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赤と雷雨  作者: 芽生
1/11

芳春

雨と雷を司る神であるキーヒが新年の人界との友好関係を示す儀に渋々参加することになった。

主神からは気に食わなければ人界の代表である娘を殺しても構わないという条件で参加することになった。

そして、キーヒは豪奢な衣装を身に纏い、仮面を被り舞台に立つ。

舞台では娘と共に剣舞を行いつつ斬り結び、それに充足感を感じるキーヒであった

 雪深く、まだ夜明け前なのにバタバタと周囲が慌ただしく働きまわっているのを男神は意匠が凝らさた椅子に座り、不貞腐れた面をしたまま頬杖をついて眺めていた。男神は今は人の姿を取っており、両の蟀谷(こめかみ)から後ろに向かって流麗な黒曜石の輝きを持つ角が生えている。また、褐色の艶めく肌、怜悧な目元、通った鼻梁、薄い唇等が主神が采配したかのように整った位置にあるためか、ちらちらとこちらを女神達は不躾に見ながら通り過ぎていくのが煩わしくて堪らない。

(苛ついて苛ついてどうしようもないな……)

 男神は大きな溜息をつくと、椅子から立ち上がる。気晴らしに外に出ようとしたところ、

「お待ち下さい! もう着替える時間ですよ!」

 危うく舌打ちをしそうになったが、それをすんでのところで堪える。自分に仕えている小間使いの男神が目敏く自分がこの部屋からいなくなるのを察知して苦言を呈してきた。男神は頭を後ろに向けて子供が悪戯をしに行くのが見つかったかのように、

「……すぐに戻るつもりだ」

「そう言って、今まで練習に参加してこなかったじゃないですか! 今朝がその本番なのですよ! この名誉ある役割を担われたのですから、その自覚をお持ちください!」

 小間使いは縋るように男神に言ってくる。それを無下にすることは容易である。だが、主神から賜った役目を果たすのが今日であることは男神は知っているのだが、正直不満があった。

(何故、人間嫌いの俺にこの役割が回ってくるのだ? このような役割なら人間に友好的な神に任せるのが道理だろ……)

 小間使いが平身低頭し、ここに男神がいるようにと言ってくる。流石にそれを見て哀れに感じてしまい、男神はどっかりと椅子に座り直す。

 足を組んで衣装の準備が整うまでこのようなことになった経緯を思い出し始めた。

 確か、昨年末の話である。主神に呼び出されてその御前に拝した際に、主神からこのように言われたのだ。

「キーヒよ、お主の剣の腕前は他の武神と比しても遜色ない。いや、むしろ上回っているという話ではないか」

「ありがたきお言葉、恐悦至極であります」

 男神──キーヒは主神にまで自分の剣の腕前の噂が届いていることを誇らしく感じていた。いつも鍛錬を怠らなかったおかげか、今では武神と剣で戦えば相手を叩きのめすことがほとんどであった。

「そこでな、毎年行われている新年の剣舞の儀式があるが、神界側の代表としてキーヒを推したい考えているのだ」

「は!?」

 キーヒは思わず顔を上げる。主神の言葉に信じられないと悲壮感漂う表情をしてしまっていた。呆然としながらもキーヒは必死に頭を動かす。

(冗談じゃないぞ。あの儀式は私からしたら意味がないものだ。それにだ──)

「まあ、キーヒがその役割を担いたくないのもわかる。キーヒの人間嫌いは神界でも他の追随を許さないものだからな」

 キーヒの殺気にも似た怒気を正面から受けながらも、主神はのんびりと言葉を紡いでいく。この主神も武神として名高いが、キーヒは畏れ多いので主神と訓練で戦ったことがない。その主神から剣技の腕前で推されるのは光栄である。光栄であるが、人間を嫌悪をする感情があるために栄光ある役割だと理解しても自分の中で軋轢が生まれてしまうのだ。

「キーヒよ。我々神界に存在する神々は人間の信仰が無ければその力をたちまち失う危うい存在であるのだ。人間は信仰の代償に我々から力を授けられている。そのように考えれば人間と我々神は共存関係でもあるのだ。キーヒもその信仰を受けて力を授かっているだろう?」

