第16話 魔物の気配
[カラチ平原]に入った初日。
予想以上のモンスターの襲撃に手間取り、クロガネがやらかして、俺が気分が悪くなった日だが、あのあと、なんとか野営地に辿り着けた。
野営地と言っても、ほぼ何もない場所である。
だが、その領域内だけが、普通の平らな地面なのが見た目に不自然ではある。
後は、風除け目的の人工的な土壁が幾つか立ち、共同の水場がある程度だ。
[カラチ平原]の地面は、でこぼこした荒れ地で硬く座るのも痛いから、野営の普通の平らな地面は、それだけでも有り難い。
L字型の土壁は、野営地が重なった旅人を分ける衝立の役割と雨天時に雨除けを作る土台になる役目があるらしい。
そこそこの広さがある野営地の四方には、小さな祠があり、それがモンスターの類を寄せ付けない結界の要のようだ。
初日の夜は、俺たちだけだった。
気分が悪くなり、クロガネの背中で意識を失うように寝てしまった俺は、気づけば野営地で、簡易の敷マットの上に寝かされていた。
その夜は、作り置きしていた料理を出して夕食とした。俺自身、作る気力がなかったのと、俺が目を覚ますのが遅かったせいだ。
次の日からは、野獣などのモンスターの襲撃もかはり減り、余裕で野営地に辿り着いた。昼間は、歩きながら食べるものに限られ、夜は野営地で夕食を作る。そのときに、食べ歩きできるものも作っておくようにしたので、足りなくなることはない。
3日目辺りに、初めて別の旅人と野営地が重なったが、特に問題はなかった。
どうやら“辺境”に向かう冒険者パーティのようで、[イオーリス]から旅してきた彼らとルディオスが、互いに情報交換をしていた。
一応、干渉不可がルールだが、危険な土地なので、情報交換やそれなりの“助け合い”はむしろ推奨されるようだ。
あまり馴れ合わなければ、雑談したり、一緒に食事したりしてもいいらしい。要は、野営地でのトラブルや[カラチ平原]にいるという盗賊を警戒してのものなので、協力し合える部分は協力し、無用なトラブルを避ける程度の友好な交流は問題無いのだ。
「どうやら、途中の野営地の近くに魔物が住み着いて、出入り時に襲撃されるらしい」
野営地を出て歩く中、難しい顔で地図を見ていたルディオスが言った。
「魔物って、夜行性だっけ?」
「あぁ、だが、次の野営地に辿り着く為に、大抵、早朝明るくなったら出るだろう?早朝時間でも鈍くなるが、活動できる魔物もいる」
野営地が比較的密集しているエリアなので、魔物がいるとされる野営地がどこかまでは分からないらしい。
情報をくれた冒険者パーティが入った野営地ではなかったらしいが、それでも警戒して完全に明るくなってから、その野営地を出たそうだ。
そのため、かなり急ぎ足で、暗くなるぎりぎりに昨日の野営地に着いた為、疲労困憊の様子だった。
「この先は油断が出来ないな」
「もう少し先に行くと、盗賊の噂のある領域にも入るし、気か抜けないかな」
「盗賊って、確か旅人を装って野営地に入ってくる………?」
「手口の1つではある。野営地は、モンスターは入れないが“盗賊”は人だから関係ない」
「うーん、厄介だな]
一夜だけ一緒とはいえ、同じ野営地にいる相手が盗賊か否かなんて、見分けがつかないだろう。
「多少、粗野でも冒険者なら納得しなくはない」
「全員が前衛ばかりのパーティとか、怪し過ぎるかな?」
「さすがに、冒険者装うならバランス良い組合せを考えないか?盗賊でも女性や魔術師もいる可能性もあるし、後は小規模な商隊とか?」
「あり得なくはないな」
「さすがに、こんな場所を1人で歩く人間はいないだろうし………」
「無謀というか、よほどの実力者か、ただの馬鹿くらいかな、それは」
カリナの冷ややかな言葉に苦笑する。
そうこうしながら、時々襲撃してくるモンスターをルディオスとカリナが撃退しつつ、今日の野営地までの道を進む。
ルディオスが言った通り、途中に野営地があり、そこで昼食をとる。歩きながらの昼食が続いたので、座れるのが有り難い。
午後も野営地を通り過ぎる。
