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みどり、どかして 3

 餅はそのまま昼ご飯となり、仕事する気のない本日でこれからやることといえば、鋭気を養うことぐらいだった。

 まだまだ太陽は明るく高く、眠気を誘うに最適な環境をアパートのてっぺん、屋根の上に作り上げてくれている。私とシキはそこで大の字になって寝転がり、うとうととしていた。シキは何もやることがない事実に最初不満げなことを一言呟いたが、すぐにここの気持ちよさに心が折れたようだ。平日から屋根の上に上がってビニールを敷き寝転がってる奴らなんて、のんきな連中の多い緑の町でも私達ぐらいなもんだ。

 屋根の上にこそ届かなかったが、屋根に届くまでちょこちょこ生えていた草共はとっとと片付けたので、随分広く感じられる。

 何もしないっていうのは楽なもんだ。たとえ何があろうとも、何かをしなくちゃならなくとも、何もしない日ってのがたまにはあっていい。人は労働の合間に休息を入れないとガソリン切れとなるように作られてるんだから、当然だろう。シキを見てみろ。この慣れない環境で一所懸命私に付いてきて、やることをやろうとしてまだ突っ走ろうとしたのに、いざこうして休息を入れればコテンと寝てしまう。ほら、なんとも可愛らしい寝息をたてているじゃないか。

 幸せな気分にさせる子だ。――今、ふとそんなことを思った。

 相手を幸せにする能力は大切だ。それに欠けてる私からすると何とも羨ましい能力だよ。いや、欠けているわけではなく、別の余計な能力を授かってしまったのだ。


「……あ」


 じっとしていたからか、それとも彼女がとても無防備だったからか。

 スズメが一羽、シキの手のひらに乗ろうとして失敗していた。

 くすぐったそうにその指が動くと、驚いたスズメは飛び立ってしまう。

 ――本当に、何とも羨ましい少女じゃないか。私には決して小鳥は近づかないというのに。

 ちょんと少女の柔らかいほおを指でつついてから、私も両手を伸ばして目を閉じた。眠気はすぐに訪れて、睡魔の手招きに誘われた。彼らは決して害を与えやしないのだが、どうしても抗うことができない。こればっかりは頑強な精神をもってしても無理だろう。


「……おとうさんと、おかあさんは」


 その落ちかけた意識の中に、誰かの声が滑り込んでくる。

 ああ、意識が止められない。落ちていく時は急激に落ちていく。今は何も身の危険はないから、身体が動いてくれそうもない。


「あのとき」


 だれのこえだろう。

 すぐそばの、だれのこえだったか。


「わたしをまもるため、すてたの」


 なにを、だろう。


「きっと、そう。だからここにいる。でも、こころは――」


 誰の声かを思い出したのに、もう限界だった。

 私の意識はストンと落ちた。




 目を覚ます。

 時計を探してポケットに手を突っ込むとすぐに見つかり、古くさい懐中時計を開いた。三時をちょうど回ったところである。数秒間、その時計が時を刻むのを眺めた後、身体を起こした。


「……ん?」


 ふと横を見るとそこにシキの姿はなく、ビニールだけが広がっていた。

「お前の乗せてた女の子はどこいった?」

 問いかけてみたが返事が返ってくるはずもない。それでも風に煽られバサリと翻ったのは返事のつもりだろうか。

 なんにしろどこにも少女はいなかった。あのこまっちい身体はどこに消えた。


「一体どこにいったっていうんだ。まったく……」


 ここにいないということは、下に降りたか。

 面倒をかけさせてくれると、私も梯子を伝って降りた。一階のところまで降りると梯子に張ってある『危険! 片付けるな!』の紙を剥がす。これを貼っておかないといつ梯子が誰かの手によって片付けられるかわかったものじゃない。

 梯子を畳んでアパートの壁に立て掛ける。どうせここにはこんな物を盗む連中なんていないだろうし、もし盗まれても滅多に使わないから大して痛くもない。それよりもシキを見つける方が優先だろう。


「まだ慣れてないだろうに勝手に出歩くなんて」


 そう、そこが心配なのだ。

 複雑に入り組んだこの町で、もし経験の少ない彼女が変なところに迷い込んだら面倒臭いことになりかねない。廃墟となったマンションなんかに足を踏み入れたら、場合によってはコンクリートの天井や壁、床が崩壊し、命すら失いかねない。最初に出会った時に彼女は何も考えずマンションの階段を駆け上っていったことを思い出し、心が焦りだした。


