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棘の姫は薔薇に焦がれる  作者: 碧檎
第三章 仲直り、そして
14/19

 最初に見た時の半分の長さになったろうそくを一瞥すると、ステラはふくれっ面を隣の席に座るヴィンセントに向ける。


「ねえ、遅れるのは理解できる。だけどね、限度があると思うの」


 ヴィンセントが主催した晩餐会にステラは招待してもらっていた。といってもごく内輪だけで行われる小さな集まりだ。次期伯爵令息などを紹介してくれるという話に乗って、侍女の仕事を休んで着飾ってやってきたというのに、ステラの前にいる男はヴィンセントのみ。給仕をするオスニエルがたまに顔を見せるが、料理を運ぶとき以外、顔を見せない。

 ちなみに今日のステラのイブニングドレスは、髪と同じく淡い銀色のドレス。襟ぐりにダイヤモンドをあしらってある、見るからに高級品だ。またもやヴィンセントからの贈り物だった。受け取る理由がなかったため断り続けていたステラだったが、すでに嫁にいった姉のお古をくれると言ったので受け取った。けれど、スカートは一昔前みたいに膨らんでいない。つまり、どう見てもこれは新しく誂えた品。しかもなぜか測ったようにぴったりで気味が悪すぎるのだった。

 だが、ステラがなかなか運命の男に出会えない埋め合わせのつもりなら、遠慮無く頂いても構わないかもしれない。

 ヴィンセントが紹介してくれる男に、ろくな男がいないのだ。

 最初の晩餐会はすっぽかされ、次の茶会では相手は愛人を連れてきた。今日も遅れると言っているけれど、メインディッシュがテーブルに乗る頃になっても姿を見せないのだ。


「あとはデザートだけよ?」


 ステラは隣りに座るヴィンセントにイライラと話しかける。


「ねえ、どういうつもり。もうだいぶん時間も過ぎたのに、誰もいらっしゃらないじゃない。この間もそうだったでしょ? 本当にお友達?」

「時間にルーズな男が多いからなあ。晩餐会のはしごでもしているんじゃないかな。――ほら、折角の料理が冷めてしまうよ」


 のんきに言われてステラは口をとがらせつつも、肉にフォークを刺す。


「まあ、男爵令嬢の相手なんて後回しなんでしょうけれど、あなたはそれでいいの? 私だったら公爵様にご招待されたら、遅れようなんて気にならない。礼に欠いた男なんて最低」


 刺した肉を口に運ぶ。信じられないくらい柔らかい肉。噛んだ途端に肉汁が口の中に溢れ、ステラは目を丸くするが、ヴィンセントの言葉にせっかくの芳醇な味を忘れかけた。


「まあ、僕と仲良くしても益がないと思っているんだろう」

「そんな風だから余計に軽んじられるの!」

「別に君が怒らなくてもいいだろう。君は男を見定められてよかったじゃないか。好みに合わないって、先にわかって幸運だったって思わないと」


 鷹揚な意見にステラの眉間の皺が深くなる。


「でもね。もう一覧表に残っている男性も半分よ。この間の男なんて、正妻よりも先に愛人がいるなんて、冗談じゃないわ。オペラ歌手で、親が結婚を認めないのですって。浮気する気満々なんて、願い下げ。最初から言っておいてよ」

「公妾を目指しておいて何を言うんだよ」


 ヴィンセントはくつくつと笑う。ステラが肉にフォークをぐさりと刺すと、銀のプレートが高い音をたてる。オスニエルが「傷がつくと、磨くのがたいへんです」と顔をしかめるのが目の裏に浮かぶが、やめられなかった。


「公妾は国のための立派な御役目でしょう。一緒にするのが間違っているわ。だいたい、最初から目標を低く定めておいたら、それを超えることなんてできないのよ」


 ヴィンセントは愉快そうににこにことステラの話を聞いている。ないがしろにされて悔しくないのだろうか。


「何がおかしいの」


 ステラが腹を立てると、ヴィンセントはさらに笑った。


「君が僕のために怒ってくれていることが」


 猫に似た、少しだけ釣り上がった目が、甘い光を湛えている。ステラは怯んだ。このところ、彼はこんな風にステラを見つめることが増えた気がする。そのたびにステラの胸は勝手に暴れだし、頬は勝手に色を赤く変える。そしてステラが気まずさに目を逸らすと、ヴィンセントは自嘲気味に笑うのだ。


