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ふたり、はなれて 5

 私が立ち去った振りをすると、刑事もその場を立ち去った。角を曲がったと見せかけてその様子をこっそりと覗き、姿が見えなくなったところでシキがいる建物の中へと潜り込む。階段はすぐに見つかりそこを駆け上るが、その度にコンクリートの壁が細かい塵を床へと落としてくる。老朽化が激しい。

 しかも危険はそれだけじゃなく、かつて使っていたと思われる机や椅子が廊下や階段にまで転がっているのだ。その中にあっただろうハサミやカッター、筆記道具類までもが散乱し、足場は非常に悪い。こんなところをシキは行ったというのか。

 途中でこけそうになるが、なんとかバランスを保ちつつ、屋上へと辿り着く。

 屋上の手すりに手をかけているシキが、本当に遠くを眺めている。つられてそちらへ目を遣ると、雨雲らしい黒い影が徐々にこちらへと近づいてきているのが見えた。


「シキ」


 声をかける。

 すると少女はゆっくり振り返った。相変わらずの無表情で何を考えているのか読み取りづらい。先ほどのジンヤとの会話の後に、一体どういう顔をして会えばいいのか、今の私には分からなかった。

 だからできるだけ平静を装って話しかけるしかない。


「大丈夫だったか」


 近寄りながらそう言うと、シキは首を横へと振った。


「わたしは……こころを、なくしてるの」

「こころ?」

「……みつからなかった、こころ」

「最初の頃に探した心か。しかし、あれは」

「お父さんとお母さんのこころと……わたしの、こころ。見つからなかったから」


 彼女の両親は亡くなっている。彼らを捜すことはもう無理だった。だから諦めさせるしか方法はなく、そうして一つの決着がついたと思っていた。


「……わたし、とんでもないことをしたの」

「シキ、こっちへ来るんだ。……ああ、いや、私から行こう」


 今の彼女は私の瞳にすごく弱々しく映った。


「たくさんの人を……あの爆発で……殺したの……」

「シキ!」


 力強く抱き締めた。

 私が必死に否定しようとした事を、よりにもよってシキの口から聞きたくなかったのだ。


「あの……爆発で……おもいだした。ああ、思い出したの。途切れた記憶が、やっとつながったから」

「思い出すな。いや、それを信じるな。シキだって催眠にかけられていたんだ。誰か知らない奴に、ハローグッバイの連中に催眠をかけられてたんだよ。だからその記憶は違う、違うんだ!」


 何の根拠もない言葉をひたすらに並べる。正しい、正しくないなんてこの際どうでもいいんだ。今はただシキが犯罪者でないことを信じたかった。彼女の白い手はいつまでも白くなくてはならない。その心まで黒く染まってはならない。私と同じであっちゃいけない!


「コインがあったの。それを人に見せる。するとその人は――」

「だからやめるんだ!」


 大声で怒鳴り、彼女を必死になって止める。ぎゅうっと力を込めて抱くと、その痛みでようやくシキの口が止まった。


「……うっ、ひっく……」


 そうして、とうとう少女は泣き出した。

 彼女の口を止めることはできた私でも、その涙ばかりは止められなかった。

 前の時もそうだった。ただ、彼女が大声で泣くのを眺めるだけで、結局私は何もしていない。それで良しと判断したあの時とは違い、今はきっと、少女の泣き声を止めるべき場面なのだ。ただ破壊しか知らないこの手が少女の涙を止めるなんて、何という滑稽なことであろうか。今はかつての破壊屋ではなく、頼まれ屋になってからの自分が出てくるべき場面だと己を叱咤し、ほおを伝う涙を指先で拭ってやる。


「実を言うと、シキは初めて私を心から頼った客なんだ」


 今まで私に頼んできた客というのは気楽な頼み事をもってくるだけだった。それでもいいと思ったし、少しでも役に立つならそれもありだと納得していた。

 だけど、シキは初めて――私がいなければおそらくこの場にいないぐらい、この私を頼ってくれた。それが嬉しかった。彼女が自分の手伝いをしたいと言ってくれた時は不思議とうれしさが心の中に広がっていった。頭では迷惑だと考えつつも、心はまるで正反対だったのだ。


