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4、愚かな男

 

 僕はソファーに横になり、豆電球のついた天井を見上げた。この電球を取り付けたのはいつだったか・・・また同じ場所に戻ってくるなんて思ってもみなかった。だって僕は今まで、その場限りの関係と、その場限りの宿を求めてさまよってきた。2度目はない。面倒なだけだから。なのに。

 奥の寝室の明かりが消えたのは2時間ほど前か。きっと今頃彼女は夢の中だろう。


「・・・」


 なんとなく、僕は起き上がった。そしてなんとなく、そのまま彼女の寝室へ。

 静かにドアを開けると、部屋の一番奥にベッドが置かれているのが見えた。その上で小さな小山が、規則正しいリズムでわずかに上下していた。足音を忍ばせてそっと中に入る。

 彼女の部屋に入るのは初めてだ。薄暗いなか目を凝らすと、飾り気はなく、いたってシンプルな部屋が見えた。彼女らしい。


 僕は彼女の寝ているベッドまで近寄ると、そっと覗き込む。目を閉じて気持ちよさそうに眠る少女がいた。やっぱり、あの大人びた表情がなければ、どう見たって小学生だ。これが20歳の女性に見えるか?いや、見えない。


 そっと彼女の前髪に触れる。「ん・・・?」わずかにみじろぐ彼女。なんか、変な気分だ。僕は彼女のベッドの傍らに肘をつき、その寝顔に見入る。

 カーテンの隙間から入る月明かりが、彼女の寝顔を照らす。その透き通るような肌と、絹糸のような髪。加えて異様に整った顔立ちは、まるで作り物のようで、どこぞの国の人形師が作り出したビスクドールだと言われても不思議はない。しかしその人形は、僕の目の前で小さな寝息を立てている、確かな人間で。

 その小鼻にちょこんと触れてみる。すると今度は強すぎたようで、彼女は目を覚ましてしまった。


「ん・・・リオ・・・?」


 そういいながら、目をこすりつつ僕を見る。まったく、無防備だね。僕に襲われるとか、考えたりしないわけ?


「ごめん、起しちゃったね。・・・もう一度寝て?」

「う・・・ん?」


 寝ぼけているのか、彼女は再び目を閉じた。しばらくするとまた規則正しい寝息が聞こえ始める。まったく・・・


「・・・食べられても知らないよ?」


 僕はそんな言葉とともに、部屋を出た。





 彼女との奇妙な共同生活が始まった。


「次はどこを掃除すればいい?」

「そうだな・・・」


 彼女は、別にゆっくりしていればいいと言うのだが、何もせずにいるわけにもいかない。と言うより、何かしていなければ不安なのだ。なにもしなければ、追い出されるんじゃないかって。だって世の中はギブアンドテイクだろ?


「リオ、君が来てかれこれ一週間になる。そんなに毎日掃除する場所なんかないぞ?」


 呆れた様子で彼女は言う。


「なら、ご奉仕させてくれる?」


 そう、僕が自分のシャツのボタンをはずしながら笑顔で言ってやると、


「・・・遠慮する」


 と嫌そうに返ってきた。ちょっと傷つくなぁ・・・。


「君、そんなに働きたいのなら、外に出ればどうだ。住所ならここのを使えばいい。それさえあれば、バイトくらいならすぐに見つかるだろう」

「そうだね・・・」


 なるほど、その手があったか。とりあえず稼いでいくらか入れれば、ここにいていい理由になるかもしれない。


「掃除が好きなら、それ関係はどうだ?」

「えー。それって駅の掃除とか?ちょっと嫌だな」

「む。では引っ越し業者は?」

「何でそれ?」

「その背ばかりでかいが、筋肉がなさそうな体を鍛えるためだな」

「ひどいな。これでもそれなりにあるんだよ?君は知らないだろうけどさ」

「・・・・ならコンビニはどうだ。近いぞ」


 一瞬の間があったことを僕は見逃さない。


「そうだね、考えとく」


 クスクスと笑いながらそう返す。この子はからかいがいがあって面白いなぁ。


 ・・・なんか平和だな。

 一夜の宿を求めてさまよっていた時がうそのようだ。普通に家があって、普通に家事をして、嘘も吐かなくていい会話をして・・・。なんだか、錯覚しそうだ。木内紀夫という愚かな男娼なんて本当はいなくて、ここにいるリオと言う人間が、本当の僕で・・・なんてね。バカバカしい。


