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赤と雷雨  作者: 芽生
11/11

向寒

キーヒとエナが結婚するお話です。

ハッピーハッピーエンドです。

 エナが隣で昏々と眠っていたので自分も寝ようとしたキーヒであったが、緊張のためかほとんど寝られずに朝を迎えてしまった。神なので寝なくても良いが、精神的疲労を感じてしまいぐったりしてしまっている。

(エナと一緒に暮らし始めたら俺はどうなるのだ? 常にこのような緊張があるのは困るぞ。エナと寝るのに慣れると良いのだが……)

 そのようなことを考えながらキーヒは身支度を整えていく。エナはまだ疲労が残っているらしくキーヒが起きても眠ったままである。だが、流石に朝餉は共に食べたいので、

「もう朝だぞ。起きることはできるか?」

 エナの肩に触れて揺らす。その振動でエナは身じろぎをしてぼんやりと目を開く。

「おはようございます、キーヒ様……」

「おはよう。そろそろ朝餉の時間だが、食べられそうか?」

「え!? もうそのような時間なのですか!? アルデリア様の手伝いをしようと思っていたのですが……!」

(なれ)は客人だ。それに儀式の疲労が残っているのは我も母上も承知の上だ。だから、気にしなくて良いのだぞ」

「しかし……」

 エナが落ち込んでしまい、キーヒはどうしたものかと考えあぐねる。エナは寝台から慌てて下りると、

「私の服は昨日お借りした客室にありますから、そこで身支度を整えてきますね!」

 それだけを言うと、エナはキーヒの部屋から飛び出していった。いかづちがその後を追いかけようかとしていたが、キーヒがそれを制し、いかづちは不承不承また床に伏せる。

(気を遣うエナらしいな。だが、もう少し精神的に図太くなっても良いと思うが、そうも上手くいかんのだろう)

 キーヒはいかづちと共にのんびりと食堂に向かった。

 食堂には兄達や父が既に着席していた。アルデリアの使い魔が朝餉をそれぞれの前に置いていく。エナのことが気になっていると、温かな茶が入った茶器をいくつも乗せた盆を持って食堂に入ってきたエナを見つける。エナはトルマや兄達の前に茶を置いていくと、キーヒの前にも茶を置く。

「母上の手伝いができて良かったな」

「はい。急いで着替えたら、なんとか間に合いました。流石にお世話になりっぱなしになるのも悪いですから」

「そうか」

 短く言葉を交わしただけでもキーヒにとっては充足したものを感じる。エナは自分の席とアルデリアの席に茶を置き、いかづちにも挨拶をして盆を仕舞うために台所に戻る。そして、アルデリアと共に食堂に入ってきて席に着く。それからは皆で食事を始めた。

 食事中、トルマがキーヒに問いかける。

「キーヒ、お前がエナを娶るのは構わないのだが、エナの両親に挨拶をしに行かなくて良いのか?」

「それを早いうちにやろうかと思っています」

「それなら今日はどうだ? キーヒは午前は天気の宮殿に行くだろう。今日の昼餉の後なら、私もアルデリアも予定が空いているから皆でエナの両親に挨拶に行くとするか。エナはそれでも構わないか?」

「私の両親も今日は予定がないと思いますので、おそらく大丈夫だと思います。ただ、神々を迎える準備があるので、私は朝餉の片付けが終わったら居に戻りたいです」

「そうか。片付けはアルデリアと使い魔がやるからエナは朝餉を食べ終えたら戻る準備をしてくれ。キーヒはエナを送る時間を工面できそうか?」

「はい、可能です」

「そうか。それでは昼餉の後にエナの居に行くとするか」

「わかりました」

 エナは上品に食事を進めていく。それでもキーヒに迷惑をかけないように急いで食べているように見える。

「そのように急いで食べなくとも良いのだぞ。我も時間はある程度工面できるからな」

「でも、遅くなったらご迷惑をかけるので……」

「だが、(なれ)ももう少しで終わるのだろ? 我もそうだから、気にしなくて良い」

「わかりました」

 エナは素直にキーヒの言葉を受け取り、いつものように充分に咀嚼をして食事を進めていく。キーヒはエナが慌てなくて済むようにのんびり食事を進める。エナもそれに気付いたようで、

「ありがとうございます、キーヒ様」

 にこりと嬉しそうに笑いかけられたので、内心小躍りしたくなっているキーヒであった。

 朝餉を終えると、キーヒとエナといかづちは庭に出る。キーヒは龍神の姿になると、エナといかづちが乗りやすいように体を下げる。一人と一匹が乗ったのを確認すると、人界への門を創り、そこを潜ってエナの居を目指した。

 エナの居の結界を潜り抜け、エナを庭に下ろす。

「送ってくださってありがとうございます、キーヒ様。両親に昼餉の後にキーヒ様達がいらっしゃることを伝えておきますね」

「ああ、頼む。まだ実感は湧かないが、(なれ)と共に生きるための準備だからな。それは謹厳に行いたいと思っている」

「私もです。それでは、また」

「ああ、またな」

「わん!」

 いかづちもエナに挨拶をしたので、エナは優しくいかづちの頭を撫でる。いかづちはそれが嬉しくて尻尾を振っているのがキーヒの背中越しに伝わってくる。キーヒは神界への門を創り、それを潜って天気の宮殿を目指した。

 天気の宮殿では小間使いに確認を取りながら共に雨と雷の魔法式を組んでいく。魔法式に間違いがないか確認をして、キーヒはいかづちを伴って居に戻った。

 居に着くと庭でいつもの剣技の鍛錬をしていく。いかづちは成長したからなのか、雷や水の扱いが上手くなっている。剣技の鍛錬の後、キーヒはいかづちとの連携を練習してみる。いかづちはキーヒとの意思の疎通をとるのも上達したので、キーヒがいかづちに干渉して命令を行えばその通りの行動を取れるようになっている。いかづち自身も負担がないらしく、命令通りに行動が取れると褒められるので、いかづちもやる気に漲っている。だが、まだ成獣ではないためか、すぐに疲れるようである。そこを見極めつつ、キーヒはいかづちと訓練しながら休ませていた。

