なかで、みたもの 3
東地区と大雑把に表現しているが、実際には東地区全てが壊滅したわけではない。とはいえ東地区そのものにかなりのダメージが残っているのも事実であり、こちら側に住んでいる人は今でもそれなりの苦労を強いられているようだ。
それもそうだ。
ただでさえ植物がここまで繁栄している奇特な町だというのに、より激しく繁殖した植物のありとあらゆる根や葉が人類の築いてきた文明の細かく粉砕し食い込み生活基盤を根底から覆そうとしているのだから生活が楽になろう筈もない。地面を歩くだけで根っこによってデコボコしすぎて、本来は平らな通りも山道を歩いている気分にさせられる。
そしてこの湿気。
同じ緑の町でもこの一地区だけはやたら色濃く水分を含んでいるみたいで、空気が重い。歩くだけで手や足に見えない何かが絡みついてくるようだ。息が吸い辛くて仕方なく、このまま進めば東地区の荒れた区域に入る訳だが、既に帰りたい気分で沢山だった。
「ん? あいつは」
そんな陰鬱な気分を押し隠して案内役を務めようと決意する私の視界に、とある見知った姿が目に入ってきた。
湿気で蒸し暑いのか上着を脱いで左腕にぶら下げ、顔をハンカチで拭っている小太りの男だ。一見してサラリーマンだか怪しい男だか分からないそいつは、それでもれっきとした刑事らしい。
「ん? おお、これは頼まれ屋さんじゃないか。いやはやどうしてこんなところで」
「それはこっちのセリフなんだけどね」
その刑事――ジンヤがここにいるのは偶然だろうか。偶然だとしたらただのサボリだろう。とても休日の休みに来るようなところでもないし、それにしては格好がキッチリし過ぎている。休日にもスーツ姿という常日頃から気を張っている殊勝な心を持っているというのなら別だろうが、到底そうは思えない。
「なんで?」
私のような疑問を抱いたのか、あるいは単なる問いか、シキがジンヤに目を向けながら質問を投げる。……ただし私の後ろへ隠れる様にしてだ。
「この人は?」
「ああ、刑事だよ」
「刑事?」
マナコが密かに眉をひそめるのに目敏く気付いたのだが、今は無視をする。
「頼まれ屋さんはお仕事でこんなところに来ているのかい? いやはや、大変だなぁ。どういう仕事なのかねぇ」
「ただの案内さ。……あんたも仕事のようだね」
「はっはっは、お互い仕事内容は秘密ということか」
「……」
やはり偶然では無かった。
けど何故だ?
今更警察がこんなところに来て何をしている?
「……めんどくさい事になる前に、先へ行きましょう」
そっとマナコがそう呟いてくるのに頷く。ここであれこれ詮索されるのは単に余計な時間を食うだけだ。
「じゃあそういうわけで、こちらは仕事で急いでるから」
「ああそうそう」
先に行こうとした私達を、しかしジンヤはそうやって一旦呼び止める。
「知っているかね、五年前から続く行方不明者のことを」
「は?」
振り返る。――唐突に、今の状況とは関係無いだろうことを語り出した男に、今度は私が眉をひそめる番だった。
「いや、知らないけどね。ああ、そういえば前にテレビでやっていたような……」
「これだから最近の若者は困るねぇ。新聞ぐらい読むべきじゃあないかね?」
「……」
人には経済事情というものがある。毎日送られてくる新聞の月額料金はそこまで高くないとしても、しかし私にとっては生活に直撃する金額である事実はどうしようもなく避けられないのだ。
「放っておいてほしいね。で、何故今その忠告を?」
「ああ、別に君らがどこに行こうが止める権利を持っているわけじゃあないんだが」
少々勿体ぶるようにジンヤはそう言い、そして煙草をポケットから取り出した。マッチの火がチロチロと風に揺らめいているのを眺めていると、そこに白い煙がもわりと覆い被さる。
「行方不明者の大半が東地区に出向いた人間だ」
「……どういうことだい?」
行方不明者、その単語だけでも穏やかではない。
「そっちの、ああ、君だ。君はちゃんとニュースを見ていそうだからな、もしかしたらここらで行方不明になった数を逐一覚えているんじゃあないかと思うんだが、どうだね?」
スーツ姿の女性というのは、同性の私から見ても出来るイメージが強い。実際にマナコが私の知っている彼女そのままならば行動力、洞察力、観察力において結構なものを有しているから優秀という第一印象はさほど間違ってはいないだろう。
ジンヤが【行方不明者】の話題を振ってきたのには何かしら裏があるのか、あるいは単なる親切心なのか、私は当然ながらマナコもどこかで訝しんでいる様子を見せる。それもまた彼女をよく知る私だから分かる仕草で、ジンヤからすれば単に首を傾げた動作にしか見えないことだろう。
