向春
水鏡で人界にいるエナの様子を日課として眺めるキーヒ。
それをしていると兄のヒューリデンがやって来て、水鏡の調整を行うので見るくらいなら会ってこいと言われてエナに会いに行くことになった。
そこで遁甲して隠れていたのにエナに見つかり、その場の流れでエナの一族やエナの能力の話などを聞くことになった。
そして、まだ雪深い時期であるが花が咲くことを楽しみにしているとエナが言うので、神界にある常に花々が咲き乱れている場に連れて行くことを約束するキーヒだった。
新年の剣舞を奉納後、キーヒは親族に顔を出して挨拶をして回った。皆が緊迫感のある剣舞であったことを褒め称えていたが、キーヒはそれをどこか他人事のように聞いていた。
そして、それからしばらく経った日のことである。春の足音が聞こえるかと思いきや、なかなかその訪れも来ないようで雪は根深いままである。寒々とした空気が張り詰めている中、キーヒはとある場所に向かっていた。
キーヒは職務である天気の操作を他の神々と摺り合せて、人界の天気をどうするのか決めたら、大体やることは終わるので残りの時間は鍛錬に費やしていた。それに最近加わった日課がある。その日課をこなすためにキーヒは足早にそこへ向かっていた。
そこは人界の様子を見るための水鏡が置いてある間であった。そこは主神の住居の一角にあるため、入室できる神も限られている。しかし、キーヒがこの部屋に入ることは問題なかった。というのも、キーヒの父が主神の弟であるため、血縁者でもあるキーヒに制約は無いのだ。
キーヒは水鏡に触れると、
「エナの姿を映してくれ」
水鏡はその言葉に応じると、その水面にエナの姿を映し出す。エナは自分の工房に併設された職人用の工房で様々な人間に武器や防具、装飾品等の作り方を説明して回っている。その説明も苛ついた様ではなく、エナは穏やかな表情で相手に敬意を払って接しているようである。だからなのか、説明を受けた職人は年下のエナの説明を素直に聞き入れているようであった。
このような人徳のある様子を見せられると、自分がエナを殺そうとしたことを少しだけ悔やんでしまうキーヒであった。だからといって、エナのことを知っていれば殺そうとしなかったというと、人間が嫌いなのでその可能性も無い。やはり、エナとは剣で語り合えたことがキーヒの中では美しい思い出となっているのが大きいのかもしれない。
キーヒはエナによって細かい傷を付けられたが、服を着込んでいたおかげか皮膚が少し赤くなる程度であった。逆にエナの方の傷は薄着であったので血が滴っている箇所もあった。そのため、嫁入り前の娘の肌に傷つけたことは父や兄たちに苦言を呈されてしまった。そこは少しだけ悪いと思っているキーヒであった。
エナは自分の工房に戻ると、陣を生成する。その陣の上で真紅の薄手の衣になると、長大な真紅の比礼で材料を包む。そして、そのまま優雅に舞うと鍛冶の神でさえ妬んでしまうのではないかと思ってしまう程、立派な武器や防具等を創り上げてしまうのだ。
(主神が仰っていた武神がエナに頼んで武器を創ってもらったという話もあながち嘘ではないようだな)
頬杖をついて水鏡を眺めているキーヒの面持ちは実に興味深いものであった。人間を厭うのに、自分が唯一認めた人間に執着する様はキーヒを知る神が見れば驚愕することだろう。それ程、キーヒが人間を認めるということは天変地異と言っても過言ではないのである。
「噂は本当だったのだな」
「ぎゃああああ!」
キーヒは突然後ろから声をかけられてしまい、奇声を発してしまう。ぎこちなく振り返ると、キーヒの長兄であるヒューリデンがそこにいた。ヒューリデンは兄弟であるからか、どことなくキーヒと似ている。だが、それよりもヒューリデンは父親の面影をその顔に感じてしまうことが多いと言われている。