「そんな客を見捨てられる程、薄情なつもりはない。わかるかい。私は心から頼ってくる人間には全力で応える。もしシキがまだ私を頼りにするというのなら、もう一度頼むと、一言お願いできないか」


 シキが顔を上げる。


「正直、いまだ私はシキが犯人だなんて信じちゃいない。シキが犯人だとしたら、自信過剰と言われそうだが……私に気付かれず何かをするなんて不可能だ。だからシキは違う。断言する。無実を証明してくれと、私に頼んでくれ」


 これが私なりのやり方だ。これしか知らないんだ。


「シキ、私がまったく頼りにならないか?」


 ぶんぶんと思いっきり頭を振ってくれた。


「なら、頼んでみよう」

「……頼む……の?」

「の、は要らないな。疑問も必要ない。ただ、頼め」

「……うん」


 まだ躊躇っているようだ。


「なら、シキが将来立派な頼まれ屋になれるよう、私の本気を見るいいチャンスだ」


 ふんと胸を張る。すると表情の乏しい顔がどことなく柔らかくなっていくのがわかり、私は笑った。


「うん……うん」

「ほら」

「じゃあ、頼……む」

「頼まれた」


 少女の頭をぐしゃぐしゃにかき回す。少女は嫌そうな顔をしたが、止めようとしなかった。


「そうなったらここを抜けだそう。警察が張っている」

「けいさつ? わたしを捕まえようとしてるの?」

「そうだ」

「……おしえてくれなかった」

「言ったら余計に自分の所為にするだろう。ああ、一度頼んだらもうクライアントからは拒否権がないからね。意地でもシキの無実を証明する」


 少々強引だが、そうでもしないと今のシキは契約を勝手に破棄しそうだ。

 ゆっくりと建物を降りていく。一階まで降りると、すかさず周囲の様子を探り、警察がいないことを確認した。裏手にある非常口から表へと出てなるたけ裏道を選ぶが、正直この辺の裏道はきちんと把握していないので、あくまでこっちだろうという勘を頼りに行くのみだ。

 途中、表に出ようとした道は壁を壊しながら進む。――その様子を見てシキが目を見開いた。


「ちょっとした特技でね。あまり自慢できるもんじゃないんだが」


 そう教えておいた。しないだろうが、仮に追求されるのは困るからだ。


「どこに行くの?」

「アパートへ戻る」


 何をするにしても、アパートへ戻って私の『相棒』を肩に背負わないとどうにも落ち着かないというのがあった。ただの我が儘だが、気分というのを蔑ろにしてはならない。

 黄色いテープが貼られた通りが見えると、先ほどあけた穴から脇道へと出て、ようやく知った裏道を難なく抜けていってアパートまで戻る。すかさず飛び出してきた管理人に驚いたが、彼女は「爆発があったんだって! 大丈夫だったかい! シキちゃん可愛いんだから玉のお肌に傷が付いたら大変だよ!」と心配し「アンタは泥だらけでも大丈夫だわね!」と余計な事を付け加えてくれた。


「管理人さんよ、今はちょっと急ぎなんだ」

「なんだいなんだい、何やらかしたんだい。おばちゃんにも一つかませておくれよ!」

「あんたの場合、まったく冗談じゃないからお断りするよ」


 管理人がやけに楽しそうな顔をしているのは、私達が無事だったのを心から喜んでくれているのだろう。思ったより現実的なことを考えたりする主婦なのだが、やはり心根は優しいのだ。


