神室の婆 六
産屋の中にいた者は、和邇であった。
火遠理は絶句して、一瞬の後にこれが彼の妻であることを理解した。
和邇は海神の一族にのみ許された姿。
それは時として、海神の言葉を伝える美しい使いとして人民の前に姿を現す。
輝く銀の鱗。
長い、およそ八間程もある身体が狭い産屋でうねってのたうっている。
細く鋭い眼にはつい先程出産を終えた母としての誇りと、産みの辛さが入り混じって映っているように思われた。
和邇の身体の元では、産み落とされたばかりの赤子が泣き声をあげている。
なんということだ…
思わず呟いた火遠理の声を耳聡い和邇は聞き逃さなかった。
大蛇にも似たその頭を入り口で立ち尽くす夫に向ける。
火遠理様…、あれ程申し上げましたのに
初めて聞く和邇の声は紛れも無く豊玉姫のものであるが、どこか遠くから響いてくるような、不思議な音に聞こえた。
すまぬ、我が妻よ
火遠理は妻に許しを請う。
産屋を覗くなと、豊玉姫があれ程強く言っていたのは、この姿を見せて徒に夫を驚かせたくなかったからだろう。
そう思い至って、火遠理の胸には激しい後悔の念が渦巻いた。
和邇は豊玉姫に姿を変えた。
白い衣から伸びるたおやかな腕で子を抱き上げる。
いつも美しく結い上げてある髪が、ほつれて項にはらりとかかっている。
御覧下さいませ
男御子でございます
火遠理は、白い産着の中から覗くしわくちゃの赤子の顔を見た。
自分の子が元気な産声を上げる姿に、安堵と慈愛の気持ちが心に溢れるのを感じた。
その一方で、母となり赤子を優しくあやすように揺らしている豊玉姫が、自分の謝罪を受け入れたのか図りかねた。
一間はおよそ1.8メートルです。




