ふたり、はなれて 2
一通りの参加者は中へと入っていき、会場の前はがらんどうとしている。
タクのことが心配になり、終わるまで待つことにした私達二人はやることもなくぼうっと壁に背中をつけて突っ立っていた。このままだと知り合いが通りすがって余計な依頼を受けそうだが、そうなった場合は仕方ない。こちらの依頼としては直前で彼の緊張を解くことだったわけだから、もう仕事は終えている。
ふと、シキがこちらを見上げてくるのに気付いた。
「イチコ」
「なんだ?」
「大人になったら、みんな結婚するの?」
「さてね。少なくとも私は二十歳を超えているが、まだ結婚していない。大人の基準が結婚というのなら、私はまだ子供だし、大人になっても結婚しなくていいっていうのなら、私は大人になりながらも独身であり続けているだけだ。シキがどういう意味で大人という言葉を使っているのかだな。言っている意味はわかるかい?」
「……なんとなく」
「じゃあ、シキは何が大人だと思う?」
「……」
彼女の細い指が私を指す。
「イチコ」
「なるほど、それは責任重大だ。シキが誰を目標にしようと、もう幼くないんだから好きにしたらいいさ。ところでシキはまだ結婚を意識するにしちゃあ、早いんじゃないか?」
「うん」
十代前半で結婚云々を考えられちゃ、まったく考えてない私の立場がないというものだ。
「イチコが結婚するまで考えないことにする」
「それは勘弁してほしいな。私は一生結婚しないかもしれないから、そういう基準は設けて欲しくない。シキの人生はシキのものだろう。私の生き様が左右するもんじゃないんだ。手伝いやこの仕事をすると決めたシキの意志は尊重するが、独り立ちするその人生そのものに関わる気はない。それこそまだ早いかもしれないけど、シキ、アンタの人生はアンタのものだ。その長い人生に私がまったく関わらなかったということはもうないだろうが、決定的な瞬間、私がそこにいると邪魔になるかもしれない」
「……よくわからない」
「そうか。それなら覚えておくだけでいい」
ぽんとその頭に手を乗せて、なんとなく撫でる。目を細めたシキを見ている内に、彼女と私は一体どういう関係なんだろうかと思考が勝手に巡っていった。端から見たら姉妹かもしれない。姉妹でもいいかもなと考える自分が間違いなく心の中にいる。彼女の人生は彼女のものだと諭しつつ、いつしか自分の心こそシキの存在を大きくして受け入れているのだ。
「おぼえておく」
小さくシキがそう呟いた。
そう、それでいいんだ。
「なんで笑ってるの?」
「おや、笑っていたか? じゃあ楽しかったからだろう。悔しかったり悲しかったりした時は笑わないさ。楽しいから笑うんだ」
「なにが楽しかったの?」
「さてね、それもいつかわかるだろうさ」
たぶんね、と一言付け加えておく。
そこで会話が途切れ、またもやぼんやりとしていると、遠くから見覚えのある夫婦が近寄ってくるのに気付いた。彼らはこちらを見つけると手を挙げて名前を呼んでくる。
それに応えるべく私も手を挙げた。
「なんだ、やっぱり来てたのか」
「まぁね」
マサオとヨウコが私とシキに挨拶をし、シキが頭をちょこんと下げた。彼らの服装も別段変わった様子はないので、中に誘われたわけではなさそうである。もっとも、式場の中はおそらく警察関係の人間でごった返しているだろうから、私達一般人が紛れ込もうもんなら肩身が狭くて仕方ないだろう。しかも彼らはついこの間警察にご厄介となった身だから尚更だ。
「あのあんちゃんは大丈夫なのか?」
「さぁ、あとは本人の頑張り次第だろう。ヨウコも心配で見に来たのかい?」
「ええそうよ。それにほら、言った通りでしょう?」
「ああまったくだ」
「何が?」
私が問い掛けると、ヨウコは微笑みながら小さなバスケットを差し出してきた。
「お昼。どうせ食べてないんでしょ? お茶も持ってきたわ」
「ああなるほどね」
どうやら変に気を遣わせてしまったらしい。
