早伎津 弐
都…
柾木は水生の郷を出て、都に行ってしまうのだ。
「なん…で?」
呟く声が掠れていた。
「都に行きたいってずっと思ってた」
柾木が話し出す。
「ちょうど一年前かな。船で来た都人に、親父の許可を取れば一緒に行ってもいいって言われたんだ」
「都人って?」
「土木工事の技術者さ。俺がいろいろしつこく質問したから、それなら都に来いって」
柾木が相手を質問攻めにして困らせている様子が目に浮かぶようだ。
「んで、親父の許可をもらうのに一年。これでやっと都に行ける」
「そう…よかったね」
そう言う早伎津の顔には、強張った笑顔が貼りついたままだった。
「もっと悲しんでくれると思った」
柾木のその言葉に早伎津は胸が締め付けられるような思いだった。
悲しいよ。
都になんて行かないで。
涙が溢れそうになって懸命に堪える。
それでも早伎津はその思いを隠して尋ねる。
「どうして?」
柾木は一瞬、躊躇うそぶりを見せてから言った。
「いや、うん。俺と、都に行かないか?」
「……」
突然の言葉に早伎津は反応できなかった。
「なんで、なんで急にそんなこと言うの。一年も時間があったのに。あたしには何も話してくれなかった」
「確かに決まっていないことは話したくなくて…その…」
今度は柾木が沈黙する番だ。
早伎津の心に怒りが頭をもたげる。
「柾木のばか!あたしにも時間が必要だってどうしてわからないの?あたし一人で決められることじゃないのに」
「そうだよな。ごめん」
柾木は謝った。
「…もう帰るね」
泣きそうな顔を見られないようにそう言うと、早伎津は弟達を呼び寄せて家への道を戻り出した。
柾木はその場に立ち尽くして早伎津達を見送っていた。ふいに堪え切れなくなったように早伎津の背中に向かって叫んだ。
「早伎津!返事、待ってるから!」
早伎津は振り返ることができなかった。
家に帰った早伎津は、夕餉を用意している時も食べ終わって妹達を寝かし付けている時も、怒りたいような泣きたいような複雑な気持ちだった。
柾木のばか
そんなことを思ってしまう。さっきもつい同じ言葉を口にしてしまった。
嫌われちゃったかなぁ。
そんなの嫌…
都から船が来て柾木が自分の前からいなくなってしまうことを考えると、どうしようもなく悲しかった。
父と母と弟と、四人で火を囲んでいる時、早伎津は父に尋ねた。
「ねぇ父さん、都の船は後どのくらいで着くかしら?」
柾木を連れて行ってしまう船。
「そうだな、三日のうちには来るだろう」
三日…
胃に重たい石が入ったように、早伎津の気分は沈んだ。
「急にどうしたんだ?」
父は早伎津の態度を訝しく思ったらしい。
「別に、なんでもない」
早伎津はごまかしたが、父は更に尋ねてくる。
「もしかして、都の男と恋仲にでもなったのか?」
最近急に大人っぽさを増し、女らしくなった早伎津にありえない話ではなかった。
「都について行くとか言い出しても、許さないからな」
「そんなんじゃないったら」
早伎津は頬をふくらませる。
怒ると海辺の民らしくない白い肌がほんのり上気して、見る者に愛らしい印象を与える。
「もう寝る」
早伎津はそう言うと粗末な床に入った。しかし、今日起こったことを考えると到底寝付けなくて、みんな寝静まった頃にそっと家を抜け出した。




