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赤と雷雨  作者: 芽生
4/11

陽春

キーヒと共に過ごす時間が増えたエナ。

だが、エナはキー人の時間を工面するために無理をしてしまい倒れてしまう。

エナを医療の神のもとに連れていき、エナを休ませるためにエナの居に向かうキーヒ。

そこでエナの両親からエナにまつわる話を聞き、キーヒは打ちひしがれながらもエナと話をして神界に戻る。

 キーヒはそれからは雑務や会議が終わると鍛錬をし、昼餉を食べてからエナの元に通うようになった。エナは忙しくあるようだが、快くキーヒを迎え入れているようである。

 最近は少しずつ暖かくもなったおかげか、雪解けも始まり、春雨が降り、春雷が落ちるときもある。それらの操作は魔法式に組み込んで部下に任せているため、キーヒは細々とした忙しさはあったとしてもエナ程ではなかった。

 エナは戦争が近付いているためか、人界の偉人や武神の依頼をこなしているらしい。エナと共に散策をしている時にそのようなことをエナは話していた。エナの表情は心なしか疲れ果てているようであるが、キーヒに向かっては春陽のような温かな笑みを向けてくれるので、まだ心的余裕はあるのかもしれない。

 エナと話すのは最近の季節の移り変わりやお互いの仕事のことである。ある日、キーヒは人の姿になって街外れの森を散策していると、

「この辺りも雪が解け始めてきて、少しずつ木々や草花の芽生えが見られるようになってきましたね」

「言われてみれば、そうだな」

 あの時、自分が太陽神に向かって春を待ち望んでいる声があると伝えたおかげか、忙しくもあったが春は順調に人界や神界に訪れているようである。太陽神への上申はエナには黙っておいた方がエナも恐縮しないですむだろうから、心の内に秘めておくことにした。

 エナはキーヒを見上げながら歓喜に満ちた笑顔で、

「あと一月もすれば人界でも花が咲くでしょう。私はそれが楽しみです。キーヒ様に”花畑”に連れて行ってもらえるのは、それはそれでとても嬉しいですが、身近で見られるのも嬉しく思うのです」

「そうか。(なれ)が人界で我と出かけるとしたら、このような森等が多いのもそこに由来するのだな。街の方が刺激が多いから、そちらの方に行くのかと思っていたぞ。……もしかして、我が人間のことを厭うておるから、そうしておるのか?」

 キーヒは素朴な疑問をエナに訊いてみた。エナはその言葉に顔を強張らせると、少し俯いてしまった。

(なんだ? 訊いてはならないことを訊いてしまったのか?)

 エナの表情を観察すると、少し涙目になっているようにも見える。キーヒは慌てながら、

「な……!? 泣くな! (なれ)が我のために選んでくれていたのかと思っていたが、違ったのだな! それで気を悪くする程、我は狭量ではないぞ!」

「そうですよね。申し訳ありません、泣きそうになって」

 エナはゴシゴシと袖で目元を拭うと、少し無理をして笑っていた。そのような笑顔を見ると、胸が締め付けられてしまうのはキーヒ自身不可解であった。

 エナは歩きながら少し言い難そうに、

「確かに、キーヒ様は人間を厭うので人間が少ないところを選んでるのもありますが、一番は私のためでもあるのです」

「どういうことだ? (なれ)は人間が好きなのだろう?」

「好き、かどうかはわかりません……。私、小さい頃は街の子と遊ぼうとしようとしたのですが、なんというか物凄く気に入られて、まるで神のように崇められるか、物凄く嫌われるかの二極化になってしまうのです。それは今でも変わりません。いえ、今の方が酷くなっていると思っています。創具師という仕事をしているためか、戦争の手助けをしていると恨みをぶつけられ、罵られることも多いのです。その一方で赤の一族の娘であるからなのかはわかりませんが、見ず知らずの方々に崇められるようなこともあります。私の街の長が他の街の長の意見を抑え込んで、新年の儀式に私を推したのもそれが原因だと思っています。長は私の能力を買ってそうしたのではなく、盲目的に私が素晴らしい人間だと信じ込んでそれを知らしめるためにそのようにしたのです。私はアルデリア様に依頼された通りに儀式用の剣や衣装を準備するだけで良かったんですけどね……。長がどうしてもと泣き落としをしてきたので、断りきれなくてあの儀式に出ることになったのです」

「待て待て待て待て。アルデリアだと……!」

 アルデリアという名前はキーヒの母の名前と同じである。だが、人の中には神の能力にあやかって名付ける場合があると聞いたことがある。もしかしたら、そのような名前の人間かもしれない。

(そうだ。むしろ、そうであってほしいのだが……! 母上がエナと知己であるとなれば、どれだけ大喜びをして面倒なことになるか)

 キーヒは軽く咳払いをすると、

「そのアルデリアというのはどのような人物なのだ? (なれ)に儀式の装飾品等の依頼をするのだから位の高い人間なのだろう?」

「え、人間ではないですよ。女神様ですよ。たしか、水と縁結びの神で色々やっていると仰せられていましたね。それで持ってきた素材は息子から拝借したものだとも仰せられていました。」

「ぐ……!」

(予想が当たってしまった……。母上のことだ。純朴なエナのことを気に入っているはずだぞ……)

「どうかされましたか、キーヒ様?」

 心配そうにキーヒの顔を覗き込むエナであった。キーヒは己の威厳を保とうと背筋をシャンと伸ばすと、

「そのアルデリアという女神は……我の母だ。そして、母が持ってきた素材は私の鱗や爪だと思うぞ。儀式の前にそれらを寄越せといわれたことがあったからな」

「そうなのですか!? てっきり、配偶者である神様のものを持ってきたのかと思っていました。……それにしても、キーヒ様はアルデリア様とあまり似ておられないですね」

「はっきり言うな……。我は母よりも父に似ているからな。父も龍神なのだが、その形質を受け継いだのは兄弟の中でも我だけだったからな」

 これで色々と合点がいった。妙に肌なじみの良い衣は自分の鱗から創られ、儀式用の装飾が施された剣は爪から二振り創られたのだ。そうなると、エナがあの時着ていた衣も自分の鱗から創り出されたものなのだろう。