 アルデアリアの使い魔に昼餉の準備ができたと呼ばれたので、いかづちと共に食堂に向かう。昼餉を食べているとアルデリアに、

「キーヒ、まさかその格好でエナちゃんの居に行くわけではないよね?」

「そのつもりですが、何か問題がありますか?」

「エナちゃんの親御さんに挨拶するのだから、もう少し小奇麗な格好をしなさい。キーヒがエナちゃんを娶るのだから、挨拶の格好は疎かにしてはいけないわよ」

「そういうものなのですね……。昼餉の後に着替えます」

 キーヒは改めて両親の格好を見てみると、普段の服よりも意匠を凝らした服を身に纏っている。確かに、この格好では両親との釣り合いが取れないので着替えるのが良いだろう。

「あと、いかづちはどうするの?」

「連れていきますよ。俺のアラトスでありますし、エナもいかづちのことが好きですから」

「そうなのね」

 ちらりとアルデリアは食堂の隅に置かれた布団の上で横になっているいかづちを見る。

「いかづちも聞き分けが良いから大丈夫でしょう。それにしてもキーヒが兄弟の中で最初に婚姻するとは思わなかったわ。人間を厭っているし、女神に対しても無愛想ですもの。まあ、これで安心できるわね。エナちゃんはしっかりした娘だし」

「そうだな。エナの功績は神界でも認められている。そのような娘がキーヒと共に生きてくれることは僥倖だ」

 トルマとアルデリアはうんうんと二柱共頷きあっている。キーヒは居たたまれなくなってきたので、昼餉を急いで食べ終えるといかづちと共に自室に向かう。

 自室で少し上等で気に入っている服に着替える。それは新年の剣舞の儀で着た衣に似ているもので、黒地に紫の糸で瀟洒な刺繍が施してあるものだった。

「似合っているか、いかづち?」

「わん!」

 いかづちが威勢良く吠える。いかづちの了承も得られたのでキーヒは庭に出る。そこには既にトルマとアルデリアがいた。

「それじゃあ、行きましょうか」

 アルデリアは人界への門を創る。キーヒは龍神の姿になると、背にいかづちを乗せる。

「あら、キーヒがその姿になるのなら、私達も乗せてもらっても良いかしら?」

「大丈夫ですよ」

 トルマとアルデリアが乗りやすいように体を低くし、二柱が乗ったことを確認できたので門を潜ってエナの居を目指した。

 エナの居の前にある門の前に着くと、背に乗っている皆を下ろす。トルマが門扉を叩くと、家令が門扉を開けてキーヒ達を招き入れる。そして、客間まで案内した際に、いかづちも入ろうとしたのを訝しげに一瞥したので、

「我のアラトスだ。部屋の隅で大人しくさせる」

「承知しました」

 家令は丁寧に頭を下げる。

「お待ちしておりました」

 エナの父親がキーヒ達に声を掛ける。エナ達は皆立ってこちらが来るのを待っていてくれたらしい。エナは赤の品の良い衣を身に纏い、髪も丁寧に結い上げられている。キーヒと目が合うとはにかむように笑ってくれたのがキーヒには嬉しかった。

 エナの父親がキーヒ達に座るように促したので着席する。それを見届けてエナの家族も着席する。そこに家令が茶を持って入り、それぞれの前に茶と菓子を置く。

 そして、トルマが口を開く。

「我が息子であるキーヒがそちらの娘であるエナを娶ると決めました。そちらは異論がありませんか?」

「ありません。いつもエナがキーヒ様のことを楽しそうに我々に話してくれます。エナが安心して笑える相手であるキーヒ様がエナを娶ることにこの上なく喜ばしいことです。ただ、エナは我々の元で産まれた娘ではありません。ですが、実の娘として愛し、育んできました。どうか、エナを大切にされてください」

 エナの父親が頭を下げるのに合わせて母親とエナも頭を下げる。

「頭を上げてください。息子のキーヒは人間を厭うことで定評があります。そのキーヒの心を解し、慈しみ深い神にしてくれたエナさんには感謝しております。また、私は縁結びの神をしておりますので、神界及び人界の様々な声を聞く機会があります。エナさんの性格や創具師としての腕前は令名を馳せています。我が家でも率先して私の手伝いをしてくださるので、とても助かっていますよ。本当に素晴らしいお嬢さんを息子が娶ることができ欣幸に至ります」

 (たお)やかな笑みを浮かべてアルデアリアは語る。エナは褒め慣れていないのかアルデリアの言葉に顔を赤くする。それでも、嬉しそうに口角を上げているので、これで良いのだろう。

「キーヒも言うことがあるだろう?」

 トルマに促されてキーヒは何かを言おうと思案する。そして、エナを見つめながら、

「我と共に生きる選択をしてくれたことに感謝する。我と(なれ)とで幸福になれるように努められたら嬉しく思う」

「はい」

 エナはその言葉で新緑を照らす日差しのような温かな笑みを浮かべてくれた。

(気取った言葉は俺は言えないからな……。エナが笑ってくれるだけで俺は満足だ)

 その後は両家で和やかに談笑していった。その場でエナが婚姻の儀をできるだけ早くしたいと珍しく要望を言ってきたので、予定を擦り合わせて一月後に儀を行うことになった。

 夕刻に近づくとキーヒ達は神界に戻った。その夜、通信符越しにキーヒとエナは会話をすることにした。

(なれ)があのような希望を出すとは思わなかったぞ」

『昨日話した不安があるので、できるだけ早くキーヒ様の側にいたいと思ったのです。皆忙しくなると口にしていましたが、やはり迷惑だったのでしょうか?』

「いや、我もなんとか時間は作れるからな。ただ、(なれ)は工房の引き継ぎ等があって慌ただしくなるだろう。そうなると、会うのは難しくなるな」

『そうですね……。それは寂しいことです。ですが、夜なら時間が取れるのでこのように話せると嬉しいです』

「そうか。それなら、(なれ)の希望通りにしようではないか」

『ありがとうございます。会えそうなときはご連絡を差し上げますね』

「そうしてくれるとありがたい。そうすれば(なれ)を迎えに行けるからな」

『そうですね。できるだけ、そのような時間も作れるようにするつもりです。キーヒ様に会いたいですし、少し大きくなったいかづちにも触れたいですし』

「いかづちも(なれ)に会えば喜ぶだろう。それではもう遅いからな。また明日」

『はい、おやすみなさいキーヒ様。また明日お願いします』

 エナとの通信符はそこで光が消える。これからは毎日の行っている魔法式や鍛錬に加えて、婚姻の儀の準備もしなければならない。忙しくなるだろうがこれから待っている幸福を思うと口元が綻ぶキーヒだった。

 次の日はいつものように天気の宮殿で雨と雷の魔法式を組み、自分といかづちの鍛錬を行う。昼餉の後には婚姻の儀で使用する衣装の採寸や打ち合わせ、エナと住む新居の打ち合わせを様々な神と行った。

 衣装の打ち合わせは美を司る女神等が来て話をしたが、あれもこれもと織物や装飾品を勧められてしまい、キーヒは内心うんざりしていた。女神達の行為を無下にしないように耐え、自分は装飾品は無しにしてエナを立てたいと要望を伝えた。女神達は強情なキーヒの態度に負けたので、渋々採寸をして戻っていった。

