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第一話

 夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。

 一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。

 音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。

 男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。

 力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。


 ◇◆◇◆


 たどり着いた家には、夜中だというのに、煌々と灯りがともされていた。

 しかし、そこに家人(かじん)の気配はない。


「……探しに出てる、か」


 ぽつりとつぶやいた男は、しとどに濡れた女を長椅子に下ろした。

 陶器のように色を失った頬に、ぺったりと黒髪がはりついている。普段であればうす赤をしている唇も、鬱血したような色になってしまっていた。

 風呂場から拝借したタオルでざっと女を拭き上げてから、男は懐から魔道具を取り出した。


「見つけた。お前の家にいる」


 それだけを吹き込み、光の玉を窓から夜空へ無造作に投げる。

 その行く先も確かめないまま、男は女のもとへ戻った。

 暖炉は部屋を十分に暖めてはいるが、芯まで冷えきった身体には足りないのだろう。よく見れば、女は小刻みに震えていた。


 本来ならば着替えさせたり、湯に入れたりした方が良いのだろうが、と考えているうち、玄関先で声が上がった。


「リサ……! いるのか?!」


 まろぶような足音とともに、死人のような顔色の男が入ってきた。

 雪の中どれだけ駆けずり回ったのか知らないが、銀の髪にも、足元にも、たくさんの雪玉がへばりついている。着ているコートも、元の色がわからないほどぐっしょりと濡れていた。

 女の傍らに立つ男はそんな姿に一瞥をくれると、冷たく言い放った。


「オズウェル、他に言うことはないのか」

「……っ、リサを見つけてくれてありがとう、デューイ」


 オズウェルのことばには感謝の気持ちはもちろん含まれていたが、視線はリサと呼ばれた女に据えられ、不安に揺れている。

 無理もないと思いながらも、デューイの胸中には苦いものが広がった。もちろん、それをそのまま表現するほど、彼は幼くも世慣れていなくもないが。


「このままだと死ぬぞ。せいぜい温めてやれ」

「……ありがとう。礼は改めて」


 言いながら女の元へ膝をつくオズウェルに、デューイは鼻を鳴らす。

 ひらひらと後ろ向きに振った手は、当然オズウェルの目には入っていなかった。


 ◇◆◇◆


 目が覚めて、ああやっぱり、と彼女は息をつめた。

 青みがかった天井、柔らかく窓辺から差し込む冬の光、決して広くはないが清潔に保たれた寝台、何度も嗅いだ匂い。


 痛い。

 痛い。

 なぜ。どうして。


「……リサ! 目が覚めたんだね」

「…………」


 寝台の脇には、当然ながら家主(オズウェル)がいた。

 銀の髪に青空を思わせるような碧眼。もうすぐ三十に手が届くというのに、どこか幼い印象があるが、けちのつけどころがない美形だ。

 だが、リサはオズウェルの方を見もしない。

 じっと天井を睨んだまま、そっと、ほんのわずかに目を細めただけだ。


「リサ、喉は乾いていない? 林檎も剥いたからよかったら食べて。俺は隣にいるから」


 かいがいしく世話を焼く姿にも、リサは目もくれない。

 返事も首肯もしない彼女に、オズウェルは少しだけ悲しそうに目尻を落とし、部屋を出て行った。


「……なんで」


 リサのその一言は、あらゆるものに向けられた疑問であり、怒りであり、絶望だった。


 ◆◇◆◇


 リサが雪の中で行き倒れているのをデューイに拾われてから、オズウェルは日増しに過保護になる。


 それは、口に出さずとも、リサが今すぐにでもこの世界から消えてなくなりたいと思っていることを、誰よりわかっているからだった。


 本来の仕事――宮廷魔法騎士とかいうご大層な――をぎりぎりまで放棄し、最低限のものだけを自宅に持ち込み済ませる。

 買い物も、通いのメイドに頼むか、商店に直接届けてもらう。リサがトイレに行くのも、入浴するのにも、静かにオズウェルが注意を向けるのに、リサは気分を害された。


 今日とてオズウェルは宮廷に呼ばれて止む無く家を空けているが、その間は通いのメイドが“くれぐれもリサを家から出さないように”と言われていることを、リサは知っていた。


「……まるで虜囚のようだわ」

 オズウェルに不満を抱きながらも、その手に養われている事実を嘲笑(わら)ったつもりが、なぜか涙声になった。


 強くまばたきをして露を払ったそのとき、

「リサさん、お客さんをお通ししてもよろしいですか?」

 仕事を終えて帰り支度をしたメイドが、リビングへ顔をのぞかせた。


 もちろん、リサに拒否権はない。

 黙って頷けば、メイドの後ろから入ってきたのは予想通りの顔だった。


「おい、いい加減にしろ。鬱陶しくて仕方がない」

「何のことでしょうか」


 挨拶もそこそこに、吐き捨てるように言ってきたデューイをリサは見上げる。

 オズウェルと同じ宮廷魔法剣士だというこの男は、奔放に動き回るオズウェルのお目付け役らしい。

 多い時で日に一度、少なくとも三日はあけずにこうしてやってくる。

 オズウェルがいないのに、この男がやって来たということは、メイドが帰宅してからオズウェルが帰るまでの監視役ということなのだろう。

 いつでも見張られているという事実はリサの胸を真っ黒に塗りつぶしたが、それを抜きにしても、正論をこねまわし、尊大な態度で接してくるこの男のことがリサは嫌いだった。


「オズウェルに当たるのはけやめろ。雪の中出歩いて、自殺まがいのことをするな」


 言われたことばが耳朶を滑り、脳髄に落ちるかどうかのところで、リサの血がかっと沸騰した。


「あなたに! なんでそんなことを言われないといけないの!」

 たたんでいたシャツを握る手が震えた。

 怒り、絶望、猜疑、悲しみ。

 目がくらむほどの激情が突き上げ、リサは嗤い出したくなった。


「お前の現状は、過去のお前自身が選んだ結果だ。それを何もかも忘れて、オズウェルだけに清算させようとしているだけだ」

「うるさい!! そんなの知らないわ!」


 思わず投げたシャツは、デューイには届かず、床へ落ちた。

 ぐちゃぐちゃになって、みじめに打ち捨てられたそれは、リサ自身の気持ちでもあった。



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