(そう思うと感慨深いものだな)

 一人でうんうんと感銘を受けて頷いていると、エナが嬉しそうに、

「そうなのですね。ですが、私は奇しくもキーヒ様の一部を加工して衣装や剣を創っていましたが、このような縁に恵まれて嬉しく思います」

 エナは悲しみの感情はどこかに去ってしまったのか、そのように熱を込めて語った。キーヒは首を摩りながら、

「しかし、(なれ)も苦労が多いのだな。そのような負の感情をぶつけられても傍迷惑でしかないよな」

「そう、ですね……。以前、『赤の魔石』にこのことを相談したことがあるのです。それでも、私の能力の一部だから諦めろというようなことを言われましたね。そのような感情が向けられると私にも伝播してしまうので、とても辛くなるのです……」

「なるほど。それで、(なれ)はこのような場所を選ぶのだな。だが、工房内の職人もそのようになるのではないのか?」

「そこは”調停者”の方に結界を張ってもらって、あの敷地内では私のそのような能力が弱まるようにしてもらっているから大丈夫です」

「”調停者”か。何かで聞いたことがあるな」

「”調停者”は『赤の魔石』と『青の魔石』によって創られた紫の魔眼を両目に持つ存在です。私が会ったことある方は女性の姿をしていますが、性別も好きなように弄れるみたいな話をしていました」

「そのようなことができるのか? 神でさえできないことをいとも容易にできるのだな。そうなると神の権能や信仰が揺らぎかねないな」

「そうかもしれないですが、存在が表に出ているのは私達『赤の一族』と『青の一族』ぐらいで魔石も”調停者”も表には出てこない存在です。だから、その辺りのことは大丈夫だと思いますよ。私達一族を尊敬する人間もいれば、妬み、恨む人間もいるのは理解しているのですが、その感情が向けられるのは辛いものがあります」

 エナは悲しげに目を伏せて語る。心優しいエナをこのように思い煩わせる人間がいるのが憎たらしく思うため、それをキーヒの裁量で殺してしまうのも良いかもしれないだろう。しかし、それをエナは望んでいないのもキーヒは理解しているつもりだ。だから、エナはこのようにして人間から逃げて身を守っているのだ。

 エナが両手を擦り合わせて温めている。どうやら冷えてきたらしい。

「そろそろ戻るか。明日は”花畑”に行くとするか」

「はい、楽しみにしています」

 エナがふわりと笑ってくれるだけでキーヒは満足できた。そこですかさずエナに問う。

「ところで、(なれ)は我と手合わせをする気はあるか?」

「何度も申し上げておりますが、そのようなことをするつもりはございません」

「そうか……」

 毎日このような問いをしても、エナの気持は頑なままであった。

(俺のことを頑固だという輩は多くいるが、エナも大概だな)

 そのように苦笑しながら、キーヒはエナと共に街に向かって歩いていった。

 次の日、キーヒが龍神の姿でエナの居に向かうと、やはりエナは工房で作業をしているとのことだった。そのまま工房まで向かい、窓から覗くといつもの長大な赤い比礼と赤の薄衣で武器や防具等を大量に作っていた。エナの白い肌が赤く染まっているので、相当暑いのかもしれない。

 キーヒの視線に気付いたエナが窓に駆け寄ると、途中で珍しく足をもつれさせて倒れてしまった。

「大丈夫か!?」

 キーヒは人型になると、窓から工房の中に入る。そして、起き上がろうとするエナを支えて立ち上がるのを手伝う。エナはキーヒに礼を言うと、なんとか立ち上がる。キーヒが触れたエナの肌はとても熱く感じた。

(このようにエナは熱かったか?)

 そのような疑問が過るが、エナは礼装を解いて普段着になる。

「もう大丈夫です。ありがとうございます、キーヒ様」

 やんわりとキーヒから離れると、キーヒに向かって頭を下げる。エナが頭を上げると、先程の辛そうな表情はそこにはなかった。

(なれ)がそう言うのなら、その言葉を信じるだけだ。この時間に工房にいるということは(なれ)は昼餉がまだなのだろう?」

「そうですが、食べていると”花畑”に行く時間が遅れませんか?」

「構わんだろう。それよりも人間は食事をしないと倒れてしまうのだろう? それなら昼餉を食べる時間を惜しむのはいかんだろ」

「それなら少しだけ食べますね。今日はあまり食欲がなくて……」

「そうか。まあ、私は隣で茶を啜るだけだがな」

 エナはしっかりと食事をとる方であるが、今日のように食欲がない日もあるのかもしれない。人間のことなのでキーヒにはわからないことばかりだ。

 エナは食堂に行き、使用人に食欲が無いことを伝えて少なめに食事を提供するように指示を出す。その間にキーヒの前には茶が置かれた。エナの対面に座っていると、やや目も潤んでいるようである。顔の赤みも引かないのが少し気になった。

 エナが出された食事をゆっくりとだがなんとか完食する。キーヒはそれをちびちびと茶を飲みながら見ていた。大抵キーヒが話しかけるが、今日はそれをするのもどこか躊躇われる。いつもと様子が異なるエナに得も言われぬ不安を抱いてしまうキーヒであった。

 エナが食事を終えると、エナとキーヒは庭に出る。そこでキーヒは龍神の姿になると、

「今日は我の背中に乗れ」

「良いのですか?」

 いつも”花畑”に行くときはエナはキーヒの指を握り、キーヒが作り出す門を共に潜って神界に行くのだが、今日はエナがいつもと異なるのでキーヒの背に乗せることにしたのだ。