 新居に関してはトルマとアルデリアと共に家屋の神と打ち合わせを進めていった。昨日、エナの新居の希望は両家で談笑した際に聞いたが、

「あまりこだわりはないですね。敢えて申しますと、新居の隣に工房を置けますと移動が楽になりますから、そうしてもらえますとありがたいです」

 と、言っていたぐらいなので頓着していないらしい。そのため、今の居を参考にして新居を造ってもらうことになった。

 工房に関してはアルデリアとキーヒが協力して神界への門を創って移動させれば良いだろう。神界側ではヒューリデンとキュリアで工房の位置操作等をしてもらえば良いだろう。家族で魔法に卓越しているのがトルマ以外の四柱なのだ。それでなんとかなるとキーヒは楽観視している。エナが神界に住む際の荷物は工房に置いてもらえれば、その際の転移で共に運び出せるので引っ越しも楽になるはずである。

 時間が取れれば昼餉の後にエナと会うこともあった。エナがいかづちを撫で回していると、

「いかづちに干渉して命令を出す訓練をしているが、以前よりも苦痛を感じている様子はないぞ」

「そうなのですか。やはり、成長しないとその辺りは難しいのかもしれないですね」

「我も焦っていたからな……。いかづちは雷と水の扱いは以前よりも格段に上手くなっている。もっと成長すれば、我が扱う魔法と同等かそれ以上の威力の魔法の行使ができるやもしれん」

「それはありえますね。いかづちはキーヒ様のアラトスですから、それぐらいの威力は出せる可能性はあります。それも成長次第でしょうが……」

「そこは気長に待つさ」

 キーヒはからりとした夏の日差しを思わせる笑みをする。エナもそれを見て安心したらしく、ふわりと柔らかく笑った。そして、エナはいかづちを撫でながら懐かしむように、

「子狼だった頃は本当にふわふわで可愛かったですよね。今は毛並みもキーヒ様の(たてがみ)のような色合いになってきて成長しているのが感じられます。私としては小さないかづちも好きですから、少し残念に思っている自分がいます。それでも、キーヒ様が成長されているのだから受け入れるつもりでいますよ。それに、いかづちが成獣になったら、さぞや美しく精悍な狼になるでしょう。今からそれを楽しみにしている自分もいます」

「言いたいことは理解できる。そうだな……。とりあえず、(なれ)は今のいかづちを可愛がってくれ。それがいかづちのためになる」

「そうですね、そうします」

 いかづちも尻尾を振って賛同しているようであった。このような幸福を感じられる日がこれから毎日続くのかと思うと、キーヒの心は期待で占められていた。


*****


 エナは両親と共に婚姻衣装の相談や採寸を行う。エナの婚姻の衣装はキーヒ達が来訪した際に夫婦で色を揃えるので地の色は黒にすることを決めていた。また、婚姻衣装は真紅の糸で繊細な刺繍をふんだんに使うことも決めた。これは一族の色である赤を入れたいというエナの希望であった。女性の職人はエナの話を穏やかに聞いてくれたので、エナも緊張せずに希望を伝えられたと少しだけ自信を持つことができた。

 招待客に関しては近隣の”赤の一族”や”青の一族”を招くことにした。両親が招待客への連絡をしてくれるとのことなので、エナは工房の引き継ぎを行うことにした。

 工房に行き、職人達に婚姻することを伝える。職人達はエナの婚姻を祝福してくれ、別れを惜しんでくれた。そして、職人達はエナが婚姻する程に誰かを大切にできることに成長を感じているということも伝えてくれたので、どこか面映い気持になるエナだった。

 エナは新しい工房長に面倒見が良い壮年の職人を推すと皆賛同してくれた。後は新しい工房長に素材の仕入れや技術を伝えていくだけである。それは大変であるが、エナとの間に通信符を用いて技術の質問をしても良いことは伝えてあるので問題が起こることは少ないだろう。

 エナの工房は神界に持っていくことが可能であるとキーヒ達に言われたので、工房内にある素材や武具を整理してある程度人界に置いていくことにする。その作業はエナしかわからない作業なので整理しながら懐かしむも、黙々と作業を進めていく。

 工房の整理や技術指導で一日が潰れることが多いが、たまにキーヒといかづちに会えるようにすることが活動の源となっていた。技術指導は時間がかかるのでじっくり行わなければならないが、工房の整理は元々整頓していたのもあって、それ程時間がかからなかった。

 ただ、忙しさで疲労が溜まっているのか、不意な眠気に襲われてしまうことがしばしばある。エナはそういう時は工房の卓に突っ伏して寝たり、自室の寝台に横になったりしている。仮眠程度なのですぐに起きられるが、起きた後に何故か倦怠感を感じるので寝ない方が良いのかもしれないと考えてしまう。それでも睡魔に負けてしまい、いつも少しばかり後悔するエナだった。

 そのような忙しい日々を過ごし、後回しにしていた”赤の魔石”への報告を行うことにした。”調停者”を呼び出すと、

「お忙しいところ申し訳ありません。”赤の魔石”に報告することがありますので、魔石達がいる空間まで案内してほしいのです」

「良いわよ」

 ”調停者”は白金色の長い髪を靡かせ、紫紺の瞳でエナを見定めるようにちらりと見てきた。それも一瞬のことで”調停者”は空間の裂け目を創ると、エナの手を取って空間の裂け目の中に入った。

 裂け目の先は魔石が鎮座する広々とした空間があった。エナはいつもこの感覚に慣れなくて混乱するが、頼れる存在がいないので深呼吸をして気分を落ち着かせ、エナは話すべきことを伝え始めた。

「お久しぶりです、”赤の魔石”。今日はご報告がございまして参りました」

「どのような報告ですか?」

 ”赤の魔石”は問う。どこから喋っているのかわからないが、耳に心地良い声が聞こえてくるのでエナは再び言葉を紡ぐ。

「後、半月程で私は神族で雷轟と雨を司る神と婚姻します。エリュイン様との件はご縁がなかったということで。また、婚姻の儀には近隣の”赤の一族”や”青の一族”、またそれぞれの長も出席されるようです」

「神族と恋仲になっている話はエリュインからも聞きましたよ。私達の一族で神族と婚姻するのはエナが初めてですから、どのようなことになるのか楽しみにしています。それにエナが愛した男神と共に生きてくれるのなら、エナも幸福を得られますしね。皆がエナの門出を祝ってくれることでしょう」