キーヒは驚いてしまったので心臓が早鐘を鳴らしたかのようになっていたが、平静を装って、
「ヒューリデン兄様、何故こちらにいらっしゃるのです?」
「ああ、最近キーヒがここに入り浸っているという噂を聞いてな。それにこの水鏡の調整は母上と私の担当でもあるから調整がてらやって来たら、物憂げに水鏡を見ているキーヒがいたから声をかけたのだ」
ヒューリデンはキーヒの後ろから水鏡を覗こうとしたため、キーヒは今までエナが映し出されていた水面を即座に手で払って消した。ヒューリデンは残念そうに頭を振ると、
「キーヒ……。あの剣舞のときから少し様子がおかしいと思っていたが、あの娘を眺めていたのか」
「そ、そのようなことでは……!」
兄を失意させてしまったことに申し訳なく感じ、キーヒはその背を丸めてしまう。ヒューリデンは手を振ってキーヒに勘違いがあると伝えると、
「キーヒ、お前があの娘を見ていようが私は良い兆候だと思っている。あの人間嫌いのキーヒが人間に興味を持ってくれたからな。私が残念に思っているのはあの娘の姿を私も見たかったからだ。なにせキーヒが気に入った娘だ。その姿を見てみたいと思うのは当たり前だろう?」
「え……。そういうことでしたら、ご覧になりますか?」
「ああ、そうしたいが構わんか?」
「俺は大丈夫です」
キーヒは改めて水鏡に触れると、エナの姿を映すように言う。すると、その水面にエナの姿が映った。幾つもの武具を創ったためか、その表情は先程と異なり疲労の色が濃い。
(年端も行かぬ娘にここまで無理をさせるのが人間のやり方なのか?)
キーヒは眉間に皺を寄せて水面を眺める。エナはあの幼い顔立ちだと十代の半ばぐらいだろう。それぐらいの娘なら結婚している者もいれば、親の手伝いをしている者もいるだろう。それに恋に憧れる年頃でもあるはずだ。
だが、エナはこの工房の職人を纏め上げ、自分も率先して創り続けている。そのように働き詰めなら恋をする時間も無いのではないのかと疑問が頭を過る。
(いや、そもそも何故俺がエナの恋のことを心配しなければならないのだ? そのようなことは俺には関係ないはずだ。ああ、関係ないとも)
キーヒは小難しい顔をして思案していると、ヒューリデンが穏やかに、そして明るく、
「キーヒ、この娘のことが気になるのなら水鏡で見ているだけではなくて実際に会いに行けば良いではないか」
「な!? そのようなことはできませぬ!」
「何故だ? この娘──エナと言ったか。その娘のことで気を揉んでいるのなら、会って話して疑問に思っていることを訊いて明瞭にした方が良いだろう?」
「そうかもしれませんが、俺が会いに行けば周囲が騒ぐことでしょう。神が人間の元に行くなんて、それこそ──」
(娘に懸想しているようではないか)
その言葉が喉の奥で引っかかっていたために、キーヒは不機嫌になってしまった。ヒューリデンはキーヒの不機嫌をものともせずに、
「というか、この水鏡の調整をしないといけないから、暫くの間は水鏡は使えないぞ」
「そうなのですか……」
キーヒは愕然としてしまい、意気消沈してしまった。ヒューリデンはキーヒの背中を優しくも強く叩くと、
「案外神も人界に遊びに行くことが多いから、キーヒが行ったところで目立ちはせぬさ。だから、気にしないで行ってこい」
「……わかりました」
キーヒは兄の言葉に渋々従うことにした。
(そうだ、これは俺の意思で行くわけではないのだ。ヒューリデン兄様に言われたから行くだけなんだ)
キーヒは龍の姿になると、人界に向かっていった。
人界では根雪が多くあっても人々の活気があり、街は賑わっていた。寒さのために皆着込んで背中を丸めて足早に歩いているが、子供達は雪で遊んでいる。
