神室の婆 弐
「よく来た。よく来た、二人とも」
婆は二人には背をむけたままで言った。
「ふむ…風が荒い。風が荒い。ちと都合が悪いの。海神の気が荒ぶっている…」
神室というのは神が訪ねて来る部屋という意味だ。郷の人間も入れるこの社とは別に、神域としての神室があった。そこには近付くことも禁じられている。
婆の前には、榊の木や桶に張った水が置いてある。婆はそれを見ながら、貝でできた首飾りを右手でじゃらじゃら玩んでいた。
「……」
早伎津と柾木は、婆が注意をこちらにむけるまでじっと待たなければならなかった。
じゃら、じゃらじゃら。
部屋の中にはきつい匂いが漂っている。
じゃら、じゃらじゃら。
早伎津は段々頭の中がぼんやりしてきた。
婆の首飾りの音が妙に心地よく響く。
じゃら、じゃらじゃら。
じゃら、じゃらじゃら。
じゃら、じゃらじゃら。
すすり泣く女の声が聞こえる。
「……様。共に生きようとおっしゃったのに…。」
早伎津は女を見つけようとした。周りが暗くてよく見えない。
誰なの?あなたは誰…?
女はただ泣き続ける。
「…き…つ。おい、早伎津!」
柾木の声がする。早伎津は目を開けた。
心配そうな顔の柾木と目が合った。早伎津は柾木に頭を支えられていた。
「あたし、いつの間に…」
そう言いながら体を起こす。
「早伎津や、お前は何かを見たか?何を見た?」
婆がこちらを向いていた。
「えぇっと、女の人。姿はよく見えなかったけど…泣いていた」
「そうか」
婆は嬉しそうに目を細めた。
「お前には巫女の素質があるかもしれぬ」
くっくっと喉を鳴らす。
「どうじゃ、わしの後継にならぬか。神室で修行を積まぬか?」
「え?あたし、その…」
横目で柾木を仰ぐ。柾木も困っているようだった。
「柾木に付いてゆかずとも、そういう手もあるということじゃ」
「婆、なぜそのことを?」
驚いた表情の二人に婆は言った。
「なぜそのことを知っているのか。お前が聞きたいのはそれだな。それにはわしも答えができぬ。なぜならわしも今知った。人は知らぬことをふと思いつくこともあるものじゃ」
ぱちんと何かがはぜる音がした。
婆が持っていた首飾りの貝が一つ、粉々に砕けていた。
「おや、砕けたか。砕けた貝は海に戻すがよい。生まれた場所へな」
婆は貝の残骸を集めると、大事そうに布に包んだ。
燭台の炎がゆらゆらと揺れる。
早伎津はあの紅い火を思い出した。