 その言葉にエナは冷やりと背筋に悪寒が走った。

(”赤の魔石”はやはり私のことなんて尊重していないんだ。私がキーヒ様と婚姻しても、そこから産まれる子がどのような存在として扱われ、成長するのかを見続けてほくそ笑むだけだろうしね。ああ、私はやはりこのような理から外れた存在から逃れられないのか……。そのようなことにキーヒ様を巻き込みたくないから、できるだけ魔石達とキーヒ様を接触させないようにしないと)

 エナの決心が”赤の魔石”に伝わっていないことを祈りながらエナは頭を下げてこの空間から出ようとしたところ、

「ああ、その婚姻の儀に私と”青の魔石”も出席しますからね。私が直接創り出したエナの晴れ姿を見てみたいと思うのは当たり前です。私も”青の魔石”も問題を起こすつもりは毛頭ありませんから安心してください」

「え」

「はあ!?」

 エナは婚姻の儀に魔石達が参加するとは全く考えておらず、”青の魔石”も”赤の魔石”の考えを今知ったようである。

「赤よ、俺はそのような話を聞いていないし、出るつもりもないぞ!」

「話は今しましたからね。青が出ないのでしたら、私だけで出席します」

「な……! この俺を置いていくのか!?」

「置いていかれることを青は望んでいるのでしょう? 私は共に出席したいと思っていますが、青はそうではないですからね。それならば私だけ出席するのが道理というものでしょう」

 ”赤の魔石”の発言に”青の魔石”は何も言い返せないでいる。

(力関係は対等だと思っていたけど、”赤の魔石”の方が強いのかもしれない。だって、”青の魔石”は何も言えないでいるもの)

 珍しく魔石達が口論をしているのをしげしげと眺めてしまう。”青の魔石”は熟考の末に、

「……わかった。俺も参加する。それで文句ないだろう?」

「ありがとうございます、青。エナ、貴女にまだ言うことがありました」

「何でしょうか?」

「エナ、貴女が廃棄されるようなことにならないことを祈っています」

 それは温和でありながらも、冷酷な言葉にエナは受け止められた。

(”赤の魔石”は私のことを見捨てるつもりなの? 確かに”赤の魔石”からしたら私は所有物だから必要なくなれば捨てるんだろうけど……。やはり私のことを尊重しないから、あまり話したくないな)

 エナは”赤の魔石”にどういう意図で発言したのかと追及したくなったが、どうせ応じてくれないのは経験として知っている。”赤の魔石”の言葉に不穏なものを感じながらも、その感情を無視する。そして、”調停者”に頼み、居まで送ってもらうエナだった。


*****


 エナとの婚姻の儀に向けて最終段階に移っている。新居ができたのでエナに披露すると、物珍しそうに部屋を眺めていき、

「これは立派な家ですね。でも、居心地も良さそうで私は好きですよ」

 エナがそう言ってくれたのでキーヒはそれだけで満足である。キーヒとエナはキーヒの自室で必要な家具や生活必需品を挙げていき、記録結晶にその情報を入れ込んでいく。

「とりあえずは子ができるまではあまり物を増やしたくないですね」

「そうだな。子ができたら、改めて追加で見繕っていくとするか」

 冬が近づいてきて寒さが身に沁みてきたが、そのように新生活について話せるのでキーヒにとってエナといかづちとで過ごす時間は温かなもので満たされていた。

 予定を合わせてキーヒとエナは工芸の神の元に行く。そこでもキーヒとエナの婚姻を祝福されて一柱と一人は少し照れてしまった。

 キーヒは記録結晶に入れてある情報を工芸の神に見せて、作品を見させてもらう。家具や日用品を中心に見ていき、それでエナが気に入ったものを新居で使うように手配していく。エナに相談された際にはキーヒの意見を言っているが、エナは創具師をしているだけあってものを見る目が培われているので、基本的にエナが選ぶもので異論はなかった。ただ、色の好みはあるので、その意見を述べていく。エナはキーヒの意見も取り入れて物品を選ぶので助かっていた。

 必要なものを選び終えたので工芸の神からそれらが届く日数を確認する。キーヒの責務との関係上、昼餉の後に届くようにしてもらった。

 翌日はいつもの責務を終わらせると、鍛錬もせずにアルデリアを連れてエナの元に向かう。すると、エナは寒いのか少し着ぶくれをして工房の前で待っていた。いかづちが尻尾を振ってエナに近づくと、エナはいかづちを愛おしそうに撫でて挨拶をする。

「キーヒ様、アルデリア様。私の工房の引っ越しのためにお呼び立てをしてしまい申し訳ありません……」

「良いのよ、エナちゃん。エナちゃんが使い慣れた工房を持っていきたいと思うのは理解できるもの」

(なれ)の引っ越しの荷物は全て工房内にあるのか?」

「はい。必要な衣類や日用品等は箱に入れて工房の中に置いています」

「そうか。それなら良い」

 キーヒが工房の扉に札を貼り、そこに立つ。そして、アルデリアが工房の裏手に回ったのを確認するかのように、

「準備は宜しいですか、母上!」

「大丈夫よー!」

 その声を切っ掛けとし、キーヒとアルデリアは同じ口上を述べていく。そして、工房を中心に複雑な文様の陣が形成されると、工房は一瞬で消えてしまった。

「おお、工房が見事になくなりました……」

「工房の置き場は対になる札を新居の隣に置いたから、そこに運ばれている。位置の微調整はヒューリデン兄様とキュリア兄様が行ってくれているはずだ」

「そうなのですね。それにしても、引越し作業がすぐに終わって少し拍子抜けしています」

「いちいち神界に荷物を運ぶのは面倒だからな。工房内に入れておけば一気に運べて楽になるというものだ」

 からからと夏の日差しのように笑うキーヒをエナは眩しそうに見た。

「そういえば、(なれ)は昼餉はどうするのだ?」

「家で食べようと思っていましたが、そうなるとキーヒ様がまた人界にいらっしゃらないといけないから大変ですよね」

「いや、門を創るだけだからな、そうでもないぞ。神界に住むとなると、人界に戻る機会があまりないだろうから、今はできるだけ親との時間を楽しんでくれ」

「わかりました。それでは昼餉の後で迎えに来てください」

「ああ、わかった」

 キーヒは龍神の姿になると、いかづちとアルデリアを乗せて神界への門を創り、それを潜って神界に戻った。

 居に戻り、人型になると昼餉の時間になっていた。キーヒはいかづちとアルデリアと共に食堂に向かう。食堂にはトルマと兄達が既に着席していた。

「キーヒ、工房の位置とか向きとかで問題があれば言ってくれ。そういう調整は俺と兄様とでやるから」

「わかりました、キュリア兄様。昼餉を食べ終えたらエナを迎えに行くので、その時に確認してもらいます」

「わかった。おそらく大丈夫だと思うが、エナも創具師であるから何かしらのこだわりがあるかもしれんからな」

「そうですね」

 アルデリアの使い魔が温かな昼餉を持ってきたので、それを皆で食べ始めた。

 昼餉を終えると、キーヒは庭に出る。エナを迎えに行くだけなので、龍神の姿にならないでも構わないと判断するが、足元にいるいかづちが期待を込めてこちらを見ている。

「……いかづちもエナを迎えに行きたいのか?」

「おん!」

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに威勢良く吠えられた。エナを神界に連れてくる際に龍神の姿になるので、いかづちを連れて行くのに今龍神の姿になっても構わないと判断し、キーヒは龍神の姿になる。少し体を低くすると、軽やかにいかづちは跳躍してキーヒの背中に乗ってしがみつく。