「まったく」


 悪態をつきながら駆け出そうとしたところ――


「ただいま」


 道路からひょこりと顔を出したシキを見て、ぽかんと口を開いてしまう。


「な、な……」


 瞬間、呆然としていた私だが、シキが両手に持っているそれを見てさらに混乱する。

 両手には野菜やら肉やらが大量に詰まったビニール袋。大量とはいえ、少女が元々小柄なので沢山に見えるけど、近所の主婦がいつも買っている量に比べたら少ない方だ。


「……?」


 シキは首を傾げてそんな私の目を覗く。


「……それはなんだ」


 なんとか努めて冷静さを取り戻した私は、彼女が持つ両手の袋を指さした。


「これ、夕飯。冷蔵庫に何もなかったから」

「……ああ、なるほど」


 先ほどの掃除で中をしっかりと覗かれたのだろう、冷蔵庫の中身を知った彼女は今夜のご飯が心配になったというわけだ。それでどうせ自分が作るのだろうから勝手に購入してきた、と。


「ところで金はどこから?」

「テレビの下にお金があった。借りるって、メモしておいたから」

「メモ?」


 ふと上を見上げると、タイミングよく一枚の紙が屋根から風に舞って飛んでいった。


「ああ、あれか。見なかったな」

「それじゃ意味ない」

「悪かったよ」


 つい苦笑しつつ、私はシキから両方のビニールを手に取った。


「重いだろう」


 決して重くはないが、少女の細い腕では重そうだ。


「うん。カレーだから」


 なるほど、ビニール袋の中には肉にタマネギ、人参とジャガ芋等々、カレー粉もある。


「楽しみにしてるよ」


心配したこっちが馬鹿みたいだが、実際保護者とはそんなもんだろうか。これが毎度毎度続くとなると心身ともに持たなさそうだ。

 梯子を片付けてから戻るので先に部屋で準備しててくれと告げ、私は梯子を抱え上げた。シキは言われた通りに階段を駆け上がり二階の私の部屋に入っていく。

 その時、視界の端っこでその男の姿が目に入る。――つい顔を顰めたのは、そいつがここに来る理由の心当たりと、それがあまり良くないことだと勘が告げたからである。


「こんにちは」


 笑顔のままでアパートの敷地内に入ってきたジンヤは、つと足を止めて両手を挙げた。


「あんま睨まないでもらいたいもんだ。こっちも忙しい身でねぇ」

「お巡りさんが何の用だい?」


 タクならまだしも、こっちはそこそこ頭が回るようだから、わざわざここに来たということは当然それなりの用件があってのことだろう。


「はっは、警戒されてるなぁ」


 当然だ。

 ハローグッバイの件だけならまだしも、もし別の用件でここに来たとなったら。

 ……それはシキ関係のこと以外、ありえないんだ。

 だったらこちらとしてはハローグッバイの話題で盛り上がりたいところである。もし保護者でもない私が未成年の少女と一緒に働いているのか追求されれば、それこそ言葉も出ない。その場合は刑事じゃなくて役所の人間がまず来るだろうと踏んでいるんだが――


「話というのは他でもない。あの子の事と、ハローグッバイの件だ」


「ん?」


 その両方だと?


「我々はね、あの子のことを警戒しているんだよ」

「なんだって? どういうことだ?」


 ハローグッバイの件と関わりがあるというのか。シキが?


「わからないのか? あんたは聡明な女性だと思ったんだが、そうでもないらしい。それとも近すぎて盲目になってるか。今までの状況から判断すれば、あの子は最も怪しい人物となるのに気づいていなかったのかね」

「……わからないな、あんたは何を言っているんだ」


 シキが怪しいだと? そんな馬鹿な話を受け付けられるか。だから鼻で笑い飛ばした。そんなのは刑事の妄想に他ならないだろう。


「なら、頼もうじゃないか」

「……頼む?」

「俺はお前さんに依頼する。あの子を数日間見張っていてくれと。頼まれ屋が頼み事を聞かないなんて馬鹿な話もない」


 最後は釘を刺してきたつもりらしい。


「シキは仕事仲間だ。仲間を見張るなんてのは依頼として受け付けられないね。勘違いしているようだからはっきりさせておくが、私にも断る権利ぐらいある。仕事を受け付ける、というのは依頼主と私が合意しなければ成り立たないんだよ」


 ジンヤは苦笑して、鼻をすすった。


「まったく信頼を得られない仕事だな」

「いいさ。元々大量に儲けるつもりで始めた仕事じゃない」

「じゃあ何で頼まれ屋なんてやっているんだね。この町で唯一の仕事というがどうしても気になるなぁ」

「――黙秘権を行使するね。先日会った時ならまだしも、今のあんたに答える気にはならない」

「そうか。まぁいい。こちとら仕事が溜まってるんでね、一応の警告をあんたへしとくだけにしようと思ってたんだ。はなから話を聞けるなんて思っちゃいねぇよ。ま、身内を疑えなんてのは非常識もいいところだろう。あんたも女だ、そんなこと出来やせんだろう?」