「別にあなたのために怒っているわけじゃないわ。ただ、あなたの負け犬的な生き方に腹が立つだけよ」

「僕だって、そろそろそんな生き方はやめたいって思っている。君みたいに生きられたらって、憧れるよ」

「え?」

「僕は、君の強さに憧れている。独り占めしたいくらいに」


 ヴィンセントはステラに顔を近づけると、耳元でささやいた。熱い息が耳たぶに息が触れ、ステラは目を見開いた。こんな風にされると、どうしても先日の事件――キスのことを思い出さずにいられない。


「ちょっと、あの、近いわ。それに、今の、どういう意味――」


 聞かなければいけない気がして、思わず伏せていた顔を上げ、彼の方に向き直ったときだった。

 オスニエルが「失礼します」と甘い空気を壊しながら入室してきて、ヴィンセントが顔をしかめた。


「呼んでいないよ? メインディッシュを置いたら入ってこないでくれって言っていたと思うけれど」

「お邪魔するつもりはなかったのですけれど――」


 異様な雰囲気に目を凝らすと、オスニエルの後ろには憲兵の制服を着た男たちがずらりと並んでいた。

 中央に立った男がオスニエルを押しのけるように前に出ると、地を這うような声でステラに向けて言った。


「ミス・ステラ・ハントリー。あなたに王太子妃殿下および王太子殿下の御子の呪殺未遂の疑いが掛けられております。取り調べを行いますので、どうぞ速やかにご同行願います」

「なんだって!? 何かの間違いじゃ――」


 言いながらステラを背にかばったヴィンセントの目の前に、一枚の紙切れが掲げられる。

 ステラはそれを見て思わず叫んだ。


「どうして!?」


 書かれている筆跡には見覚えがありすぎた。それはトマス・アボットの手紙の切れ端だったのだ。

 切羽詰まった声色は、ステラがその紙に関わっていることを如実に表していた。思わず口を押さえたが遅かった。ヴィンセントもぎょっと目をむく。


「まさか――君が? 本当に?」

「違うわ。知らないわ!」


 ステラは必死で頭を振る。これはなんとしても否定しなければならない。ステラは二度とディアナとの友情を失いたくなかった。

 だが憲兵長は苦笑いをして追及する。


「ですが、それでしたら、どうしてこれをご存知なのですか」

「確かにその手紙は私の持ち物だけれど、捨てたものだもの。私には関わりあいないことよ!」

「ですが、あなたには動機があります」

「動機なんてないわよ!」

「あなたは王太子の妃――いえ、公妾の座を狙って王都へやって来たそうですね」

「…………それは誰に聞いたの」


 あの事件は表沙汰になっていないはず。だから言うとしたらディアナだろうか。まだ疑っているというのだろうか。ステラが偽りの謝罪をして、裏では何食わぬ顔でディアナの不幸を願っているなどと思っているのだろうか。

 とするとどれだけ彼女が傷ついているだろうかと身を切られる気分になる。だが、憲兵長はすました顔で言った。


「少し調べればわかることです。私の部下にあなたに見覚えがある人間もいましたし。王宮の門で派手に騒いでいたそうではないですか?」


 王都に着いたばかりの頃を思い出してステラが黙りこむと、憲兵長は横柄に言った。


「とにかく――続きは王宮で王妃陛下がお聞きになるそうです」


 強引に右腕を取られたステラは前につんのめった。転びそうになったステラだったが、後ろから左手首をヴィンセントに掴まれて、彼の胸に抱きとめられる。

 広い胸にすっぽりと収まり、力強く抱きしめられる。ステラはこんな時だというのに赤面し、混乱した。この距離は、恋人同士でもない限り、あり得ない距離だった。


「ちょ、ちょっと何をしているの!?」


 するとヴィンセントはステラを見下ろして柔らかく笑う。


「君を連れては行かせない」


 邪魔をされた憲兵長は気色ばむ。不遜な顔には王子相手でもまったく譲る気がないのが現れている。


「かばわれるのですか? でしたら、殿下にもお話を聞く必要が出てきますが。殿下にも――いえ、殿下にこそ、れっきとした動機がありますからね」

「構わない。僕は彼女を王宮に送り込んだ責任がある。釈明したい。一緒に連れて行ってくれ」


 ヴィンセントが頑なに言うが、それが彼の破滅につながることくらいステラにはすぐにわかった。王太子妃と王太子の子の呪殺。それを王位継承権のある王子がやったと疑われるのは確実に内乱につながる。今は表立って目に見えない、だが、くすぶっている勢力に火がつくのが目に見えた。