「……そうです。そうですが、やはり私にはこの役割は自分には荷が重すぎます。他の神を推してくださるよう上申します」

「そうか……」

 ほう、と主神は息を吐く。それでキーヒは主神の機嫌を損ねたと思い知った。だが、あの新年の剣舞は神と人間が友好関係を結ぶための催し物だ。神と人間が近づき、お互いに友愛があることを示すために神界の代表と人界の代表が共に剣舞を行うのだ。

 幼い頃のキーヒはその綺羅びやかな舞が好きで両親や兄弟と共に見るのが楽しみであった。だが、自分も神としての役目を果たすようになると、人間の身勝手さにほとほと嫌気が差してしまうようになってしまい、その舞を見ることも無くなっていた。

 キーヒが床に両膝を付け、額を床につけんばかりに頭を下げている。

(主神の意に背くことになったのだ。神としての権能を奪われても文句も言えまい。そうなれば、ただ消滅するだけの運命だ。父や母には申し訳ないが、そうなった場合は受け入れてもらうしかない)

 キーヒは両親に申し訳なくなり、己の消滅を覚悟していた。だが、主神はキーヒのそのような様子とは異なり、穏やかにキーヒに語りかけてくる。

「キーヒよ、お主は神としてよく働いてくれている。お前は雨と雷を司るため、天気を操作する場にいるが、それでも鍛錬を怠らない禁欲的な態度は気に入っている。勿論、他の武神と鍛錬と称して戦って勝ち続けていることもな」

「……」

 主神が何を言おうとしているかわからず、キーヒは戸惑いながらも床を見詰め続ける。いつ自分の権能が剥がされても良いように覚悟を決めているのだが、一向にその気配も無い。不審に思いながらもキーヒは主神の言葉に耳を傾ける。

「キーヒよ、お主の相手になる武神は私以外にはいないのだろう?」

「それは……」

 確かに一通り武神と呼ばれる神々と戦い、キーヒは勝利を収めてきた。たまにキーヒの噂を聞き手合わせをしたがらない武神は不戦勝扱いにしているので、間違ってはいないはずだ。そのため、キーヒが戦っていない武神は主神であるこの存在だけだ。だが、主神と剣を交えるのは畏れ多いので最初から戦うことは考えていなかったのだ。だから、キーヒは主神からの質問に言葉を濁すしかなかった。そのようなことしかできない己を情けなく感じてしまい、自分を殴り飛ばしたくなるが、今は主神が何を言わんとするかを理解することが先決である。そのため、キーヒは主神の言葉を待つことにした。

 主神はそのようなキーヒの態度を鷹揚に受け入れると、

「まあ、私と戦うとなると神界に影響が出るやもしれんからな。その決断は英断と言えよう。さて、キーヒよ。お主は最近つまらなさそうではないか」

「そのようなことはありません!」

 思わずキーヒは顔を上げて否定する。壇上の椅子に座った主神は面白そうにキーヒを見下ろして、

「勿論、懸命に己の責務を果たしているのは耳にしている。雨は人の営みに必要であり、雷は神の威厳を知らしめるのに必要なものだ。その采配は見事なものである。だが、手合わせできる武神がいなくてつまらなさそうにしていると他の神々が口にしているぞ」

「……そのような噂が立っているのですね。その噂は真でありますが……! 武神と手合わせをしようとしても、私に負けたことがあるためか避けられるようになっております」

 主神はその言葉に薄っすらと目を細める。今から告げる言葉を楽しみにしていたかのようであり、嬉々としてキーヒに語りかける。

「なあ、キーヒよ。私以外にお前と同等以上の剣の使い手がいるとすれば、その者と手合わせをしたいだろう?」

「それは、そうですが……。そのような存在がいますでしょうか?」

「ああ、いるとも。その者と手合わせをしたいか?」

「可能であれば」

 キーヒの顔は期待で輝かんばかりであった。今まで武神に頼み込んでも梨の礫であったが、主神が推すのならどのような存在とでも構わなかった。

「キーヒならそう申すと思ったぞ。だから、新年の儀式には出るが良い」

「……それがどのようにして手合わせの話と繋がるのでしょうか?」

 キーヒはてっきり主神と手合わせができる機会を得られたと思っていたが、主神の思惑はそこには無かったようである。忌み嫌う人間と共に行う儀式に参加することがどのようにして手合わせと繋がるのかキーヒには見当もつかないため、混乱しっぱなしである。

