ふたり、はなれて 9
そう結論を下すのは早かった。驚いたのはそれに怯まず身体が動いてくれたことだ。
「くっ……」
撃たれた箇所は右肩だ。かすっただけなので動かなくなるほどじゃないが、白いシャツにじんわりと血が染みる。出血はすぐに止まってくれるだろうが……。それよりも相手がいきなり撃ってきたことに驚いた。いくら焦っていたとはいえ、その気配に気づきもしないだなんて。
「なるほど、なるほど。さすがはイチコさんだ。良く理解している。しかし解せないな、滅びを選ぶ町の手助けをしている俺の邪魔をするなんて」
――聞き覚えのある声が、いやに部屋の中を響き渡った。その声に顔は驚愕を隠せないでいたが、今はひたすら全ての現実を受け入れる努力をしなければ殺される。そして謎が一つ氷解した。『あの男』ならば警察の内情を知り尽くし、偽の情報も流せるだろう……。
「同士がここに来ているとは、いやはやまったく、感涙ものだ」
「感涙なんてよく言うね。血も涙もないくせに」
奴に向かって私は皮肉を込めて言ってやった。どうせ屁とも思ってないだろう。
「なぁに、すぐに君の血と涙を拝むことになる。何も心配はいらん」
何かが弾けて、チュインという音がする。火薬の匂いが鼻をつく。
――ここにいたら殺される!
そう判断し、目の前の壁に手を当てる。崩れやすい箇所を瞬時に把握し、そこを押す。すると壁はあっさりと崩れ、瓦礫が落ちきる前にそこを抜けて廊下へと身を躍らせる。咄嗟に使ってしまった力の反動は数秒とかからず襲ってきて、胃の中のモノをぶちまけながらすぐさま別室へと駆け込んで息を潜める。
口元を拭って心を落ち着かせる。本日はこれで二度目。身と心を引き裂かれるような激痛が私に襲いかかり容赦なく殺そうとしてきている。今、敵は外側と内側にいるようなものだ。
相手が拳銃を持っているとなると、見つかったらアウトだ。銃弾から逃げられるぐらい離れていればまだしも、この距離じゃ駆け出したところで撃たれて終わりと考えたほうがいいだろう。相手が致命的なまでに腕が悪いってんなら分の悪い賭けじゃないんだがね。
相手の腕を良くも悪くもこの場で信用するほどお気楽な頭じゃないので、結局のところ奇襲作戦に出るしかないわけだ。相手が今すぐこちらを殺そうとするか、それとも居なくなったのをいいことに爆弾を設置するかを考え、後者をすかさず捨て去る。もしそうするつもりなら、私がいなくなった後に爆弾を仕掛ければいいだけの話だ。わざわざ撃ってきて殺そうとしたなら、最後までそうするはずだ。なにしろ私は奴の声を聞いてしまい、何者か知ってしまったのだから。
奴が本当にハローグッバイに所属しているのかどうかなんて知らないが、やり方はどうも連中とは違う。あのテロリスト集団は他者を催眠術によって操り、関係ない市民を巻き込むという最低な手段を選ぶが、こいつは自ら爆弾を設置し、そうして自らの手で人を殺す。どちらにしろ下劣なことに差はないが、性格の違いがはっきりと出ているじゃないか。ある意味ハローグッバイなんかよりずっとやりやすい。
隣の部屋へ隠れたことなんてすぐにばれるだろう。何しろ元デパートというのは隣の部屋といっても仕切りがあるだけで、ほとんど壁の用をなさない。わざと開けさせて広く見せ、品物を飾る場所を確保するのだからそれも当然だ。武器になりそうなものを探して、緑達が繁殖の極みを目指している建物の中でそんなものはないと諦める。結局はこの腕二本しかないってわけだ。ただ破壊を生み出す、この両手しか――
なら、と呼吸を整える。諸刃の剣となっている両手しかないのなら、ほぼ差し違えるつもりでやらなければ無駄死にをする。覚悟を決めるしかない。
誰が料金を払っているのか、壊れた水道管から止めどなく水が流れているおかげで相手の足音が耳によく伝わってくる。近づいてくるのを確認し、仕切りを思い切り蹴り飛ばす。
仕切りが相手に直撃し、驚いた声が上がるのを確認すると、私はすかさずその場を離れた。
相手が仕切りを取り払う頃、こっちはデパートの中を散乱しているどこぞのレジや棚の裏に隠れる。もちろん弾丸を防ぐほど頑丈じゃあないが、相手も弾に限りがある。ある程度狙いを定めないことには無駄弾を撃つとは思えない。
つまり、奴は私を探さなければならない、ということだ。
――そして相手の銃さえ防いでしまえばこちらが圧倒的に優位となる。この手さえ『まともに』使えるのならば、それはもう確約されたも同然だ。
なるたけ呼吸を小さく、少なく、心臓の音すらも完全に消してしまいかねないぐらい自分を無にしつつ、相手の足音に注意を向ける。相手が私の姿を発見できない、ということは逆に私も奴の姿を見られない、ということだ。顔なんか出して目が合ったらまったくもって意味がないからね。奴も息を潜めてゆっくりと歩き、それこそ普通ならその足音に気づきはしないだろう。だが、今は到底普通の状態じゃない。意識さえ集中させればその些細な足音も聞こえてくる。
相手が離れていく。迂闊に棚の裏を覗くのを畏れているのか、どうにも動きが鈍重だ。意外と警戒心が強いのか。それとも何か狙いがあるのか。
足下に転がっている何かを掴む。どうやら可愛らしい熊のプリントがしてあるコップのようだったが、それを全く見当違いの方向へ投げた。地面に落ちるとコーンという音が鳴り、そこへ向かって一発ほど撃ち込まれる音がする。しかしこれで方向と場所は分かった。
さらに別の物を掴んで反対方向へ投げる。
「そっちか!」
さらに拳銃が撃ち込まれた瞬間を狙い、私の手が床に触れていた。
地面に凄まじい亀裂が入る。その亀裂は一直線に男の足下へと駆け、たちまちその両足を飲み込んでしまうだろう。相手の足さえ塞げばほぼこちらの勝ちは決定だ。十年ぶりに全力で力を発揮するのだから、相手の逃げる余地を与えぬ破壊をもたらしてくれてもいいだろう。
――だが、先に破壊されたのは私の方だった。
胃酸が無くなった胃の変わりに口から吐き出されたのは、赤く染まった唾液。
これ以上ひっくり返のは無理だと内臓が抗議した結果が、これか。
不意に現れる脱力感に破壊の力が止まる。――早すぎた。これでは相手の足下に辿り着いていたとしても、決して飲み込んではいないだろう。しかし戸惑わすことは可能だったに違いないので、すぐさまこの場を離れる。
「くそ、イチコめ!」
離れた場所から苛立った声が響いてくる。
「なるほど、隠れつつ奇襲を狙うか」
まぁ、当然ばれるだろう。別の部屋に移動した私は両の足で立つこともままならず、壁に背中を預けて奴の声を聞いていた。
「どうせこちらの居場所なんぞばれているのだろう。サシの勝負ならこれもアリだろう。なるほど最近の若者は我慢強いのか。だが、少々勘違いしているようだな」
「……」
何を、と言いかけて言葉を飲み込んだ。
「君は本当に、勘違いをしている」
下劣な笑いが聞こえてくる。