(いかづちもエナのことを気に入っているからな。連れて行くのは(やぶさ)かではないから構わんか)

 そのまま人界の門を創って潜る。そして、一柱と一匹はエナの居を目指した。

 エナは庭で小さな鞄を持って待っていた。荷物は運んだのに、鞄を持っている意図が汲めず、

「その鞄は何なのだ?」

「これですか? 引越し作業の休憩の合間に皆で食べようと思っている菓子と水筒を入れています」

「我の居で茶ぐらい出すから気にしなくて良いのだが……」

「それも少し気を遣ってしまいますし、私はキーヒ様といかづちとでのんびり過ごせたら良いなと思っていましたから」

「そういうことなら、きりの良いところで休憩するか。では、神界に向かうから我の背に乗れ」

「わかりました」

 キーヒはエナが乗りやすいように体を低くする。エナが乗ったのを確認すると、神界の門を創って、そこを潜った。

 エナとキーヒの新居に着き、キーヒはエナといかづちを下ろす。そして、人型になると、

(なれ)の工房を新居の隣に置いたが、何か気になることがあれば言ってくれ」

「わかりました。先にそちらを確認してきますね」

 エナは工房の方に歩いていく。それに従ってキーヒといかづちも続く。エナはぐるりと工房の外側を確認しながら回り、中に入って工具や素材を確認していく。キーヒは何をしているのかいまいち把握できていないが、いかづちはキーヒとエナが揃っているのが嬉しいらしく、楽しそうにエナの後ろを歩いてついてくる。

 エナはひと通り見てきたらしく、キーヒの元にやって来て、

「工房の方は大丈夫そうです。問題もなさそうですから良かったです。それでは私の荷物を新居に運んでいきますか?」

「そうだな。工芸の神に頼んでいた物もそろそろ来るだろうから、待ちながら(なれ)の荷物をそれぞれの部屋に共に置いていくか」

「手伝ってくださってありがとうございます、キーヒ様。そういえば、キーヒ様の荷物はどうされたのですか?」

「ああ、今住んでいる居の隣に(なれ)との新居を建てることにしたのでな、母上の使い魔に手伝ってもらいながら我の荷物は既に運び込んだぞ。だから、後は家具が来て仕舞い込むだけだ。足りない日用品も記録結晶に記載して後日見に行くとするか」

「そうなのですね。今日、足りないものの確認はできるかどうかわかりませんので、そうしてもらえますとありがたいです」

「そうだな。ああ、そういえば母上が使い魔を貸してくださると仰っていたぞ。引越し作業の手伝いにはなるだろうと」

「手が多くなるのは嬉しいです。では、お言葉に甘えましょう」

「それなら借りてくるぞ」

「はい」

 キーヒは居に戻ってアルデリアから使い魔を数体借りることにした。アルデリアも快諾してくれたので、使い魔といかづちを伴って新居に戻る。その間にエナが一人で運べそうな荷物を新居に運んでいたらしい。使い魔は二体一組でエナの荷物を新居に運んでいく。その指示はエナが行っているので問題はないだろう。

「キーヒ様はいらっしゃいますかー?」

 間延びした声が玄関から聞こえてきたのでキーヒはそちらに向かう。そこには大量の荷物を台車に乗せてきた工芸の神がいた。

「頼まれていた物を持ってきました。簡単で良いので確認してもらっても宜しいですか?」「ああ、わかった」

 キーヒは家具を購入した際の記録結晶を展開し、書き込んだ情報と照らし合わせて荷物を確認する。不備はなかったが、敷布等の日用品のいくつかが多く入っていた。それを不審に思い、

「日用品が頼んでいたのよりも多く入っているようだが、どういうことだ?」

「ああ、それですか。キーヒ様が婚姻されるので、消耗品になり得る物は私からの祝いの気持として多く入れているのです」

「そういうことなのか。それならありがたく使わせてもらう」

「ありがとうございます。それでは家具を入れていきますね」

 工芸の神は使い魔に家具を運ばせていく。家具の位置はエナと決めていたので、キーヒの指示で家具が新居の中に運び込まれていく。エナは箪笥や棚が運ばれていくと、その中に相応の物をアルデリアの使い魔と協力して仕舞っていく。その作業も手際良く済ませられたので、引越し作業は思ったよりも早く終わった。

 キーヒは食卓の椅子に座ると、その足元にいなづまが伏せる。エナは茶を淹れ、キーヒとエナの前に茶器を置く。一柱と一人は対面に座る形になる。エナは鞄から包みを取り出し、卓の上にそれを広げる。

「これは昨日私が作った焼き菓子です。見た目が悪いのは相変わらずですが、味は美味しいですよ」

「それでは戴くとするか」

 キーヒは一つ焼き菓子を取り、齧る。ほろりとした食感が口に広がり、その味は以前エナに食べさせてもらった焼き菓子と同じ味がして懐かしさを感じた。いかづちは焼き菓子の匂いを嗅いで、卓の下から出てきてエナの方に寄って焼き菓子を催促している。エナは半分に割った焼き菓子をいかづちに渡し、もう半分をエナが食べていく。いかづちは相変わらずエナが作る焼き菓子が美味なのか、尻尾を振って口の周りを舐め回している。

「いかづちは本当に焼き菓子が好きなのね」

 温かな笑みを浮かべてエナはいかづちの頭を撫でる。いかづちはもっと撫でてほしいらしく、エナの手に頭を擦りつけている。そのような微笑ましい姿を眺められてキーヒの胸の中には温和な気持が広がっていた。

