第5話 魔の森
鬱蒼と茂る森の中を疾走する黒い獣。
まるで、全てから解放されたと言わんばかりの軽やかな疾走は、複雑に入り組んだ茂みも木々もお構いなしだ。まるで、スレスレの部分を通るスリルを楽しんでいるようにも思える。
そんな黒い獅子の背中にへばり付く俺は、正直、生きた心地がしなかった。現在進行形で。
獅子が背中にある翼を消すことが出来ることに驚いたが、まぁ、俺を背中に乗せるには邪魔だから、それはいい。
だが、人には容認できるスピードというものがあるのだ。
確かに、獅子ーークロガネにしてみれば、久しぶりの“外”で、少々はっちゃけたくなる気持ちも分からなくはない。
だが、背中に生き物を乗せている事実を忘れていないか?
「うぉえぇぇぇぇ…………っっ!?」
地面にうずくまって、さして無い中身を吐き出す。頭だけでなく、全身がぐわんぐわんと揺れている気がする。
『すまぬ。………つい、楽しくてだな……』
うずくまる俺のそばにちょこんと座り、その巨体を縮こませて、しょんぼりと謝るクロガネの姿は、なかなか可愛い。
だが。
「まさか、クロガネに殺されかけるとは……。制止の言葉も聞かないし、逆にスピード上げるし。おかげで全身シェイクされ、挙げ句に障害物をスレスレに交わすテク披露っぷりに、いつ、俺の身体の一部が欠けるかヒヤヒヤさせられたよ。
いや、その前に、落ちなかったのが奇跡だな」
水袋から口を離して、一気に言う。
油断すると、吐き気が込み上げてくるのだ。
クロガネは、ますますしょんぼりと頭を落とした。その姿に同情が湧くが、ここで厳しく言わないと、次こそ命に関わるかもしれない。
『すまぬ………』
「で、今、ここってどこだかわかる?」
四方、どこを見回しても木々ばかりで、鬱蒼とした森が続いている。
森を抜ける気配の欠片もない。
『…………すまぬ』
ふいと、視線を明後日に向けるクロガネに、俺は溜め息を付いた。
つまり、走るのが楽しくて、どこをどう走ったかも分からない状態らしい。
しばらく休んで、なんとか体調を取り戻した俺は、クロガネには乗らずに森の中を歩く。
四方、木々に囲まれた森は、所々に鬱蒼とした茂みはあるものの、歩きにくい感じではなかった。木々も、一本一本が大きくどっしりとしている。天井を覆う枝葉から、陽光が差し込み、暗くはない。
「景色としては、かなり綺麗なんだが……」
似たような景色ばかりで特徴がない。
太陽も、空も高い木々の枝葉に隠れて確認できないから、方向も分からない。
「完全に迷ったな……」
俺の後ろを付いてきていたクロガネが、しょんぼりしたままだ。
とはいえ、どうフォローすればよいのか、俺にも分からない。しょんぼりしているのは、なんとなく可愛い気がするが、あまり落ち込ませても可哀想だ。
「なぁ、クロガネ。水の音とか分からないか?」
『………水?』
「ああ、森で迷ったとき、近くに川があれば、それを辿れば森を出られるって、聞いたことがある」
『ふむ。音ではなく、気配なら少し遠いが分かるぞ?』
俺の言葉に、クロガネのしょんぼり垂れていた耳が、ピコンと立ち上がる。
名誉挽回とばかりに、そわそわとクロガネの尻尾が揺れている。実に分かり易い。
「じゃあ、連れていてくれ。今度は、“安全速度”で、さ。いいか?」
『!………うむ、今度は気を付けるから、安心しろ!』
俺がそう言うと、クロガネがパッと目を輝かせた。なんとも分かり易い獅子である。
二度言うが、獅子なのに、分かり易すぎる。
俺は、おもわず、苦笑した。
獅子って猫科のはずなのに、クロガネを見てると妙に犬っぽいんだが…………。
そう思っていた俺は、クロガネに乗って数分後、頭を抱えていた。
クロガネのスロースピードは、自転車よりもやや速いくらいのスピードで、周りの景色も分かり、なかなか快適だった。
だったのだが、森の開けた場所に出ると、一面の血の海に、俺は固まった。
「なんだこれ?」
『形無く、襲われて喰われた現場だな』
何のことはないという口調で、クロガネは言った。
『シオン、我から降りないようにしろ。多分、この血は“わざと”だ。知らずに踏むと、ターゲットにされるぞ』
「………“罠“か。また、派手だな」
そして、悪趣味だ。
むせかえるような血の臭いに、俺は、顔をしかめた。クロガネも、不快げに鼻を鳴らすと、その場を離れた。
別のルートで、クロガネは森の中を歩いていく。
その慎重な足取りに、俺は首を傾げた。だが、その答えはすぐに分かった。
綺麗な森の光景のあちこちに、人間の死体が見え隠れしていることに、気づいたのだ。
その大半は、白骨化していたが。
『こういった“跡”や死体があるのは、人間の行動範囲内ということだろう?
森の出口も、そう遠くはあるまい』
「………え?