「構わん。そちらの方が(なれ)も楽だろう」

「……わかりました」

 エナはなんとかキーヒの背に乗ると、キーヒは門を創り、そこを潜って神界に向かった。キーヒとエナは共に神界に辿り着くと、キーヒはエナを背中に乗せたまま”花畑”に向かう。キーヒとエナのことは神界中の噂になっているので、もうエナのことはあまり気にしないでキーヒはのんびりと飛んで”花畑”に向かっていた。いつもなら、エナは楽しそうに何かしら話してくるが、今日は何も言葉にしない。それが気になるが、話したくない気分のときもあるのだろうと一人合点した。

 ”花畑”に着くと、エナはのそのそとキーヒから降りる。キーヒは人型になると、エナと共に”花畑”に入っていく。今日はエナはキーヒの隣ではなく、後ろを歩いている。それがどことなく物寂しく感じたが、エナの好きにさせようとキーヒは考えていた。

 エナは蹲って花をぼんやりと眺めているが、やはりいつもよりも精彩に欠ける表情な気がする。いつもならもっと嬉しそうに花を眺めているのだが、今日は集中できていないのか、どこかぼんやりとしている。

(今日はエナはどうしたのだ? いつもと違って意識が散漫としているようであるが……)

 キーヒはエナの側に行くと、

「まだ、その花を見たいのか?」

「いえ、そういう訳では……」

「それでは先に進むぞ」

 キーヒが大股で進んでいると、後ろで何かが地に伏せる音が聞こえた。その音を聞くと、背筋にぞわりと何かが走った。殺気とは違う感じたくもない感情に胸がむかむかする。

 振り返るとエナがなんとか上体を起こそうとしていたが、すぐにまた地に落ちる。

「どうした!?」

 キーヒの周囲の空気を切り裂くような叫びが”花畑”の中に広がる。周囲の神がキーヒの血相を変えた表情を見てただ事ではないと思ったのか、こちらにやって来る。

「だい、じょうぶ、です……。こんなのには、慣れています、から……」

 細切れに言葉を発しているエナであったが、頬の赤みが取れていないのに少し震えていた。

(これは拙い状態ではないのか?)

 エナは譫言のように大丈夫と繰り返すが、その様子は明らかに異常であった。キーヒはそのエナの態度に苛立ちを隠さずに、

「たわけ! 倒れているのに、そのような言葉を信じられるか!」

 キーヒの怒号に周囲の神は萎縮するが、エナはぼうとキーヒを見ると、瞳に薄く涙の膜を張る。

(言い過ぎたか!? だが、これは異常だ。エナは人を気遣うところがあるから、どうにかせんとな……!)

「きゃ!」

 キーヒはエナを抱き上げると、そのまま走って”花畑”を出る。”花畑”を出ると、キーヒはそのまま飛んで医療の神が集まっている宮殿を目指す。そこでは人界での様々な病気の薬の研究や臨床も行っている場であるのだ。そこなら、エナが倒れた原因がわかるかもしれないと判断し、急いでそこに向かって飛んでいく。

 エナがぼそりと何かを呟いたが、急いているキーヒは聞き取れなかった。

「何か言ったのか?」

「大したことではないので、大丈夫です」

「それなら、なんと言ったのか教えろ。気になって仕方がないぞ」

「それでは……。あの、キーヒ様」

「なんだ?」

「キーヒ様は人の姿でも飛べるのですね」

「なんだそれは? まあ、(なれ)の前では龍神の姿でしか飛んでいないが、あれは単純に龍神の姿の方が飛んでいると心地良いだけだ。魔法自体は同じものを使っているのだから、人型でも飛べるのは道理だろ?」

「そうなのですね……」

 エナは浅く息を吐いて、キーヒの胸元に顔を埋める。僅かに見える表情はいつもの春陽の温かさを思わせる笑顔ではなく、苦悶に満ちた表情であった。とにかく、この表情を和らげたくてキーヒは急いで医療の神がいる宮殿に向かった。

 その宮殿に着くと、キーヒは声を張り上げながら、

「人の娘が倒れた! この娘をすぐに診てくれ!」

 すぐに女神がキーヒの側に寄り、診療室まで案内する。診療室に着いてもエナは喘鳴を繰り返すだけだ。その姿が痛ましくて胸がきゅうっと押し潰されるようであった。エナを寝台に横たえると、

「キーヒ様。今からこの娘を診断しますので、キーヒ様は廊下でお待ち下さい」

「何故だ! 我が連れてきたのだぞ!」

 頭に血が上ったキーヒを女神は冷静に諭すように、

「診察のために、この娘の服を寛げます。この娘はまだキーヒ様の元に嫁いだ娘でもないのでしょう。そのような娘の肌を見ると仰せられるのですか?」

「ぐ……」

 何も言えなくなるキーヒだが、いつも薄衣で舞う姿を見てしまっているので今更なところもあるが、女神の言葉も納得できたので渋々診療室から出ていく。出ていく間際に女神から、

「終わりましたら声をかけますから」

 それだけを聞くと扉を締めた。キーヒは廊下の壁にもたれかかって立っているが、まだそれ程時間は経っていないはずだ。それでも長い長い時間を待っているような気がしてしまっている。

(エナは口では大丈夫だと言っていたが、やはり昼に工房に行ったときから体調を崩していたのだな。違和感があったのに、それを無視していた私の過ちである。エナには申し訳ないことをしてしまった)

 キーヒにしては珍しく溜息をつくと、扉が開く音がした。女神がキーヒに中に入るように促すのでキーヒは診療室に再び入った。

 エナは診療室の寝台の上で寝息を立てていた。額には熱冷ましの布が置かれているが、それも気休め程度だろう。キーヒはじっとエナを見詰めながら、

「この娘の病気は治るのか?」

「ええ、時間はかかりますが治りますね」

「そうか、それなら良かった……」

 安堵してしまう自分に戸惑いながらも、そっとキーヒはエナの頬に触れる。それは硝子細工に触れるかのように恐る恐るでありながらも、どこか愛おしさに溢れる触れ方であった。それも一瞬のことですぐに手を引っ込める。キーヒは女神に向き直ると、

