第1話 記憶の無い男
今時流行りの最強!無双!チート!ハーレム!に密かに反抗すべく、ある意味“王道”的な話を目指しました。もちろん、作者は主人公最強!無双!チート!とか好きです。
だが、カテゴリーを[ファンタジー]にして喧嘩売る度胸はありません。チキンです。こっそりプルプルしながら、地味に書いていきます。
作者すら、行き先不明な見切り発車ですが、見捨てず気長にお付き合いくださいm(_ _)m
誰かに何かを言われた気がした。
それが夢なのか、過去の記憶なのかは定かではない。ただ、囁くような声が耳の奥に残った。
「…諦めないのか?」
何を?
何を諦めないのか?
浮上する意識と共に、ぐるぐると疑問が頭を駆け巡った。
「なら、行くがいい。君の望むままに……」
誰ががそう言って笑った。
「君だけが、“最後”だ。その宝玉が、君を頂に導くだろう。吾が“王”よ。
それまでは…………」
次の瞬間、バチッと火花が散ったかのように、意識が覚醒した。
呼吸も荒く、全身が汗だくだった。
夢を見ていたようなのに、誰かが何かを言っていた気がするのに、思い出せない。
火照った身体に、ひやりと夜風が撫でつけていく。仰向けに倒れている自分に気づいた。
身体を起こすと、肩に掛かる髪がさらりと零れた。
「どこだ、ここ?」
見覚えの無い丘の上だった。
夜なのだろうか。明かりの無い夜闇が広がっていた。これほど“夜”が暗いと感じたのは、初めてだ。
目が闇に慣れると、暗闇の世界が浮かび上がってくる。真っ暗なはずなのに、暗くない。
不思議な感じだった。
眼下になだらかな丘が下っていた。その下に広がる鬱蒼と陰を落とす森。そのさらに奥に幾つかの小さな光が見える。
街、の明かりだろうか?
自分の知る街の明かりは、もっと明るく煌びやかで、まるで昼間のようだったのに、その光は随分と暗い。
だが、それは明らかに“文明”の光のようだ。
首を動かし、ぐるりと周囲を見回すと、少し離れた背後の丘の上には、廃虚らしい柱や石が転がっていた。
なにかの神殿だろうか?
見知らぬ場所だった。
今まで自分がいた場所とは違うと、無意識に理解していた。けれど、何故か無性に懐かしい。
「………訳が分からない」
知らないのに“懐かしい”とは、なんだ?
なんなんだ?
ふと、顔を上げれば、一面の星空に思わず息を呑んだ。こんなに満天の夜空なんて、見たことがない。
その夜空に浮かぶ赤い半月と青白い満月。
「赤きは“核”、青きは“理”……闇と光、本能と意志、大いなる御魂に宿る神の願い。
月は、其を示す世界の“魂“………………って、なんだ?なんだよ、これ?
俺は、なんでこんな事を知っているんだ?」
訳が分からない。
そう、分からないのだ。
俺は、頭を両手で抱えた。
一体、何が起きていて、ここはどこで、俺はなにをしていたのか。
「…………俺、俺は…………」
ふと、気付いた。
何も思い出せない。今まで何をしていたのか。帰るべき場所も、家族のこと、友人、周りの人、過ごしてきた日常のこと、何一つ分からない。
愕然として、俺は自分の手を見た。
思い出せないのだ。
“自分”のことも、何一つ思い出せない。
そう、自分の“名前”すら…………。
「………誰だ?」
俺は誰だ?
ポツリと、小さな言葉が零れる。
よく記憶喪失の人が、『ここはどこ?私はだれ?』とか言うと聞いたのを、少し馬鹿にしていたが、本当にそれしか出ないのだ。
ここは“どこ”で、自分は“だれ”で、帰るべき場所も、寄り添うべき相手も、頼るべき家族も、あったはずの日常も、何もかもが真っ暗だ。
自分の中に無いのだ。
どれくらい呆然としていたのか。
不意に気配を感じて、俺は我に返った。
見晴らしは良いが、人気もなく、街から離れた丘に人が来るなんてことはないだろう。
“ここ”は、今までいた“場所”と違い、人を襲う野獣や魔物が普通に彷徨いているのだ。人だけでなく、生き物の命が酷く重くて軽い所なのだ。
「なんで、また…………」
俺は頭を押さえた。
分からない事だらけなのに、まるで“解っている”かのように自然と浮かんでくる“認識”に、酷く戸惑った。
正直、気持ちが悪い。
自分で思ったことなのに、“疑問”ばかりが増えていく。
オオーーーーン…………
アオーーーーーン…………:
獣の遠吠えが響いてきた。
俺は立ち上がった。
目を凝らすと、麓の森から走り出てくる何かがいた。しかも、複数だ。
「…………犬?野犬か?」
暗闇に同化して分かりにくいが、灰色っぽい毛並みの獣が、丘を駆け上がってくる。
まずくないか?
なんとなく危機感を覚えた俺は、周囲を見回した。しかし、改めてみても、木の一本もない。隠れるどころか、逃げる場所すらない。
ふと、丘の上を見る。
なにかの建物の、“遺跡”なら、なにかあるかもしれない。
「というか、逃げるしかないだろっ?!これ!」
俺は走り出した。
今の俺の格好は、黒のシャツの上に灰色のパーカーを着て、下はジーンズにスニーカーを履いている。色的に夜闇に紛れやすい服装で良かったと思う。
とにかく、傾斜がやや急な丘を駆け上がる。後ろを振り返れば、数頭の野獣が丘を駆け上がってくるのが分かった。
もたもたしていたら、追いつかれてしまう勢いに、俺はゾッとした。
倒れた柱や大きな石を避けながら上がると、崩れかけた建物が浮かび上がる。
白い神殿のような建物のようだ。
大半は崩れているが、まだ、上階が残っている場所があった。
「上に上がる階段……!階段はっ?!」
階段でなくても、崩れた建物の上の階に上がれば
、獣が飛んで上がることは出来ない高さがあった。
俺は、崩れた場所を慎重に避けながら、残っている部分に上がる方法を考える。
時間が無い。
アオーーーーーン……!!