「なに、人界から儀式に参加する人間が面白い存在でな。あの一族がこのような催し物に参加することが無かったから、どのような風の吹き回しなのか面白くなったのだ。その娘はあらゆる武具を使いこなすことができるらしいぞ」

「娘!?」

 キーヒの素っ頓狂な声が部屋の中に響いた。女の身で武芸を修めるとはどういう腹づもりなのかは知らないが、烏滸がましい存在ではある。キーヒが不機嫌になったのを呆れながら主神は語り続ける。

「神界側では男神が、人界側では女が儀式で舞うのは通例だろう? まさか、そのことも忘れていたわけではあるまい」

(すっかり忘れていたとは言えない……)

 だらだらと汗が顔から流れ落ちるのを見て主神は何かを悟ったらしく、

「キーヒも忙しくて儀式の見学にも来ていなかったからな。話を戻そう。人界の舞手である娘が武芸に長けているらしい。誰の噂かは忘れたが、武神が創具師であるその娘に武器を作るように依頼し、取りに行った際に手合わせをしたら即座に負けたという噂もあるぐらいだ。だから、キーヒよ。お主の暇潰しには良いのではないのか? なにせ、お主は物覚えが良い。さぞや良く舞ってくれることだろう」

「そこまで仰るのなら、その役目を担いましょう。ただし、条件があります」

「なんとでも申せ」

「私が気に入らなければ、その娘の首を刎ねてもよろしいでしょうか?」

 その言葉に主神は大笑いした。キーヒはおかしなことを言ったつもりではないが、これが最大の譲歩であると考えたのだ。

「ああ、構わんとも。そうなれば、あの一族も黙っていないだろう。だが、それを抑え込むのも面白そうではあるな」

 豪快に笑いながら主神は言ってのける。友愛を示す場で殺害が置きてしまえば、それが神界と人界との間で戦争の火種になりかねないだろう。主神は人間に友好的であるが、根が武神であるために己の実力を人界に知らしめたいと考えているのかもしれない。それか不本意ながら、自分が娘の首を刎ねられないと考えられている可能性もある。それは自分の実力が認められていないように感じられてしまい、憤怒の感情が湧き立つ。

「それでは、キーヒが神界の舞手として参加することで構わんな?」

「……わかりました」

 キーヒにしては歯切れ悪く応じ、キーヒは一礼をすると主神の謁見の間から出ていった。

(今思えば、俺をどうにか舞手にしたいがために、あのようなことを仰ったのかもしれんが……。あまり納得できていないことを考えると丸め込まれたかもしれんな)

 椅子に座って足を組み、主神との遣り取りを思い出してみると自分が感情的に動いているとしか思えなかった。そこを主神に突かれたので丸め込まれたと考えるキーヒであった。

 キーヒがぼんやりと外を眺めると、遠くから楽曲が流れてくるのが聞こえ、寒々とした夜空には星が幾つも瞬いていた。

 楽曲は神界と人界の混合編成で行われていると誰かに聞いたことを思い出した。それは舞手とは別に神と人間が協力して合奏することで、友愛を示す意図もあるとのことだった。キーヒからすればその話も滑稽極まりないものであった。

 神とは人間に信仰され、その力を与える存在であるのだ。ひ弱な人間が祈り、願うことでやっと神が動いてやるのだ。そのことを理解していない人間が多すぎる。また、人間同士で小競り合いで戦争を起こし、それに神を巻き込むこともあるから厄介極まりない。他国との神との戦争ではこちらも本気を出さざるを得なかったものである。