「おや、新聞はチェックされていない?」
「いいえ、そんなことありませんわ」
無駄に丁寧な口調なので思わず噴き出しそうになるのを堪える。
「東地区崩壊事件当日の行方不明者は現段階でも不明とされていますが、それ以降の日付から今までの被害件数は凡そ二十八。本来なら大騒ぎにされていてもおかしくない数字です」
「よくご存じだ。ふむ、確かに騒がれてもおかしくはない……つまり、慣れ、でしょうなぁ」
「慣れですか?」
「人間、何事も慣れてしまうものだ。最初は面白おかしく騒いだところで何度も起こればいつか慣れる。それは余興にすらならない。初期のセンセーショナルな事件は嬉々として飛び付く癖に、風化し忘れ去られるのも早い」
「……それで、その話が一体何だというのでしょう」
ただの警告だけではなさそうだった。
ジンヤは何かを伝えようとしているが、しかし。
「喜びを忘れるとは、つまり恐怖もまた同じだ。人はね、両方忘れるから生きていけるとは思わないかね」
「……。そうですね。私もそう思います」
マナコは逡巡する素振りを見せて即答を控えた後に、静かな返答をする。
しかしその返答に私の胸はきつく絞められるようだった。恐怖を忘れる、過去を忘れる、それは浅はかな経験しか刻まれておらず己の中の真実へと昇華していない証左に過ぎない。本当に絶望的な状況というのは己の手では何も変えられない状況と恐怖と絶望と怨嗟と、死者が睨む鈍いの目が心を蝕む事を言うのだ。外部から――ましてやテレビや新聞越しで感じる恐怖など一体何の意味があろうか。
そうだ、本当の恐怖はそのえぐい爪で心臓を鷲掴みダクダクと血を流させつつ、痛みで逃げようとしても決して逃がしてはくれない。痛みは目を逸らすことしか許してはくれない。心臓を握られた今もこうして胃が歪み腸が引き攣る不快感を与えられる。心は抉られているので傷が治ることもなく、脳髄を冒す罪悪感は私に安堵感という安らぎの場を譲ることすら許さない。
――潰された死体の山。
その一角から私を恨む、親の双眸。
死して尚、私を暗い暗い闇の底へと引き摺り込む呪いを掛けた親は、果たして本当に人の親と呼べるのだろうか。
私は悪くない。
いや、悪いんだ。
全て私が悪かったんだ、あれは。
「イチコ?」
ちょん、と私の太ももを突く指があった。そのこそばゆさに軽く悲鳴を上げて犯人を見下ろす。
「何をするんだ、シキ」
「目が怖い」
思わず自分の目元に指先で触れる。努めて表情には出さぬようにしていたのだが、それでも滲み出る感情を抑え込むには至らなかったようだ。自分の不甲斐なさに情けなくなる。
「……そうか、すまない」
気の利いた言葉一つひねり出せず素直に謝っていた。
「ん、ならいい」
ふん、を胸を張ったシキの頭をわしわしと撫でる。彼女は嫌がったがなんとなく止める気が起きない。
「ねぇイチコ、話聞いてる?」
「え?」
シキの頭に乗せていた手を止めてマナコへと視線を向ける。
「なにボーっとしてるのよ」
「何か考え事でも?」
ジンヤの問いに首を横へ振って否定する。単なる過去の後悔を思い出していただけで、考え事ではない。
「つまりですな、こちらの言いたいことは――東地区に入るなら重々気をつけろ、ということだ。本来なら立ち入り禁止区域なのだから」
「その割にはあっさり認めてるんだが、どういう了見だい?」
「そりゃそうよ。許可貰ってるもの」
と言ってマナコが取り出したるは一枚の紙切れだった。
「お上の印鑑付きじゃあこちらも手ぇ出せないってーわけだ」
権力とは如何に偉大かをこんなところで思い知る。働いている以上、上司の命令は絶対なのだろう。つくづく私の仕事に上司がいなくて良かったと思うよ。
「イチコは命令きくようなひとじゃないから」
「……よくご存じで」
シキによる的確な指摘に思わず引き攣るような笑みが浮かんでくる。そもそも集団での活動を得意としない時点で、上司がいるような職場は私の肌に合わないだろう。
「とりあえずだ、この先では何が起こるか分からない。せいぜい行方不明にならないでくれよ。――頼まれ屋さん」
「ああ、もちろん植物の栄養になる気なんてないさ」
「……むっ……」
ん? なんだ?
一瞬だけだがジンヤの表情が変わった気がした。何か妙な事を言っただろうか、私は。
「ほら、太陽は待っちゃくれないのよ。日が落ちたら帰れなくなるじゃないの」
「はいはい」
マナコの声に急かされて、私達は自分の荷物を改めて持ち直したのだった。
久しぶりの更新となります!
お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした!




