神室の婆 伍
社に着くと、婆は今日も同じように二人を招き入れた。
「よく来た。二人とも、よく来たな」
二人も昨日と同じように腰を下ろす。
「婆様、すっかり遅くなってしまって」
早伎津の申し訳なさそうな表情に、婆は僅かに口角を上げて答える。
「よい、よい。宴は重要な儀式でもあるのだから。……続きを話すことにしようか。今宵は余り刻が残されておらんからの」
婆は一度言葉を切った。今から話す言葉を探しているかのようだった。
「ふぅむ、どこまで話したか…」
「我らが海神の末裔であるというところまでだ」
柾木が婆に告げる。
「そうじゃった。海神は水生の郷の民をお守りくださっている。海原が凪ぐのも荒れるのも、みな海神次第じゃ」
「だからこの郷では、海神に祈り、感謝を捧げる」
柾木が続ける。この郷の者には分かりきっているぐらい分かっていることだった。
「豊玉姫があのような姿に化身しているのには、わけがある。待っているのだ」
「待っている?どなたを?」
早伎津の問いに婆は答える。
「火遠理命じゃ。波打つ稲穂の神」
「豊玉姫の夫となられた方?」
「そう。そうじゃ、火遠理命は天照大神の末裔で、豊玉姫を海神の宮で娶った。二神は海神の宮に御住まいになった」
「一緒に暮らしていたなら、なぜ火遠理命を待つことになったんだ?」
「火遠理命はその時兄神ともめていてな、地上へ戻らねばならなくなったのだ」
「じゃあ、そのまま御二人は会えなかったの?」
「いいや、それは違うな。それは違う」
婆は首を振った。
「豊玉姫は身籠っておられた。だが天孫の御子を暗い海底で産むわけにはいかないと言って、産み月になると地上へと上がられた。身重で綿の原を渡った」
しわがれた声が説明を続ける。
「豊玉姫はな、地上へ上がると砂浜で産気付いてしまわれた」
伴の者は慌てて産屋を建て始めた。
茅草の代わりに鵜の羽を用いて。
火遠理は妻のいる浜辺に駆けつけた。
火遠理様、私が子を産むときは産屋を決して覗かないでくださいませ
豊玉姫、我が妻よ。なにゆえそのようなことを言うのだ?
産屋は男の我が入らざるべきもの。もとよりそのような気はない
それでも、お願い申し上げます。決して中を御覧になりませぬよう…
姫はそう言い残して産屋へ籠った。
なぜ豊玉はあのように強く言うのか…
火遠理は妻の頑なな態度に不審を覚えた。
そして妻との約束を違えてしまう。
産屋の入り口にかけてある菰の隙間から垣間見た光景に、火遠理は息を呑んだ。