「何か危ないことをしようとしてんじゃないだろうね。今回の爆弾騒ぎと関係あるのかい?」

「ないさ」

「……そうかい、それならいいんだけどねぇ」


 嘘というのはなるたけタイムラグなく、ごく普通の会話に織り交ぜるのが一番いい。

 痛む心すら顔に出さず、私達はアパートの部屋へと入る。

 相棒の古ぼけた鞄が留守を守っていたかのように、部屋の中心でぽつりとくたびれていた。それを拾って大きく口を開き、押し入れの中からいくつかの缶詰を詰め込み始める。


「そんなのあったの?」

「非常食さ。もっぱら金が無いときのね。ちなみに今日は外でお泊まりだ。ここに長居するのは危険だからね」


 あのジンヤという男のことだ、こちらの住所などとっくに調べているだろう。アパートに警察官が張っていなかったのは今回の爆発騒ぎで警察の手が足りないからに過ぎない。そしてシキが犯人だと主張しているのはおそらく警察内部でもジンヤ一人なのだろう。もし警察共通の見当なら、いくら人数少なくとも目の色変えて逮捕をしてくるに違いない。それがないということは、ジンヤも何かしら理由があってシキ犯人説を周囲に伝えていないということになる。逮捕する材料まで揃っていないとか――

 だからってここにいるのが安全かといえば、決してそうじゃないと断言できる。


「あとはそれと、ああ、ナイフと缶切り、それにタオルと、奥に寝袋があったはずだ。それも持っていきたいな」

「どこに泊まるの?」

「仕事柄というわけじゃないが、結構誰も住んでいないマンションやビルを知っている。そこを失敬しよう。なに、ほんの一日や二日程度だ。それだけでシキを自由の身にしてやれる」


 荷物を詰め込んでいる最中、テレビをつける。ニュースを確認するためだ。

 アナウンサーの慌てた声は事件の全容を伝えようと必死だ。今はおそらくどこのチャンネルを回しても今回の騒ぎで埋まっていることだろう。

 どうにもこの爆発騒ぎはおかしい。

 ここまで派手な事をしておいて、ニュースは犯人の声明もその後の進展も教えてはくれない。

 まさか無計画で警察を狙った、ということだろうか。確かに奴らのやることは一見無差別テロに近いが……しかし、何かが引っかかる。これは本当にハローグッバイの仕業なのかと、そろそろ疑ってもいいんじゃないか? マスターがあの爆発を裏ルートの情報で知ったということは、少なくとも関係者が動いていることになるが……。ジンヤが言うにはその関係者がシキの両親ということになるのだが、二人とももう亡くなっているだろう。――それに奴らの目的が見えない、という話もあった。いくらテロとはいえ仕掛けた連中側には少なくとも爆発を起こす理由ぐらいあるだろう。つまり最低限の目的があるということだ。一番不可解な部分はそこなのだ。


「これでいい?」


 シキの声で我に返り、鞄の中を確認する。


「……いや、詰め込みすぎだ。というよりもどこから卵のパックを……」

「うん。コンロも入れた。フライパン」

「どこに行っても卵料理を食いたいわけか。オーケー、理解した。コンロも持って行こう。ガスボンベも入れてあるな。今夜は卵料理のパーティーだ。ここまで高カロリーな食事もなかなかないんだぞ」


 いつも貧相な料理だからとは言葉を続けなかった。

 シキが犯人じゃないと断定できるのは、ここまでの爆発を仕掛けるなら、短時間じゃ無理だと言い切れるからだ。会場が吹き飛んだ程だ、中に居た連中の大部分は悲しいことにもう助からないだろう。タクが生きているのも奇跡的だと思っている。

 ――あれだけの爆発、つまり会場のみならず、会場そのものを吹き飛ばす為に周囲にいくつもの爆弾を仕掛けていた。あれにも何か意味はあるのだろうか。あれだけの仕掛けをするのなら姿ぐらい誰かに見られていてもおかしくはないのだが、そう考えると犯人は決して怪しまれずにそれらを仕掛けられる人物、ということになる。


「詰め込みなおした」

「ん、ああ、今度はまともな詰め込み方だな」


 いくら私の鞄が大きくて頑丈だとしても、持ち手である私自身がそうもいかない。しかし二度目に見た中身は先ほどに比べて随分優しくなっていた。それでも持ち上げてみるとなかなかつらい重さだったが。


「よし、行くか」

 立ち上がり、外へと向かう私の後を、シキがとことことついてきた。


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