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 あめ

作者: 藤村綾

(今夜こそはいう)

 あたしは意を決しそう決めた。

 おもては雨が降っている。雨ならば言える。あたしの勝手な見解だ。

 けれども。

「ねぇ」

 おもてに目を向けつぶやく。

 雨が連続で4日も降っている。雨は嫌いではないが、洗濯物がちっとも乾かないので、コインランドリーに行かなくてはならない。なおちゃんの作業着の替えは3着のみ。夏に入った辺りのころに新しくもらった

ー作業着は会社にて支給されるー 夏の作業着はすでにしみだらけで草臥れていて、2回ほどボタン縫い付けた。あたしは存外裁縫が得意である。特にミシン。しかしうちにはミシンがない。

 私服よりも作業着を着る頻度の高いなおちゃんにおいては、作業着が乾かないとなるとそれは死活問題になりうる。

 今日はパートに行った。忙しいのだ。なにせ、図面を書くことができるのは、カズヨさんとあたしだけ。

「あと、2、3人はパートさんが欲しい」

 カズヨさんとあたしは社長さんに同じ言葉を並べて懇願を申し出た。社長さんは最近再婚をした。15歳も歳の離れた女の人で綺麗な子。お金目当てかしら。カズヨさんは脈絡もなくゆった。

 社長さんは、眉根を潜め、募集はしてるんだよね、と、言い淀んだ。

 募集はしているが、職種が特別なため、最初からある程度パソコンの知識がないと出来ない。特にマニアックなIllustratorやCADなど。

 カズヨさんはもの至極極めている。独学だわよ。そうゆった。

 だわよ。だわよってなに。

「えっと、これ、PDFにするには、えっと」

 忙しいさなかに、あたしがまごついていると、横から、鬼の形相で、だから、このまま印刷をすると色がマゼンダで出るから、まず、PDFにして、地図を一区間づつに分けてから、アートボードにおさめてから、整列のたて、よこに、

 あたしは果たしてチンプンカンプンである。

 矢継ぎ早にゆってくれるのはいいが、メモをしないと次回同じことをするときにすっかり忘れている。殊勝な面もちで、えっと、もう一回ゆってください。と、告げると、カズヨさんは、ええ! 目を泳がせつつも、再度説明をしてくれるので、そこは優しいなと思う。

《チンプンカンプン》

 なぜかチンプンカンプンという語句に対し、なおちゃんの姿が浮かんだ。あの人も《チンプンカンプン》なところがある。

 けれど。チンプンカンプンって一体なに。

 あたしは、クツクツと声を潜めつつ笑った。


 帰りにコインランドリーに寄って洗濯物を回収をした。朝、駅前のコインランドリーに突っ込んでおいたのだった。さすがに盗む人はいない。なんといっても作業着と靴下や下着。今日は午後2時に上がったのでコインランドリーに洗濯物が滞在したのは4時間少々だ。許容範囲。

 あたしはピンク色したゴミ袋に無造作に乾いた洗濯物を突っ込んで、自転車のカゴに乗せた。乗せただけなので手で押さえつつ片手運転だ。

 このことは決してなおちゃんには言えない。絶対に叱られる。

『あぶないから。やめてね』

 怒るというよりも注意だけれど。

 スーパーには寄れないので一旦うちに戻ろうとよろよろと自転車を漕いだ。朝降っていた雨はなんとか今は止んでいる。けれど、夜また再び降るとお天気予報で言っていた。お天気ネイサンが。かわいい顔で。

「おでんがいいなぁ」

 おでんにしようと頭の中考える。

 そうしたら、言うんだ。

 なおちゃんはどう思うだろう。


 うちの中に入ったせつな、急におもてが暗くなり、最初はぽつ、ぽつ、とだけ聞こえた雨音が、ジャー、ザー、に変化をしシャワーを思い切り出したような雨が性急に降ってきた。げげっ。あたしはほっと胸をなでおろす。スーパーに無理して寄っていたらびちゃびちゃのずぶ濡れだった。おでんの具を買いに行けなくなってしまったので、雨だしなぁ、と自分をなだめつつ雨のせいにし、すぐ近所のコンビニにおでんを買いに行こうと決めた。

