みどり、どかして 2
微細な変化は今後何をもたらすか、それを考えるのはおそらく今じゃない。今じゃないが、現在において他にない。
「じゃあ、炊飯器きれいにする」
「任せた」
それじゃあこっちは部屋の掃除だな。外をやる前にまずは中から。掃除機を押し入れの中から引っ張り出してコンセントをぶっさし電源を入れるが、うんともすんともいわない。出鼻をくじかれつつ、またもや久しくその姿をお目にする箒を引っ張り出して部屋中の埃を集めまくった。こういうとき殺風景な部屋は事前に片付ける必要もないから楽だ。
ある程度部屋に埃を集めると、その量にうんざりとする。ちりとりはどこかと部屋を見回すがどこにもない。もしかしたら寝っ転がるのに邪魔でゴミ箱へ投げ捨ててしまったかもしれないので、代わりになるものを探す。
机の下から発見された古い雑誌の一部を切り取ってそれをちりとり代わりとし、まとめてゴミ箱へと捨てた。一回で捨てきれないので何度かかき集めては捨てるといった行為を繰り返していると、そこへパタパタ足音を立てながらシキが駆け寄ってきた。
「きれいになった」
わざわざ炊飯器の中を見せてきたのだ。なるほど、見違えるようにきれいになった。中だけじゃなく外まできれいになっているのだが、まさか水でジャバジャバ洗ってないだろうな。
「干してくる」
「……」
あの電気炊飯器は新しく買った方がいいかもしれない。
干す位置を何度も確かめながら竿から紐を使って炊飯器を釣ろうとしているシキを止めて、他のことを命ずる。窓ふきだ。雑巾を適当に水で絞って拭けという命令に素直な態度で従った。というか、表情こそいつも通り変化に乏しいが、どことなく楽しそうだ。
そうこうしている内に二時間ぐらいは経過したか。
太陽も結構高くなってきたようで、部屋の中は随分と明るくなってきた。それを利用して蛍光灯の電気を消して中身を取り出し、雑巾できれいにする。 こんなことをするのは年末も年末、大晦日だけだと思っていたんだがな。大晦日だろうが掃除をしない私がそんなことを言うものではないから黙っておく。
窓際で陽に当てていた炊飯器の存在に気づき慌てて日陰に戻す。二、三日は干さないと駄目だろうし、そもそも復活するかも怪しい。だが敢えて復活するかもしれないという望みをかけてみよう。
「ひととおりおわった?」
「ああ、きれいになったな」
まるで見違えるような部屋だ。これなら客人を迎え入れることも可能である。
次は草刈りだ。草刈り屋に金を払うのはもったいないし性格の問題もあったので、私は自ら草刈り屋の免許を取得して定期的に奴らを刈っている。この技術はこの町で生きるには必需品ともいえるものだが、何しろ取得が難しい。草刈りだと思って馬鹿にしていると命を落とす危険さえあるからだ。
どうして命を落とすのか、今更説明も不要だとは思うが……。
ドアを開いて外に出る。アパートの二階から見える外の景色は、一言で言うなら緑。その緑は崩れかけのマンションを支えており、そしてマンションを崩れかけにした張本人だ。斜めになった建物の草を刈る彼らの職は、そのあまりにも脆い足場を利用するため常に転落死と隣り合わせになる。最新の注意を払わなければ足場が崩れ転落し、下手に刈りすぎると今度は支えとなる植物を失った建物が急激に崩壊する。緻密な計算と技術が成り立っていなければ到底出来やしない商売だ。素人がおいそれとやっていいものじゃない。この緑の町に住む人間なら身に染みて知っていることだ。
とはいえ玄関を塞いでくる奴らを刈っちゃいけない法律は存在しない。
たとえ私が草刈りの資格を持っていなくとも、遠慮なしにハサミでバサバサ切っていることだろう。そのぐらい奴らは鬱陶しい。
外に出た私がまずやったことはドア周りの草刈りだ。元を絶つにはまず順序というものがある。自分のところをきれいに刈り取って、シキに用意させたゴミ袋に突っ込んだ。それから向こうの部屋を一別すると、やつらの魔手は今まさにそこまで及ぼうとしている。これじゃ明日にもシキは部屋に閉じこめられてしまうだろう。
私の手際よさに、途中からシキがじぃっと見つめてくるばかりとなった。なんだか非常にやりづらくて困る。
私のところを終了させて、すかさず隣の部屋の前に移動、さっさと作業を始める。使うのはハサミとナイフ、あとは土台だ。専門道具なんて持ってないし、そもそも自分のところだけしかやる気がなかったので無駄な道具の購入は省いていたのだ。
さっさと刈り取ると、シキが拍手をしてきた。