 少し時間があったので、エナと相談しながら足りないものを記録結晶に記載していく。数日後には婚姻の儀なので、足りないものはキーヒが調達することにした。

 エナが細かい生活の相談をアルデリアにしたいと言っていたので自居に向かう。アルデリアは夕餉の支度をしているので台所にいると使い魔が言っていたので、エナは台所に向かう。それを見送ってキーヒは自室に戻る。

(この部屋を使うのも後数日か……。新居がいくら隣にあるからといって、エナを置いて戻るわけにはいかないからな。名残惜しいがこれから婚姻の儀まで慌ただしいから感傷に浸る暇もなさそうだ)

 荷物を運んで簡素な部屋になった自室を見ながら寝台に座る。いかづちはキーヒの足元に伏せており、少し眠たげな目をしている。戦に関する記録結晶をまだ見終えていないので、それを見ながらエナを待つことにした。

 しばらくすると扉を叩く音がした。

「キーヒ様、いらっしゃいますか?」

「ああ、いるぞ」

 エナが扉を開けるとその後ろにはアルデリアの使い魔に似た使い魔が複数いた。それを不思議に思ったのでキーヒはエナに訊くことにした。

「その使い魔はどうしたのだ?」

「アルデリア様に創り方を教えてもらいまして私が創りました。核となる魔具は持っていたのですが、肝心の使い魔の創り方を把握していなかったので……。私の指示に従ってこの子達が家のことを手伝ってくれます。とりあえずは、新居の掃除を頼んでいます。他にも生活面で気になったことをアルデリア様に相談できたので良かったです」

「そうか。(なれ)はもう居に戻るだろう?」

「はい。引越し作業も完了しましたから」

「それなら送っていくぞ」

「ありがとうございます」

 キーヒ達は庭に出ると、いつものようにキーヒは龍神の姿になる。その背にいかづちとエナが乗ったので、人界への門を創り、そこを潜る。

 エナの居の庭に着くとエナを下ろす。

「婚姻の儀まであと数日だ。それまでは互い己の家族を大切にしようではないか」

「はい。慌ただしくなりますし、婚姻したら私もあまり人界に戻ってこられないでしょうから、今は両親と共に楽しく過ごせるようにしますね」

「そうしてくれ。それではまたな」

「きゅふうん……」

 いかづちが鼻を鳴らすのでエナは優しくいかづちの頭を撫でる。

「それでは、また。時間が合いましたら、通信符で話しましょう」

「ああ、そうしよう」

 そして、キーヒといかづちは神界に戻っていた。

 それからの数日は毎日の責務である雨や雷の魔法式を組み、鍛錬を行っていった。余った時間に婚姻の儀で使用する衣装の試着を行った。衣装は黒地に紫の光沢や金色の刺繍があるので新年の剣舞の儀を彷彿とさせる。そのときの衣装よりも華美であるが、キーヒの褐色の艶めかしい肌にはとても似合っている衣装であった。

(あれから一年も経っていないのか……。それなのにエナとはとても長い付き合いがあるように感じられる。それもエナの愛情があるからだろうな)

 春陽のような温かな笑顔のエナが思い浮かぶ。それだけで胸がじんわりと温かなものに包まれるのだから、エナの影響は大きいものである。

 夜は通信符を使って簡単にその日にあったできごとを話している。エナも婚姻の儀で使う衣装の試着をしたらしく、

「とても綺麗な衣装でキーヒ様に来ている姿を見せるのが楽しみです。その日は化粧もしてくれるらしいので、どのような姿になるのか期待しています」

 エナが珍しく喜悦を込めた声で語るので、キーヒはその日を楽しみにしていた。

 婚姻の儀の前日の夕餉はキーヒの好物が並んでいた。そして、家族皆がキーヒの新たな門出を祝ってくれた。

 翌日は早いので、キーヒは簡単にエナと通信符で会話をして寝台に横になる。そして、明日からずっと隣にエナがいてくれることに愉悦を感じていた。

 早朝、キーヒは朝餉を食べずに天気の宮殿に向かおうとすると、いかづちもついてこようとするので龍神の姿になり背にいかづちを乗せて宮殿に向かう。

 そこで小間使いと確認しながら雨と雷の魔法式を組んでいく。それが終わればすぐに居に戻る。朝食を食べる暇がないまま、キーヒは美の女神達に連れられて婚姻の儀の衣装を身に纏っていく。そして、髪も整えられた。キーヒがされるがままであるのをいかづちは不思議そうに眺めていた。

「キーヒ様。もし宜しければこちらをキーヒ様のアラトスにおつけください」

 美の女神に渡されたのはキーヒの衣装で余った生地を使って作られた華やかな首紐だった。それをつければ確かにいかづちも様になるだろう。キーヒはいかづちの首にそれをつけると、いかづちは煩わしそうに後肢で首を掻いていたが、

「いかづち、その姿を見ればエナも喜ぶぞ」

「ふぅん……」

 なんとも言えない鳴き声を出し、いかづちは渋々了承する。キーヒも準備が整ったので玄関に向かうと、そこにはトルマとアルデリアが着飾って待っていてくれた。いかづちも今日は特別なことがあるとわかっているのか、少しそわそわと動き回っている。

「いかづちも連れて行くのか?」

 トルマがそのように尋ねると、

「ええ。いかづちは俺のアラトスですから。それにエナも気に入っています。俺にとっては家族──いえ、子のようなものですので」

「そうか。キーヒがそのように言うのなら仕方がないな」

 門では馬車が二台待機しており、一台にキーヒといかづちが乗り込み、もう一台の方にはトルマとアルデリアが乗り込む。この馬車は空間を渡るために主神の加護を得られた馬車だ。これで男神の元から嫁いでくる女神や娘の元に行くのが通例だ。そして、馬車に繋がれた馬が嘶き、動き出した。

(もうすぐエナに会えるのだな……。胸が高鳴っている。このような高揚した気分になるのは久しぶりだ)

 キーヒはそのように考えながら、エナに会えることを楽しみにしていた。

 馬車がエナの居に着くと、門の前でエナとその両親が待っていた。エナは黒地に赤の繊細な刺繍がふんだんに施された花嫁衣装を身に纏っている。柔らかく、漆黒の髪は結い上げられ、以前アルデリアが渡した髪飾りを付けている。薄く化粧もしているらしく、普段の幼さはなくなっているように見えた。

 キーヒは馬車から降りると、エナの側まで行きその手をとる。そして、同じ馬車に入る。エナの両親はキーヒの両親と同じ馬車に乗り込んだ。そして、馬車はゆっくりと動き出して、神界に向かった。