 しかし、ザーザーなノイズはなかなか静かになってはくれない。これではいくら近くだとゆっても結局濡れてしまう。

 6時半。

 お腹が空いた。あたしはたぶんお腹がとても空いている。けれどサトウのご飯ととり野菜みそとマーガリンしか冷蔵庫に入っていない。

 餓死するかも。大仰につぶやきながら無駄にデカいマグカップにクリープを大盛りで4杯と小さじ1杯のコーヒーとスティックの砂糖を2本を入れ湯を注いだ。

 立ち上る煙はコーヒーの香りがあまりしない。むしろミルクの匂いに負けている。

 けれど空きっ腹に甘いコーヒーは幸せをもたらせた。幸せを感じる頻度は人によってまちまちだけれど、あたしは絶対に1日に1度は幸せを感じるようにしている。

 なおちゃんにメールをした。

《雨がひどいのでおでん買ってきて。具は任せるわ》

 なおちゃんは7時を過ぎたあたりからはメールを確認出来る。7時にはほとんどの従業員は帰っていくとゆっていた。なおちゃんは肩書きがあるのでそうそう早くは帰ってこれない。

《わかたよ》

 ほどなくしてきた返信。わかたよ。中国人を彷彿させる語句だけれど、あたしはもはやなおちゃんとメールのやりとりにおいて笑えなくなっている。慣れたのだ。慣れなくないけれど。


「ただいまぁ」

 8時5分になおちゃんは帰宅をした。びちゃびちゃである。

「なおちゃん、これで拭いてよ!」

 バスタオルを ー先刻コインランドリーで乾かしてきた代物ー 頭に被せた。

 わしゃわしゃと髪の毛を拭いて、あー、濡れたわぁ、と、洗面所に吸い込まれていった。

「あ、買ってきたから」

 洗面所に入る手前でコンビニの袋を渡された。

 おでんと缶ビール3本とハイボールとカルパスとソーセージとフライドポテトの惣菜と回鍋肉だった。

「おでん、おでん」

 まだ、熱々のおでんの蓋をあける。

「え!」

 あたしは驚いておでんの中身を二度見してしまった。全く汁は溢れてはいない。

「どうして……」

 なおちゃんが裸体で出てきた。寒い、寒いと震えながら。ジャージを着ると顔色がよくなって頬に朱がさした。

「どうして」

 あたしはもう一度なおちゃんに聞こえる風に言葉を継いだ。

「どうしたの」

 あたしの目の前に座り、あたしの顔とおでんを交互に見やる。

「どうしたのって、だって」

「だから、なあに」

 おでんの具は全く問題はない。玉子2個。ー余談だけれど、卵という漢字のときは生で、玉子と書く場合は茹で玉子あるいは半熟玉子だってなおちゃんがゆったー ごぼう巻き2個。はんぺい2個。豚の角煮2本。大根2個。ちくわ2本。以上。

