ふたり、はなれて 1
「こんな時間に来るなんて珍しいな」
相変わらず見せつけるような身体の良さを隠そうともせず、『グリーンランチ』のマスターは閉店間近に来訪した私に僅かながら驚いたようだ。
深夜も相当深い時間だ。さすがにここまで来ると客は一人も居ない。逆にそれを狙って私は早めに寝て、つい先程起きてここまで足を運んだわけだが。
昼と夜の喧噪は一体どこに消え去ってしまったのか。虫の音すら届いてこない店内ではマスターが一人で店番をしている。手伝いのあの子供ももうとっくに就寝しているだろう。
「で、何の用だい、イチコちゃん」
「ああ、シキの両親について調べはついたかどうか、聞きに来たんだ」
つまりはそういうことだ。
昼間だとシキが起きていて、しかも勝手についてくる。この数日で気付いたことといえば、シキは結構頑固な性格をしており、自分が嫌だと思ったことははっきりと拒否する意志の強さがあるということだ。マスターからシキの両親について話を聞きたければシキの起きていない時間にここへ足を運ぶ以外に無いし、シキに両親の話など聞かせたくもないという思いが私の中にあった。
「ああ、それについてだが」
拭いたコップを置いて、厨房から私の方へ改めて向き直る。
長くなりそうだと思った私はカウンターに座って肘を突き。手の甲に顎を乗せる。
「シキの両親が死んでるってぇのは早めに言ってくれ。驚いたじゃぁねぇか」
「すまんすまん、すっかり失念していたよ」
「さて、結果だが、あの子の両親は弁護士だ。とある事件の弁護をすべく、ここまで立ち寄ったのだろう。とはいえ、ここに住んでいる訳ではないから通いで被告と会っていたみたいだがな」
「……どういう事件の弁護を請け負っていたんだ?」
「有名な話さ。――ハローグッバイの容疑者、それの弁護士だ」
「……そりゃ驚きだ。つまり仕事で家族旅行も兼ねて、シキも連れてきたというわけか?」
「その辺はハッキリしねぇが、まぁ大旨そんなところだろう。しかしちょっと気持ち悪いのがな『その日』も容疑者と出会ってるんだが、その二時間後に交通事故で死んでいるということだ」
「……偶然だろう。弁護士を狙うなんて、あからさまな」
「まぁ、そうだろうな。……事故を起こした犯人は見つかっていないがな」
「見つかっていない? まだ逃げているってことかい」
「そうだ。逃げているのか、逃がしているのか分からんぐらいに行方が掴めない」
「……なるほど、確かにちょっと気持ち悪い話だね」
これがシキ絡みではないというのなら、一種の怪談にして楽しんでもいいだろう。
しかし実際はシキが絡んでくる事件だ。
ただの偶然だと思いたいが、何かこう、嫌な予感が頭の中にこびり付いて離れやしない。
「さらに調べてみる。明日中には色々と分かるだろう。ちょいと焦臭い噂も耳に入ってきているんでな。――イチコちゃん、十分に気をつけろよ」
「はは、そうすることにしよう。マスターがそこまで忠告するなら、本気で警戒する必要がありそうだからね」
実際、そこまで忠告を受けると自然身が引き締まる。
シキの親戚が現れたらそこで別れることになるだろう、と単純に考えていたのだが、どうやらそうはなりそうもなかった。
明くる日、予定の時間にタクが仲人を務めるというよく分からない趣旨の結婚式場に私達は訪れた。中に入るわけじゃないので普段通りの格好でだ。きちんと服装を決めてる人達の中、余りにもラフな格好である二人組は実によく浮いていることだろう。実際「誰の招待だ?」「何しに来たんだろう」という問いが、彼らの視線から投げかけられている。しかしまぁどれもこれも知らない顔ばかりなので答えることもないし、向こうもわざわざ知らない人間に向かって視線での問いを口に出してなんぞこないだろうね。
何にしろ今日は結婚式を挙げるには絶好の晴天だ。異色である私達二人がいたところで彼らはすぐにこっちのことなど忘れ、主役である新婚達のことへと話題を変えることだろう。
私達は予定通り会場の外で目的の人物を捜していた。
予想ではすぐに見つかるだろうとシキに言い、実際どこか自信なさげにウロウロとしている人物を発見して、私達は笑いながらこっそりと近づき、その背中を思いっきり叩く。
悲鳴を上げたタクは慌ててこちらに振り返り、
「痛いじゃないか! なんでこんなところにいるんだよ!」
と怒鳴ってきた。
こんなところとは失礼な奴だ。呼んだのは向こうだ。
すぐさまそのことを思い出したのか、タクははっとした後に咳払いをし「き、来てくれたのか」と言い直す。礼装を着ているというのにどことなく頼りない。それでも礼装というのはある程度人を飾ってくれるのだが、こいつには馬子にも衣装という表現がぴったりだった。
「見事に緊張しているようだね。そんなんじゃ練習が無駄になってしまうな」
「だ、大丈夫だ。こう見えても本番には強いんだ」
「じゃあ私達を呼んで緊張をほぐしてもらおうなんて頼みはしやしないだろう?」