「捨ててくる」
「ああ、下にゴミ捨て場があるから、燃えるゴミに置いてくればいい」
「うん」
他にもいくつか部屋はあるが、知ったことではないのでハサミとナイフを片付けようとしたところ、階下から声が掛けられて振り返った。
「イチコさん、ついでだから他のトコロも草刈ってくれよ!」
……このアパートの管理人である。
ずんぐりと太ったおばちゃんで、根はいい人なんだろうが、こちらの苦労をあまり考慮せず平気な顔して仕事を押しつけてくるからあまり得意な人ではない。私に頼むということは料金が発生するんだし、そういうシステムで食ってきているんだと説明したことはあるんだが、まったく理解を示してくれなかった。
現にこうやって頼まれ屋に頼み事をしてきている。
「自分の家の前だからやったけど、他のをやると料金かかるよ。それでもいいのかい?」
「なーに言ってんだい。アパートに住んでんだからみんな共同体みたいなもんさね。ちゃっちゃと掃除しとくれよ!」
ほら、無茶だ。
「全員の扉をやれっていうのかい? 滅茶苦茶だね。草刈り屋に頼んだらどうだい?」
「それこそ何言ってんのよ。扉だけじゃなくて、壁もだよ! 屋根もやってくれるとありがたいねぇ!」
壁と屋根って、そこまで本格的にやるとなると専門の道具が必要だ。足場確保するにも、蔦が這う場所を歩くんだから靴だってこれじゃ心許ない。専門道具や壁をぶら下がる方法が無い以上、せいぜい根本を刈って枯れて降りてくるのを待つぐらいしか方法はないのだが、草刈り屋から見れば後かたづけをしないわけだから論外という方法だ。
「タダは勘弁してくれ。そこまでいくと手伝うレベルじゃなくなってくる……」
溜め息を吐きながらそういうと、管理人は「お餅用意しとるから頑張っとくれよ!」と無理にでもやらせようとしてくる。なんで危険手当も何もないのにそこまでやらんといけないのかね。頼まれ屋としても引き受けたくないね。
一応見てみれば緑は屋根まで達していないようだった。途中で止まっている。そこまで遣る必要はなさそうだった。
「わかったよ。壁の根本にある蔦を刈る。片づけはしないので、後は自分でやってくれるとありがたい」
生憎、私は免許こそ持っているが草刈り屋ではない。そういう論外な方法を取っても何ら問題はないわけだ。
「しょうがないねぇ。後は管理会社にでも連絡して取り除いてもらうよ。それだけならあまり金額も発生しないねぇ!」
ケチりたくなる気持ちはわかるのでそこには何も言わない。
自分のところだけだった筈が、いつの間にか大変なことになっている。この町の人間があまりにもテキトーなので、よくあることといえば困ったことによくあることだ。
このアパートはそれほど植物の浸食被害に遭っていない。根本を切るぐらいならシキに手伝わせてもいいだろうと、片付けようとしたハサミにプラスしてもう一本、計二本を持って下に向かう。ゴミ捨て場から戻ってきたシキに声を掛けて新たな使命を与え、壁の前に座って植物の根っこにハサミを入れる。まずは見本とばかりに、ゆっくりと草刈りする所をシキに見せた。
一回じゃ分からないだろうと何度かやってみると、シキは早速真似を始めた。
技術云々はまったく期待していなかったが、あっさりと植物を刈ってしまった時にはどうしようかと思ったぐらいだ。ただの蔦だからそんなに太くもないし難しくもないのだが、一回でコツを掴んだらしい少女は次々と根本の部分を切っていく。
「……なんだかなぁ」
この場はシキに任せて良いだろう。こっちは他の部屋の扉に絡まった蔦を刈り取る作業に入る。壁の周りを刈るのは単純作業なんだが、扉の方は根本を切るんじゃなく複雑に絡んで隙間に入り込んだ奴らを取り除かないとならないから、技術と経験はもとより忍耐力が重要になる。しかもこの時間ともなるとみんな仕事に出てしまい、扉を開けてもらえない。本当に隙間へ滑り込んだ連中は刈れないので、栄養を回らせてこれ以上奥へいかないよう途中で切断する。
そんなこんなでさらに二時間程度が経過する。
自分の担当分のほとんどに片を付けると、丁度シキも終わったのか、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。二時間もやっていたのにまだまだ元気なところは子供らしく、とても微笑ましい。
「次はなにをすればいいの?」
「部屋で手を洗い、それから餅を食べに行くんだ」
「もち?」