 世界は広い。そのため、様々な信仰が乱立し、多数の神が存在することになる。それでも似たような役割の神がそれぞれにいるのだから、人間が求める神は似たような存在なのかもしれない。

 そのような自分勝手な人間に振り回される神の立場になると、人間に嫌気が差すのは仕方がないことだろう。だから、キーヒは必要最低限の願いだけを聞き入れて責務を果たし、それ以外の時間は己を高めるために剣技の鍛錬を行っていた。

「キーヒ様。そろそろ儀式用のお召し物に着替えましょう」

 小間使いが深々と頭を下げて声をかけてきた。キーヒは気が重いが椅子からのっそりと立ち上がると、

「わかった。案内しろ」

 小間使いはキーヒをとある部屋に案内した。そこではキーヒのために誂えた衣装が飾ってあった。それは黒地に金糸で豪奢な装飾が施されており、キーヒの髪の色に合わせて黒地の光沢が紫色に変わるのは見ていて飽きなかった。キーヒはその衣装に袖を通すと、金色の耳飾りや角飾りなどが女神によって付けられていく。

 キーヒは着替え終わると儀式用の剣に手を伸ばす。その鞘を持って、

「少し体を動かしたい。外で剣舞をしているから、時間になったら呼んでくれ」

「あ! そうやってまたどこか逃げるのですか! 事前の人界の娘との合同練習も出てくれなかったじゃないですか! それでどうやって舞うのです!?」

「あれは気分が乗らなかったから仕方がないだろう! それに、剣舞は教授されたものは覚えている。その動作の通りやれば問題なかろう。それにこの衣装を着ても動けるか確認するだけだ。この部屋のすぐ側でやるから時間になれば戻ってこれるだろ!」

「そうかもしれませんが……」

 小間使いはキーヒの言葉が信用できていないようである。確かに、自分は合同練習をいつも逃げてやらなかった。主神もそこは呆れていたが、少しでも人間と関わり合いを持ちたくないためにそうするしかなかったのである。

「はあ……」

 無理矢理外に出ると、思わず盛大に溜息をつく。その息は白い靄となり、夜の闇へと霧散した。冷えた空気が妙に高揚している気持を落ち着け、気を引き締めてくれるようである。この感覚は今の気落ちしているキーヒにとって心地良いものがあった。

 キーヒ自身はこのように何かに思い悩むような性格ではないはずであると苦笑する。それなのに、このような目に遭い、主神の采配に不信感を持ってしまうのも仕方がないことだろう。

(いかん、いかん。とにかく、舞を覚えているか体を動かしてみるか)

 キーヒは鞘から剣を抜き、その美しい装飾が施された剣で剣舞を行う。体はしっかりとその動きを覚えており、意識しないでも体が教えられた通りに動いていく。その舞は男神らしく、荘厳で力強いものであった。衣装も羽のように軽いためか、体に負担がかからないようである。月明かりを受け、身につけた装飾品と服に施された金糸の刺繍とが煌めき、幼い頃に見たあの剣舞を想起させた。その憧れの舞手になれたことは嬉しくもあったが、人間と共に歩むことを厭うようになった自分にはやはりこの役目を担ってはならなかったのだ。

(もう、いっそのこと相手を殺すことを念頭に置いて舞うか? そうすれば迷うこともないだろう)

 剣呑な提案が浮かび上がるが、それを言葉にすることはない。このような言葉を不用意に呟けば、誰に聞かれるかわかったものではない。キーヒは用心深く周囲を見渡す。誰もいない庭園で遠くから聞こえる賑やかな音を他人事のように感じていた。

(そうだ、俺には関係ないことだ。もう娘の首を刎ねてやろう。それで全てが終わるはずだ)

 キーヒは口元を歪ませて天を仰ぐ。空では星々が冷光を煌めかせている。それが零れんばかりの輝きであるので、腕を伸ばせばそれがとれるのではないかと錯覚してしまうほどだ。勿論、中空に伸ばしたキーヒの手は何も掴めなかった。