キーヒは遁甲で姿を見えないようにして人界にやって来た。目指すのはエナの工房である。確か、いつもならこの時間だとエナは工房にいるはずである。ちらりと周囲を見渡すと、なるほど兄の行った通り多くの神も忙しなく人界で仕事をしたり、ゆったりと談笑を楽しんだりしている。人間に友好的な神はこのように人界にしょっちゅう来るのだろう。だが、キーヒのように人間嫌いの神は神界に引きこもっているのが常である。だから、キーヒが人間界に来ることは滅多にない。幼い頃はあったかもしれないが、その記憶も遠いところにあり手繰り寄せることもできないままであった。
他の神にもキーヒの姿は見えないためか、気付かれていないようである。キーヒの姿は神界では有名なので、見られてしまえば騒ぎになることであろう。今回の訪問は秘密裏に行っていることなのだ。だから、誰にも知られず、見られてはならないのだ。
ふよふよと空を飛びながらエナの工房を目指す。工房は人間の家にしては大きな土地の中に大きな家屋と共に工房が二つ並んでいた。どうやら、エナは人界でも有力な家の娘であるらしい。
(ヒューリデン兄様には話すように言われたが、エナの姿を見るだけで充分だろう。いつも水鏡で見ているのを実際に見るだけだ。大して違いはないはずだ)
キーヒは自分に言い聞かせるように、そのような言葉を頭の中で紡いでいく。というのも、キーヒは自分でエナに執着している理由がわからないのだ。単純に手合わせをしたいのなら、さっさとそれを申し込めば良かったのだが、それもできないでいる。ただ、水鏡でエナが充足な生活を送っていることを眺められれば良かったのだ。
(果たして、あれは本当に充足した生活なのか? 俺のように他の神との摺り合わせが終われば自由な時間が作れるが、エナは次から次へと仕事が舞い込んで来ているようだ。それだと、自由な時間などありはしないのではないのか?)
胸の中にあるのっそりとした黒い靄が晴れる気配もなく、キーヒはエナの工房に着いた。工房の中の様子を窓から眺める。窓は採光のために透明の結界魔法が使われているようである。そのため、外気が中に入らないようになっている。このような魔法式をそこかしこに仕掛けてあるということは、エナの創った魔具や上流階級の人間が命を狙われないようにするための防御策なのだろう。
キーヒはその魔法式を刺激しないように、そっと窓から中を窺う。そこでは舞いながら防具や装飾品を創っているエナの姿があった。エナはそれらを創り終えると、肩で息をしていた。外気が入らないとはいえ工房の中も冷え切っているはずなのに、エナの大きく背が開いた衣から見える背中には汗が滴っているのが見えた。相当な労力を使って創り出しているのが窺える。
(あれでは身がもたないのではないのか? 大丈夫なのか?)
キーヒは一瞬そのようにエナを心配するような思考をしてしまう。その思考を払うように頭をブンブンと振ると、じっと雪が積もっている地面を見つめる。
(いかんいかん。これでは完全に懸想しているじゃないか。もうここに来ることはあるまい。それに水鏡でエナの様子を見るのも止めよう。未練がましく見ているのがいかんかったのだ)
「キーヒ様、そこで何をしてらっしゃるのですか?」
「ぎゃああああああ!」
エナは楽しんでいるのか鈴を転がすような声音で訊いてくる。キーヒは油断していたために思わず叫び声を上げてしまった。キーヒの大声に驚いてか、エナはその大きな瞳を瞬かせる。どうやら、自分が地面を見詰めている間に、エナは窓を開放してキーヒを見つけたようである。
(いや、俺は遁甲していたのだぞ!? 何故見つかった!?)