野営地が密集しているエリアだと言っていたが、なるほど、確かに短い距離で点在しているようだ。
「最初よりも、緑が多くなってきたな」
俺は、周囲の景色を見ながら呟いた。
荒れた赤茶の地面は変わらないが、低い茂みや細い木々が多く見られるようになってきたのだ。
「この辺りは、“王国”時代の街道に当たる。当時の名残が強いから、土地も他よりはマシだ」
「だから、野営地も多いのかな」
古く残された守護術の名残や魔除けの結界の作用で、他よりもモンスターが出にくい比較的安全なエリアらしい。
だが、その反面、“盗賊”が出没しやすいエリアでもある。
夕刻の、まだ大分陽が高い時間に、野営地に辿り着く。低い茂みや木々に囲まれた野営地は、まるで森の中にいるようだ。
俺は、その景色を見て、ぞくりとした。
陽が高いとはいえ、傾き色を染めた光に木々が黒馴染む光景は、ノスタルジックな美しさがあった。それは、辺境の町に行く前の、あの“魔の森”の美しさに似た感じだった。
「ルディオス。今日中に、次の野営地に辿り着けると思う?」
「……暗くなる前には辿り着けるだろうが、“魔物”の情報もある。特に急ぐわけでもない。なら、今日は、ここで泊まるほうがいい」
俺の不躾な質問に、ルディオスは不思議そうに答えた。
確かに、ルディオスの考えは正しい。
先を急ぐ旅ではないのだ。だが、俺は、何故か落ち着かなかった。
『シオン?どうした?』
なかなかクロガネの背から降りない俺に、クロガネが不思議そうに振り向く。
「………いや、なんでもない……」
そう言って首を横に振りながらも、俺は野営地を囲む、茂みや木々に視線をさ迷わせる。
まるで、“檻”だ。
ふと、俺は思う。
野営地を囲むように、まだらにだが四方に木々と茂みがある。この荒れた平原に入ってからは、表面だけとはいえ、こんな光景は初めてだ。
それが、余計に違和感を誘ったのだろう。
俺の頭には、あの美しい“魔の森”の景色が重なる。死体や土に埋もれた骸骨すら、景色の一部に溶け込み、どこか静謐な美しさを醸し出していた森。
あのときは、ただ、綺麗な森だと思っていたが、今、考えると可笑しな話だ。
俺は、不吉な考えを頭を振って追い払った。
俺の様子を心配するクロガネから地面に降りる。最近は慣れたもので、降りる時はクロガネに伏せて貰わなくても降りられるようになった。
いつもと変わらない野営地だ。
真ん中に距離を保った幾つかの衝立代わりの土壁があり、それに近い場所に水場がある。
どうやら、ここは湧き水を利用した泉のようだ。
かなり古い石造りの泉がある。
「シオン?」
クロガネのそばに立ったまま、ぼーと周囲を見る俺を、不思議そうにルディオスが見た。
『シオン、どうしたのだ?』
「クロガネ、何か、気配とか感じないか?」
『ふむ?…………特に何も感じないが………』
野営地は、魔除けの結界の中だから、ひょっとしたら“気配”とかは遮られて分からないのかもしれない。
ふと、俺は思った。
だが、俺としても違和感があるだけで、“魔物”がいるとは断言できないのだ。
あまりにも、静かで美しい景色があるだけだ。
「ん?………静か?」
『シオン?』
「クロガネ、なんか静か過ぎないか?この明るさなら、まだ、鳥とかの鳴き声とか、いつもなら聞こえるよね?」
ふと、俺が指摘すると、ルディオスやカリナが、ハッとした顔をした。
「確かに、これは………?」
「おかしい、かな?」
2人の顔に、警戒が宿る。
鳥といっても可愛らしいものではなく、モンスターらしい怪鳥の、ぎゃあぎゃあ騒ぐ声がいつも響いているのだ。たまに、野獣の唸り声も聞こえる。
こちらに襲ってくるとかではなく、平原は思ったより生き物がいて、騒がしいのだ。
『ふむ。シオン、何を感じたのだ?』
「えーと、なんていうか、“魔の森”と似た感じ?ほら、俺が“魔の森”を綺麗な森って言っただろ。なんか、周囲が怖いくらいに綺麗に見えるんだ。あのとき、死体や白骨化したものを見ても、俺は怖くなかった。普通ならおかしいだろ?