「キーヒ様。そろそろ準備をして舞台に参りましょう」

 小間使いが恭しく言ってきた。キーヒはその言葉に従い、衣装を合わせた部屋に戻る。そこで、男神らしく勇猛さを伺わせる仮面を被る。

 こうすることで、キーヒという男神ではなく、神界の代表者として舞台に立てることになるのだ。

(そうだ、俺はただの神になるのだ。それで気に食わない人間を殺しても問題にならないだろう)

 仮面に隠された表情が自分でもどうなっているのかはわからなかった。ただ、酷く醜いものになっているのではないかと思い至ってしまうキーヒであった。それともこれからのことを思い、気分が発揚して瞳が煌めいているのかもしれない。

 なにはともあれ、主神が言っていた武芸に秀でた娘の腕前がどの程度のものなのかは楽しみである。

 キーヒは舞台に上がる階段を上っていく。舞台の四隅には松明で灯りが灯っている。そして、舞台の後ろでは荘厳な音楽を楽隊が奏でている。そのような中を上っていくのは快く感じるものがあった。

 キーヒが舞台に上がると、反対側から人界の代表である娘が上がってきた。キーヒの仮面が猛々しさや荘厳さを表しているのなら、娘がしている仮面は柔和と穏健を表すものであるだろう。また、キーヒが衣装を着込んでいるのに対し、娘は露出が多い衣装であった。背中は大きく開き、胸元も動き次第では乳房が零れ落ちるのではないかと思うようなものであった。下半身も足が大きく見えかねないものである。

 それを見てここまで対象的なものであったかとキーヒは内心驚くが、それよりも寒々とした夜空の下でその格好は病気になるのではないかと思ってしまった。人間は神よりも病に弱い存在だ。それなのに、儀式とはいえ薄着で壇上に立たせるとは人間というものを滑稽に感じるものである。

 曲調が変わる。それに合わせて、キーヒと娘の剣が鞘から抜かれ、お互いの剣を合わせる。そして、剣をお互いに弾き返すことで剣舞が始まった。

 キーヒは教えられた通りにとりあえずは動いていく。娘も丁寧に動いているおかげか、キーヒとの合同練習ができなかったにも関わらず、その様は見事に合っていた。

(なんだ……?)

 キーヒが逃げ回っていた合同練習ができなかったのに、ぴたりとキーヒの動きに合わせて娘は舞っている。仮面の目元から燐光を発したような赤色が見えている気がするが、それも松明の灯りのせいかもしれない。娘は大きく動いているためか、その滑らかな肌は薄っすらと汗ばんでいる。キーヒも動き回っているので熱くなってきているぐらいだ。

 それでも剣舞は終わらない。剣舞が終わるのは朝日が昇ってくる時と決まっているのだ。それを計算して剣舞の始まる時間が決められている訳である。

 背中が触れんばかりにすれ違う際に、キーヒは下から剣を跳ね上げ娘の首を狙う。娘はその剣を払い、くるりと体を回転させるとふわりと衣装が広がり、季節外れの赤い大輪の花が咲いたかのようになり、観客からわっと歓声が上がった。

(む……)

 キーヒは必殺ではなくても死角からの剣戟を娘が捌いたことに感心する。そして、それを舞に転じて儀式を滞りなく行おうとしている。

(これは我慢比べかもしれんな)

 キーヒは体を大きく捻ると、水平に剣を動かして娘の首を刎ねようとする。娘はすんでのところで身を反らせると、そのまま後ろに反り返ってくるりとその身を意のままに動かしている。その身のこなしは普通の娘ならできるわけがないものであった。

(なるほど、主神が言っていたのはこの娘が特別ということなのか)

 キーヒの払いも殆どの者が見えていなかったはずなのに、娘はそれに反応して鮮やかに躱していた。そのため、娘がキーヒの剣戟を華やかに躱す様に観客は圧倒されていた。

 それはキーヒの剣技だけではなく、娘の身のこなしを観客は固唾を呑んで眺めていたのだ。キーヒの剣技は神界随一といわれることもあるが、それは荘厳さと生来の苛烈さを表していた。対して、娘の剣技はそれを柔らかく受け、キーヒのような派手さはなくとも堅実なものであった。