 その道中、

「その衣装を(なれ)が楽しみしていたのも理解できる。とても似合っているぞ。それに母上が渡した髪飾りをしてくれているのだな」

「アルデリア様から折角戴いたものですからね。こういうときぐらいしか使い道はありませんので使えて良かったです。化粧もしてみましたが、いかがですか?」

「……いつもよりも大人びて見えるぞ」

 はにかみながらこちらを見てくるエナの姿が愛らしく感じてしまい、妙に面映くなりエナのことを見られないでいた。

「すまない……。(なれ)を見ていると抱きしめたくなるから、あまり(なれ)のことが見られない。もしかして、寂しい思いをさせているか?」

「いいえ。私もキーヒ様がいつもよりも素敵ですから、見ていると胸が高鳴ってしまい同じような気持になりますから……」

「そうか」

 いかづちが自分の首紐を見せつけるようにエナに近づく。

「いかづちの首紐はキーヒ様の衣装と同じ布を使っているのですね。似合っているわよ、いかづち」

 自慢げないかづちの頭を優しく撫でるエナはいつものエナであった。

(婚姻して変わることもあるが、基本的には変わりはないはずだ。エナもそうであると信じたいものだ)

 二台の馬車は主神の宮殿に辿り着く。そこで皆馬車から降り、婚姻の間に向かう。そこでは招待客が椅子に座っており、主神が奥まった台座の上からキーヒとエナを慈しむように眺める。

 キーヒはエナの手を取り、主神の前まで向かう。エナが緊張した面持ちでいるので、キーヒは小声で、

「大丈夫だ。我が隣にいる」

 エナは軽く目を見開くと、柔らかな日差しの思わせる笑顔をキーヒに向ける。

「はい」

 その小声でありながらも意志を感じられる返事でキーヒも安心できた。一柱と一人が主神の前まで来ると、頭を下げる。

(おもて)を上げよ」

 キーヒとエナはその言葉で主神を見つめる。

「雷轟と雨の神であるキーヒと”赤の一族”であるエナが婚姻することを認める。神族と魔石の一族の婚姻は初であるが、お主等の前途が幸多きものになるよう、我が加護を与えよう!」

「そのお言葉、幸甚であります」

 キーヒが恭しく頭を下げるので、エナもそれに倣って頭を下げる。

「今日は新たな門出を祝う日だ。各々楽しんでもらいたい」

 主神がそのように言葉をキーヒ達に渡すと、台座から袖に向かう。それを見送るとキーヒとエナは顔を上げる。そして、客人達に向かってキーヒが朗々と、

「今日は我々の婚姻の儀を見届けてくださり感謝します。これからは歓談いたしましょう」

 その言葉で用意された料理が次々と運ばれてくる。美の女神がキーヒ達に飲み物を渡す。

「それでは挨拶していくか。(なれ)は大丈夫か?」

「はい、大丈夫です」

 新たな夫婦となったキーヒとエナは招待した客達に挨拶していった。神と魔石の一族がこのように一堂に会することは滅多にないので、客同士で思い思いに語り合っていた。

 ”赤の一族”の長であるキーヒと見た目の年齢が変わらない温和そうな男からは、

「あの内気なエナの幸福な姿が見られて良かった。これからは大変かもしれないが、楽しく人生を歩んでくれ」

 ”青の一族”の長である男に挨拶をしにいくと、キーヒは苦虫を噛み潰したような顔になる。

「……(なれ)が”青の一族”の長だったのか、エリュイン」

「そうですよ。エナ、気難しい神であられるキーヒ様だが、上手くやっていくことを願っている。なに、俺の方はそのうち惚れてくれる女が現れるから心配しないでくれ」

「はあ……」

 その言葉に対してどのように返して良いのかわからないのでエナは曖昧な返事をした。その後はキーヒとエナは別れて、それぞれの招待客と話し込んでいく。キーヒが世話になった武神からは、

「エナのことを幸せにしてくれえええええ! キーヒいいいいい!」

 と、おいおい泣きながら言われてしまい、その場で固まってしまったキーヒであった。エナの方を見ると、両親と共に招待客と睦まじく歓談しているようである。それを見てキーヒは安堵した。

 宴も(たけなわ)になった頃、エナが一人になったのでそちらに向かおうとしたら、黒く豊かな黒髪をした女と、長駆でありながらも筋骨隆々である金髪の男がエナの元にやって来た。エナが強張った顔をしたので、キーヒはいかづちを連れて即座にエナの元に向かった。

 キーヒ達が来てくれたことでエナが安堵の息を吐く。キーヒはエナを庇うように立つと、黒髪の女が紅玉のような瞳をしており、その容貌がエナに瓜二つなことに驚愕した。男の方をちらりと見るとエリュインに似たような風貌をしており、青玉の瞳をしていた。キーヒは振り返ってエナを見ると、蒼白した面持ちでこの招かれざる客を見ていた。

 女はエナとキーヒの様子を意に介さず、至極穏やかな声音で、

「貴方がキーヒなのですね。なるほど、エナが気に入るのもわかります」

 女は(たお)やかに笑っているが、それが作り物めいたものに感じてしまいキーヒは不快感を顕にする。女はそれでも笑顔を崩さないまま続ける。

「エナのことをお願いしますね。なにせ、私が久しぶりに創り出した子ですから」

 女は優雅にキーヒに頭を下げる。そして、下賤なものを見るかのようにこちらを睨めつける金髪の男に向かって、

「私の用事はこれで終いです。戻りましょう、青」

 女に促されて、エナが警戒する男女は宴から去っていった。『青』と呼ばれた男は終始キーヒに殺気を向けていたので、いかづちも小さく唸っていた。

 異様な男女が見えなくなったところで、キーヒはいかづちを落ち着かせ、エナに向き直る。

「あのような者達を招いた記憶はないぞ。あやつらは(なれ)の知り合いか?」

「あの人達は……、”赤の魔石”と”青の魔石”です。人型をとっているのは初めて見ました」

「あれが噂のか……。(なれ)の顔色が悪いぞ。何か言われたのか?」

「いえ、何でもありません」

 キーヒを安心させるようにエナは微笑みを浮かべる。だが、その表情が少し強張っているので、エナが無理をしているのがキーヒにはわかった。

(なれ)は無理しているではないか。もう宴も終わる。そうしたら、心を休めるためにも新居に戻ったらすぐに湯浴みしろ」

「わかりました……」

 宴の進行を行っている神にキーヒは呼ばれたので、宴の締めの挨拶をする。そうして、招待客の拍手に見送られながらキーヒとエナは宴の間から出ていく。その後ろを軽快にいかづちがついて歩いていた。

