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なかで、みたもの 1

 一言、彼女の立場を答えろというならば、私はこう返事をするだろう。ろくでなし、と。


 目の前のそいつが私のほうこそろくでなしと内心罵っていようが、そんなのは気が合う程度の話だ。実際はまったく馬が合わない見事なまでの犬猿の仲なのだが、互いにそれを顔に出すほど子供ではないと自覚しているから、よりたちが悪い。犬猿の仲だろうとなんだろうと会話は見事に合致するし、一見して私達は実に仲の良い腐れ縁だ。


 立ち込めるコーヒーの匂いはこの部屋の中では初めてのことだ。それほど無臭、あるいは食べ物から程遠い生活臭だけが立ち込めていたこのアパートの一室において、彼女の持ってきたコーヒーの豆は、いうなれば場違い。何より腹立たしいのがコーヒーセット一式や豆引き、ポット等は一切無いだろうと予想して一通り用意してきたことだ。人を何だと思っているのだろう。特にコーヒーの銘柄に詳しくない私としては彼女がその細腕で一生懸命運んできたコレが高級品なのか、それとも私の勘違いを誘って間抜けを演じるのを期待しているのか、些か悩ましい問題だ。

 確かに部屋を満たすこの香ばしい匂いは今までに無い経験だ。つい先ほどまで部屋の中を満たしていた空気は一体なんだったのか、今となってはもう曖昧で分からなくなってしまう。


 さてそれでは彼女が私のところへ顔を出した用件というのが何なのか、ここに来てようやくその問いに話題を持ち込める状態となったようだ。コーヒーを一口啜り――いや、彼女は音など立てないので、一口だけ流し込むのほうが正しい――、一息吐いたところでこちらに視線を向けてきた。


「相変わらず殺風景ね」


 部屋の中にはベッドと壊れかけたテレビとパイプ椅子と安物の業務用机。台所は使わなくなって久しい……といえなくもない。最近はよく活躍している。とはいえポスター一枚も化粧品も無いここじゃ、確かにそう卑下されても反論しがたいが。


「嫌味を言うために来たのかい。もっともそういう性格でもなければ事前にこんな一式を送ってこないだろうが」


 このコーヒー云々は決して私へのプレゼントというわけではないだろう。


「あら、偶にはこういう趣向もいいものじゃなくて?」

「スーツ姿のエリート様ならお似合いだろうね。あいにく、私はエリートなんて柄じゃない」

「それもそうね。イチコがスーツとか着たら、私耐えられないわ」

「耐えられない?」

「笑いが、ということよ。くすくす笑っちゃうなんてはしたない」


 どこまでも嫌味が耐えない女だ。

 私と同じく女性としては長身ということもあるし、何より鼻立ちがよく鋭い両目にまるで卸し立てのスーツのような姿は、まさに出来る女を象徴しているかのようである。

 一方の私は普段どおりのシャツにジーンズ。これを見比べるとどちらが社会不適合者か言わなくても分かるというものだろう。ただ、私自身はこれでも働いているつもりである。


「一応貴方も本気になれば私と同じ職場に就けるのではなくて?」

「冗談言うな。公務員なんて親兄弟親戚誰かの証明と印鑑が必要だろうに。その時点でアウトだね。私は天涯孤独の身だからね。それに公務員にはさっぱり興味が無い」

「天涯孤独、ね」

「そういうもんさ、私みたいな人間はね」


 はぁ、とため息を吐いてから、


「で、何の用件かそろそろ話してもらおうか」

「そうね」


 手提げのバッグから彼女はそれを取り出して私の前に差し出してきた。クリアフォルダーに挟まった何枚かの資料だが、そのトップにある写真を見て眉をひそめる。


「資料としては及第点を与えられないな。並び順がバラバラだ」

「プレゼンテーション一つこなしたことのない貴女に言われたくないわよ。そんな下らないことじゃないでしょ、注目すべきところは」

「そりゃそうだ」


 並び順よりもまず何を伝えたいか、それを意識してわざと写真を最初に持ってきている。安物印刷機のカラー写真なので綺麗とは言いがたいが、それでもそこに映る異様な物体の存在感は不気味なほど漂ってきた。


 そう、緑の塊だ。


 この町は通称『緑の町』と呼ばれている。ほぼ正式名も同様ではあるこの緑という単語は、つまるところこの町の特異性にあった。この町はあらゆるところが植物によって侵食されている。壁を這う蔦が一つにとどまっていないところなどなかなか壮観だ。そしてそれ以上に植物の侵食によって修復不可能となった建物が放置され、気付けば崩れかける寸前、隣のビルに寄りかかって辛うじて形を保っているなんてのもここじゃ珍しくない。おかげで観光客の数には事欠かず、町の収入源ともなっている。もちろんここまで緑に侵食され緩やかな崩壊へと向かう町など他に聞いたことも無いわけだが。