「釈明? 何をどのように?」


 憲兵長が尋ねると、ヴィンセントはきっぱりと言った。


「僕は、王位を望んではいない」

「それでも、プリンセス・ディアナのことは忘れられないのではないのですか。他の男の子を孕んだ彼女が赦せないのでは」

「ちがう。僕は――」


 そこでヴィンセントはステラをじっと見つめると、「こんな風に告げたくなかったんだけれど」と眉をしかめて言った。


「僕は、このミス・ステラと婚約している。ディアナのことはもう、良い友人だと思っている」

「……は?」


 ステラは目を丸くする。だが直後、それが彼がこの場を切り抜けるために考えた企みだと思い当たった。

 とたん、ステラは酷い虚無感に襲われた。

 ヴィンセントの言葉を言葉通りに信じたかった。これほど己の聡さを憎んだことはない、そう思った。


「何を言っているの」


 絞り出した声はかすれていた。


「プロポーズだよ。受けてくれるよね?」


 強引に話を進めようとするヴィンセントに、ステラは猛烈に腹が立ってくる。そして同時に胸が悲鳴を上げ始めているのに気がついた。


「頼む、頷くんだ」


 抱き寄せられ、耳元で低くささやかれる。頷けば、公爵の妻の座が確約されたステラには、ディアナを追い落とす動機がなくなる。そしてヴィンセントにも、愛した人の裏切りを許せないという動機がなくなる。つまりこれは窮地を乗り越えるための都合のよい契約で、頷くべきだと理解できた。だけど、こんなのは嫌だとステラの心が叫んでいた。


「やめて――私、」


 愛の無い結婚なんて、絶対嫌。湧き上がった一つの想いに、ステラは愕然とした。


(元々結婚に愛など求めていなかったはずなのに。利用されたとしても、公爵夫人の座が手に入るなら、万々歳のはず。――なのに、どうして私、こんなに辛いわけ? ……まさか)


 答えに思い当たり、そのまま絶句するステラに焦れたヴィンセントは、「ステラ、愛している」と頬を傾けてくちづけてきた。熱い唇に翻弄され、ステラの頭は瞬く間に沸騰する。もがこうとしたが、骨が砕けそうな力で強引に押し抱かれてぴくりとも動けなかった。突如始まった熱烈な求愛に、気まずい雰囲気が部屋に充満しても、ヴィンセントはステラを離さない。

 『愛の証拠』を見せるためだけに、くちづけているのだとわかれば、身を切られるようだった。

 くちづけにステラの腰が立たなくなった頃には、すでに人の気配は大部分が消えさっていた。


(なによ、これ)


 ようやく解放される。唇が離れたとたんぼろぼろと涙が溢れ、ステラは慌てて俯いた。泣き顔など、こんな卑劣な男に、絶対見られたくなかった。


「……余計なことしないで。潔白くらい自分で証明できるのに!」


 ステラが剥き出しの怒りをぶつけると、ヴィンセントは声を荒らげた。


「一人で何ができるっていうんだ。こんな時くらい、僕を頼ってくれてもいいだろう? 僕は君を守りたくて――」

「いらないわ。負け犬王子には出番はないの!」


 抱き寄せようとするヴィンセントを、ステラははねつけるように鋭く睨んだ。そしてステラの涙に濡れた顔に衝撃を受けたヴィンセントを見て、頭のどこかが焼き切れる。


(こんな仕打ちに――私が傷つかないとでも思っているの?)


 パン、という鋭い音にはっとすると、ヴィンセントが頬を押さえている。ステラの手はひどくしびれていた。


「あなたなんか――大嫌い!」


 身を翻すステラに、


「どこに行く!?」

「まだ追いつけるでしょ。さっきの兵に、連れて行ってもらうのよ。牢に入れられようが、――ここにいるより何倍もましだわ!」


 ステラが退出しようとすると、オスニエルが「どうか、冷静におなりください」と悲しげに立ちふさがる。だが、ステラはいつものように顔を上げると、彼の隣をすり抜けて屋敷を出て行った。


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