 主神の宮殿から出ると、キーヒは龍神の姿になる。そして、エナといかづちを乗せると新居に向かった。

 新居に着くと、エナが使い魔に指示を出して湯浴みの準備をする。エナはキーヒを気遣うように、

「キーヒ様もお疲れでしょうから、キーヒ様が先に湯浴みをされませんか?」

「疲れているのは(なれ)も同じだ。湯浴みをしたら気分も入れ替わるだろうから、(なれ)が先に入れ」

「そこまで仰るのなら、先に入りますね」

 エナは寝室から着替えを持って浴室に向かった。

(俺は清めの魔法を使えば良いか。今日は湯浴みをする気力が湧かんからな)

 キーヒは短い口上を唱えると、体から汚れが落ちてさっぱりとした感覚になる。エナも儀式で舞いを奉納するので清めの魔法は使えるはずだ。それをしないで湯浴みをするのは、エナが湯浴みをするのが好きなのかもしれない。もしくは湯浴みが習慣となっているので、それをしないと気分が落ち着かないかもしれない。

 キーヒは部屋着に着替えると、真新しい寝台に横になる。一人で使っていたものよりも幅広いこの寝台に寝転がると、妙に胸が高鳴ってしまう。

(エナは一儀のことを知っているのだろうか?)

 この間、エナを抱きしめて寝たときのことを思い出すと、エナはそのような知識がないように見えた。だが、婚姻するので一儀に関する知識は今はあるかもしれない。

(あまり怯えさせるような真似はしないようにしないとな……)

 くあっと欠伸をすると寝返りを打つ。

「入りますね、キーヒ様」

 エナが湯浴みで体が温まったのか、頬が紅潮している。エナは鏡台の前に座ると一通り髪を梳き、水退去の魔法を使って髪を乾かす。

(なれ)はその魔法をを使いこなせているのだな」

「そうですね。難しい魔法ではなかったので。キーヒ様は湯浴みをされないのですか?」

「我は構わん。先程、清めの魔法を使ったのでな」

「そうなのですね……。私も旅をしているときは清めの魔法を使っていました。やっぱり体を清潔に保ちたいですし、さっぱりしますから便利でした」

「だろうな。我は疲れているときや時間がないときは清めの魔法で済ませている。とりあえず、(なれ)も座らんか?」

 寝台の縁にキーヒが座ると、寄り添うにようにエナも座る。いかづちは寝台の側でキーヒ達を伏せたまま見つめている。キーヒは自分らしくもなく緊張して喉が乾いたままエナに話しかける。

「……(なれ)はこの後のことは理解しているのか?」

「はい……。母様に色々教わりました」

「そうか」

 エナは湯浴み後とは異なる意味で頬を紅潮させて緊張している。キーヒはエナの腰に手を回して抱き寄せる。そして、いかづちの視線に気付いてしまい、居心地が悪くなった。キーヒはエナにある提案をする。

「なあ、いかづちをしばらく部屋から出しても構わんか?」

「えっと、はい、大丈夫です……。流石にいかづちに見られるのは恥ずかしいですから……」

「すまない、いかづち」

 キーヒは立ち上がって部屋の扉を開けると、いかづちに廊下で待つように促す。いかづちは主であるキーヒの言うことを聞いてとぼとぼと廊下に出た。

「終わったら招き入れいるから、そこで待っていてくれ」

「きゅふん……」

 了承だが寂しさが込められた鳴き声を出すいかづちだった。キーヒは寝台に戻りがてら、寝台側の照明魔具以外の照明魔具を消灯していく。薄暗くなった部屋の中、改めてエナの隣に座る。

「それでは改めてだな」

「はい……」

 キーヒとエナは口づけを交わし、一儀をした。

 初夜を終え、キーヒとエナは寝台で寄り添うように向かい合って横になっている。

「我は(なれ)にどのようなことがあったとしても、(なれ)の側にいるからな」

「はい……。こちらこそ、宜しくお願いします」

 一柱と一人は額を合わせて嬉しそうに笑い合う。

 そのとき、扉の外からきゅんきゅんと甘えるような声が聞こえてきた。キーヒは名残惜しく寝台から立ち上がると扉を開ける。そこには行儀良く座っているが不満げな瞳をこちらに向けるいかづちがいた。

「もう終わったから入って良いぞ、いかづち」

 いかづちはその言葉で寝台の側にひっついて寝る。エナは部屋着を着ると寝台を下り、いかづち用の布団を寝台の隣に敷く。

「いかづち、ここなら大丈夫でしょ?」

 いかづちは尻尾を振りながらその布団の上に伏せる。いかづちもどうやらキーヒとエナと寝たかったらしい。キーヒはその甘えたがりないかづちに苦笑し、エナは優しい微笑みを浮かべる。

 キーヒとエナは寝台に寄り添うように横になる。キーヒが寝台横にある照明魔具を消すと部屋の中に心地良い闇に包まれた。

「キーヒ様」

「どうした?」

 エナが遠慮がちに声をかけてきたので、キーヒはぐっと抱き寄せて安心させる。エナはそれで安堵したのか、いつもの柔らかな声音で、

「これからキーヒ様と共に生きていけるのが夢のようです」

「夢ではないぞ。なにせ、この温かさを共有できているのだからな。これからもいかづち共々頼むぞ」

「はい。……キーヒ様は私が悪いことをしたら叱ってくれますか?」

「勿論だ。それは(なれ)が以前話してくれた懊悩に繋がるのだろう?」

「そうです……。私は私でなくなったときに何をしでかすのかわからないのです……」

「そうか。あのときも言ったように、そうなった際は我といかづちとで止めるとも。勿論、(なれ)が何かに取り憑かれたようになったら、本来の(なれ)に届くまでいくらでも叱責してやる」

「ありがとうございます、キーヒ様。私はその言葉だけで安心できます」

「もし(なれ)が不安に苛まれるのなら、いつでも(なれ)のことを抱きしめて安心させてやるとも。(なれ)が懊悩を吐露したいのなら、我はそれに耳を傾けるとも。だから、我と生きてくれ」

「はい……、キーヒ様」

「今日はもう遅い。(なれ)も疲れただろう? 明日からは新しい生活になるから、今日はもう寝るぞ」

「そうしましょう。流石の私も緊張しましたから疲れてしまいました。おやすみなさい、キーヒ様」

「ああ、おやすみ」

 エナはすぐに寝息を立てる。婚姻の儀や一儀で疲労が溜まっていたのだろう。いかづちも寝ている気配がする。

(今日は色々あったな。それでも、エナとこれから過ごせるのは幸福なことだ。その幸福を崩さないようにしなくてはな)

 キーヒも疲労で眠気が来たので、明日からの日々を楽しみにしながら眠りに落ちた。

後一話で終わる予定です。

コミティアで幕間の話を入れて本にしようかと思っています。

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