「……ああ、そうだね」


 わざわざ女がどうのこうのと口にするのは簡単なことで、相手の狙いはこちらの挑発だ。だから受け流すだけにしておき、まともに取り合っちゃいけない。


「他に聞きたいことはあるかい? 今なら丁寧に答えてやるよ」


 しかしこちらの精神もそこまで達観してないようで、挑発には挑発で返してしまう。当然まともに取り合うつもりなんざ毛頭ないが、口から出任せでも言っておけば相手をコケにできるってものだ。


「今は遠慮しておこうか」


 さらに苦笑しつつ、その刑事はその場を去っていった。

 その背中が路地を曲がるまでじっと睨み付け、そして視界から消え去った瞬間に深く息を吐いた。無駄に緊張することはあまり好きじゃないのに、どうして厄介ごとを持ってくるかね。

 何にしろ奴が言ったことは……シキが一番怪しい?

 戯れ言だ。気にする必要はない。

 気にすればあの刑事の思うつぼなのは分かりきっている。奴はああしてこちらの不安を煽り、何か見つからないかとちょっとした杭を打ち込んだつもりなのだ。何かしら種を蒔いておけば、思わぬところから花が咲くのを期待している。ここへ来たのもその一つで、いつか実れば運が良い程度の考えだろう。実際はそこまで期待しちゃいないだろうね。

 そこまで分かっているのに、どうしてだか私は自分の胸を押さえずにはいられなかった。

 ――緑色の町に不穏な空気が流れ込んでくるのを肌で感じる。

 シキがどう関わっているのかはわからないし、考えてはならない。

 不穏な空気が緑色にどのような彩色を施すのかも今は予想させてくれない。私の見識じゃおそらくその色を当てるのは難しいだろう。ぽたりと一滴、異種の色。何が起こるのか。何が起きるのか。

 その色はもしや、緑色に染まった私の心をも塗り替えてしまいかねないのかも。


「厄介だ、本当に」


 そう呟いて空を見上げる。空は世界中のどこにいても変わらず、時間の経過と共に色を変える。朱い斜陽が町の緑色を塗り替えて、そうか塗り替えるのはこんなに簡単だったかとくだらないことを思い出した。

 町に固有の色があるというのなら、私の両手はその夕焼けと同じ力を有している。その力を有しているからこそ、結果として私は今の道を選んだのだ。今も昔も変わらず衰えず、この力は呪われている。

 アパートを出て近くの廃墟に行き、そっと両手を伸ばしてぼろぼろの壁に触れる。掌から崩れやすいポイントを探り出し、ちょっとだけ力を込めると、パラパラなんて音を立ててコンクリートの粉が舞った。


「ああなるほど、ここは簡単だ」


 手応えのない建物だ。これなら数秒で――たったの数秒で全てを塵と化せる。心の底に蹲る暗い感情がゆたりと頭をもたげて、成長した筈の心を爪の先から少しずつ浸食してくるような快楽。それは、その黒い感情は、かつての私の中に確固たる愉悦として存在した破壊衝動。

 そこまで思考が至った瞬間、内蔵が暴れ出して膝を折る。先程食べた餅が暴走して喉を伝ってくる不快感をかろうじて飲み込み、それでも口を少しでも開ければ全てをぶちまけてしまいそうで、その無様さを想像し恐怖した。

 くそ、まだ私は何も克服していないというのか。あの時の事を、私は……。

 気持ち悪さが引いて辛うじて立ち上がり、何度か深呼吸する。この力を使おうとすると、どうしても最悪な記憶が甦る。十年前の頃からちっとも成長しない自分が本当に嫌になる。一体何時になればあの時の事を乗り越えられるというのだ、私は!


「イチコ?」

「……あ」


 はっとして自分を取り戻す。

 振り返ると、そこにはシキがいた。夕日に顔を炙られ、白い肌が塗り替えられている。


「カレー作るの、手伝って。……どうしたの?」


 相変わらずよく首を傾げる少女だ。しかし、助かった。


「なんでもない。なんでもないんだ」


 心の中をもたげてきたかつての感情と技術をもう一度しまい込む。消すことは出来ない過去の記憶を封印する方法は、ただひたすらに押し込める以外にないだろう。押し込めて押し込めて、何事も無かったかのように振る舞い続けるしかないんだ。

 シキが私の手を取って戻ろうとしたので、それについていく。

 部屋に戻るとカレーの匂いが充満していた。


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