まさかのそういう判断?!」
俺は、衝撃を受けた。
『うむ。この辺りの野獣や魔物は、人間の味を覚えていて、“餌”にしているようだ。
まぁ、逆に返り討ちされる場合もあるようだが、けっこう積極的に襲っているのが、証拠だ。人間の血肉の味を覚えた魔物は、“狂う”らしいぞ?』
「いやいやいや、………確かに分からなくもないけど、なにその物騒な話………」
『安心しろ、シオン。あいつらは、夜行性だ』
「その話のどこに、安心があるんだよ?」
俺は、深く溜め息を吐いた。
『しかし、この辺りは“臭すぎ”てたまらん。水の気配が、上手く嗅ぎ分けれんな」
クロガネが、ふんふんと鼻をぴつくかせる。
その様子に俺は、「いや、嗅ぎ分けるって……」と、クロガネの背中で本当に頭を抱えた。
いや、獅子だろ、お前。
俊敏さとか身のこなしの軽さとかなら分かるが、猫科の獅子の嗅覚って、そんなに良かったっけ?
どうみても、立派な鬣とか獅子にしか見えないのに、中身が“犬属性”って、何者だよ?!
俺が内心、盛大にツッコミを入れている間に、クロガネは、森の中を移動していく。
しばらく歩いて、ふと、クロガネは足を止める。
隠れるような茂みの陰だ。
「クロガネ………?」
『静かに、シオン。“剥ぎ取り”だ』
「“剥ぎ取り”?」
クロガネの視線の方向を見れば、簡易武装した数体の死体があった。
見た感じでは、切り傷など以外が比較的綺麗な死体のようだ。戦士らしい男たちに、ローブを着た軽装の女性、シーフらしい小柄な少年。
それら死体に群がるように、小柄な黒尽くめの人間たちが集まり、損傷の少ない武器や防具からポーチ、はては衣服まで、文字通り剥ぎ取っている。
『ふむ。未だに健在とはな』
「なにあれ?」
『奴らは、見ての通り“剥ぎ取り”だ。こういった人里離れた場所で死んだ人間の死体から、使えそうな“モノ”を剥ぎ取るのが、仕事だ。
そして、死体を埋葬する。アンデットにならないように、な。あれだけ、綺麗だと、アンデット化しやすい。
ほら、あそこ、一部より分けているモノは、大方、“遺言”でもあったんだろう。万が一に、“剥ぎ取り”宛てに“遺言”を残し、遺族に渡すようにとかあれば、連中は従う。
“剥ぎ取り”なりの、死者に対する敬意であり、“ルール”らしいぞ』
「へー………」
手早く穴を掘り、ほぼ丸裸にされた死体たちは布にくるまれ、埋葬されていく。そこには、墓標もない。
ただ、枯れゆく小さな花束だけが置かれる。
『“剥ぎ取り”に会えるのは僥倖だな。
………モノと引き換えに、埋葬され、親しい人へ“死”を伝えられる。きちんと埋葬され、祈りを捧げられた魂は、きちんと昇天できるからな』
「じゃあ、それ以外のは?」
『中途半端なままだ。そういった“未練”のある魂が、“魔物”に変質してしまうのだと、よく言われている。我も詳しくは分からん』
「…………難しいな」
よく分からないが難しいと、俺は思った。
クロガネは、“剥ぎ取り”に見つからないようにそっと茂みを出ると、剥ぎ取りとは違う方向に足を進めた。
“剥ぎ取り”は、他者にその姿を見せるのを嫌うらしい。まぁ、確かに、死体から“剥ぎ取る”など、あまり気分の良いものではない。
だが、
「確かに、死体は、もう使わないからなぁ」
『次、見つけた死体があったら、教えるぞ?』
「うぅ………罪悪感が………。でも、町に行くなら、お金とかあったほうがいいけど……」
聞けば、“剥ぎ取り”じゃなくても、お金に困っている低レベルの冒険者などは、死体を見つけると金目のモノとかを取ることは多いらしい。
もちろん、その遺体の埋葬やギルドへの遺体発見の報告などを行うことを条件に、“見逃し”て貰っているので、あくまで人里離れた場所での対処としてらしい。
人里なら、確実に犯罪行為だ。
“剥ぎ取り”を見て、思い付いたのはいいが、正直、気が進まない。後味が悪すぎる。
『無理にしなくても、おそらく、薬草を売れば、それなりの金になると思うぞ?』
「そう、だよな。………はぁ、俺としては、死者を冒涜する感じで、ちょっと……」
『シオンには、無理だな。我も、シオンも、根本的には“聖なる存在”ゆえに、“ケガレ”には弱い。無理せずとも、我々は“生かされる”定めゆえに、悪いことにはならないはずだ』
ようやく川を見つけて、俺とクロガネは、一休憩することにした。
川岸に腰を下ろして、パーカーにくるんでいたルクムの実を取り出す。クロガネに渡すと、器用に前足を使って食べ始める。
俺も、ルクムの実をかじる。
思い付いたときは、良い案だと思ったが、どうやら俺の中には、死者に対する畏敬があり、死体のモノを使うということ自体にかなりの抵抗があることに気付いた。
死体でなくても、他者から金目のものを取るという行為は、俺の中では忌むべき“犯罪”であり、“倫理”に反する行いなのだ。
ゆえに、行うことへの抵抗感は半端なく、短時間で俺をげっそりと消耗させる結果になった。
「ダメだ!………俺には無理!」
『だから、無理にすることはあるまい」
そのまま、寝そべる獅子の横腹にパタリと倒れれば、クロガネは、呆れたように言った。