 二人の剣が重なり、顔を近づけ合うと、

「これは友好を示す儀であるはずです。私を殺そうとするのは本末転倒ではありませんか?」

 娘が諌めるように囁くと、二人は距離を取り、改めて距離を詰める。

(なれ)を殺しても構わんと言われている。せいぜい、我を楽しませてくれれば生き残れるやもしれんぞ?」

「そうですか……」

 キーヒは挑発するように娘に囁くが、娘は溜息をつくばかりである。人間の分際で神に呆れる様を見せた娘に赫怒が湧いた。今まで容赦をしてどの程度の実力なのかを計っていたが、それをする必要もないことだろう。

「本気でいかせてもらう」

 キーヒは娘に突進して大きく振りかぶった剣を叩きつける。その速さは神でさえ避けきれないものである。それを娘はひらりと優雅に避けると、キーヒの背後に回る。キーヒは体を大きく捻ると、一気に下段を払う。娘は軽やかに跳躍して、空中で一回転するとふわりと舞台に降り立つ。その様は神であっても見惚れる程気品に溢れていた。

 仮面越しに娘は仕様がないという風に笑ったのがキーヒにはわかった。娘は剣を構え直すと、

「わかりました。それでは貴殿が満足行くまでお付き合い致しましょう」

「よくわかっているではないか」

 キーヒはニッと期待で笑うと、それを切っ掛けにして娘がいつの間にか消えた。腹部にチリリと殺気めいたものを感じると、娘が身を低くしてキーヒの懐に入って剣を突き入れようとしていた。

(これは面白い!)

 キーヒは今まで武神相手に圧倒することが多かったため、キーヒの懐にまで入られたことがなかった。それなのに娘はキーヒの僅かな隙きを突いてきたのだ。このようなことができる存在に出逢えただけでも、この儀式に参加した意義があるというものだ。その僥倖を受け入れ、キーヒは娘の剣を叩き落とそうとする。娘はそれを視界の端に入れたのか、姿勢を低くしたまま右に跳躍する。

 キーヒからしたらそのような回避行動は予測していたので、娘の顔面目掛けて蹴りを入れる。娘はそれを剣の刃で受けるが、体がふっ飛ばされてしまう。それでも体を捻り、舞台の天井に着地すると、足の筋肉に力を込めて跳躍すると、娘はキーヒに斬りかかる。キーヒはその速さに怯むことなく、娘の剣戟を受け切る。そこからの娘の連撃を受けるが、時折受けきれなくて衣装が僅かに切り裂かれる。それを感じ取りながらも、目の前の娘に集中していく。

 娘もキーヒの剣戟を受けるが、剣圧による烈風がその柔肌を薄く切り血が滲んでいる。それでも娘は痛がりも怯みもせずに、果敢に挑んでくる。娘の勇敢な在り方にキーヒは好感を持つ。他の武神はキーヒとの実力差を知るやいなや、降伏してきてキーヒは武神の在り方に不満を持っていた。だが、この娘は自分との実力差もそれ程あるわけではなく、それでいて勇猛に挑んでくる。その在り方は尊重しても問題は無いだろう。

(膂力なら俺が上だが、速さなら娘の方が分があるな)

 そのように冷徹な思考を巡らせながらキーヒは娘と距離を詰める。そして、首を狙って突こうとするが、娘は渾身の力を込めてその剣を払い上げる。その刃から僅かに刃(こぼ)れの塵が松明の光を受けてキラキラと光っている。

 二人の剣は儀式用の豪奢な文様が施された剣であるため、このような戦いに使われることを想定されていないものだ。既に剣は刃(こぼ)れだらけで切れ味はほとんどなく、刃物というよりも鈍器と言っても過言ではなかった。

 そして何より、空が白み始めているのがキーヒの視界に入ってきた。キーヒはこの娘と切り結ぶ時間をまだまだ楽しんでいたかった。

(ああ、この楽しい時間がもうすぐ終わってしまう)

