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こころ、さがして 1

 その日は朝から曇りで、嫌な予感がしていた。

 蔦の生えまくった壁の御陰かどうか定かではないが、電波状況の悪い中で耳にするラジオは正確な情報を送ってこない。途切れた中でなんとか聞こえたのはあくまでも「降水確率は」までで、さてさて一体何パーセントだったのだろうかと青い空を隠して自分色へと変えた雲を、首が軽く痛くなるまで見上げながら、頭のトレーニングとばかりに想像力を豊かにさせる。


「ん~?」


 ついつい間抜けな声を出してしまうのは、一種のアクビ代わりだ。

 普段からさほど働かない脳ミソはすっかりサボり癖がついてしまったらしく、結構どうでもいいパーセンテージすらぱっと思いついてくれなかった。役に立たないラジオの電源を切って、まぁ大丈夫だろうと傘ではなくてバッグを探した。


 そんな探し物である肩掛けのだぼついたバッグは結構な年期が入っている。この町へ来る前からの付き合いなので、もう十年来のパートナーだ。新しいのにしようかどうか悩む一種の倦怠期などとうに越えていた。あのバッグがなければ出掛けることもままならない程、見事な信頼関係を築いてきたつもりだ。年数が経った分、新品にはない見事な艶やかさが磨かれてるのに気付いてしまえば、早々取り換えることなんて出来やしない。

 一応言っておくが私が中年趣味というわけではない。


 黴臭い部屋の中からバッグ一つ探すのにやたらと手こずるのは、まぁ、普段から部屋の片付けをしていないからだ。

 暗い部屋にぽつんと置かれたデスクの足にバッグが立て掛けられてあった。パイプ椅子に座りつつ、そのバッグを手に取る。ずしりと重い感触。湿気でも含んでいるのだろうか。


 そのデスクを背にして十四インチ型の古いブラウン管テレビが置いてある。リモコンは無くして久しい。このパイプ椅子を逆に座って背もたれに腕を組み、顎を乗せてテレビを観るのがなんとなく好きなので、こういう配置にしているのだ。決してデスクに向かって使う為ではない椅子には申し訳無いところだ。というよりもデスクもほとんど使わない。この狭い部屋は窓が一つしかなく、日当たりも決して良好じゃない。それでも敢えてこの部屋の利点を語るとするなら家賃が安いことと、こうして不幸な環境下だとちょっとしたこだわりが尊いものだと教えてくれるちょっとした人生の教師代わりになってくれるということか。


 さて、出掛けるか。


 パイプ椅子に座りながら、点いてもいない画面の縁が丸いテレビを観てたって仕方ない。バッグを肩に掛け窓の鍵を閉めて、玄関の扉を開ける。

 だが、変な力が働いているのか、ちょっと力を込めなければ開けられなかった。


「うわ、こんなところまで……」


 思わず呟く。もうこんな所まで伸びていたか。壁から伝うそれが茶色に染まった扉の半分を覆っていた。

 外の壁中を這う蔦。ついこの間大掃除で取っ払ったのだが、最近は天気が良かったのか伸びが早い。今日は今すぐに雨も降りそうな空模様だから陽射しにこそ当たれないだろうが、また明日から晴れれば同じ事だ。枯れない彼等はずっと伸び続ける。この街は一向に成長せず、緩やかに崩壊していく箇所が増えてるというのに。まるでその分の栄養まで吸い上げているようだ。


 細長い植物はそれこそ細かい部分にまで蔦を伸ばしてこの街を覆っている。このボロのアパートを降りる際の錆びた階段ですら、蔦が這って正直降りづらい。上へ行くときも昇りづらい。全く厄介なモンであるが、まぁ慣れというのは恐ろしく、最初は鬱陶しかったこれも今となっては結構どうでも良くなっていた。

 階段を下りきったところから見える通りで、老人がビニールシートを広げてその上に木彫りの像を並べていた。どれもこれも片手に持てる程度の手製だ。


「おお、イチコじゃねぇか。相変わらず女っぽくねぇ格好だな」


 老人の嫌みにも慣れっこなので、私はその言葉を鼻で笑って受け流した。


「ゲンさん、もうやってるのかい」

「今日は早めに広げてとっとと終わらそうと思ってな」

「毎日毎日、ご苦労なことだね」


 この老人は毎日夜中に手彫りの木像を作り、全て売り捌くまで帰ろうとしない。どんなに遅くなっても帰らない。それだけの自信があるからに他ならないのだが、もちろん毎日順調に売れてくれるわけでもない。それに今日は雨が降りそうだと、誰もが思ってる。私だって傘を持たなかったのは失敗かと今更ながらに思ってきたぐらいだ。けど部屋に戻って取ってくるのも癪なので、今日はこのまま行こうと思う。

 何にしろ雨が降る日に目的もなくぶらつく人はいない。誰だって無駄に濡れたくはないからだ。


「店広げるにしちゃこの辺は緑が酷いよ。せめて草刈り屋にでも掃除を頼むんだな」

「腕の良い草刈り屋なら目の前におるじゃないか。ちょっとここらを刈っておくれよ」


 ほらほら、と煽ってくる老人に、片手をひらひらさせて追い払う振りをする。


「私は草刈り屋ではないよ。別の仕事をしている」

 蔦だらけのこの町において決して欠かせない職業である草刈り屋は免許制だ。複雑に入り組んだ街の中を呼ばれたならば直ぐに飛び、危険なビルの上や建物の隙間を昇り草を刈らなければならず、素人がほいほいとやろうモノなら滑った蔦に足を滑らせ堅い地面で頭を叩き割ってしまう。事実そういった事故は過去に何度もあった。それにこの町は碌に区画整理をしなかった所為で随分と無造作に、そしてごっちゃになったビルで迷路の様になっている。迂闊に観光で来ようものなら、予約したホテルまで案内が無いととてもじゃないが辿り着けないだろう。