キーヒは叫び声を上げてしまったために、遁甲が解けてしまうのを感じ取った。また、キーヒの叫び声を聞いて職人達が何事かと工房から出てきた。そして、キーヒの姿を見て驚愕と感嘆とでわあわあと騒いでいる。武神や他の神々が来ることがあっても、龍神が来たことは今まで無かったのではないかと疑ってしまうような反応であった。
(龍神も俺と父上含めて数柱しかいないものな)
どことなく的外れのようなことを考えながらキーヒは冷めた目で職人達を見ていた。そして、エナがいる窓の方へ視線を移す。エナは上半身を窓枠に預けて、少し困ったように笑いながら、
「キーヒ様、ここに入る時に結界の感触を感じなかったのですか? こういう仕事柄、命を狙われることもあるので幾重も結界を張っているので、それが反応したはずですよ」
「その感触はあったな。だが、それを刺激しないように入ってきたつもりだ」
「ああ、確かにそのような感じがありました。父や母は気付いていないですが、私は僅かな歪曲を感じ取りましたので。ですが、それが敵意のあるものではないのは結界の歪曲でわかりました」
「汝はそこまでの魔法式を編めるのか?」
「まあ、人伝に教えてもらったことを実践しているだけですけどね」
エナはニコリと笑うと、思わずキーヒは視線を逸らす。そして、キーヒはある疑問に思い至る。
「……汝は最初から我の姿が見えていたのか?」
「姿は見えていませんでしたよ」
エナはあっさりと答える。窓を開けて外気に触れて寒いのか、体に比礼を巻き付けて暖を取っている。エナは汗で頬に張り付いた髪を払う。その所作もどこか優美さを感じられるものであった。視界の端にそれを入れると胸が高鳴りそうであったが、なんとかそれを落ち着かせる。そして、次の疑問がキーヒの頭の中に浮かんだのでそれを言葉にする。
「見えていなかったのに、何故我だとわかったのだ? それに我の姿が剣舞の時と違って龍神の姿を取っているのに、何故我だとわかるのだ?」
エナはやや柔和に笑いながら、
「それはですね、私が判別するのに魂を見ることもあるからです。キーヒ様の魂は一度見たら忘れられないものですもの。あの日見たキーヒ様の魂は雄々しく勇猛でありながらも、温かなものでした。そのような美しい魂は一度見たら忘れられませんよ。だから、キーヒ様の魂が窓枠の側に在るのがわかったので、お声がけをしたのです。それに姿を変えられてもキーヒ様はキーヒ様じゃないですか。私がそのことを間違える訳がないですよ」
「そのようなことが普通の人間にできるわけないだろう。汝は我を誑かしているのか?」
キーヒは苛つきながら声を荒げる。エナはそれでも穏健に話しかける。
「誑かしていません。その辺りのことは話すと長くなりますので、キーヒ様さえよろしければ家で話しませんか? 流石に私も寒くなってきましたので」
確かにエナの肌には鳥肌が立っている。キーヒは冷えないように空気を一部遮断して寒さから身を守る魔法式を使っていたので寒さは気にならなかった。そのため、エナが寒がっていることに気付けなかったことに気恥ずかしさがあったが、それを誤魔化すかのようにキーヒは尊大に、
「うむ。わかった。汝の家に案内しろ」
「それではそうさせてもらいますね。あと、龍の姿だと家に入らないかもしれないので、人型になってもらっても宜しいでしょうか?」
「構わぬ」
キーヒは人型になると、あの剣舞の際の衣装に似た黒地に紫の光沢のある衣を身に纏っていた。角は蟀谷から後ろに流麗に生え、褐色の肌は若々しさを示している。涼やかで怜悧な目元は睫毛が濃く生えているためか、降ってくる雪がその上に乗り始めている。通った鼻梁や整った薄い唇もあってか、その顔立ちは端正で勇猛さを感じさせるものであった。