「それで、結局病気は何だったのだ?」

 女神は呆れながら、

「重病ではないですが、過労ですよ。過労には栄養のある食事と休息が最大の薬になります。発熱もありますが、それは我々ではどうにもできないです」

「何故だ!」

 キーヒの怒号が診療室の壁をびりびりと震わせる。女神は身を竦めるが、それでもなんとか毅然とキーヒに向かって、

「この娘は『赤の一族』ですから、耐毒の性質があります。つまりは耐薬の性質もあるということです。毒と薬は紙一重の違いでしかありませんからね。だから、我々が開発している薬ではどうにもできないのです」

「それでは死んでしまうのではないのか!?」

 キーヒの悲痛な叫びが狭い室内に響く。女神はなんとかキーヒを落ち着かせようと話を続ける。

「だから、そのために休息が必要なのです。また、『赤の一族』と『青の一族』にはそれぞれ薬師がいます。その薬師から薬を貰うのが良いかと」

「それならすぐにそこに向かう!」

 キーヒが診療室から飛び出そうとすると、

「待ってください、キーヒ様……」

 弱々しいが意志のこめられた声でエナはキーヒに呼びかける。キーヒはその言葉でなんとか冷静になり、すぐにエナの側に寄る。エナはなんとか上体を起こすと、キーヒの服の袖口を握ってくる。もしかして、不安なのかもしれないと思い、キーヒは床に膝立ちになってエナと視線の高さを合わせる。そして、自分にしては優しいと思われる声音で、

「どうした? もう休まなくても良いのか?」

「いえ、あのまま放っておいたらキーヒ様が薬師様のところに行ってしまうかと思ってお声がけをしたのです」

「薬を貰うだけなのだから、我が行っても構わんだろう?」

「そうではないのです。私は『赤の一族』なので、『赤の一族』の薬師が調合した薬しか合わないのは女神様から説明があったと思いますが、その薬師の方が気難しいと言うか変わった方なのでキーヒ様と衝突しかねないのです……」

 熱が出て話しにくそうであったが、エナはそれでもきっぱりとキーヒに言い切った。エナの言葉を聞き、確かに自分も我が強いため他の神と衝突することが多々あるのを今更ながら思い出した。キーヒの性格を知った上で、その薬師と会わせると諍いが起きかねないとエナは判断したのだろう。あまり人のことを悪く言わないエナがそのように言うので、実際の薬師は相当な偏屈者に違いない。だが、薬がないとエナの体調は良くならないはずだ。それなら、どのようにしても薬師に合わなければならないはずだ。キーヒが思い悩んでいると、エナは無理に笑いながら、

「キーヒ様。キーヒ様が考えられていることはわかっています。一応、家には解熱薬の在庫があるはずなので、それを飲めば楽になるはずです。だから、キーヒ様が薬師様にお会いにならなくても大丈夫なのですよ」

「そうか。それなら、すぐに(なれ)の居に向かうぞ」

 キーヒはエナを丁寧に抱き上げると、エナの顔が赤くなる。

「どうした? 熱が上がったのか?」

「いえ、そういう訳では……」

 恥じらいながらエナは言い淀む。どうやら、このように横抱きにして抱えられるのが恥ずかしいようである。キーヒは全く気にしていないが、エナはそうではなかったようである。

「そう恥ずかしがるな。ここにいるのは我と(なれ)と医療の神ぐらいだ。医療の神は口が堅いはずだから噂にもならんさ」

「そうですか……」

 それだけを言うとエナは意識を手放した。浅く息を吐く姿が痛ましく見えてしまうので、一刻も早くエナの居に向かわなければならない。

「いえ、キーヒ様が人間の娘に現を抜かしていると神界では噂になっていますよ」

 冷静に女神はキーヒに言い放つ。キーヒはそのようなつもりはなかったので心外そうに、

「な、噂になっておるのか……! そのようなつもりはないのだがな。まあ、誰が何を言おうと我の知ったことではないがな」

 キーヒは人界への門を創り、潜ろうとすると女神が冷徹に言い放つ。

「キーヒ様。もし、その娘に乱暴をするような真似をしたら、父君と母君にお伝えいたしますので」

「そのようなことをするか!」

 キーヒの赫怒の言葉が響くが、女神はどこ吹く風である。女神に苛つきながらもキーヒは一刻も早くエナを送り届けるために、エナの居まで急いで向かった。

 門を潜り、エナの居の前に着く。そのまま居の門を通ると家令とエナの両親が出てきた。キーヒは家令に向かって、

「エナが熱を出している。とりあえず、エナの部屋まで案内しろ。その後は解熱薬を飲ませてやってくれ」

「承知しました。エナ様の居室はこちらです」

 家令が前を歩き、エナの部屋まで案内する。暫く廊下を歩いていると、エナの部屋に辿り着いた。家令は照明用の魔具を点灯させる。キーヒは寝台にエナを横たえると、掛け布をかける。エナは意識が戻ったのかキーヒの方を見なが申し訳なさそうに、

「ご迷惑をおかけして申し訳ありません……」

 エナが起き上がろうとするので、それを制してエナを寝かせる。キーヒは穏やかに、

(なれ)が気にすることではない。とにかく、今はゆっくりと休め。薬は飲むんだぞ」

「わかりました……」

 キーヒが部屋から出ると、入れ替わりに侍女が茶器と薬を持ってエナの部屋に入っていった。エナは正直者であるため、薬は飲んでくれるだろう。その後は憂いなく休んでもらえれば良いのだが、そういう性分でもないのが玉に瑕である。

「キーヒ様」

 声をかけられたのでそちらを見ると、家令が頭を下げて佇んでていた。

「何用か?」

「ご主人さまと奥方様がキーヒ様にお話があるとのことなので、客間までいらしていただきたいのです」

「わかった」

 その言葉で家令はキーヒを客間まで案内する。ひやりとした廊下を歩きながら、キーヒはエナが苦しんでいる姿ばかりがちらついてしまう。苦しいはずなのに、それでもキーヒのことを慮る姿はいじらしくも痛々しくあった。

