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ふたり、はなれて 6

 その廃墟と化したマンションは、当然のことながら草刈り屋が手入れしているわけじゃなく、大量の蔦が床や壁を張っていた。

 入り口や通路はなんとかゆっくりと歩き、私達が座れるスペース分を手早く刈り取って確保する。すかさずシキがビニールを敷き、そこに靴を脱いで座った。

 緑の町は人口の割にこうした建物が多い。どうしようもないとはいえ、建物を放置しすぎた結果である。いくつもあるそれらの廃墟の一つをねぐらとして使えば、一日や二日程度、警察の目を誤魔化すことぐらい可能だろう。


「たまごりょうり」


 両手に一個ずつの卵を持ったシキを観察する。両手にいきなり卵を持ってどうするつもりなのか。


「……えっと」


 考えている。決して困った顔をしているわけじゃないが、あれは相当困っているだろう。何しろ両手に卵を持ってしまったら、他に何もできやしないのだから。下準備どころかコンロ一つ鞄から出しちゃいない。


「わかったわかった。とりあえず卵を元に戻すんだ」


 ため息をつきながらコンロとフライパンを出す。ご丁寧に小さな容れ物に移した油まで中に入っていた。まさかかさばる米を持ってくる訳にもいかないので缶詰だけでやり過ごそすつもりだったが、シキにその発想はない。

 そんな感じで昼食とも夕食ともつかない中途半端な飯を食べ終える。

 いったんここへ避難したのはいいのだが、さてどうするかと考えをまとめなければならない。今までの流れで思い出せることを思い出そうと目を閉じて、過去を振り返る。たった数日の出来事だから記憶もそんな薄れているわけじゃない。簡単に思い出せるだろう。とにかく集中して今までの詳細を、まるで映像を流すかの如く再生するんだ――


「たまごって」


 そこへ、余計な質問が紛れ込んでくる。


「にわとりがさき?」

「……うん、どっちが先かは分からないが、好きな方でいいんじゃないか」


 簡単にストップがかかってしまった。

 そんな少女は余った卵とにらめっこをしていた。こちらの集中力が途切れたことなんかに気付いている様子はまるでなく、よく分からないことに頭を捻っている様子だ。


「シキ」


 なんとなく悔しくなったので、名前を呼ぶ。


「……ん?」


 くるりと顔を向けてくる。まるで子犬のようで、耳と尻尾があったらぶんぶん振り回してそうだ。実際はそんなものないから、無表情な顔が私に向けられているだけである。


「世の中にはシキの知らない卵料理があるんだ」

「……え?」


 顔こそ変わらないが、その目の色は確実に変化したのを見逃さない。


「例えば、魚の卵を食べたことがあるかい?」

「さか……な? さかなのさしみ?」

「違う、イクラだ」

「……知らない」

「だろう。北の地で獲れる魚の卵を見たことがないだろう。鶏と違って、これがまた別格にうまいんだ。醤油をたらして、ご飯といっしょにかきこむ。卵ご飯を想像したかもしれないが、魚の卵だからな、鶏のよりずっと小さく、しかし数が圧倒的に多い。あれを食べた時は驚いたものだね」


 ぽかんと口を開いているシキ。


「そしてその魚もいい。塩焼きにしてもいいし、塩漬けもご飯に合うな。あるいはいっしょに炊き込む。想像もできないだろう? いや、これはまだシキには早かったな」

「……」

「おいおい、よだれが垂れてるぞ」


 ハンカチを取り出し、シキの口元でだらしなく垂れている涎を拭ってやる。


「ん……味は?」

「味だって?」

「あまい?」


 まさかイクラの卵で甘いのかと聞かれるとは予想だにしていなかった。


「……甘くはないな。さっき食べた卵は甘くなかっただろう?」

「シュークリームがほしい……」

「ころころ意見を変えるな」


 もうすでに言いたいことだけを言ってるだけに思えてきた。


「さて、冗談はここまでにして、ちょっと先のことを考えようか」


 もちろん今後の事だ。彼女の無実を晴らすために必要なことを考えてまとめなければならない。ゆったりした空気を変えた私に合わせて、シキも正座へと佇まいを直した。別にかしこまることはないんだがな。