「遠慮なしに食べてちょうだい」
「ありがとう。特にお礼ができるわけじゃないが」
「いいってことよ。この間のこともあるしさ。……あのコインがあんなやばいモンだとは知らなかったしよ……」
コインとは、催眠術をかけやすくするハローグッバイの証みたいなやつのことだ。妙な幾何学模様で相手の心理に穴を開けて催眠術をかけやすくする。それにつけ込んでハローグッバイの奴らが瞬時に催眠をかけてテロリストを作成するという手段をとるという。思い返してみればマサオはともかく、ヨウコの様子もちょっと変だったように思える。やはりコインを見た所為で意識が軽く混濁していたのかもしれないな。
「あのコイン、見るだけでやべーんだろ? 警察の連中は大丈夫なのかね、あれ見ても」
「ああ、対策方法はあるらしい。気をしっかり持つか、または幾何学模様を解析してその旋律を狂わす眼鏡をかけていじればいいとかなんとか……詳しいことはよくわからんがね」
実際、ジンヤ達がそういう特殊な眼鏡のガラス越しに覗き込んできたのを見ている。
「なるほどなぁ。てかよ、どこでそんなこと知ったんだ?」
「まぁ、色々とね」
あの『グリーンランチ』のマスターから裏情報を使って教えてもらったなんて、まさかマサオ達に言えるわけがない。マスターとてアレは合法的な商売じゃないんだ。関係を崩したくなったら口外してもいいが、そうじゃなかったら良好な関係を続ける為に黙り続けるのがいい。
「じゃああれか、警察はしっかり奥へとしまってるわけだから、もう金に換えることはできねぇってわけか」
「まだそんなこと考えてたのか……捕まらなかっただけ有り難いと思った方がいいんだけどね」
「そりゃそうさ。そんなことはわかってる。俺だって二度とあんなの見たくない」
「ふぇむ?」
バスケットの中からとったサンドイッチを頬張っているシキが何かを言いたげだったが、言葉になってなかった。
「とにかくだ、私もあんた達もあのコイン、並びにあのテロ共とは二度と関わらない。そうしよう」
「ああ、当然さ。てゆーか名前も聞きたくねぇ!」
「そうねぇ、危ないことは避けた方がいいわよ。ね、シキちゃん?」
ヨウコが笑顔で同意を求めると、シキがこくこくと何度も頷いた。いつの間にか仲良くなっているようだ。
そんな平和な光景。
彼ら夫婦がこうしてお昼を持ってきてくれるような光景。
そんなのは別に珍しくもなく、緑の町の連中は人情もある。助け合いもするし、そうして手をつなぐこともある。もちろん犯罪者だっている。一つにまとまることは出来なくとも、こうしてある程度の平和が守られてさえいれば十分だ。
少なくともそう思っていた。
「――イチコ、お前ら!」
その怒鳴り声は、ある意味きっかけだったのか。
だが、名前を呼んだ彼は、ただ私の身と町を案じていただけだ。きっかけではなく、偶然だ。
「そこから離れるんだ! ここは危ない!」
普段滅多に見ることのないマスターの全力疾走と、怒鳴り声。彼がどうしてそこまで慌てているのか、瞬時に判断できぬほど、今の私の気持ちは緩んでいた。それもそうだ。ここは町中。そして警察関係者が揃っている。ここで何かが起きるなんてこと、常識で判断するならあり得ないことだ。
だが、そのマスターの怒鳴り声を掻き消す、巨大な爆発音。
「……え?」
私の呟きも瞬時に掻き消された。
ただ朱い閃光が建物の中から解き放たれ、鼓膜を突き破り兼ねない衝撃と轟音が私達の隙間を強引に走り抜けていった。爆発の衝撃は地面を揺らし、近くの建物の崩壊していく姿が目に焼き付く。
悲鳴すら上げられない。唯一悲鳴を上げているヨウコはマサオが抱きかかえて守ろうと必死だ。マスターは片膝を地へ突き、シキは声もなく一点を見上げている。
少女の見上げる先は、ただただ爆発と砂煙が舞い。
――一つの町を己の手によって崩壊させたシーンと酷似していて、こんな時ですら私は吐き気と嫌悪感を覚えた。目の前と光景と記憶が重なり、現実が曖昧となる。何が起きているのか、誰よりもそれが『爆発』だと認識したのはおそらく私が一番遅かったのではないか。