小首を傾げた少女だったが、その疑問はすぐに氷解することとなる。
手を洗って階下に降り、管理人のところへ行く。一通りのできばえを見た管理人は大変満足して「報酬の餅だよ、食べてきなさい」と部屋へ招いてくれた。
管理人の部屋は一階と二階を繋ぐ階段の傍、道路への出入り口に一番近い端っこにある。中の大きさも間取りも私のところと変わらないが、彼女自身はここに住んでいる訳じゃない。ここからおよそ五分程度の一軒家に住んでいるのだが、太陽が出ている間はこっちにいるのだという。私の部屋に置いてあるものより新しいテレビが綺麗な映像を映して昼の健康番組を流しているのを眺めつつ、私達はコタツに座って餅が出てくるのを待った。
「はいよ。きな粉、あん、大根とあるよ。どうせもらいモンだからタンとお食べ! 特にイチコちゃん、あんたはそろそろ彼氏の一人や二人連れておばちゃんに紹介しなさいよ!」
痛いところをこれでもかという大声でつつきまくってくる。
「当分見つかりそうにないねぇ」
「シキちゃんだっけ? 若い内から大変ねぇ。おばちゃんあんたみたいな子を見ると不憫で涙がちょちょ切れちゃうよ! 今度夕飯に招待したげるから遊びに来なさい!」
「……」
シキは黙々と餅を食べている。きな粉餅ばっかり食べている。
私も箸で大根おろしの餅を掴むと、なぜか管理人にその手を叩かれる。
「若い娘はきな粉かあんこでしょう。だから性格若くないって言われるのよ!」
真面目にほっとけ。
「ほらほら、あんこ大量にいれるよ!」
「いやいや、選ばせてくれ」
とはいっても選ばせてくれず、私の皿にはあんこ餅ばっかりが山となっていった。
渋い茶で大根おろしたっぷりの餅が食べたかったんだがなぁ……その夢を諦めて全部平らげた頃に、
「イチコちゃん、ちょいといいかい。あ、シキちゃんはそこで餅を食べててちょうだい」
管理人が私を引っ張って外へと連れ出した。彼女に聞かれたくないことなのではないか、と思ったところでおばちゃんが次に言うことの予想はついた。。
「あの子、いつまであそこに住まわせておくつもりだい?」
「ああ……」
「未成年、しかもまだ十歳ちょいだろう。いつまでもここに居させるわけにゃぁいかないよ。あの子の親御さんだって心配していることだろう。連絡は取れなかったのかい」
「連絡は取れない。教えてくれないからね」
彼女の親御さんとはもう連絡は取れない――しかし私の口から管理人に教える気はまったく起きず、そのことについては黙ったままにしておいた。
「いくらアンタだってね、あんな小さな子を連れ回したらあんまいい噂にならないよ!」
「元々評判は捨ててるつもりだったんだがね。心配してくれるだけ有り難いが、なぁにこっちは何とかなるさ。それにいつまでもあの子がここにいるわけじゃない。いつか誰かが迎えに来るだろう」
「どうしてそうも客観的でいられるんだい?」
客観的でもいられるさ。見た感じ、あのシキは元々それなりの家のお嬢さんだ。あそこまで成長している子供のいる夫婦がまさか今更駆け落ちというわけでもないだろうと思うので、おそらくこの町には観光で立ち寄ったと考えるのが自然だ。しかし不幸があって――それについてはマスターに調べさせている。
そんなこんなで私の下で仕事を手伝うことになったわけだが、今のご時世悠々と旅行に出掛けられる少女の家系だ、すぐさま親戚の誰かが彼女を捜してここへ訪れることになるだろう。その際にシキを渡せばいい。つまりそれまでの間、彼女はここで社会経験を積む訓練をしていればいいのだ。本当は警察へ連れて行くべきだが、それは彼女自身が拒否をしているので無理強いはできない。
――いいや、それだけじゃないんだ。
彼女をつい手元に置く理由は、きっとそれだけじゃない。
そんなことは私自身がはっきりと理解し、そしてあまりはっきりとさせなくていい感情だ。……暗く淀んだ闇を掘り起こす必要はない。
「まぁいいさね。アパートの皆さんにご迷惑かけなきゃこれ以上とやかくいわないわよ」
ふんと鼻を鳴らされる。その顔は納得していなかった。
管理人のいいたいことももっともだ。隣の部屋には私が無理矢理頼み込んで入れさせてもらったが、費用はこっち持ちということになっていて、シキが払うわけじゃない。本当に払えるのかという不安もあるし、得体の知れない少女を招き入れたことによるいざこざは避けたいところだろう。
「大丈夫さ。心配しなくてもね」
全く根拠はないが、私は眉をひそめている管理人にそう言ったのだった。