 客間に着くと、エナの両親が既に座っていた。二人は立ち上がるとキーヒに頭を下げ、空いた席に座るように促されたのでそこに座る。キーヒが座るとエナの母が茶を差し出し、エナの父が座ると母親も共に座る。そして、おもむろにエナの父がキーヒに恭しく語り始める。

「キーヒ様。此度は私の娘によって多大な迷惑を被り、大変申し訳ありません。もし娘の体調のことで何かご存知でしたら、ご教授お願いできますでしょうか?」

 エナの父はエナと同じで神族をきちんと敬う性質らしい。キーヒはぶっきらぼうに、

「医療の神に診てもらったところ、エナは過労で熱を出して倒れたとのことだ」

 その言葉を聞いてエナの両親は顔を見合わせている。

(二人はエナが倒れた原因を知っているのか?)

 怪訝に思いながらも、キーヒは二人が言葉を発するのを茶を飲みながら待つ。すると、エナの父が(おもむろ)に、

「キーヒ様。実はエナは朝誰よりも早く起きて作業を行い、昼餉を食べたら貴方様と共に過ごしておりました。帰ってからも湯浴みをしたら、また夜遅くまで作業を行う毎日を送っておりました。そのように乱れた生活を送り、食事もろくにとらなかったので倒れてしまったのだと思います」

「な……!」

 キーヒは愕然とする。エナの父の話を聞く限りだと、エナは自分と共に過ごすための時間を捻出するために、無理をして作業を行っていたということではないか。その事実に頭を打ちのめされてしまい、目眩がしそうであった。自分の我儘でここまで誰かを傷つけたことなどなかったため、エナがその犠牲となったことに自分に対して詰責の念が湧き上がる。

 キーヒの青ざめた顔を見て慌てて取り繕うようにエナの父が、

「戦争が後十日程で行われるので、その作業が溜まっているようなのです。私達はエナに無理をさせないためにも作業を断るように伝えていたのですが、神や上位階級の人間からの依頼を断らずに請け負っているために作業量が増えているのです。しかも、他の職人では創れないものばかりですので、エナしかできないためにエナの負担が増すばかりです。人界のことは私達が抗議して少しは減りましたが、神の方は如何ともし難いものです」

 沈痛な面持ちでエナの父は語る。

「……また、言いにくいのですが、エナはキーヒ様と会うことを楽しみにしております。その時間を捻出するためにこのような無理な工程で作業をしているのだと思います。だから、お願いします。エナのためにも暫くエナに会わないでください。エナは貴方様に会うために無理を通そうとしてしまうのです」

 エナの父が頭を下げてキーヒに嘆願する。キーヒはエナがいつも楽しそうに笑ってくれているので、そのような無理をしていることは微塵も気付かなかった。だからこそ、この父親の言葉がずっしりと心の内に突き刺さる。神の威厳のためにも落ち込む姿は見せなかったが、内心は机に突っ伏してしまいたい心地であった。エナが自分のせいで過労になったのなら、謝っても謝りきれないではないか。どうすればエナに対して贖えられるのかがわからなかった。

 気を紛らわすためにも茶を飲んでも、その味はもはやわからなかった。ここまで動揺するのは見苦しいことではあるだろう。このような姿を他の神が見てしまえば、いつも居丈高なキーヒであるので驚くと共に嘲りもするだろう。それは癪であるが仕方のないことだ。

 エナの父はキーヒの様子を見て若干怯むが、それでも伝えなければならないことがあるのか、話を続ける。

「キーヒ様。エナは存じ上げているのですが、エナは私達の娘ではありません」

「そうなのか? だが、エナは(なれ)らを両親として敬っているぞ」

「正確に申し上げますと、エナは『赤の魔石』が創り上げた『赤の一族』なのです。人から生まれたわけではないですが、人の世で生きていくことになるので子のいなかった私達の元で育てるように命じられました。私達はエナが人の世で生きやすくなれるように、人の世の理を教え、礼儀作法も躾けてきました。その一方でエナが興味を持つことは率先してやらせてきました。そのおかげなのか、あの比礼を使った創具方法を編み出したのです。ですが、エナは己の能力のせいで人と馴染めないことを悩み、それでも誰かのために生きなければならないと身を粉にして働いております。あの年齢の娘なら家の手伝いをしたり、結婚をしたり、友人と遊んだりして人生を謳歌するでしょうが、エナはそれらを放棄して技術の研鑽と自己犠牲に近い価値観で誰かの頼みを請け負うようになりました。私達はエナには幸せになってほしいので、助言をしましたがそれを断られました。ですが、キーヒ様の話をする時のエナは本当に楽しそうで、それが私達には嬉しかったのです。ただ、それで無理をするのは筋が通っておりません。キーヒ様。私達はエナに幸せになってほしいのです。『赤の魔石』から預かった娘であるため、大切にするのは当たり前ですが、親として体を壊すようなことはさせられません」

「そうか……」

 エナの生い立ちやその性格を親から聞くと、エナが無理をして生きてきたのが理解できた。だが、キーヒもエナには笑っていてほしいのだ。だから、エナの両親の言葉を受け入れようではないか。

「神族がエナに依頼をしているものに関しては我が主神にその依頼を取り下げるように奏上すると約束しよう。だから、(なれ)らは人界での依頼を取り下げるように尽力してくれ。それでエナを休ませよう」

「ありがとうございます。ありがとうございます……!」

 エナの父は気難しいと噂されるキーヒがエナのために動いてくれると言ってくれたおかげが涙目になっている。

(こういうところも似ているのだから、エナとその両親は親子として仲が良いのだな。だから、私もできることはしよう)