「それでは案内しろ」
「わかりました。こちらです」
不遜な態度でキーヒはエナに案内を頼む。エナはそれを気にもせずに、家にキーヒを招き入れた。
客間の椅子にキーヒを座らせると、エナは中座して着替えてくるとのことで部屋を出ていった。キーヒの前にはエナの付き人が淹れた茶が器に入っていた。部屋の中は暖房の魔法式が使われているので暖かであったが、人型になると指先から冷えやすいキーヒは茶の入った器を持つことにしていた。
暫くすると、上等な服を身に纏ったエナが部屋に入ってきた。エナはキーヒの対面に座ると、茶を飲んでいく。その白い喉が動く様を魅入ってしまうキーヒだった。
(なんというか、所作に色気があるというか優雅であるな……)
ぼんやりとそのように考えているとエナが不思議そうに、
「どうかされましたか?」
「……いや、何でもない。決して汝に見惚れていた訳ではないぞ!」
「はあ、そうですか」
エナは苦笑して器を置く。キーヒは気不味くなったのか、不機嫌そうにそっぽを向いてしまう。キーヒは話す気がないと態度で示すが、それに構わずエナは語っていく。
「先程、キーヒ様が仰っていたように私は普通の人間ではありません。キーヒ様程の神格のお持ちの方なら聞いたことがあるかもしれませんが、私は『赤の一族』の娘です。ですから、他の人間に比べて術式を編むことも得意ですし、創具師としてそれぞれの方に合ったものを創り出すことに長けています。それに私の魔眼は両目です。そのおかげで、魂を見て誰なのかを判断することも容易なのです」
(『赤の一族』……。確かに聞いたことがあるが、その詳細はよくわからんな)
キーヒは茶を飲むと、内側から温まる感覚があった。ちらりとエナを見ると、エナは相変わらず柔和にこちらを見ている。これなら正直に思った疑問を訊いても問題無いのかもしれない。
「汝は我の人間を厭うという話は聞いたことあるか?」
「ええ、まあ……。他の神々とも話す機会がありますから。勿論、キーヒ様の武勲についても伺っていますよ」
「そうか。我は汝の一族については暗いのだ。正直に申せば人間と懇意にしているぐらいしか知らぬ。そのため、具体的に他の人間とはどう違うのかはわからぬのだ」
「それなら、そこから説明しましょう。私の『赤の一族』は人界とも神界とも異なる空間にある『赤の魔石』に創られた存在です。原初の一族は直接『赤の魔石』から創られましたが、一族は普通の人間との間にも子をなすことが可能です。それで一族を増やしていきました。そして、一族の殆どが魔眼持ちです。赤の血が濃ければ両目持ちが生まれやすいですが、そこは天命に任せるしかないところです。あと、魔眼の持ち主は特異な能力をもっていることが多いです。そのため、様々な分野で活躍したり、人を先導したりしています。また、『赤の魔石』から直接創られた一族は必ず魔眼が両目となります。直接『赤の魔石』から創られますから、その者は重大な役割を任されることが多いのです」
エナが最後の方は暗く話しているのをキーヒは怪訝に思ったが、長く離して疲れたのかもしれないと短絡的に考えてしまった。とりあえず、『赤の一族』についてはわかった。その一族であるためにエナは魔法式の構築や神にも頼まれて創具師をやっていけるのだろう。また、魔眼が両目にあるため、普通の人間が見えないものまで見えてしまうのかもしれない。だからといって、遁甲している自分が見破られるとは思いもよらなかった。
キーヒは武神と同等以上の剣の技能があるが、本来の役割である雨や雷を司る存在として魔法やそれに関わる式や魔具等にも通じているつもりである。だから、遁甲も上手くいっていたはずなのに、それを見破られたことで立腹している面もある。実際にエナ以外の人間には存在を感知されていなかったのだ。