 最初はいけ好かない人間を殺そうと思っていた。だが、この娘の武術は秀でており、今まで手合わせをしてきた武神よりも娘と戦う方が楽しめた。なにせ、武神の中ではキーヒの評判を聞いて手合わせを断るという無駄な矜持を持つ神もいた。それが腹立たしく、誰を相手にしても勝つことがつまらなく感じていた。

 だが、この娘は違った。キーヒの実力を知りながらも、果敢に挑んでくるのだ。また、避けたり攻撃を受けたりしても、舞の途中であることを忘れていないのか、その所作には優雅さを感じられた。自分はただ戦うことのみを目的としているのに、この娘は儀式を遂行しようとしているのだ。正直に言えば、その意識の差に感服している部分はある。だが、それを口にしては神の沽券に関わるというものだ。

(俺は娘を殺すこと、いや、戦うことに意識を取られているが、娘はそうではない。その在り方を見習わんとな)

 そして、日が昇り始めると曲も静かなものに変わる。すると、二人は互いの剣を交差させる。そして、観客に向かって礼をすると、それぞれ舞台から下りていった。

 これで新年の剣舞は無事に奉納されることになった。

 この後は主神と人界の代表が互いに言葉を交わして終わりになるはずだ。その口上も聞こえてくる。だが、とにかくキーヒは急いでいた。小間使いに鞘を押し付けると、窓から飛び出して舞台裏に向かって走り出した。

 舞台の袖を通ると反対側に向かうには楽団の後ろを通らなければらない。そこを大回りしても、袖を通る者をほとんど外部から見えない造りになっているため、キーヒは窓を探す。採光のために大きな窓が取り付けられているが、それも布で遮られている状態であるのは自分の舞台の袖でわかっていた。

 キーヒは健脚を発揮してすぐに反対側の袖まで来た。そして、ひらりと窓から中に入ると、灯りが灯されている中を娘が部屋に向かっていく後ろ姿が見えた。

(何故俺はこんなにも急いでいるのだ?)

 自分の行動が衝動的であったので、何故こんなにも息を切らせて娘を追いかけたのかはわからない。それでも、娘に声をかけなければならないと思ってしまったのだ。

 キーヒは息を吸うと、辺りに轟くような大声で、

「待て!」

 その声で娘は怪訝そうに振り返る。娘の付き人は娘の肌についた傷を治療をしたいのか、娘を急かして部屋に戻ろうとしている。娘はそれを制止し、恭しくキーヒに頭を下げる。

「先程は無礼な舞を行ってしまい申し訳ありません。本来ならもっと美麗に舞えたはずなのですが、貴殿との手合わせに力を入れてしまい、折角の儀式を台無しにしてしまいました」

 申し訳なさそうに娘は淀みなく話す。そして、娘は翻って部屋に行こうとした。キーヒは慌てて、それを止める。

「だから、待てと言うておる! (なれ)との手合わせは満足している。機会があれば、また行いたいとも考えている。我が(なれ)を引き止めたのはそのような言葉を聞きたいからではない!」

「では、何と仰るのです?」

 娘は疑問を隠さずに目上の神に訊いてくる。

(何を聞こうとしているのだ、俺は……。自分でも自分がわからないぞ)

 自分のことなのに混乱しているキーヒであったが、娘に訊きたいことにようやく思い至った。

「娘よ、(なれ)の名は何と言うのだ?」

「それは……、申し上げられません」

 娘は困惑したように答える。キーヒはその言葉に憤怒を隠さずに、

「何故だ! この我が訊いておるのだぞ!?」

 娘は少し思案してから、

「もしかして、貴殿は舞手が名乗りを上げない理由を御存知ではないのですか?」

「どういうことだ?」

 娘はキーヒの言葉で合点がいったのか説明してきた。

「この儀式は神界の代表と人界の代表とが共に剣舞を奉納することで、互いの友好を示すものとなっています。だから、私と貴殿は仮面を付け、絢爛な衣装を纏っている間はそれぞれの代表ですから名乗ることに意味はないのです。ですから、私は貴殿に名乗ることは致しません。貴殿との付き合いはこの儀式の間だけですので。それでは失礼致します」

 娘はキーヒに一礼をすると、部屋に戻ろうとする。キーヒは娘の言葉を聞き、痛憤した。

(この娘は俺との舞をそのように考えていたのか? 俺は、違う!)