「一つ頼みがある」

 キーヒはエナの父にそう言うと、エナの父は不思議そうに眺める。そのような視線もエナと似ていると思いつつ、苦笑しながら、

「エナと話をさせてくれ。もちろん、今は解熱薬を飲んで眠っているだろうから、無理に起こすことはしない。エナが起きたら話がしたいのだ」

「それは構いませんが……。それではキーヒ様はこの部屋で休まれますか?」

「いや、エナの部屋で椅子に座って起きるのを待つから構わなくて良い。我は神だからな、本来飲食をしなくても生きていけるのだ。睡眠も微々たるもので構わん」

「しかし、キーヒ様のような神族をそのような目に遭わせる訳には……」

「我が構わんと言っておるのを信じてくれ」

 キーヒは不敵に笑うと、エナの両親は渋々応じた。そして、再びキーヒはエナの部屋に向かう。扉を開く際に音が出ないようにそっと開けて中を覗くとエナは眠っているようであった。キーヒは懐から紙を取り出すと、右手の人差指の先を噛んで血を出す。その血で紙に複雑な文様を書くと、それは小さな龍神の姿になった。

「俺は訳あって今夜は戻れません。ですが、明日の昼までには戻ります。心配ご無用です」

 小さな龍神はこくりと頷くとひゅるひゅると飛んでいった。あの龍神は簡易的な式である。キーヒの言葉を録音し、それを自分の居の者に聞かせるものだ。おそらく、アルデリアかトルマがそれを聞いてくれるはずだ。キーヒは扉をゆっくりと閉めると、部屋の中は薄く灯った照明魔具の光で満ちる。キーヒは椅子を持ってきて寝台の隣に置いてそこに座る。

 エナからは規則正しい呼吸音が聞こえる。また、掛け布から見える服は”花畑”で着ていたものとは異なるので寝間着になっているのだろう。キーヒはエナが起きるまでじっとエナを見詰め続けていた。エナとは話さなければならないことが多くあるだろう。だが、どのように話してもエナが傷つくようにしか思えないのが難しいところである。

(エナは十数年しか生きていないのに人を思い遣れるのに、数百年生きている俺が何もできないのは滑稽ではあるな)

 思わず苦笑が漏れてしまう。夜の帳は二人を包み、静かな時間が過ぎていく。

 窓から朝陽が差してしばらくすると、その明かりでエナが寝返りをうち、薄っすらと目を開ける。エナはぼうっとしたままキーヒを見ると、小首を傾げながら不思議そうに訊く。

「何故キーヒ様がここにいらっしゃるのですか? え!? どういうことです!?」

 質問しているうちに覚醒したのかエナが慌てふためく。このように混乱できるのなら熱は下がったのだろう。キーヒはエナを落ち着かせながら、ゆっくりと優しく話しかける。

(なれ)が倒れたが、我は(なれ)と話がしたかったから起きるのを待っていたのだ」

「ですが、神様も休まなければお辛いのでは?」

 キーヒはその問いにからからと笑いながら応じる。

(なれ)が寝ている間にうたた寝ができたからな。それで充分だ」

「そういうものなのですか?」

「ああ。少なくとも我はな。他の神は知らんが」

「そうなのですね」

 いつものキーヒの不遜な言葉にエナはくすりと笑う。

(なれ)の親から(なれ)の事情を聞いた。(なれ)が『赤の魔石』から直接創られたことも、戦争の準備と我に会う時間を工面するために無理をしていたこともな。(なれ)の親の話を聞いていると、(なれ)は自己犠牲が過ぎる。それを(なれ)は美しいと思っているのかもしれんが、それはただの欺瞞だ。だから、(なれ)は無理をしていたのだろう?」

「それは……。いえ、ここで嘘をついても駄目ですよね。はい、無理をしていました……」

「そうか」

 キーヒはがっくしと肩を落とす。何に落胆しているのかは自分でもわからなかったが、エナからその言葉を聞くと、やはり自分にも原因があると思い知らされる。それが申し訳なく思ってしまっていた。以前のキーヒなら人間の娘が自分のために無理をしても鼻で笑っていたかもしれないが、ことエナに関してはそのようなことはできないでいた。その心境の変化にもキーヒ自身は戸惑いながらも、とりあえずそれは無視して話を進める。

「我のせいで(なれ)を苦しめていたのだな。すまなかった」

 誰かに謝るということは滅多にしないキーヒもエナに対しては何のてらいもなく謝罪できた。

(エナをここまで苦しめてきたのだから、俺はエナに会う資格はないな。ここが潮時かもしれない)

 諦観を持ちながらエナを見ると、エナは何かを察したのか上体を起こして必死にキーヒに言葉をかける。

「待ってください、キーヒ様! 私もキーヒ様に言わなければならないことがあります!」

 それだけを言うと咳き込んでしまうエナだった。キーヒはエナが落ち着けるように背中を擦ると、

「そう慌てるな。(なれ)が話したいことがあるなら、我はいくらでも待つつもりだ」

 エナは枕元の卓に置いてある水を無理矢理飲むと、ようやく落ち着いたようである。エナは咳き込んだからか涙目になっていた。それをエナは袖で拭うと、キーヒに真摯な眼差しを向けて、

「キーヒ様からしたら愚かなことかもしれないですけど、キーヒ様と共に過ごす時間は私にとって、とても楽しいものなのです。だから、その時間とどうしても捻出したかったのです。そのためには依頼されたものもこなさなければならないので、早朝と夜を使っていたら食事をとることも忘れてしまっていたので、このようなことになってしまったのは反省しています……」

 エナは少し俯きながら言葉を紡ぎ続ける。

「昼餉前に職人に技術を教えることが多いですが、所詮それは上下関係がある間柄です。でも、キーヒ様との間にも確かに上下関係はありますよ。神様と人間ですもの。ですが、それでも一緒にいてくれるのが嬉しくて、私の中でキーヒ様はかけがえのない存在になりつつあるのです。私、前にも話しましたけど能力のせいで友人がいないのです。その能力の影響を受けないで、私のことを受け入れてくださる存在に出会えて嬉しいのです」

