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棘の姫は薔薇に焦がれる  作者: 碧檎
第一章 崖っぷち令嬢と負け犬殿下
2/19

「母上。ずいぶん余計なことされたな」


 一人の青年が部屋に入るなり言い放ち、王妃アリスティアはニッコリと微笑んだ。

 愛すべき息子、アルドリア王国王太子ジェラルド。鍛えあげられた体躯は部屋を狭く見せるほど。整った精悍な顔立ちをより際だたせるのは、鋭い光を湛えた緑色の瞳だ。猛々しい容貌を飾る燃えるような赤い髪は、自身のものを受け継いでいて愛着がある。どこをとっても最高級の男。もちろん中身も容貌にしっかり釣り合っている。母親として鼻が高く、目にするたびにうっとりとしてしまうのは仕方がないとアリスティアは眉尻を下げる。

 一方、ジェラルドは眉間に深いしわを寄せた。


「どうしたの。何をそんなに怒っているの」

「どうして勝手に侍女を集められた」

「侍女が足りないからよ」


 無難に答えるが、ジェラルドは誤魔化されない。


「春の除目で不足分は補充してあるし、そもそもこの予算は『特別会計』から捻出されている。会議で渋い顔をしているものがたくさんいた。従兄・・殿の側近など、苦虫をすりつぶしたような顔をしていたぞ」


 握りしめていた書類を突き出され、アリスティアは早々に降参した。


「そんなに怒ることないでしょう。早く孫の顔が見たいのは、当然のことじゃないの」


 謂れのない非難だとアリスティアは扇で顔を覆ってしまう。息子が選んだ娘ディアナは確かに美しく気立てもいいが、だからといって世継ぎが生まれないことをいつまでも見逃すことはできないのだ。

 侍女集めの本当の目的をあきらかにすると、ジェラルドはやっぱりかといきり立った。


「おれはディアナ以外に妃を娶るつもりはないからな」

「本当は離婚しなさいって言いたいところなのよ?」

「今度は何をおっしゃるんだ。教会は離婚を認めていない」


 ジェラルドは眉を逆立てたが、アリスティアは怯むことなく説明する。


「アルドリア国教の頂点に立つのは大主教だけれど、彼も人だもの。いざとなれば買収することだって可能なの。でもそれじゃあ、あまりにディアナが可哀想でしょう。私だってあの子が憎いわけじゃないのだから」

「だから公妾を? ……残酷なことをお考えになる」


 教会を持ちだされてジェラルドは攻撃を弱めた。五年前に他の男と婚約まで済んでいたディアナを奪うように娶ったことで、ジェラルドは教会を敵に回した。しかもそのディアナの婚約者は、故人である王弟の長男で、かつジェラルドの従兄であるストックポート公爵ヴィンセント。あわや内乱かと、一触即発の空気に、平和ぼけした国政は滞り、庶民は降って湧いたスキャンダルを面白おかしく騒ぎたてた。騒ぎが収まった今も、今こうして子がないのは報いか、もしくは婚約者を寝取られた公爵の呪いなのではないかと囁くものも多い。

 今まで瑕疵のなかったジェラルドの見せた隙を、彼を廃嫡し、ヴィンセントを王太子に担ぎ上げようとする陣営は鋭く突いてくる。

 それを嫌い、いっそ弱みとなっている結婚自体を破談にするべきだという過激な意見をもつ貴族たちも多く、ジェラルド――及び彼を支援する陣営の悩みの種なのだ。


(せめて子がいれば)


 娘に恨みはない。だが……子がなく、権威を奪われかけている結果を思うと、冷たいようだけれども、貧乏くじを引いたような気分にもなるのだ。

 アリスティアは小さくため息をつく。


「ところで、そのディアナは?」

「母上のせいで、喧嘩になった。ここ一週間、部屋にこもったままだ」

「あら、ごめんなさいね」


 軽く謝ると、


「本当に悪いと思っておられるのか?」


 ジェラルドはむっとした後、そわそわと髪をかきあげる。名を聞いたら、愛妻のことで頭がいっぱいになったのだろう。今にも彼女の元へ駆けつけたい様子が見て取れる。本当に、息子は妃を愛している。夫からあまり顧みられなかった自分のことを思うと、羨ましく思えるくらいに。