「なんで、おでんの汁ね、全部ないの?」

 なんでって。

 なおちゃんは豚の角煮のおでんをひょいとつまんで口の中に入れた。

「おいふぃ」

「だからなんで汁がないのかしら。あたし汁が好きなのに。だってなおちゃんもそうでしょ」

 そうでしょ。なおちゃんはそうでもないと思ったがゆった矢先取集がつかないので決め込む。

「ん?しるぅ?」

「だからさっきから言ってるでしょうに」

「しるぅ、いるぅ」

 語尾上がり。質問口調だ。そうして場を和ませるための冗談を口走る。

「冗談は顔だけにして。いるわ。普通は」

 眉根を寄せつつ汁気のない玉子を皿にとった。玉子は容赦なしに割り箸から逃げてゆく。

 あらあら、という目でなおちゃんがあたしの方に目を寄越す。

「汁はね、」

「うん」

 そこまでいいかけ、今度はなおちゃんも玉子に箸を入れた。やはり容赦なく動く。つるん、つるんと。

 そうして続けた。

「たくさんの具があって、車の中でこぼれるのが嫌だったから、汁はいらないって言ったんだよ」

「っえ?」

 玉子が思わず口から飛び出た。汁の要らないお客さんなんて多分なおちゃんぐらいじゃないの。

 あたしは、嫌味も交えつつ口にした。

「でもって、少しだけでも入れますね、って言ったから、困るなぁ、と思いつつ、車にのったとき少しだけあった汁を飲んだんだ」

「え?」

 飲んだって。なおちゃん。

 確かにおでんを開封するとき、蓋に貼ってあるセロテープがあまいなぁって思っていた。湯気でゆるくなったんだって思った。

 あたしは素直な感想をのべた。

「なんかごめん」

 汁気のないおでんはとくに大根をまずく飛躍した。やっぱりおでんは汁がないといけないな。あたしはかなり学習をした。

「いいよ。謝らないでよ」

 小さくなって謝るなおちゃんの顔は今度はアルコールによって頬に朱がさしている。

「ねぇ」

 今なら言えると思った。

「なあに」

 なおちゃんはすっかり眠そうだ。

「あのね、なおちゃん、」

 誠に言いずらい。

「だから、あ、わかった」

「え?ほんとうに?」

 おうようにうなずいて、確信を得た感じで口を開いた。

「布団のことだろ」

 さすがなおちゃん。なおちゃんも思っていたのだろうか。首が痛いだの、腰が痛いだの、言っていたから。

「そうよ」

「わかった」


 最近一階の部屋に引きっぱなしだった布団を2階にもってゆきそこで一緒に寝ていたのだけれど、狭いのだ。けれどなおちゃんは布団を下ろすのがめんどくさいと言って下さないし、いいじゃない。と言い張って狭い布団で長らく寝ていたのだ。疲労がピークに達していた。


「下ろすよ」

「うん」

 わるかったね。また謝りつつ今度ははんぺいを食べ出す。そうして回鍋肉を開けた。

「ほっ」

 開けてから変な声を出し、ほほう、とひとりで納得をしている。

「どうしたの」

「ん?」

 ん?という声と共に顔をもたげる。その、ん、のときの無防備な顔がどうしたってかわいいと思ってしまう。かわいいだなんて失例極まりないがなおちゃんに至ってはかわいいとしか言いようがない。

 好きだから、仕方がない。

「このさ、回鍋肉ね、ご飯がさ、敷いてなかったんだよ」

 回鍋肉の容器をあたしに見せて寄越す。とんでもなく薄い。これでご飯が敷いてあるなんで誰も思わないし、ただし、普通ご飯が敷いてあったら【回鍋肉弁当】か、あるいは【回鍋肉丼】と書いてあるに決まっている。

「あらら」

 あたしは、ケラケラと結構大きな声で笑った。

「サトウのご飯をチンする?」

 回鍋肉はおかずとして売っていたので量も少ない。

「ありがとう。でももう食べちゃったし」

 なおちゃんは健啖だ。豪快に呑むし、食べる。あげく、寝るし。けれど、おそろしいほど薄いコーヒーをこよなく愛する。

 あたしは。おそろしく薄いコーヒー以上に愛されているのだろうか。 ふと、思う。


「さてと」

 トイレに立ち上がったと思ったら、階段を上がって行った。

 布団は重たいのだ。酔眼のまま、布団を下ろせるかしら。と思うより先、

 今夜はよく寝れるかしら。そちらの思考の方が勝っている。

 なおちゃんの腕におさまって、そうしてから、その腕をほどいて、それから大いに手足を伸ばして寝るんだ。

 

 静寂な夜。すっかりと雨は小雨になっていた。湿気の多い部屋の中は湿気よりも甘い濃密な温度が保たれていて、あたしは今日2度目の『幸せ』を感じてしまってるのだった。

 

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