(特異な存在というか異様な存在ではあるな)
エナの話を聞いてそのように思ってしまうキーヒであった。普通の人間とは異なるが、それでも人間に寄り添って生きているので、エナは人界の代表に選ばれたのかもしれない。キーヒはエナにさらに質問をしていく。
「とりあえず、汝の一族についてはわかった。汝がやっている創具師としての技術は初めて見たがあれは汝が構築したものか? 他の創具師や鍛冶の神とは加工の仕方が明らかに異なっていたぞ。他の者は道具を使って素材を加工しているが、汝はあの比礼で加工していたではないか」
エナが秘密にしておきたいかもしれないことをキーヒは気にせず尋ねる。ここでエナが言い淀むのなら、それを非難すれば胸の中にある蟠りも無くなるのではないかと思えているのだ。そうすれば、少しは気持が清々とするかもしれない。
エナは茶を飲んで思案している。そして、器を持ったまま丁寧に語り始める。
「創具師は本来はキーヒ様が仰るように道具や魔具を用いて素材を加工する職種を指します。ですが、私が構築したやり方はあの長大な比礼を用いて、その持ち主に最も合うようなものを創り出す方法なのです。そのために舞いながら素材と持ち主を比礼で読み取り、それらを理解し、比礼を媒体にして魔法で創り上げるのが私のやり方です。この方法は大量生産には向かないですが、一騎当千の能力がある存在や神々からは評判が良いです。定期的に比礼で持ち主と創り上げたものを読み取って調整も行っているので、万全の状態で扱えるため、創り上げたものと持ち主との間に齟齬が起きないのが特徴です。武器を使っていると違和感がある場合がありますが、この方法ならそれを解消でき、馴染むものになります。勿論、素材だけでも創ることはできますよ」
エナは誇らしげに語り終えた。どうやらエナなりに創具師の仕事に矜持を持っているらしい。
「なるほど。従来のやり方も汝はできるのか?」
「できますよ。魔具や魔法式の最適化を行うことで効率的に行えるように職人の方々には指導しています。それも好評ですね……たぶん」
「ここの職人達も汝の言葉は素直に聞いているようだから、そこは誇って良いと思うぞ」
「何故キーヒ様がそのようなことをご存知なのですか?」
「い、いや、それは……」
キーヒは先程まで話を聞くためにエナの顔を見ていたが、水鏡で見ていた後ろめたさがあるためか、あからさまに視線を逸らす。だが、ここで隠し事をしていては真摯に自分と向き合っているエナに頭が上がらなくなるのではないかと思ってしまい、渋々とキーヒは言いにくそうに、
「実は神界の水鏡で汝の姿を見ていたのだ……。それで職人達が汝を尊敬しているように接しているように見えたのだ」
「ああ、あの視線はキーヒ様だったのですね。誰かに見られている感覚があったのですが、敵意や怨嗟を感じなかったので無視していました」
「それも汝に知られていたのか……。汝は魔法に対する耐性が強すぎるのではないのか?」
キーヒはエナの敏感過ぎる察知能力を呆れてしまった。エナは暗い面持ちになりながら、
「私はこのようなことをしているので、命を狙われることが多いのです。だから、視線や呪詛には敏感になろうとしています。それで命拾いしたこともありますからね」
「ああ、なるほど。確かに汝程の創具師なら、その命を仕留めれば敵からしたら脅威が無くなるものな」
「そうです。一族からしたら私がいなくなる損失が大きいので、この家も幾重にも防御魔法式が施されています。それも私を生かすためだけのものです。父や母もそのおかげで安心して暮らせているので良いのです」
(ん……?)
