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海神  作者: 樋渡 幸
9/10

神室の婆 六

産屋の中にいた者は、和邇わにであった。


火遠理は絶句して、一瞬の後にこれが彼の妻であることを理解した。


和邇は海神の一族にのみ許された姿。

それは時として、海神の言葉を伝える美しい使いとして人民の前に姿を現す。

輝くしろがねの鱗。

長い、およそ八間はちけん程もある身体が狭い産屋でうねってのたうっている。

細く鋭いまなこにはつい先程出産を終えた母としての誇りと、産みの辛さが入り混じって映っているように思われた。

和邇の身体の元では、産み落とされたばかりの赤子が泣き声をあげている。


なんということだ…


思わず呟いた火遠理の声を耳聡い和邇は聞き逃さなかった。

大蛇にも似たその頭を入り口で立ち尽くす夫に向ける。


火遠理様…、あれ程申し上げましたのに


初めて聞く和邇の声は紛れも無く豊玉姫のものであるが、どこか遠くから響いてくるような、不思議な音に聞こえた。


すまぬ、我が妻よ


火遠理は妻に許しを請う。

産屋を覗くなと、豊玉姫があれ程強く言っていたのは、この姿を見せていたずらに夫を驚かせたくなかったからだろう。

そう思い至って、火遠理の胸には激しい後悔の念が渦巻いた。


和邇は豊玉姫に姿を変えた。

白い衣から伸びるたおやかな腕で子を抱き上げる。

いつも美しく結い上げてある髪が、ほつれてうなじにはらりとかかっている。


御覧下さいませ

男御子でございます


火遠理は、白い産着の中から覗くしわくちゃの赤子の顔を見た。

自分の子が元気な産声を上げる姿に、安堵と慈愛の気持ちが心に溢れるのを感じた。


その一方で、母となり赤子を優しくあやすように揺らしている豊玉姫が、自分の謝罪を受け入れたのか図りかねた。




一間はおよそ1.8メートルです。

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