神室の婆 四
雨の降る季節が過ぎ、夏に近づきつつある郷の空気は朝だといっても僅かな暑気を孕んでいる。
本来ならばこの季節、何日もかけて遠くへ漁へ行く男たちも、都の船が来るまではあまり身動きが取れない。
青く晴れた空を見ながら、早伎津は、都の船など来なければいいのにと思った。
反面、夜がくるのが待ち遠しかった。
早く婆様の話を聞きたい
眠る時間が短かかったせいもあってか、仕事をしているのに頭がぼうっとする。
とんとはかどらない早伎津の仕事ぶりを見て、母がぶつぶつと小言を言うが、それすらも上の空で聞いていた。
「船だ!都の船がやってきたぞ!」
ふいに村中に大声が響き渡る。
皆手を休めて海原へ目を遣ると、遠くに、小さくはあったが確かに船が見えた。
大きい船だ。都の船に間違いないだろう。
船が着くと、村は俄かに忙しくなる。
大きな船から小船に乗り換えて、次々に人がやってくる。その人たちの宿はもう支度が済んでいたが、たくさんの品々を運ぶのは手間がかかった。
夜までかかって積荷を運び終えると、次は宴だ。
中央に篝火を焚いて、それを囲むように人々が座を取る。
酒肴の手配は女の役割だ。早伎津も大人の女たちに混ざって料理をしたり、酒を運んだりと動き回った。
都の男たちは皆、髪を角髪に結っている。
幼い頃の早伎津にはまるで異国の人間のように思えたものだ。
その光景は突然現れた。
米を醸した酒を運んでいた早伎津は、柾木が都人と話しているのを見かけた。
あれが、柾木を連れて行ってしまう御人なのね…
早伎津は直感した。切なさが胸を過ぎる。後一月足らずで柾木は行ってしまう。
都人は体が大きく、角髪に続いて黒々とした豊かな髭が顎を覆っている。
麻の白い衣が浅黒い肌によく似合っていた。
技術者というよりは、武人みたいな方
そう思いながら、酒を求める男に甕を差し出した。
忙しさに紛れて、深夜まで続いた宴もあっという間に感じられた。
片付けを終えるともうくたくたでそのまま寝てしまいたかった。しかし婆との約束を違えるわけにはいかなかったので、なんとか皆が寝静まってから気力を振り絞って家から出た。
社への道は月もなく真っ暗だ。
昨日よりも時間が遅いせいでもう沈んでしまったのだ。
足元を注意深く確かめながら二人は歩く。
隣を歩く柾木の顔にも疲労が浮かんでいる。
「疲れた」
誰に言うでもなく口にすると、柾木も同意するように頷いた。
「ねぇ、柾木が一緒に行くと言っていた御人は、あの体の大きな方?」
柾木は一瞬驚いたように早伎津を見たがすぐに元の表情に戻る。
「そうだよ。菅根殿と言うんだ」
「どんな方なの?」
「…寡黙だけど、公平で公正な方だな」
柾木は考えを少し口の中に含んでから、言葉を発した。
「そう…」
呟いた早伎津の声は、寄せる波の音に掻き消された。