 美しい侍女を集めれば、自然に子ができる。そこで法を都合よくいじれば万事解決と思っている輩ががっかりするのは目に見えていた。

 それでも波風が立てばいらぬ傷も負うだろう。ジェラルド本人も、彼が必死で守ろうとしているディアナも。


(もうちょっとだけ猶予をあげてもいいかしらね)


 急に息子が気の毒になったアリスティアが、


「侍女を集めることしか私は請け負っていないわ。だからね、気に入らなければ追い返せばいいのよ。ひとまず譲歩できる部分でしないと、あんまり頑なだと不満が溜まりに溜まっていつか爆発してしまう」


 そう宥めるとジェラルドはようやく眉間の皺を伸ばし、退出する。

 息子の説得に成功したアリスティアは、後ろ姿を見送りながらほっと息をつく。そして、空を見上げ、番いながら舞う鳥を見ながらささやいた。


「でも……やっぱり孫は諦められないのよね。このままじゃ、あの女・・・が良からぬことを企むに決まっているわ。争いの芽は摘んでおくべきなのに……何とかならないものかしら」




 *



 王都ジェネラスの城壁をくぐり、王宮リザヘルム・カスルの天を突き刺すような尖塔が目に入ってからは、ステラの心は浮き立つばかりだった。


 城下町は活気がある。石畳の上を馬車が次々と通り過ぎ、大通りには賑やかな商店がところ狭しと立ち並んでいた。ホルンの音がどこからか鳴り響き、花びらが撒かれ、まるでお祭り騒ぎだ。

 聖人の復活祭イースターにはまだ少し早いというのにと首を傾げつつもステラは街の観察に夢中になった。

 家出同然で領地から飛び出したが、駅馬車と鉄道を乗り継いでおおよそ二日の道のりだった。お触れが出てからとなると、五日は経っているだろう。遅れを取るまいと急いだせいでステラは疲れていて、付いてきた忠実なメイドのマリーもげっそりしていた。だが長い旅路の終わりにはきっと輝く未来が待っているに違いない。いやそういう未来をきっと手にしてみせると自らを奮い立たせていたのだ。

 ――だが。


「ねえ、なんだか……」


 ステラはそこで異様な雰囲気に気づく。

 王宮から貴族のものと思われる馬車が次々に出てくるのだ。その中には無蓋馬車もいくつかあったが、乗っているのがことごとく着飾った令嬢である。

 彼女らの曇った顔や憤った顔に嫌な予感が膨らみきったところで、ステラとマリーは王宮の大きな門に辿り着いた。大きな大理石で造られた頑丈な門の傍らには、濃紺の軍服に身を包んだ衛兵が数人、槍を小脇に抱えて直立している。

 その内の一人がステラを一目見たあと、気まずそうな顔で入城の受付をする。


「ええと、どのようなご用件で」

王宮ここで侍女の募集がありましたでしょう?」


 募集は国中で行われている。おそらくステラの到着は後ろから数えたほうが早いはずだし、既に何人もの娘が募集に応じて辿り着いているはず。速やかに話が進むはずなのにどうしてだろうと思いつつ、父から奪い取った書状を差し出すと、衛兵は気の毒そうな顔でおどおどと口を開く。