すぐ近くで、獣の声が響いた。
「やばいやばいやばいやばい………っ!」
俺は、走り出した。
心臓がバクバクするのは、走っているだけじゃない。焦る気持ちが急いて、俺は何度も転がる石や障害物と化した瓦礫に躓きながらも、階段を探す。
裏側に回り込んだとき、柱の影、やや奥まった場所に階段らしい段を見つける。
「……げっ!崩れてる……」
途中から崩れて落ちている。真ん中の数段が抜けて、上階への数段が続いている最悪の状態に、俺は舌打ちした。
「いや!………待てよ?逆に考えれば、上に上がれば、追ってこれないんじゃないか?」
無くなっているのは数段だ。1、2メートルくらいだろうか?
俺は、とっさに走り出した。
背後から無数の気配が迫ってくるのを感じる。
獣たちに追い詰められているという強迫感なのだろうか。気配なんて、普通、感じられるわけがないのに、俺は後ろを振り返らずに、階段を駆け上がり、途切れた段を思いっきり蹴った。
身体が宙に浮く。
短い距離と思った階段の空間は、思った以上に高さがあったらしい。
足は、まったく届かない。
俺は、夢中で手を伸ばした。ガシッと擬音がつきそうな勢いで、おれは上半身で階段の上段にしがみついた。
足は、宙にばたつく。
ハッハッ……と、荒い息遣いが耳に響く。
心臓がバクバクした。
「ウォンッ!!」
「ガウガウッッ!!」
ハッと肩越しに見れば、下段に灰色の毛並みの貧相な体つきの獣が数頭、こちらを見て、グルグルと唸っていた。
俺は、必死に上へと上がろうともがく。
だが、上半身と腕の力だけで上がるのは、難しかった。せめて、足が段にまで届けば上がれるのだが、今の俺は、腕だけでかじりついているような状態だった。
「ガウッ!」
「?!」
もがく俺に勝機を見たのだろう。助走を付けた獣がこちらに向かって、飛びかかってきた。
俺は、獣に向かって、咄嗟に蹴るように足を動かした。足の裏に、柔らかく弾力のある感触があり、それを足蹴にしたことで、俺は上段へと全身を持って行くことができた。
背後で、「ギャンッ!!」と、獣の悲鳴が響く。
俺は、その勢いのまま、上階への階段を駆け上がり、上階の床に転がった。
「………っ、ハァッ、ハァッ………っ!」
ゴロンと仰向けになって、息を整える。
何が起きたのか、正確には把握できない。いや、
多分、なにやら、とんでもないタイミングで、俺は飛びかかってきた獣を足蹴にしたらしい。
あのまま、飛びかかってきた獣に襲われて落ちたら、一貫の終わりだ。
だから、向かってきた獣を蹴ろうとしたのは、ほぼ、無意識だった。
俺は、よろめきながら身体を起こして、階段を覗き込んだ。
途切れた階段に、数頭の獣たちが右往左往している。赤くぎらぎらした目が、憎々しげにこちらを見ていた。
どうやら、飛ぶのを警戒しているようだ。
「…………今の、うちか………」
正直、体力が限界だが、ここでは落ち着いて休憩など出来そうにない。
いつ、あの獣たちが階段を制覇するか分かったものではないのだ。そこまでの知能があるのかどうかは分からないが、とにかく、離れた方がいいだろう。
俺は、ふらつく身体を叱咤して、奥へと歩き始めた。すでに、足がガクガクしている。
「はは………、俺、凄いかも……」
思わず、呟く。
死に物狂いとは、まさにこのことだろう。
崩れてる柱もあるが、まだ、支えている柱のおかげで、上階は保っているようだ。床が落ちていたり、天井が抜けて夜空が見える場所もある。
残っている祭壇のような壁の前まで来て、俺は、腰を下ろした。
ここで、行き止まりだった。
「あとは、彼奴らが上がってこないことを祈るしかないな…………」
正直、ここまで逃げられたのが“奇跡”だろう。
祭壇らしい台に背中を預け、俺は、崩れ落ちた天井から覗く夜空を見上げた。
綺麗だった。
命の遣り取りをしたせいか、余計に綺麗に見える気がした。
「…………なんなんだろうな……」
俺は、溜め息を吐いた。
この短時間が濃すぎた。
自分の記憶とか、ここはどこなのかとか、そんな深刻な疑問を吹き飛ばしてしまうくらいに、濃すぎた。
「どうでも良くないが、なんか、どうでも良くなった………」
俺は、抱えた膝に頬を押し付ける。
とんでもなく疲れた。
多分、俺は体力が無いんだろう。何となく分かる。何かと真っ向から戦える人間じゃない。只の一般人だ。
「はぁ~、どうしよう………」
森を抜ければ、街らしいのがあるのは、目覚めたときに確認している。
あそこまで行ければ、安全だろう。
だが、何も持っていないのだ。
食糧も、身を守る道具も術もない。
さらに言えば、記憶も名前もないが、それは置いておこう。今は、生き残るのが最優先だ。
俺は、ずるずるとその場に仰向けに寝転がった。
今のところ、なんの気配もないし、危機感もない。もし、あの獣たちが上がってきても、まぁ、ここで行き止まりだ。なす術がない。
「…………一体なんなんだよ……」
全ての“疑問”と理不尽な現状を集約させた一言が、ぼやきのように、満天の星空に静かに消えた。