キーヒはエナの言葉に引っかかるものがあったが、それが何かまで理解できていなかった。とりあえず、思いついた疑問を次々に訊いていこうと思うキーヒであった。キーヒは面白がるように、
「汝は創具師として優秀なのはわかった。だが、それだけ突出した能力だと後継者は作れないだろう?」
「そうですね……。創り出したものや使い手への理解が求められますから、理解力が突出している存在でなければ難しいかもしれないです。それでも私の技術を継げるように、一族の他の者に技術は教えていますし、記録用の魔具にやり方や比礼の創り方等を逐一記録しています。いつか、これを読み解いて私と同じようにできる存在が現れれば嬉しい限りです」
「そうか。そのような存在がそうそう現れるとは思えんがな」
「そうかもしれません。ですが、私は未来に期待をしてしまいます」
柔和に笑ってそう言われてしまえば、キーヒは何も言えなくなるのも仕方がないだろう。エナは自分の能力が一族の中でも特殊であることを身を持って知っているのだ。だから、それを継いでくれる未来の存在にしか期待できないのかもしれない。
どことなく暗い話題になってしまったので、気を紛らわせるためにキーヒは窓から外を見る。そこからは曇天の空から牡丹雪が落ちてくるのが見えていた。人界でこれ程雪が降っているのなら、神界でもさぞ積もっていることだろう。
キーヒは茶を飲んで気分を変える。そして、最も気になっていたことを訊くことにした。
「汝があの儀式の時に我と同等以上の実力があるのなら、汝は創具師ではなく戦士をやれば良いのではないのか? 我とあれだけ剣で戦えるのだから、さぞや名声を上げられるだろう?」
「あー……。それはですね、たぶん難しいです」
「何故だ?」
素朴な疑問にキーヒは首を傾げる。その際に、さらりと烏の濡羽色の髪が揺れるが気にしていなかった。エナは茶を一口飲むと、それを卓の上に置き、思案しながら言葉を紡ぐ。
「私は確かに舞を行いますから体の使い方はわかっています。ですが、あれは私の能力を複合させた結果なのです」
「どういうことだ?」
「あの時仮面を被っていましたよね? あの仮面は主神の妻である女神の力を仮面の形に落とし込んでいるのです。それが私の能力の一つです。誰かの能力を仮面に宿らせることができ、仮面を被ることでその能力を使役できるのです。その女神も武勲に恵まれた存在ですから、その力で私の身体能力や勘を増幅させていました。また、これも私自身の能力ですが、存在の隙き、というか構造の弱点と言えば良いのかわかりませんが、それが線として見えることがあります。その能力と女神の恩恵とでキーヒ様と渡り合えたのです。残念ですが、私自身に戦闘能力に特化している訳ではないのです」
「そうだったのか……」
キーヒは溜息をつくと、卓の上に肘を置いて頬杖をつく。キーヒとしてはエナと手合わせができることを期待していたのだが、それは膨張しすぎた望みだったようである。
(確かに、エナの様子では血気盛んという訳でもなさそうだしな)
今の淑やかな様子のエナを見ていると、あの時果敢に挑んできたエナが幻のように感じてしまい、胸の中の不安が大きくなってキーヒを苛む。それを打ち消そうと、キーヒは残念そうに、
「あの時は汝が儀式の進行を優先させていたのであのような結果になった。そのため、もう一度手合わせをする場があれば、結果がまた違ったものになるのかもしれないと期待していたのだがな……」
「申し訳ありません。何があっても良いように武芸の訓練も一通り受けていますが、あまり戦いを好む性質ではないのです。ご期待に添えなくて申し訳ありません」
エナが頭を下げると、もう良いとキーヒは手を振る。キーヒとしてはエナが積極的に手合わせをしてくれるのなら嬉々としてそれを受け入れるつもりであった。だが、エナの物腰や話し方からはそうではないと薄々わかっていたが、その現実を突きつけられると落胆してしまうのは仕様がないだろう。
キーヒは茶を飲むと、飲みきってしまった。それに気付いて、炉の上の瓶に入った茶をキーヒの器にエナは入れていく。キーヒは入れられた茶を飲むと、
「あち!」
「大丈夫ですか!? 炉の上に置いて温めていたのですが、熱かったようですね。すみません……」
「いや、我が油断していただけだ。ああ、だからそんなに落ち込むな!」
