族』との結束を強めるために、二人には婚姻関係になってもらいます」

 『赤の魔石』から直接創られたエナにとって『赤の魔石』の言葉は絶対であるため、その言葉を聞いて愕然とし、絶望した。エナも年頃の娘である。人に忌み嫌われることが多くとも恋に憧れることもあった。同年代の娘が友人達と茶を飲んで話に花を咲かせているのを羨ましく思うこともあった。いつかそういうものが手に入るだろうと思っていたが、『赤の魔石』の言葉でそれらが泡沫の夢であると思い知らされてしまったのだ。エナは絶望感に打ちひしがれて青い顔をして蹲りたくなった。

(ああ、私は『赤の魔石』に創られた存在だから、人が見る夢のようなことを望んではならないのか……。そうだよね。魔石からしたら、私達は自分たちの言葉を実行する道具だもの。意思とか関係ないものよね)

 エリュインは落ち込むエナをよそに、不遜な態度で滑らかに言葉を紡いでいく。

「なんだ、それは? 私がエナと婚姻関係を結ぶ? 馬鹿馬鹿しい。そのようなことを勝手に決めるな。私達は人間だ。人間には人間の思惑があって行動するものだ。それを石ころ如きに指示されて決められるわけないだろ」

 それは自分の創造主の言葉を真っ向から否定する言葉だった。エナは驚愕でエリュインを見るが、当のエリュインはどこ吹く風である。『赤の魔石』はその言葉で呆気にとられているが、『青の魔石』はエリュインに引けを取らないほどの傲慢さを込めて、

「エリュインよ、貴様は私に連なる存在だ。そのような態度を我々にとってただで帰れると思うなよ?」

「なんでも思い通りになると思うなよ、『青の魔石』。そんなに自分にとって都合の良い存在がほしいのなら、意思を持たない木偶を作ることだな。そうすれば私のように反りが合わない存在と話をしなくて済むぞ。なに、これは人間からの提案だ。まあ、実際にそのような存在を創ったとしたら、私は貴様達の浅ましさを嗤ってやろうとも」

「エリュインよ、『青の魔石』を挑発するような真似はよしなさい。『青の魔石』もです。自分の子に相当する存在の言葉ですよ。もっと寛容になってください」

「……知るか」

 『青の魔石』は『赤の魔石』の諫言を聞いてそっぽを向く。『青の魔石』はどうやら伴侶たる『赤の魔石』には頭が上がらないらしい。その不思議な関係を見ながらも、エナの中で疑問が湧いてきた。

「『赤の魔石』よ、現在『赤の一族』と『青の一族』の仲は険悪なものでもないですし、蜜月関係というほど仲が良いわけでもないです。適当な距離感を持って接していられているのに、それぞれの一族同士で婚姻関係を結ぶ意義が見いだせません」

 『赤の魔石』は(たお)やかに笑いながら、

「確かにエナの言うこともわかります。二つの一族は今の関係が最も適しています。ですが、これは実験でもあります」

「実験、ですか?」

 鸚鵡返しにエナは訊いてしまう。そこから先の言葉を聞きたくなくて耳をふさぎたくなるが、腕が動かないでいる。

「ええ。エナは私が創った純然たる『赤の一族』です。また、エリュインは人の血が混ざっているとはいえ、優秀な両目持ちの『青の一族』です。それでは二人の間にできる子は何になるのか興味が湧きました」

 エナの背中に悪寒が走る。やはり、『赤の魔石』も『青の魔石』も自分たちのことを尊厳のある存在だと思っていないのだ。ただ自分の言葉を実行するだけの道具としかみなしていないと改めて知らしめられてしまい嫌悪感が胸の内を占めてくる。

「はっ」

 エリュインは鼻で『赤の魔石』の言葉を嗤う。エナからしたらそのような無礼な態度はとれないため、尊敬というよりも呆れてエリュインのことを見てしまっている。

「そも、エナが私に惚れるならば私は婚姻関係を結んでやっても良いぞ。ここで貴様らの命令で婚姻関係になるのは癪であるし、惚れられてもいない女と共に生きるなど悪趣味以外の何物でもないからな。そのようなつまらない人生を歩む気はない。それにまだ片手に足りるぐらいしか会ったことない娘と容易く結婚などできるか」

「それでは貴様は我々の提案を蹴るということだな?」

 剣呑さを舌に乗せて『青の魔石』はエリュインを睨めつける。エリュインはその視線を冷ややかに受け止めている。何故この一人と一つの間で険悪な雰囲気になるのかわかっていないのか、『赤の魔石』はおろおろとしている。エナはエリュインの言葉を思い出して疲労が増してきた。

(エリュイン様とは確かに数回ほどしか会ったことないけど、私が惚れるってどういうつもりなのだろう)

 エナは『赤の魔石』から直接創られた存在であるため、恋の話を聞いても漠然としかその感情はわからないでいた。それもあって自分は人間としては欠陥があると思っていたが、もしかしたらそれは『赤の魔石』から創られたからかもしれないとも思い始める。『赤の魔石』が温和であるので、それを知れている。養父母から愛情を受けて育ったので家族としての愛もわかる。だが、年頃の人間であるのに恋がわからないのは人間関係を築けてこれなかった弊害であるだろうから、自分の責任でもあり、エナに能力を付加させた『赤の魔石』の責任でもあるだろう。また、『赤の魔石』はエナの言葉を受け入れて優しく助言をしてくれることが多々ある。だから、『赤の魔石』なりにエナのことを可愛がっているのもわかっているつもりだ。それでも『赤の魔石』の言葉とはいえ、『青の一族』であるエリュイン婚姻関係になるのはどこか抵抗がある。

 エリュインはエナの曇った顔をちらりと見ると、

「エナもこのような状態だ。とりあえずはエナに惚れられるための努力はしよう。だが、その結果がどう転ぼうとも石ころには関係ない」

「……なるほど。それが貴様の妥協案なのだな」 

 ニッと侮蔑を込めて『青の魔石』はエリュイン笑いかける。

「ああ、そうとも。私はまだ人界でやるべきことが多い。エナもそうだ。そのような存在を無闇矢鱈に死なせるわけにはいかないからな」

 エリュインはそれだけを言うと、この空間から出るために魔法で自分の都市に戻るための門を創る。エナは魔石達に頭を下げると、エリュインの後に続いた。

(本当にこれで良かったのかな?)