「うん……でもイチコに言わなきゃいけないことがあるの」

「なんだ?」

「おとうさんと、おかあさんは。――テロリストじゃない。ただ、あの人にたのまれただけだって言ってた。あのコインは危険だから、捨ててくれって頼まれたって」

「頼まれた、のか……」


 ――まさか、シキの両親はテロリストの信頼をそこまで得るほど通っていたのか。なるほど、確かにマスターの言うとおり決して世間体が悪い夫婦ではなさそうだ。むしろ相当熱心だったのかもしれない。

 こんな素直な娘に育てたほどだ、疑う方がどうかしているんだろう。


「よし。まず、シキは無実だ。それを前提条件で行動する」


 シキは一瞬躊躇った様子を見せたが、ゆっくりと頷いた。


「とはいえ、今のシキは警察そのものから疑われている可能性は低くもないし、高くもない。このまま放置しておけば何事もなかったかのように明日を迎えられるかもしれないが、問題は証拠をでっち上げられた時だ。ないとは思いたいが、正直あのジンヤって男を信用するにゃ、怒り心頭でね。あまり人としても信用できやしない」


 怒り心頭だから疑うというわけじゃなく、あのジンヤには得体の知れない何かを感じ取ったからだ。勘といえばそれまでであるが。


「隠れ蓑はこことして、夜になったら早速行動する。マスターのところに行って情報を集めるんだ。それとできるだけ信用できる人間を集め――そうだな、タクをなんとかこちら側に引き込みたい。あいつは私達をよく知っていると思うし、悪い印象はないはずだ。爆弾魔の犯人を突き止めたいとでも挑発すれば乗ってくるだろうし、何より警察の人間というのが一番大きい」


 問題は洗脳されていた場合だ。以前の様子だとジンヤを先輩刑事として信頼しているのは間違いなく、もし奴によって先手を打たれ、タクがこちらを捕まえる、または証拠を集めているとなったら厄介である。叩かれても今回の件に至っては出る埃なぞないが、私からは別の埃がはらはらと舞い落ちることだろう。過去の自分が恨めしい。

 マスターの情報収集能力は相当なものなので、警察がどういう動きをしているのかすぐさま調べてくれるだろう。私は彼にシキを預け、一人タクへとコンタクトを取る。もし何かあればシキをここへ連れてくるようにマスターへ頼むつもりだった。


「わかったね。とりあえずそれで行くよ」

「またひとりで?」


 どうやらシキを預けるというのが察知されてしまったらしい。顔に出したつもりはまったくないのだが。


「そうだ。今回は私一人で動く」

「……や」

「わがままを言わない」


 ふぅ、と息を吐く。


「とにかくだ、お茶でも一杯飲んだら早速行動に――」


 シキの心を落ち着かせようとペットボトルを取り出した時、またもやそれは起こった。

 ズシン、と芯から揺れる感覚と、遠くの方で啼く凄まじい轟音。


「なんだ……!」


 窓の外を見て、そして絶望する。

 一つの建物が、まるで映画の如く遠くの方で崩れゆく様をただただ眺める。振動は周囲の建造物に響き、新しい建物か植物の手入れをこまめに行っているところはまだしも、古い時代の取り壊されなかったところは振動に耐えられず崩れていく。

 ここに住んでいる人間にとって、植物による自然な崩壊ではなく、荒々しい強烈な力により壊れていくところを見させられるのは、とんでもない屈辱と絶望だ。これではその余波によってどれだけ被害が広がるのか分かったものじゃない。


「酷すぎる……!」


 この町は確かに壊れかけの町だ。緑が繁殖し過ぎてそうなっている。だが、私達はここに住んでいる。この町で生きている。

 ……なのになんだ、あれはなんだ! あの爆発はなんだ! 奴らの思想によって無関係な私達が巻き込まれる意味は!


「言う資格がないのはわかっている……だが、これは……!」


 爪が食い込むぐらい拳を強く握り、歯を噛んだ。


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