「ああ……それが、ええと」


 言いにくそうな様子がまるで恥じらう乙女だとステラが苦笑いしそうになったその時、衛兵は言った。


「ミス、大変申し上げにくいのですが、募集は急遽打ち切られまして」

「はぁああ!?」


 思わず猫が剥がれ、がらの悪い声が出ると、衛兵がびくうと体を震わせる。


「ど、どういうことよ! 私、遠路はるばるここまでやってきたのよ。打ち切りってどういうことよ!!」


 私の輝かしい未来をどうしてくれるの! と胸ぐらを掴みかけたステラに衛兵はあからさまに怯えた顔をする。令嬢にあるまじき行為に、書状の内容を確認し始める始末だ。


「マイレィディ! 落ち着いてくださいませ!」


 興奮するステラをマリーが後ろからとりなすが、構っていられない。


「領地からここまで二日よ? 帰れっていうの!? 給金ももらえないで!? なにそれ、納得できるわけ無いでしょ!」


 衛兵は乱心の令嬢に大きな身体を縮めてぶるぶると震える。


「あ、あの、ご足労いただいたのは理解しておりますので、一月分の報酬を奥の詰め所で受け取って頂いて……」

「たった一月分?」


 黙って入城許可を表す判を押すと、衛兵は震える手で書状を差し出す。

 破り取るように奪うと、ステラは衛兵が指差す詰め所へとずんずんと歩き始めた。



 *



「あー……退屈だ。議会ってどうしてあんなに退屈なんだろうね」


 ヴィンセントが箱型馬車ブルームの中で思わず本音をこぼすと、近従フットマンのオスニエルが苦笑いをした。

 オスニエルの固くしっかりした黒髪をしっかりと撫で付けている様は、彼の堅実な内面を表している。軍人上がりの体格を備え、そつなく何でもこなすオスニエルはご婦人たちにも評判が良い。感じのよい近従というのは宝だと皆に言われるが、主人が引き立て役になるほどの男となると考えを改めるべきかもしれない。猫っ毛とも言えそうな柔らかく細い金髪は、いくら油を塗り込もうとも、まとまらずに落ちてくることが常だった。男にしては多少華奢な指先で前髪をかき上げ、ヴィンセントは小さくため息を吐いた。


「退屈なのは、この国が平和な証拠でございますよ」


 近従の言葉に、ヴィンセントは反論する。


「確かにそうだけれど、保守的な老人の腰を上げさせることと血気盛んな若者を宥めることはどちらも骨だ。今日もジェラルドが爆弾を落としてさ、爺さんたちが倒れないかハラハラしたよ」

「それでも退屈だと思われたのですか?」

「だって僕が関わっても関わらなくても、結局はジェラルドの思い通りになるんだから。欠席していても寝ていても多分なにも変わらない」


 ため息をつくヴィンセントを乗せて、箱型馬車は王宮の門をくぐる。議会を終え、これから自宅タウンハウスへ帰宅するのだ。

 だが、通り過ぎる瞬間、門で衛兵相手に揉めている少女にヴィンセントの目は釘付けになった。


(――は?)


 見間違えでなければ、華やかなドレスを身にまとった令嬢が兵の胸ぐらを掴んでいたように見えたのだ。

 妙な高揚感に、すぐさまヴィンセントは馬車を路地で止めさせて窓を開けた。

 やはり見間違えではない。小柄な娘が大柄な兵に何か大きな声で訴えている。子犬が大型犬にけんかを売っているようにも見え、久々に退屈が削がれていくのがわかる。


「なんだあれは」

「見かけないご令嬢が多いのは、例の王太子妃付きの侍女の大量募集の件だと聞いておりますが」


 ヴィンセントは「ああ」と頷いた。


「オズモンド伯爵が『募集したばかりではないですか!』とか陛下に突っかかっていたやつね。令嬢たちは気が乗らないだろうけれど、王の外戚になるまたとない機会だったから、親は皆必死で滑稽だった」


 オスニエルは頷く。


「あれもきっとどこぞの令嬢でございますよ。今の時期に参上するとなると、領地が王都から離れている方でしょうか。――レディ・アン・マンスフィールド、もしくはレディ・アメリア・カドバリー……」


 数名の侯爵令嬢、伯爵令嬢の名を口にしたオスニエルに、ヴィンセントは軽く首を横に振る。

 美しい銀髪を丁寧に結ってあるし、姿勢もよく、立ち振舞や、顔立ちには気品もある。態度が態度でなければ文句なしに美しい娘だ。だが、纏うドレスが流行から遅れている。この頃はスカートの下の馬鹿げた下着クリノリンが消え、代わりに腰を細く見せるために、上半身に大げさな飾りをつけることが多いのだけれど、娘のドレスは、まだスカートの膨らみが大げさだ。侯爵や伯爵の資産があれば、娘にあのような流行遅れの格好はさせまいと思った。