「なんだ……これは」
全員が全員、そう思ったことだろう。マサオがヨウコを守ろうとしたのは子供が腹の中にいるという事もあり普段からそう心構えがなっているからで、そうじゃなかったらもっと取り乱していてもいいぐらいだ。マスターは過去に色々あったからこそ突然の事態にもまだ平常心を保っていられる。それは私も同じだ。
――シキは違う。
そこで気付いた私は、とっさに少女を抱き締める。あらゆる破片が会場の外であるここまで飛んでくるのがわかり、抱えているだけじゃ自分まで死んでしまうと判断する。彼女の手を掴んで走り出しその場を離れようとするが、胃の中がひっくり返りそうなトラウマがまだ身体の中に残っていたのか足が瓦礫に引っ掛かって転げてしまう。そのタイミングで第二の爆発が起こり、その爆風によって私の身体も浮かび上がった。
「イチコ!」
私の腕を掴んだマスターが強引に引っ張り込んで事なきを得るが、礼を言う前に自分の失態を呪う。
「シキ! シキどこだ!」
愚かだ! なんてことをした、私は! シキの手を離してしまうなんて!
爆風と砂煙の中にその小さな姿が掻き消えていく――
爆風に乗って砂煙が周囲に立ちこめ、視界がどうにもはっきりしない。その中で女の子一人を捜すなんて可能なのか!
今すぐ発見しないととんでもないことにならないか!
「マスター、すまない! 協力をお願いしたい!」
「まて、一人で動くってぇのは危険だ。こっちだって辛うじて爆弾を大量購入してるって情報を掴んでここに来たんだ。下手に動かねぇほうがいい」
「どこに設置されたってのもかい?」
「ここだけじゃねぇ! お目付屋っていう裏家業の奴らがいるだろ、そいつらの話によりゃぁ町中にある!」
お目付屋というのは、私もその手段が無いから会ったことはないが緑の町をくまなく監視して、提供した金額次第でなんでも教えてくれるという奴らだ。相場は相当なものだというが、マスターの判断としてはそれだけの金を支払うだけの価値がその情報にあったということだろう。一瞬マスターがどうしてそんな情報を知っているのか疑ったが、それなら一応の筋は通る。
「……なるほど。だけど私なら大丈夫だ。もっと危険な子がいるんだ。だからマスターはマサオ達をお願いしたい。会場の中は警察のお偉いさんが集まっているから救助は早いだろう。それにあの中を突っ込む勇気はない。お願いだ、手を離してくれ」
きっと凄い剣幕で喋ったのだろう、マスターが顔を顰める。
「……わかった。無茶ぁすんな」
「そう祈っていてくれるとありがたいね」
掴んでいた手が離れる。
その途端、私は砂煙の中へと走る。怪我をしてくれてるなよと心の中で何度も願いながら、シキを捜す。
瓦礫やガラスの破片、爆発による怒声と悲鳴、会場はもう見る影もなく破壊されていた。あの中にいるタクやその他の安否が気にかかるところだが、私に何ができる。警察や救急隊に連絡しようにも、ここらに電話ボックスがあったかどうか記憶にない。連絡のしようがないじゃないか。
だからシキを捜す。
「くそ!」
そんなに離れていないはずなのに、どこにもいない。名前を呼んでも雑音がひどくて声が通らない。私があの時トラウマによって転げなければこんな失態を演じずに済んだというのに、どうして私の心はこんなにも弱い!
「シキ、どこにいるんだ!」
何度叫んでも返事はない。
――最悪の結末が脳裏に浮かび上がる。破片が刺さったか、爆風に飛ばされて剥き出しの鉄筋によって串刺しにされたか、あるいはコンクリートの塊が頭を直撃したか。
「そんなことはない!」
手を離したからこそ、守れた未来を守れなかったという結末が訪れているのかもしれない。
「そんなこと、あってたまるか!」
今更になって、自分の所為で誰かが死ぬことがあってたまるか!
だが、いくら捜したところでシキは見つからなかった――




