ふたり、はなれて 10
「俺は基本的に誰も信じない質でねぇ。自分でかけた催眠術ですら、さほど信じちゃいない。特にこういった爆弾を仕掛けるなんていうことは、できるだけ自らの手でやりたいと思っている。だからハローグッバイの連中がやることなんぞ、俺にゃちっとも理解出来ない。しかしな、この催眠とやらは意外と便利なもんでな、予め保険程度ならかけておけるんだよ」
保険だと?
……遠くからさらにもう一つの足音が聞こえてきた。大人しく、一定のリズムを保った歩き方だ。まさかタクか、と思ったのだがいくらなんでもこれは警戒心がなさすぎる。別の誰かだ。
「ずっとお前の傍にいて、お前の動きを監視していた奴がいたのを忘れてしまったのか?」
……監視していた?
突如現れたその軽い足音が誰のものか。
一定の小刻みなリズムながらも、足音からすらその無表情ぶりが伺えそうじゃないか。
そう、そうか。なんてことだ。……大人しくしていろといっていたのに、それすら無駄だったということか。レジ裏の脇から見遣ると、見覚えのある姿がそこにあり、愕然とする。
「さぁシキ、こっちへ来るんだ」
奴の笑いが頭の中で浮かぶ。嫌らしい笑いだ。吐き気がする。今すぐ飛び出してシキを取り返したい衝動を抑えつつ、状況を把握することに努める。脂汗が流れて、喉が渇くぐらい私は自分を抑え込んだ。
「よぅし、これで貴様は手も足も出せない。そうだろう?」
シキは一切声を出していない……ということは、操られているのか。
「操ってはいるが、意識は半覚醒状態だよ。俺達の会話は筒抜けだ。――さて、ちょっとした話をしようじゃないか。ご静聴願いたい。いいか、よく聴くんだぞ。かつてこことは違う町で、とある女の子がおりました」
いきなり何を語り出すんだ、こいつは。
訝しんでいると、男はさらに会話を続ける。相手の顔が見られないというのは何となくもどかしかった。
「その少女はとても静かで、友達もおらず、親や親戚からも嫌われておりました。けど心はとても透き通っていて、見る人が見ればとても綺麗な宝石に映ったことでしょう。そんな少女の顔は透き通った心と裏腹にとても歪んでいて、生まれた時から世界の全てを憎んでおりました。憎んで憎んで、いつしかその手は憎しみを破壊する不可思議な力を手に入れたのです。ではなぜ彼女は世界を恨んだのでしょう。それは本人しか知り得ない、とても悲しい出来事があったのです」
……あの野郎、まさかそれをシキに語って聴かせるのか。汗が噴き出す感覚が気持ち悪かった。あいつは私の心臓をその手で剔ろうとしているのだ。
それは嫌だ。嫌なことだ。
咄嗟に両手を壁についてあいつのみを押し潰そうとしたが、力を発揮する前に身体がくの字に折れ曲がり、無様にも転がってしまう。もはや身体は限界だ。もしあと一度でもこの力を使えば、おそらく命の保証はない。
命の保証がない力を使ったところで、今あいつの手からシキを奪還できる確率は百パーセントではないのだ。だから私は歯噛みするしかなかった。それこそ歯が割れそうなぐらい力を込めて。
「その目は破壊を見極めて、その手は破壊を助長する。世の人々が畏れる力を持って誕生した少女に誰が近寄ったでしょうか。誰が信頼したでしょうか。親兄弟からも忌み嫌われた少女の居場所などその町には無かったのです」
自分の腕を抱き、その爪が皮膚に食い込む。あの時私を撃ったのは? あの時私を殺そうとしたのは? 私がその時取った行動は何だった? あのビルで、何を破壊し、何を押し潰した!
「さぁ、それから少女が取った行動はなんでしょう! 驚いた事に、町を一つ破壊したのです! わき上がる破壊の恍惚に耐えきれない笑みを浮かべて、少女はじっくりと自分の生まれた町を破壊し尽くしていったのです! 凶器は何もありません! しかし狂気はありました! その手で! 人間が何年もかけて築き上げていった町を全て! たった数日だけで! 簡単に破壊してしまったのです! なんという恐ろしきことか! なんという美しいことか! 虐げられたからこそ逆に虐げる様はかの教典のようではないか! ああ、だから美しいのです。見る人が見ればなんという聖少女に映ったことでしょう。復讐こそ人間の根源に近く、そして在るべき姿ではないですか。その復讐という行為が大きければ大きいほど、感動し、心が打ち震えるのです。わかりますか、イチコ! そしてシキ、あなたの憧れる大人は最高に美しい少女だったのです! 美しい虐殺者だったのです! そんな大人を崇める君もまた、真実美しい!」
半分の顔が潰された両親の、たった片方だけ残った眼が私を射貫く――幼心にそれは強烈な印象を与え、自らの罪を悔い、恐怖し、心を破壊するには必要十分な眼。彼らもまた脅え、そうして原型を留めなくなった手に持った猟銃で私を殺そうとした。全身を鋭い針で貫かれるような激痛が走り頭を抱える。目を限界まで開き、奴を殺すつもりで睨んだ。
「やめろ……やめろ!」
もう我慢ができなかった。
飛び出せば殺されるのは重々承知していたつもりだった。だからチャンスが訪れるまで、シキには悪いが必ず助けると誓いつつ身を潜めているつもりだった。
だが、あそこまで私を調べて、トラウマを叩き付けられてしまったら、冷静でいろというほうが無理である。この足は勝手に地を蹴り、この手は勝手に持ち上げられ、眼光は男を睨む――その酷く醜く嗤う男を射貫く!
奴の銃口がこちらに向けられる。
私は構わず走り出す。その急激な運動に破壊されかけた身体が悲鳴を上げた。だが構わず駆け出す。血管が切れるような音に骨が軋むような音。――違う、これは全て私の心の音だ。かつての罪悪感に苛まれ押し潰されそうになっている私の心の音なのだ。
しかし、私の視力は奴の指が引き金をゆっくり引くところを生々しくとらえ、脳に伝えてくる。背筋に電撃が走るような恐怖。それにも負けぬ何かが私の中で弾けるのを感じた。