 その中でもっとも象徴的というか、まさに町の住民全員に滅びを感じさせた事件があった。


「五年前の東地区に起こった東地区緑食崩壊事件、その時に発生した蔓の塊よ。楕円形で端から端は大体十八メートル五十センチ、横の一番厚い部分で九メートル八十、高さはおよそ八メートルに及ぶわ。外側を包み込む蔦は国内は元より外国にもない新種で、草刈り屋の道具がないと切断すら難しい。むしろ三回程度その直径二センチの蔦を切るだけで鋏は使い物にならなくなるから、内部構成は遠隔で、ほら音波とかなんたら線とか、そういうので調査するしかないわけ。分かってる範囲でいうなら、内部は空洞、ということね」

「そこまで詳しくは知らなかったが、今更それがどうしたんだい? そもそも五年前に散々調査したんだろう?」


 東地区は確かに植物の一夜による異常増殖を前に崩壊した。あの後の騒ぎは歴史に残る程の壮絶なものだったが、今更何の被害ももたらさないその塊を話題に持ち出してきたのはどういう意図があってのことだろうか。

 彼女は何の目的も無しに私のところに来やしない。

 つまり、わざわざこの町のここまで来たということは私に頼まなければならない何かがあるということだが、それと東地区崩壊になんら接点が見つからない。


「五年前、東地区を崩壊させた植物の突発性大増殖の後に突如として現れた巨大な塊、そのミステリー性は人々の関心を大いに買ったわね」

「テレビではよく騒がれていたみたいだね。その頃私の部屋には無かったから、外が騒がしいなー、ぐらいにしか思ってなかったけど」

「……そうね、あれだけ騒がれていたのに知らなかったんだもの。私はそっちのほうが驚いたわよ」


 そりゃ悪かったね、と心の中で呟く。


「ま、何にしろあの日の事は絶対に『忘れない』さ」

「なに? イチコ」


 よく聞こえなかったのは幸いだ。私は肩をすくめて誤魔化した。


「一年半の調査を終えて、現在は監視するだけに留めていたんだけど」

「何か問題が起こった、か」


 私の言葉に彼女は頷く。


「この緑の塊は五年前から一本も、ましてや葉っぱの一枚も枯れることなく、その形状を見事に維持したまま成長を止めていたのよ」

「……なんだそれは」


 思わずそれ以上の言葉を失ってしまった。生命体がまったく姿を変えずにそのまま維持されている、ということだろうか。しかも植物が。そんなことありえるのか。


「けど、三日前から事態が変わった」

「まさか成長した、なんてことはないだろうね」

「その通りよ。僅かに大きくなっているのが計測されたの。その調査をしろというご指名でこんな町に戻ってきたってわけ」


 つまり再びあの崩壊事件が起こるかもしれないことを懸念してるわけだ。範囲がこの緑の町に留まるならまだしも(私達住んでいる人間からすれば大いに困ったことだが)、それを超えて他所の地域にまで被害が及ぶようになった場合、一体どれだけの損害になるのか。そもそも東地区だけの現象とてまだはっきりした原因が不明だという話だ。事前に手が打てればそれに越したことはないが、その段階でも無いのでこうして東地区崩落の前兆が起こっているかどうかの調査にこの地域出身の彼女が駆り出された、ということだろう。


「なるほどね。それでどうして私のところに?」

「あんたのところへ来るなんて、大体一つぐらいしか用件が無いでしょうが」


 呆れたように言う彼女へ、私はむすっと顔を顰めた。


「どうせ草刈り屋へまともに頼んだところで案内までしてくれないし、それなら草刈り屋の免許まで持ってる頼まれ屋のイチコに頼んだほうが案内までしてくれて手っ取り早いじゃないの」


 草刈り屋という職業への偏見が多少入っているようだが、あえてそこを突こうとは思わない。


「案内、頼まれてくれるわね」

「割引はしないから、その辺の払いはしっかりと宜しく。――ヨウコ」

「お友達価格てのがあるじゃない……」


 冗談かと思いきや、その目は半ば本気だ。

遅ればせながら新章開始です!今回の話は完全書き下ろしなので、更新が不安定になるかもしれません。

宜しくお願いします!

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