キーヒの期待に添えないばかりか、失態まで犯してしまってエナが落ち込んでいるのを乱暴に励ますキーヒであった。キーヒは首を摩りながら、威厳を持ってエナに語りかける。
「良く聞け。我は確かに汝と手合わせしたいと望んでいた。だが、汝の性格上それが難しいとわかって納得しているつもりだ。だから、そんなに落ち込むな。茶が熱いのも冷えるから温めていたのだろう? その気遣い、感謝する」
エナは目を丸くしてキーヒを見ているが、しばらくすると穏健に笑い、
「本当にキーヒ様は裏表の無い方で話していて心地良いですね。人間嫌いだと伺っていましたが、私に対してはそのような態度を見せませんので嬉しく思います」
「な……!? それは汝が我と同等の剣技を使えているからだ! 我は人間なぞ厭うておる! そこは勘違いするな!」
「そうなのですね」
エナは何が面白いのかわからないが、クスクスと楽しそうに笑っている。キーヒは自分だけ置いてけぼりを食らったように感じてしまい、
「何故笑う!? 我は可笑しなことを言ったつもりはないぞ!」
「そうですね。キーヒ様は本当にまっすぐなお方です。初めて言葉を交わしたときから変わっておられませんので嬉しくなったのです」
「……それは嬉しいことなのか?」
「ええ、私にとっては嬉しいことです」
エナはニコリと朗らかに笑う。そして、外を見ると、辺りが暗くなり始めていた。エナは客間の照明用の魔具に明かりをつけると少し嬉しそうに、
「今は雪深いですが、もうすぐしたら雪も解けて花々が咲きますね。私は花を見るのが好きなので、その季節がやって来るのが待ち遠しいのです」
「そうなのか」
キーヒは暗くなり始めているので、そろそろ神界に戻ろうと立ち上がると、良いことを思いついたのかエナの側に行き、話しかける。
「なあ、汝は花が好きなのだろう? 神界の一角に常に花々が咲き誇っている場がある。そこに汝を連れて行くか?」
「本当ですか! それは嬉しいです」
エナは春陽のように温かな笑顔を浮かべる。それを見てキーヒは満足したが、エナは何かに気付いたのか、
「あ、でも、暫くは無理ですね……。戦争があるらしく、仕事の依頼も立て込んでいますから」
「はあ!? 我の提案と汝の仕事どちらが大切なのだ!? 明日行くぞ、明日!」
「ええ……、そういうことを仰るのですか……」
エナは困ったような呆れたような声を出す。そして、腕を組んで考え込むと、
「それなら、こうしてくださいませんか? 昼餉の前にできるだけ、私は仕事を終わらせます。だから、昼餉の後に神界にあるその場所に連れて行ってくださいませんか?」
「うむ」
エナの提案にキーヒは満足して首肯する。しかし、エナは何かに気付いたのか、やや言いにくそうに、
「そもそも、私が神界に行っても良いのでしょうか? 特に用事があるわけではないのに」
「用事なら、その花々を見るのが用事だろう? それに神界にいる神が人界に訪れて色々やっているのだ。逆をやっても問題無かろう」
「そういう話なのでしょうか?」
「そういう話なのだ。それでは明日の昼過ぎに来る」
「わかりました」
エナは頷くと、キーヒを外まで案内する。そこでキーヒは龍の姿を取る。その姿は黒曜石のような二本の角が流麗に生えており、胴体も長くて立派である。また、鱗も黒いがその光沢は紫色である。龍神は大抵髭を生やしているが、キーヒは髭を生やしていない。それはキーヒ自身が髭が自分にはまだ似合わないと思っているからである。そのため、人型をしたキーヒも髭は生えていない訳である。
「それでは明日の昼餉の後に来る。汝は昼餉を食べるのだからこの家にいるのだろう?」
「そのつもりです。それではまた明日にお会いできることを楽しみにしております」
「その花畑は立派なものであるからな。楽しみにするんだな」
自慢気にそう言うとキーヒは神界に向かって飛び立っていく。
(話の流れで明日も会うことになったが、それも仕方あるまい。エナが楽しみにしているのなら、それに付き合おうではないか。そして、エナの気が向いたら手合わせをしようではないか)
そのような下心を持ちながら、キーヒは明日またエナに会えることを楽しみにしていた。
とりあえず、2話目です。
これから少しずつにキーヒとエナが仲良くなってくれると良いなーと思っています。