 熱を込めて話しているからか、エナの頬は少し上気しているようである。

「顔が赤いが熱が出てきたのではないのか?」

「いえ、それは違うと思います……。たぶん……。体は変に熱くないので」

「そうか。とりあえず、まだ冷えるから掛け布を体に巻きつけておけ」

 キーヒの言葉を受けて、エナは素直に掛け布を肩まで持ってくる。そして、先程の話の続きを語る。

「キーヒ様が私と手合わせをしたいのは理解しています。ですが、手合わせをしてしまうと、キーヒ様はそれで満足されて私とは会わなくなってしまうのではないかと怖くなってしまったのです……! それに、私は『赤の魔石』から直接創られた存在です。だから、とにかく、誰かの、役に立たないといけないと思ってしまって、このようなことをしてしまったのです……!」

 エナは最後の方はぼろぼろと涙を零しながら語っていた。キーヒはやや強引に自分の袖でエナの目元を拭うと、エナは驚いた顔でキーヒを見る。どうやらエナの中ではキーヒがこのようなことをするのは予想外であったらしい。キーヒは苦笑し、柔和に、

「確かに以前の我なら(なれ)と手合わせをしたら、それで満足していたかもしれないし、楽しく感じて何度も手合わせを挑んでいたかもしれぬ。だがな、今の我は(なれ)と手合わせをしたいと思っているが、我も(なれ)と会うのを楽しみにしている自分がいるのに気付いたのだ。人間を厭うておる我がだぞ? だから、そのようなことで(なれ)と会わなくなることは決してない。そこは信用してくれ」

「はい……」

 エナは静かに涙を流す。先程のように思いつめた表情ではなく、どこか嬉しげであるから、キーヒは間違った言葉を選んではいないと確信を持てた。

(このような思いをさせるのなら、その考えの楔から抜け出させた方が良いはずだ。エナのことだ。物心ついた頃からそのように生きているから今更変えるのは難しいかもしれんが、これはエナのためになるはずだ)

 不安そうにキーヒを見てくるエナの視線を受け止めながらキーヒはそのように思案する。

「先程も言ったが(なれ)は自己犠牲をしてしまう性格のようだ。それを人間は美しいことだと持て囃すかもしれないが、それは驕りでもある。(なれ)がそうやって無理をして感謝している人間がどれだけいる? (なれ)が無理をすることを当たり前に思って感謝をしない人間がほとんどだ。それに(なれ)の両親は(なれ)が無理をしていることを快く思っていない。それは我も同意する」

「……それなら私はどうすれば良いと仰せになられるのですか?」

 エナは心細そうに呟く。キーヒは自信を込めて、

「とりあえず、(なれ)は今回の件は全部放棄して療養すれば良い」

「しかし、それでは依頼がこなせないです!」

「人界の方の依頼は(なれ)の父が尽力して片を付けると話していた。神界の方のは我が主神に奏上する。それで(なれ)への今回の依頼はなくなるはずだ。今、(なれ)に必要なのは休息であるからな」

 何か言いたげなエナの言葉を遮るように、キーヒは嘲りを込めて続ける。

「此度の戦争では神界の武神も出るだろう。それで(なれ)の武器がなければ勝てないような神はどのような武器でも勝てはしない。人の、『赤の一族』の娘に頼り切ってしまう神の姿は滑稽であり馬鹿げている。それは人も同じである。素晴らしい武器があるからと武勲が立てられるわけでもない。死ぬときは死ぬものだし、生き残るときは生き残る。戦争はそういうものだ」

「そのようなものですか?」

「そうだとも。だから、(なれ)が気にすることは何もない」

 そして、キーヒは自嘲で口角を上げると、

「我も(なれ)との時間に依存していた部分があったからな。(なれ)はそのようなつもりではなくとも、我が切っ掛けなら(なれ)が過労になったのは我の責任でもなる。だから、我も(なれ)が以前のように体調が万全になり、気持に余裕が出るまでは会いにこない」

「……それはとても寂しいです」

「う、そのように辛そうに言わないでくれ。だがな、我が来ると(なれ)は空元気で無理をしてしまうだろう? 我は(なれ)が無理をするところを見たくないし、そこは悪かったと思っている。だから、少しの間だけ我慢してくれ。しかし、神界の水鏡で(なれ)の姿を見ることぐらいはさせてくれ」

 エナは何かを言おうと口を開くが、すぐに閉じてしまう。キーヒにしては珍しく根気よくエナが言葉を発するのを待っていた。エナは恐る恐る子供が不安を口にするように、

「……私は無理をしなくて良いのですか? 誰かのために必死にならなくても良いのですか?」

 キーヒは温和に応じる。

「ああ、構わんとも。(なれ)はもっと我儘になって良いと思うぞ。他の人間の娘を見てみろ。自己主張が激しいだろう? それぐらいしても罰は当たらんぞ。目指してほしいところは我ぐらいの我儘っぷりだがな」

 にっと不敵に笑ってみせると、エナは少しだけ楽しそうに笑ってくれた。その笑顔が見られただけでキーヒにとっては充分であった。キーヒは椅子から立ち上がると、優しく目を細めて、

「そろそろ我は神界に戻る。主神に奏上することもあるが、本来の天気の管理もあるからな」

「わかりました」

 エナは寝台から下りると、キーヒを見送るために部屋から出ようとしている。キーヒは半眼になり呆れながら、

「休めと言ったはずではないか……」

「キーヒ様をお見送りしましたら、すぐに寝台に戻りますよ。私に我儘になれと仰せられたのはキーヒ様です。これぐらいは見逃してください」

 にこりと笑いながら言われてしまえばキーヒはそれを受け入れるしかない。

「ああ、そうだな」

 エナの理解力と行動力に驚嘆してしまうキーヒであったが、それが仇になって今回のようにまた倒れられてしまったら元も子もないのだ。

(こういうところがエナの良さでもあるのだがな……。だが、それが今回は裏目に出てしまった。このようなことは二度と起こらないようにしなければ)