「いい加減にしろ!」

 キーヒは仮面を剥ぎ取ると、床にそれを叩きつける。娘はその音でキーヒの方を振り返った。キーヒは赫怒で目を吊り上げているが、それでも娘に剣を突きつけて宣言する。

「娘よ、とくと聞け! 我が名はキーヒ! 雷轟と雨を司る神である!」

 キーヒは言い切ると、腰に手を当て娘の言葉を待っている。キーヒは気が短い方であるが、この娘に対してはあまりそのように思わないでいる。それも、娘が果敢にキーヒに挑んてきたことを尊重している部分があるからかもしれないと自分なりに考えてしまうキーヒであった。

 娘の雰囲気が幾ばくか柔らかなものとなった。そして、仕様がないといった風に、

「本当に無茶苦茶なことをされますね。儀式の最中に私を殺そうとしたり、舞手としてではなく、神として私に名乗りを上げられたりしていますから。貴殿にそこまで仰ってもらったのなら、私も名乗らなければならないでしょう」

 付き人が止めるのも無視して、娘も仮面を外す。そこから見えた双眸は照明の光を受け淡い茶褐色を煌めかせていた。また、声音と同じく柔和なものに感じられる。顔立ちも女神に比べれば劣るが、人間としてはそれなりに整っている方だろう。そして、何より──、

(思ったよりも幼いな……。声音が落ち着いていたからもう少し年をとっているのかと思っていたが)

 キーヒは顎に手を当て、しげしげと品定めをするように娘を眺めている。キーヒの不躾な視線を気にせず、娘はキーヒに礼をすると、

「キーヒ様、私の名はエナと申します。キーヒ様と剣舞が行えたことを光栄に思います」

「うむ、わかった。下がれ」

 その言葉でエナは付き人と共に部屋に戻った。照明の光でわかったが、幾重にも娘の肌には切り傷ができているのに気付く。それを自分がつけたことに今更ながら罪悪感が湧いてきたキーヒであった。それを誤魔化すために、キーヒは窓から外に出ると、夜が明けきった空を眺める。

(エナといったか。エナは私が傷つけたことを非難する色は全く見せなかったな。なんというか、胆力のある娘だ)

 新年の儀式を終え、周囲が宴会の準備を始めるために慌ただしく動いているのを横目にキーヒは自居に戻ろうとする。すると、小間使いが自分を見つけて、

「どこに行かれてたのですか! 私に鞘だけ預けて……!」

「ああ、もうこの剣も用無しだ。(なれ)に預ける」

 キーヒは小間使いが持っている鞘に剣をしまうと、そのまま押し付ける。そして、欠伸を噛み殺すと、

「我は自居で休む。頃合いを見て、宴には顔を出すつもりだ」

「承知しました。着られていたお召し物は後ほどお届け致します」

「うむ」

 キーヒは豪奢な衣装を着たまま、自居に戻ると寝台に横になる。そして、とろんと蕩けそうな瞳を閉じる。そして、今日の儀式のことを振り返る。

(娘を殺せば人界との間で戦争が行われただろう。だが、あの娘の在り方は居丈高な武神と違い、俺と真摯に向き合ったおかげでそれも回避できた。いや、そもそも俺は娘を殺せていなかっただろう。悔しいが娘の方が技量が上だった)

 ごろんと寝返りをうつと、掛け布に包まって反芻を続ける。

(あれ程の技量がある存在がいるのなら、また手合わせをしたいものだ。それに主神の話では創具師をしているらしいから、何か俺のための武具を創らせるのも良いかもしれんな)

 そして、夢と現の間を彷徨いながら、眠りに落ちていく心地良さを味わう。そこでキーヒはぼんやりと思ったことがあった。

(またあの娘に会いたいな)

 そのことはすぐに忘れ、キーヒは泥のように眠った。

なろうに初めて投稿しました。

システムがよくわかっていないので、手探り更新になるかと思います。

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