少なくとも不気味に思ったりするはずなのに……」
あの“血の海”は例外だ。
流石に、あれだけは衝撃的だった。まぁ、クロガネの判断も別の意味で衝撃的だったが。
『むぅ。なるほど………』
「どういうことだ?」
唸るクロガネに、ルディオスが訊いてきた。
『おそらく、シオンの感覚は、我と違うのだろう。魔は、時に恐ろしいほどの美しさを持つというが、どうやら、シオンにはそう感じるらしい』
「つまり?」
『“魔物”が潜んでおるようだ』
クロガネは、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「だけど、ここは“結界”の中かな?」
カリナが指摘する。
野営地は、魔除けの結界が張られ、野獣も魔物も入れないようになっている。
「あの話のとおり、オレたちはどうやら“当たり”を引いたというわけか」
ルディオスが剣から手を離し、深く溜め息を吐いた。
「結界内だから、手を出してはこれない。だが、ここを出る時が一番危険だ。どういう魔物かは分からないが、“獲物”として狙われ、ついて来られると厄介だ」
『有り得なくはないぞ?なにせ、極上の“餌”がおるからな』
「餌?」
なんか不吉な予感に、俺は半眼になって、クロガネを見た。ニヤニヤしたクロガネと視線が合う。
つまり、俺が“餌”ってことか?
『“聖なる存在”は、魔物にとっては恐ろしい“天敵”である反面、極上の餌でもある。文字通り、その血肉は甘露であり、魂は力の結晶だ。高位なら高位なほどに、魔物にとっては進化の糧として求められるぞ?』
「だけど、弱い魔物には“毒”かな。逆に耐え切れなくなるから、よっぽど強い魔物じゃなければ、狙わないかな」
「うぇ…………」
俺は、頭を抱えた。
なんか、面倒なことになった。ここに潜む魔物が弱いことを祈りたい。マジに。
下手に強い魔物だと、普通よりも狙われる可能性が高いってことだろ?
だいたい、俺は自分が“聖なる存在”とか言われても、あまり信じたくないのだ。魔力は強いらしいが、こう、特別な力とか持ってないんだし!
どう見ても、ひ弱な一般ピープルだろ?!
「とにかく、様子をみよう。ここにいる限り、襲ってはこないだろう」
ルディオスが言った。
確かに、聞いた話では野営地を出る時か、入る時に襲われたという。ならば、魔除けの結界が効いている野営地内には入ってこれないのだろう。
正直、落ち着かないが、俺たちは野営の準備を始める。暗くなってからではできない作業もあるのだ。
俺も、夕食の準備をする。
昼間は歩きながらか、立ち止まっての簡単な食事になるので、夜くらいは少し凝ったものを食べたい。それに、作り置きの料理は非常食代わりでもあり為、なるべくなら保存しておきたい。
食材はあるので、夜は、きちんと調理したものを出すのが、最近の流れだ。一緒に、明日の昼の分も作っておくと、朝が楽になる。
俺が切った食材を炒めているときだ。
「オーーノォォォ~~~っっ!!?やっと着いたのに、ヤバいっ!あっちより反応が強いヨ、コレ~っっ!?」
男の叫び声が、野営地に響いた。
顔を上げれば、野営地に飛び込んできた1人の男。大きなリュックを背負って、何かを持っており、それを見ながら頭を抱えている。
ふと、顔を上げた男とバチリと視線が合う。
金髪をオールバックに流し、カウボーイハットを被った中年の男は、某有名アドベンチャー映画に出てくる考古学者で冒険野郎を彷彿とさせる。
背は180㎝くらいだろうか。
一見、貧相そうな細身だが、無駄なく鍛えられた体格をしている。きちんとすれば、それなりに整っているだろう、彫りの深い顔立ちは無精髭に覆われ、青いフレームの眼鏡の奥は、切れ長の緑の目。
眼鏡のせいか、どこか知的というか、インテリな印象を受ける。温和な顔立ちで人が良さそうだ。
俺が東洋系の容姿なら、男はどうみても西洋系だ。ルディオスやカリナも大まかなにいえば西洋系だか、俺的にはちょっと違う。
白い綿シャツに薄緑ベスト、濃い茶色のカーゴズボンに底厚のミドルブーツ。これでもかと膨らんだ大きな緑地のリュックには、薬缶やらいろいろな物がぶら下がっている。
なんか、“世界”が違う気がする。
“あちら”で、世界中を回るパックバッカーに似た感じだ。いや、もっと時代を遡った放浪者的な感じだろうか。武器らしいものも防具もない無防備な旅人など、“ここ”では有り得ない。
「オーー!人がいるーーっ!?」
呆気にとられる俺とすぐさま、警戒するルディオスたち。伏せたまま興味無しのクロガネ。
そんな俺たちを見た男が、危機感無く、嬉しそうに叫ぶ声が野営地に響いた。