 そのような疑問が頭を過るが答えが出ないことなので、すぐに考えるのをやめた。無益なことを考えても時間の無駄であるだけだ。エナに与えられた時間は有限であるはずだ。人界で人として生きていくのなら、それを念頭に置いて生きていくしかない。

 エリュインは街に降り立つと、もう暗くなっているからか、

「遅くなったな。送っていく」

「いえ、でも迷惑かけてしまいますから……」

「気にするな。それに街の人間が苦手だという話は昔聞いたことがある。私がいれば感情は向けられても、行動に移す人間はいまい」

 確かに街の人間はエナに対する感情が純化の影響で極端になる。この都市の英雄でもあるエリュインが側にいればエナに悪意をぶつけてくる人間は出てこないだろう。エナはおずおずと、

「それなら、すみませんがお願いします」

「ああ、わかった」

 二人は会話をしないままエナの居まで歩いていく。その時間がとても居心地が悪くてエナは照明魔法を灯したエリュインの足元だけを見て歩いていた。しばらく、そのようにしていると、

「着いたぞ」

 エナがハッと顔を上げると、確かに自宅の門の前であった。

「あの、ありがとうございます」

「これぐらいはするつもりだ」

 そのとき、エリュインの腹部からきゅうと音が鳴った。エナは慌てながら、

「その、家でご飯を食べていきませんか?」

「そうしたいのはやまやまだが、まだやるべきことがあるから私はこれで失礼する」

 エリュインはくるりと踵を返すと大股でその場から去っていった。おそらく司令部に寄って残っている課職をこなしていくのだろう。

 養父母に『赤の魔石』から言われたことを伝えたら困惑していたが、

「エナの好きにしなさい。エリュイン様と結ばれたいのなら、好きになるように努力しないと」

 父にそのように言われてもエナは困惑するばかりであった。

(私はエリュイン様と結婚したいのかな?)

 そう思いながら、エナは疲れ切った体で寝台に横になり、すぐに深い眠りに落ちた

 このエリュインとの奇妙な縁が結ばれた出来事を思い出すと胸がつっかえたようで苦しくなる。あのときは自分も殺されるのではないかと気が気ではなかった。

 エリュインに送ってもらった日から、エリュインは司令部の課職や訓練をすませるとエナの居にやってくる毎日であった。大体、いつも夕餉の後にやって来て茶を飲みながら、その日あったことを面白おかしく話してくれていた。新年の剣舞の儀式も壇上近くで見ていたことも後日教えてくれた。

 キーヒはいつも昼餉の後にやって来て夕方には戻っていくのでエリュインと会うことはなかった。それはある意味幸運であったとエナは思っている。キーヒにエリュインとの関係を話すとややこしくて説明が難しく思えるのだ。

(それにエリュイン様はキーヒ様と相性悪そうだし。ものすごくエリュイン様はエリュイン様をからかいそうだもの)

 そのような場を想像してしまい、少し疲れてしまうエナであった。

 エリュインがやってきて話を聞くのは確かに面白かった。それは自分の知らない世界を教えてもらい、見聞が広がるかのようであったからだ。また、話の登場人物も個性的なのですぐに覚えられた。だから、エリュインの話を聞くのは楽しくなるので好きである。思わず笑ってしまうこともしばしばだ。

 そのようなキーヒとエリュインと過ごす日々があったが、戦争の準備が始まるとエリュインはあまりエナの居に来ることはなかった。軍の司令官としてやるべきことが多くて、抜け出す隙がないのだろう。話が聞けないのは残念ではある。エナも依頼が多くなり、なんとかキーヒと過ごすための時間を捻出していたら倒れてしまい、キーヒに迷惑をかけてしまった。それで泣いてしまったが、あの傲慢なキーヒが温かく自分を見守る選択を選んでくれた。だから、早く体と心を治してキーヒに会いたかった。

 エナが心身共に治る頃には戦争が始まり、エリュインもキーヒもエナに会いに来ることはなかった。それでも訃報が耳に入らなかったので、エリュインもキーヒも生きているのはわかっていた。

 戦争が集結し、条約を締結したと話に上がった。そうすると少しずつエリュインがエナの居にやってきて、戦争で起こったことで凄惨な話以外の面白かった話をしにくるようになった。それを興味深く聞いているエナであったが、いつもこのように思っていた。

(エリュイン様の話は面白いけど、どことなく空っぽの言葉の羅列に聞こえてしまうんだよね)

 それはエリュインが抱える空虚を如実に表した洞察であった。けれど、それをエナは言葉にできなかった。それを言ってしまえばエリュインが築き上げたものを崩しかねないと漠然と感じていたからだ。

 その日は朝から曇天で昼過ぎには雨となった。工房の窓から雨空をエナは見つめる。

(キーヒ様はいつになったら会いに来てくださるのかな)

 そのような望みを胸に抱えながら、遠雷を聞くエナであった。

新たな登場人物が現れました。

エナと共に話している期間はキーヒよりも長いですが、エナはエリュインのことをどこか胡散臭く感じています。

頑張れ、キーヒ!

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