第6話 クロガネ・黒猫
いつの間にか、寝てしまったらしい。
魔物や野獣がうようよいて、死体を大量生産しているような森の中で、呑気に寝てしまった自分が図太いのか、状況を上手く理解していないのか。
………後者かな?
何せ、見ただけでは、TVの撮影に使われそうなくらい壮大で綺麗な森なのだ。
そこに、恐ろしい魔物や獣がいるとは、到底、思えない。
まぁ、血の海とか白骨化とか普通の死体とか見ちゃったけど、それくらいならドラマやゲームで見慣れている。現代っ子の感覚の鈍さか、あるいは“平和ボケ大国”の弊害か。
実際に、生命の危機が目の前に来ないとピンと来ないくらいに実感がないわけだ。
しかし、記憶が無いのにこうした“感覚”というか、知識はポンポンと出てくる不可解さに、俺自身、正直悩むところだ。
『シオン、“てれび”とはなんだ?』
「え?あー、なんだろ?……自然と出てきたんだが、遠くの景色や光景を映す箱?』
どうやら、独り言が口に出ていたらしく、クロガネに訊かれて困惑する。
また、妙な知識が出てきた。
俺の中では、自然と科学文明の機器だと理解しているのだが、クロガネに説明するのは難しい。
なにせ、“ここ”には、高度な科学など存在しない。むしろ、“あちら”では荒唐無稽な“魔法”の方が説得力があるのだ。こういうのを“文明の差”というのだろう。
“ここ”とか、“あちら”とか、よく分からないのに、分かっている自分が恨めしい。
俺は、溜め息を吐いた。
多分、記憶が戻れば、一気に解決するのだろう。
いや、解決しない部分もあるかもしれないが、この気持ち悪い現状よりはマシになると思う。
『シオン、あまりそう考え込むな。なるようにしか、ならん』
「まぁ、そうなんだけどさ……」
日も大分傾きかけていた。
このまま、夜をこの森で過ごすことを考えたら、かなりぞっとしない結果に陥る。
俺は、クロガネの背に跨がると、川沿いに森を移動し始めた。
時々、クロガネが大きく迂回するのは、“ヤバい”何かが潜んでいる場所で、刺激したくなかったから、らしい。
「クロガネがはっちゃけなかったら、本当はもう町に着いていたとか………」
ふと呟くと、クロガネがしょんぼりし出した。
『………すまぬ。我のせいで……』
「いや、ごめん。今のはワザとじゃないから!大丈夫だから!クロガネ、落ち込まないで、スピード上げて!暗くなったら、互いにアウトだから!」
まさかの図星!
どうやら、森の中に出た時点で、クロガネが冷静だったら、町の方向も分かっていて、そんなに遠い距離ではなかったらしい。
現に途中までは、その方向を走っていたようだが、途中から久々の自由に、走りそのものに集中するというはっちゃけ具合になった為に、見事に迷ったのだとか。
落ち込むクロガネをなんとか宥めつつ、夕日色に染まる森を走って貰う。
神殿にいたときは、森の中で野宿も想定していたが、ヤバそうなモノがうようよいる森で野宿は、流石に嫌だ。
そうこうしているうちに、森が途切れて、道らしき場所に出た。舗装されているわけではないが、その部分だけ草がなく、剥き出しの地面が真っ直ぐに続いている。
俺は、クロガネから降りた。
なだらかな丘陵地になっている道を進めば、幾らも行かないうちに、町が見えた。
城壁に囲まれた小さな町だ。
神殿跡のある丘から遠くに見えた明かりは、この町のものなのだろう。普通なら、分からない距離だと思うのだが、おそらく周囲が暗すぎて、町の暗い明かりでも目立つのかもしれない。
実際に、あの丘から見えた光が町なのかも怪しいが、クロガネ曰わく、あそこから一番近い町らしい。
「なぁ、クロガネ。小さくなれないか?」
隣に立つ獅子を見て、俺は、ふと聞いた。
俺が余裕で乗れるくらいに巨体な黒い獅子は、魔物と勘違いされるのではないかと思ったのだ。
クロガネの話の前提は、300年前とか“王国”時代とかだからうっかりしていたが、黒い毛並みのクロガネは、どうみても“聖獣”には見えない。
俺だって、最初にクロガネを見たとき、喰われるかと思うほど怖かったのだ。
慣れれば愛嬌があるというか、猫科にあるまじき犬属性っぷりとか、妙に人間臭いとか、まったく怖くないのだが、見た目は獅子なのだ。
獅子といえば、“百獣の王”と呼ばれるくらい、獰猛で恐ろしく威厳に満ち溢れた生き物………のはずだ。
『むぅ。小さくならねば、いけないのか?』
「その大きさじゃ、怖がられるだろ。町にいる間は、小さい方が目立たないと思う」