 キーヒは龍神の姿になると神界への門を創る。そこを潜る前にエナが強がりながら笑って、

「それでは、またお会いしましょう、キーヒ様」

「ああ、またな」

 エナは泣きやすいので、この後自分を責めて泣くかもしれないと思うと後ろ髪を引かれる思いであったが、キーヒはやるべきことをやるために神界に戻っていった。

 神界に戻ると、まずは自分の居に帰った。アルデリアが何があったのかと訊いてきたが、それを適当にはぐらかし自分の部屋に戻って着替える。そして、天気を司る宮殿に小間使いと共に向かった。

 キーヒは急いでその日に降らせる雨や雷の調整を魔法式で組む。この作業も慣れたものなので、すぐにそれができあがる。あとは小間使いや部下の神に任せて、キーヒは急いで主神がおわす宮殿に向かった。

 その宮殿には神の出入りが多かったが、キーヒの浅黒い艶めいた肌に、流れるように生えている一対の黒曜石を思わせる角、切れ長の怜悧な瞳、濃く生えた睫毛、通った鼻梁、知的さを思わせる薄い唇とその美貌は美に慣れている神々を魅了するほどであった。そのような容貌のキーヒが険しい顔で謁見の間に向かっているため、皆好奇心で何事かとキーヒを見ていた。

 謁見の間に着くと、キーヒは恭しく膝を付き、頭を下げる。

「珍しいな、キーヒ。お主自ら謁見の間に来ることは滅多にないからな。何か重大な要件でもあるのか?」

「はい。主神に奏上したく、参上いたしました」

「ほう。要望とは珍しい。キーヒは強者と戦うことのみを望んでいるのかと思っていたが、それ以外にも望みがあるのか。その話、面白そうだな。言うてみよ」

「実は武神が武器等の創作を依頼している『赤の一族』であるエナが倒れました」

「ほう、それで?」

「医療の神の診断では過労によるものであるとのことです。人界の方の依頼はエナの父君が依頼を取り消すように尽力するとのことです」

「なるほど。神界の方はお主が私に奏上し、私の勅令で依頼を取り消す算段なのだな」

「その通りでございます」

 主神は面白そうに薄っすらと目を細めると、

「キーヒよ、お主が『赤の一族』とはいえ人間の娘をそのように思い遣ることに私は驚いておるが、よい兆候だと思っている。お主に新年の儀式をさせたことでそこまでの心境の変化があるとは思わなかったがな」

 主神は呵々大笑している。主神は生真面目な面持ちに戻すと、

「エナが倒れたという話はキーヒの様子を見れば事実だとわかる。それ故、キーヒの要望を叶えようではないか。なに、可愛い甥っ子の望みだ。それにほぼ戦争の準備も整っておるからな。エナが創り出した武具がなくて文句を言うのなら、鍛冶の神に頼めば良いだけの話だ。鍛冶の神も暇ができて研究に勤しんでいたが、そろそろ腕が鈍らんように本領を発揮してもらわんとな」

 キーヒの緊張を解すように主神はにっと子供っぽく笑う。キーヒはその笑顔を見て安堵する。

「それでは……」

「ああ、その勅令をすぐにする。ああ、そうだ。キーヒよ、一つだけ質問がある」

「何でございましょうか?」

「キーヒにとってエナは何なのだ?」

 主神の問いにキーヒは真剣に考え込む。エナはキーヒのことを「かけがえのない存在」だと言っていた。だが、自分はどうなのだろうかと疑問が湧く。

(俺はエナのことをどのように思っているのだろうか? これまで誰かに執着をしたことはなかったからわからないが何なのだろうか?)

 キーヒが秀麗な眉根を寄せて考え込んでいる姿を見て、主神は呆れながらも慈愛をこめて、

「その様子だと、まだ自分の中でどのように思っているのか確信を得ていないようだな。……そうだな、キーヒよ。一つだけ助言しよう」

「助言とは?」

 キーヒは不思議そうに訊く。主神から助言を頂けるだけで光栄であるだろう。それがどこか誇らしかった。

「己の立場を弁えて判断するのだぞ。我々には様々な側面がある。それは人も同じだ。それらを含めて考えるのが良いだろう」

「承知いたしました」

 キーヒは主神を敬うように頭を下げると、謁見の間を後にする。悶々とキーヒはエナのことを考えながら歩いていた。

(主神の言葉の意味はわかるが、何を伝えようとしていたのかはいまだにわからないな……。とりあえず、助言はありがたく受け取っておくか)

 キーヒは自分の居に戻ると、使い慣れた剣を手にとって鍛錬を始める。暫くすると、主神の勅令が神界に行き渡った。その内容はこのようなものである。

「人界の創具師は無理が祟ってしまい床に伏せている。それ故、その創具師に依頼した武神は必要であれば鍛冶の神に改めて依頼するように。戦争も間近である。急ぐものはすぐそのようにいたせ」

 主神はキーヒを名を出さなかったのは意外であるが、それでもこれでエナへの依頼はなくなるはずだ。これでエナが休養できるはずだと思うと肩の荷が下りる気がする。

(これで良かったのだ。エナは無理をしすぎるからな)

 わずかに索漠とした気持を抱えながらも、キーヒは剣の鍛錬を行っていった。これから戦争で武神が人界に行くことが多いが、戦える神が神界に残ることはままある。キーヒは武神ではないが、それでも戦えるので神界の警護に就くことになるだろう。そのために鍛錬を怠ることはできない。

(それに戦争で戦えば、エナに会ったときに土産話にもなるだろうからな)

 そのように思いながら、懸命にキーヒは鍛錬を行うのみだ。

連載4つ目です。

なんというか、書く度に話が長くなってきている気がします。

最終的にはどれくらいの長さになるのかちょっと不安です。

これでようやく序盤が終わる感じです。


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