「そ、それは念のためにだなぁ……おっと、その子も来てたのか」
――そういえばこいつも警察だったな。
昨日、ジンヤが訪れて話していったことを思い出す。やはりシキを警戒しているのだろうか。
「どうだ、結婚式というのは。華やかなもんだろう。こっちの頼まれ屋は嫁の貰い手がなさそうだが、君は将来美人になりそうだからよ、十年後にはこんな華やかに――」
「放ってくれ。結婚は人生の墓場だよ」
口が開くとろくなことを言わない奴だ。
しかし予想していたリアクションとは違い、今のこいつはシキ相手に警戒しているように見えない。いくら悟られないようにといったところで、タク程度の奴なら僅かな緊張ぐらい見え隠れしそうなものだったが、そこら辺はプロということか。それともタクは間抜けすぎてジンヤが教えておらず、本当に何も知らないのか。……さすがにそれはないか、と否定できないところが日頃の行いというものだ。
「で、緊張をほぐす手段としては何があるんだよ」
結局は頼りにしてくるタクの肩をポンポンと叩く。
「さっきオドオドしていた時とは違って、今はもうシャキっとしているじゃないか。随分ほぐれただろう?」
「え、あれでいいのかよ! あんなの友達に任せるだけでいいじゃないか!」
「人によって最適なやり方ってのがあるのさ。あんたの場合、頭の構造が単純そうだからね。背中に活入れた方があっさりと元に戻ると思ったのさ。違うかい? 今は随分と冷静にそうに見えるけどね」
実際はただの結果論なんだが、そんなことをわざわざ言う必要はない。
「はぁ、しかし結婚式っていいよなぁ」
「何が?」
突然そんなことを言われても困るが、やはり誰にも結婚願望というのがあるんだろうか。少なくとも私はまだ結婚なんてしたくはないんだが。
「俺もいつか盛大に結婚式を挙げてみんなを感動させたいよ……」
「あんたじゃ無理だ。ケーキ入刀の時に足をつっかえて盛大に頭から突っ込むタイプだからね。多分全員が感動の大笑いで腹筋を痛くすることだろうよ」
「ひでぇ言われよう……」
がっくりと頭を垂れるタク。
「だいじょうぶ」
その頭をシキが撫でる。
「忘れられない思い出になるから」
「いや、それはちょっと嫌なんだけど……」
「さすがシキ、的確なことを言う」
ついつい笑っていると、
「おや、頼まれ屋さん」
――聞き覚えのある声が、耳に届く。緩んだ気持ちを急激に引き締めて私は振り返り、そして目に力を入れた。
「にらまんでくれよ。今日は娘の結婚式なんだ」
そこにいるのは、あのジンヤである。穏やかな笑顔をたたえているが、警戒するなというほうが無理である。
「ジンヤさん。おはようございます」
と、タクは先輩刑事相手に頭を下げる。
「おう、今日はしっかりと頼むぞ」
「は、はい!」
再び緊張しだしてきたようだ。タクはビシッと敬礼したが、その声は裏返っていた。そんな若造の目を見ず、ジンヤはじろりとシキを睨んだ。――シキが一瞬停止し、思い出したかのように息を吸い込んだ。
今のは……なんだ? シキの妙な動きと、ジンヤの瞳が引っかかる。
「仕事を無駄にしてくれたね」
その妙な空気をぶち壊すつもりで、そう言ってみる。
「何の話だ?」
「なんでもないさ。……今日はアンタんとこの娘さんが主役かい。さぞ嬉しいことだろうね。それとも娘を男にとられた悔し涙でいっぱいってところかい。まぁ、私には関係ないことだが」
「はは、それはそうだ。だから君はしっかりと自分の仕事に励んでいてくれよ。俺からの依頼も引き受けてくれると有り難いんだがなぁ」
「返答は昨日と同じさ。これ以上アンタと話していると虫酸がうじゃうじゃ沸いてきそうだ」
「ほう」刑事は穏和な笑みから目を細くして「奇遇だな」と応えてきた。
解っていたことだが、互いにどうやらこいつとは相容れないタイプらしい。
「それじゃ俺は中に入っているが、タク、しっかりやってくれよ。娘の晴れ舞台なんだからよ」
「わ、わっかりました!」
裏返った声でタクは返事した。隠したつもりの緊張が戻ってきてしまったらしい。
こちらの気分を害すだけじゃなく、仕事まで台無しにしてくれる。まったくもって本当に相容れない。去っていく男の背中をつい睨んでいると、そんな私の手をシキが握ってきた。
「……どうした?」
その手がかすかに震えている気がして、そう訊いてみる。
「あの人……なんか、こわい」
ぽつりと呟いたシキに、私は同意した。刑事なんて商売をやってるとああも性格が悪くなるのだろうか。
「あああ~、人という字を書いて何回飲み込むんだっけ……?」
と思いきや、隣で『入』という字を書いて飲み込むもう一人の刑事を見て、実は刑事という商売が悪いわけじゃなく、単純に人間の問題だと思い直すのだった。
兎にも角にもまたこいつの緊張を解すためにあれこれと手管を変えて試したのだが、一抹の不安が残ってしまった。本当に大丈夫かね、こいつは。