『まぁ、確かにな。今の時代、我のような“聖獣”が存在するのか分からぬし、“魔物”に間違えられるのも不快だ。シオンの言うとおりやもしれぬ』
クロガネは、不愉快げに鼻を鳴らした。
『だが、シオンに何かあれば、我は元の大きさに戻るぞ?』
「よっぽどの場合は頼むよ」
そう言えば、クロガネは、ふんと鼻を鳴らした。
次の瞬間、クロガネの巨体が消える。
俺は、突然のことに驚いた。もっと、全身が光るとか、呪文を唱えるとか、リアクションがあると思っていたのだ。まさか、突然消えるとは思わなかった。
俺が、クロガネを探してキョロキョロすると、足元になにやら重みを感じた。
下を見れば、真っ黒な黒猫が、俺の靴の上に身体を乗り上げて、こちらを見上げていた。
綺麗な金色の目が、こちらを見上げる。
「にゃあ……!」
「…………ひょっとして、クロガネ?」
俺が、黒猫を抱き上げると、黒猫は長い尻尾で、俺の腕をベシベシと叩いた。
まだ、成猫ではないが、子猫と呼ぶほど小さくもない。まぁ、子供の猫という意味では“子猫”か。
『ふむ?どうだ?』
聞き慣れた思念が、響く。
やや得意げなその声に、俺は、ついに吹き出した。
「ね、猫科だけに猫って…………!」
いや、獅子のミニマム版的なものを想像していただけに、まさかの猫。
俺は、おもわず込み上げてくる笑いを必死に堪えた。いや、肩がプルプルしている辺り、堪えきれていないのは分かっている。
ツボにハマってしまっただけに、笑いを抑えるのは困難だ。
猫となったクロガネを抱きしめたまま、急にプルプルし出した俺を、クロガネがうろんげに見る。
長い尻尾が、ペシペシと俺を叩くのすら、ツボだ。
『何故笑う?我のどこが可笑しい?!』
「………い、いや、逆!あまりにもハマり過ぎてて…………。クロガネ、可愛すぎる!猫の時は、“クロ”でいいか?」
『む?クロガネと呼ばぬのなら、元に戻るぞ?』
「分かった、わかったから!ちゃんと、クロガネって呼ぶから、町にいるときはこのままでいてくれ」
バカにされたと思ったのか、クロガネが、ふてくされたように、ギロリと俺を睨んだ。
俺は、ツボった笑いを堪えながら、抱き上げたクロガネの背中を撫でて落ち着かせる。
大きいままのクロガネだと、町に入るときに絶対に揉めそうだ。
俺は、子猫のクロガネを抱いたまま、町に向かって歩き始めた。猫のクロガネの速さに合わせていたら、完全に日が落ちてしまう。いくら、森を抜けたとはいえ、考えていた以上に物騒な“外”で、野宿する気にはなれない。
『ふむ。今度は“逆”だな』
「逆?」
『今までは我がそなたを乗せていたが、今度は我がそなたに乗っているのでな』
「ああ、なるほど……。まぁ、いいだろ。お互い様ってことで」
『ああ、悪くはないな』
なにやら上機嫌になったクロガネに、俺は苦笑する。長い間、独りぼっちだった“聖獣”は、案外、寂しかったのかもしれない。
なにかと俺にじゃれつくのは、その反動だろう。
俺は、スリスリとすり寄る黒猫の背中をそっと撫でてやった。
城門まで意外と距離があり、内心焦ったが、町に入る城門前には入るだろう人々がまだ、並んでおり、ホッとする。
周囲の雑談に耳を傾ければ、この辺りは“外境”と呼ばれる辺境地で、夜はかなり危険らしい。
城門や城壁には、魔物や野獣除けの魔法が掛けられており、滅多なことで破られることはないそうだ。
「とにかく町に入れれば、安全なのか」
『ふむ。思った以上に物騒な世の中になっているようだな』
これで締め出されたら、目にも当てられない。
俺は、冷や冷やしながら、列が進んでいくのを待った。日が暮れたせいか、列も残り少ない。
『そういえば、身分証明とかないと手続きとかで揉めないのか?』
「は?そんなの、いるのか?」
『少なくとも、我が知る時代は身分証明とかのチェックは厳しかったはずだ』
「ええ~、いや、そう言われても………」
『身分証明がないと、入場料がいったはずだが………』
「ちょ………っ!俺、今、無一文!!」
クロガネがぼそっと告げた言葉に、俺は、顔を青くする。どうするべきか、頭の中は、ややパニックでグルグルするも、何一つ打開策が思い付けない。
『……まぁ、なるようにしかならないだろう』
俺の腕の中で、呑気にそうのたまわった黒猫、クロガネに、俺は、一瞬、殺意が湧いた。
確かになるようにしかならないが、今、不安定材料をこれでもかと出しておいて、それを言うか?!
結局、無事に町に入れるまで、俺は、様々な不安と緊張に焦り、杞憂して、生きた心地がしなかったのである。