 複雑な街は、つまり古くなったビルでも迂闊に取り壊すことは出来ないということだ。どこかを破壊すれば、隣だか真下だかの別のマンションの住民から文句を言われ、じゃあ別のところからと金槌で叩けばどこを通っているのか分からない通行人から服が汚れた怪我したと訴訟問題。厄介にも程がある。しかし老朽化は止まってくれず、草刈りする者からすれば最悪な足場の出来上がりというわけだ。そこらを見抜く力も要求されるのに、経験の無い素人が日曜大工気分でやっていいものじゃない。


 草刈り屋の免許なら私も持っている。持っているからといって別に草刈り屋なわけじゃない。私は私で別の仕事をやっているのだ。だからそっちばっかりやってる暇もないし、やる気も毛頭なかった。


「そうかい。ならあっちの面倒でも見てやってくんな」

「あっち?」


 と、ゲンさんが指差した方向へ目を向ける。

 それを見た私は鼻を鳴らしてため息をついた。


「私は相談屋でもないんだが」

「そうかい。じゃあ仕事に行くのかい」

「食いっぱぐれは嫌われる」


 老人が指差した方向では、淡い空色のワンピースを着た十歳前後とおぼしき少女が目の前でゆったり流れる川を白くて細い指先でそっと触れていた。この程度の川、街中のあちらこちらで流れているので珍しくも何ともないが。さて、まるで珍しそうに川の流れを眺める彼女は旅行者ということになるだろうか。


「何やら探し物をしているようなんだよ」

「私は探偵でもない。警察に行くのが利口だろう」

「如何ほどのもんかね、彼等が」

「少なくとも街の治安は守っているよ。緑色の町の治安は彼等に掛かっている」


 と、肩をすくめてみせた。


「彼女に身寄りは?」

「わからんがね。世間話と話しかけたら探し物が見つからなくて落ち込んでいると言っておった。下手に話し掛けると犯罪者扱いになる昨今だが、お前さんなら誰も疑わん。これはわしからの仕事の依頼と受け取ってくれ。頼むよ」

「嬉しいやら、めんどくさいやら。仕方ない、頼まれた」


 そこまで聞いてから、私は小柄な少女の所へと歩いていった。それに気付いた少女はこちらへその小柄な顔を向けてくる。肩からずれかかったバッグを直し、軽く右手を挙げて空を指差した。


「まもなく雨が降るよ。家に戻った方が良い」


 気の利いた一言があればよかったのだが、思いついたのはその程度のことだった。とりあえず不自然が無いように装ったつもりだが……。


「まだ時期的に暖かくもない。雨に濡れたら風邪を引く。この辺の風邪は長引いてなかなかに厄介だ」


 空色のワンピースは確かに清々しいものだったが、一方でどこか寒く感じられた。彼女が薄着というのもあるが、やはり寒色系だからだろう。


 さて、話し掛けてしまったからには何かしらのアクションは欲しくなる。期待したつもりはなかったが、しばし彼女の近くで呆然と立っていると、やがて少女がこちらに向けた顔を川へ、そして再び私へと動かした。その度に流れるような黒い髪は美しい川を思い浮かばせてくれる。彼女が指先で触れている澱んだ川とは比較にならない美しさだ。よくよく見てみれば彼女はとても綺麗な少女だ。まるで腕の立つ技師が誂えた精巧と呼んでいいほど整った顔に、ほっそりとした日焼けを知らなさそうな白い腕。ワンピースも上等なものだろう。麦わら帽子を被せたくなる。

 良いところのお嬢さんか。だとしたらどうしてこんな町に来るのだろう。緑色の町が珍しいとどこぞの週刊誌にでも書かれたか。あるいはテレビの特集があり、調子に乗った家族が旅行しにきたか。


 だとしたら彼女は迷い子だ。知らない地の迷い子なんて厄介なことこの上ない。警察に届けるのが一番手っ取り早く、後の事を考えれば確実だ。この子にとってもそれが一番良いだろう。


「親はいないのかい?」


 いないから迷っている、なんていう結論などとうに出ている。とはいえ、定番としての質問はこの辺りが妥当ではないだろうか。少女は私に向けていた深く沈んだ色の瞳を閉じ、小さく横へ首を振った。


「そうか。探してるのはご両親かい」


 またもや首を横に振る。

 親じゃなければ何だというのだろう。親とはぐれた子供は親を捜すものだ。それが違うという。皆目検討がつかない私は途方に暮れる思いだった。


「何かを落としたのなら、警察に届け出るべきだ」


 首を横に振るのはこれで三度目だ。

 密かに溜息をつく。


「ここにいると、探し物が見つかるのかい?」


 私と川へ交互に目を向ける少女を見て、ふとそんなことを口にしていた。ただどんよりとした川は見ているだけでも陰鬱な気分にしてくれる。しかも今は空を覆う灰色の分厚い雲をその水面に反射させ、白くもなく透明でもなく、ましてや水色などといったあり得ない色もしていない。ただ灰色の水面に顔を反射させている少女。何とはなしにその隣に座り、私も川を覗き込んだ。そうすれば少女の見ているモノが見えるかもと思ったのだが、やはり歳の差か、彼女の考えはちっとも理解できなかった。


「探し物なら、手伝おうか?」

「……いい」


 初めて喋ったのには軽く驚かされた。


「じゃあ、手伝おうじゃないか」

 ならばとこちらも相手の予想を裏切る事を言ってみる。案の定、彼女は私の瞳に目を向けてきた。


続きます。

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