 ヴィンセントの予測に、オスニエルは納得したように頷くと、「遠方からいらした男爵令嬢といったところでしょうか」と言い直した。当然、オスニエルは田舎者と言わないだけの分別は持ち合わせている。


「はるばる遠方から出てきたのに、気の毒だね。でも、ディアナに待望の子・・・・ができたんだから、しょうがないよ」


 ヴィンセントの中には喜ばしい気分と憂鬱な気分が混在している。胸に巣食う痛みが鈍いのは時が経ったからだろうが、それでも痛みが全くなくなることはない。ため息を吐いて、重苦しい気分だけを流そうとするが失敗する。


「――良かったんだ、これで。これで全てうまく行く。ジェラルドとディアナの幸せは、僕の幸せだ」


 言い聞かせるようにつぶやいてみるが、オスニエルが痛々しそうな顔をするので、それ以上自分を励ますことはできない。一体いつまでこの傷が痛むのだろうと途方に暮れそうになることもしばしばあった。




 現王太子妃であるディアナは、アシントン伯爵令嬢で、ヴィンセントの元婚約者でもある。

 この国では貴族の令嬢が、社交界デビューから結婚するまでの期間を、花嫁修業を兼ねて王宮で侍女として務めることが多い。ディアナも例に違わず、王妃付きの侍女として王宮に入っていた。

 最初こそ親が決めた縁談だったが、美しく、聡明で、思いやりに満ちたディアナに、ヴィンセントが心を奪われるのはあっという間だった。だが、彼女を欲したのはヴィンセントだけではなく、彼が弟のようにかわいがっていた従弟のジェラルドもだったのだ。


 そして紆余曲折の末、ディアナはジェラルドを選んだ。先に申し込んだのはヴィンセントだったが、恋に早い者勝ちというルールはない。

 民は皆、婚約者を奪われたヴィンセントを哀れんだ。もしヴィンセントの父が王であり、ヴィンセントが王太子であれば、ディアナは彼を選んだろうと。民の哀れみの視線は未だにヴィンセントを苛んだ。哀れんだふりをして面白がっているようにしか思えないのだった。


 もちろんジェラルドでなく自分が王位継承者であれば、結末が違ったかもしれないと思わなかったといえば嘘になる。だけれども、それは男としての魅力で敗れたことを言い訳するようで、ヴィンセントは好まなかった。ディアナが権力に惹かれる女性ではないと知っているから余計だった。


(ああ、憂鬱だ。そして、退屈だ)


 胸の痛みをごまかすために感情を殺せば、今度は退屈さで死にそうになる。どちらがましだろうと、考えれば淀んだ沼に引きずり込まれそうな気分になる。

 自分が堕ちてしまったら、ディアナはきっと悲しむだろう。だから、ヴィンセントはなんとか立っていようとしているのだ。病みかけている己を何とかごまかそうとし続けてもう五年。限界を感じないこともない。

 気を紛らわせたくて、先程の娘に注意を向ける。彼女はまだ衛兵に食いかかっている。体格差は歴然だというのに、明らかに兵が迫力負けしており、いつしか周囲には遠巻きに人垣ができている。


「報酬は受け取られたはずです。お帰りください」

「いいえ。こんなはした金じゃやっぱり納得できない。王太子殿下にお取次ぎを。取り次いでくださらないのであれば、ここから動きません」


 そう言うと、彼女は大げさなスカートが汚れるのも気にせずに道の真中に座り込む。およそ令嬢らしくない破天荒な行動に衛兵は慌てふためき、周囲の野次馬もどよめいた。


「……なにを言っているんだあの娘……直訴なんかしたら、下手したら牢獄行きだよ」


 野次馬と同じく虚を突かれた次の瞬間、ヴィンセントはくつくつと笑っていた。そして久々に快活に笑う主人に驚くオスニエルに命じた。


「ジェラルドはディアナ以外の女にはかなり冷たい。彼に捕まる前に、あの子、こっそり保護してきてくれる?」


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