 そこでふと、疑問に思ったことを口にする。


「僕のことはいいけどさ、ミコトだって仕事してないんじゃないの?学校にも行ってないし」


 彼女は一日中、家にいる。たまに買い物に行くくらいだ。僕に掃除の仕事を言いつけた後は、たいてい自室にこもっている。


「あぁ、そのことか。こう見えても、一応仕事はしているのだぞ?」


 そう言って僕に手招きする。ついてこい、と言うように、彼女は自室の扉を開けた。この前夜なかに彼女の部屋に入った時には気がつかなかったが、そこには立派なパソコンが3台鎮座していた。


「パソコン?何に使うの?」


 そう言って覗き込む。その間にも画面に映る何やら折れ線グラフのようなものがこまかに上下の変動を繰り返している。あ、これってまさか・・・


「ま、株主というやつだな」


 事もなく彼女は言う。「じー様の後を受け継いだだけだがね」

 うわぁ、人って見かけによらない・・・。

 そんなとき、玄関のチャイムが鳴った。珍しいな。この家に人が訪ねてくるの。新聞屋の勧誘とかだろうか。ミコトがパタパタと駆けて行く。


「はーい・・・。あぁ、君か」


 扉を開けて対応した彼女の様子から察するに、どうやら知り合いのようだ。


「あぁ、いつもすまないね。お母様によろしく言っておいてくれ」

「・・・?」


 その打ち解けたような会話が何だか気になって僕はリビングから少しだけ顔を出した。そこにいたのは見知らぬ男。いや、彼女の交友関係など全く知らないので当たり前だが。


「あれ?その人誰ですか?」


 ふいにその男の視線がこちらに向いた。しまった。見つかった。


「あぁ、同居人だ。・・・リオ、こちらは隣の木内さん家の長男さんで、空也君というんだ」

「・・・どうも」


 紹介されては挨拶しないわけにもいかず、しぶしぶ僕は廊下に出た。


「ふぅん・・・リオさん?彼氏?」


 そんなことを言う。背は高いが、制服を着ているので高校生だろう。見目はいい方だ。学校ではさぞもてていることだろう。しかし、何でそんなことを聞くんだよ?


「いやいや、違うよ。ただの同居人だ」

「へぇ。なんだ。・・・じゃ、俺帰ります」


 大して興味もなさそうにそう言う彼。なら聞くなよ。


「あぁ、ありがとう」


 ミコトの礼を受けて、軽くお辞儀で返し、空也少年は出て行った。しかしすぐに隣でガチャンという音が聞こえたので家に入ったのだろう。


「何もらったの?」


 彼女は何やら袋を大事そうに抱えていた。


「あぁ、隣の木内さんが・・・彼の母親だな・・・が、カップケーキを差し入れてくれたんだ。お菓子作りが上手でな。ときどき気を使って持ってきてくれる。じー様が生きていた時からのなじみなんだよ」


 そう言って、いつもはあまり表情を乗せないその顔を、ほくほくとほころばせながらキッチンへ向かう。「いつもいただいてばかりだから、今度何かお礼をせねばなぁ」そう言いつつ湯を沸かし始める。


「リオ、ちょうどいい、お茶をしようか。ちょっと座って待っていてくれ」


 そう言って彼女は棚から紅茶の葉が入った缶を取り出す。僕は言われたとおりおとなしくソファーに座った。

 しばらくして彼女は、盆にカップケーキと紅茶の入ったポットと、ティーカップを乗せてやってきた。それをリビングのローテーブルに乗せると、テレビのチャンネルに手を伸ばす。スイッチを入れると、何の変哲もないニュースが流れ出した。しかし、彼女はそれには目もくれず、カップに紅茶を二人分注ぐと、いそいそとカップケーキに手を伸ばした。・・・なんか、可愛いな。子供みたいだ。


「ん。おいしい。さすがは木内さんだ。・・・そう言えば、さっきの空也君、なぜ制服を着ていたのだろう?今は夏休みだろう?」

「あれ、そうだっけ・・・」


 そう返したところで、タイムリーなニュースが流れた。


『今日、午後1時ごろ、都内の○○高校前で車が学生の集団に突っ込むと言う事故が起きました。本日は登校日で、夏休みも残すところあとわずかとなった学生たちが、久々の友人たちとの再会ににぎわうなかでの不運な事故であり・・・』


「・・・登校日だったのかもね」


 彼の通う高校もかどうかは知らないが、その可能性もある。もしかしたら単に部活の帰りだったのかもしれないが。


「なるほどな・・・。それにしても、彼も随分と大きくなったものだ。ついこの間など、外で会ったときに私が抱えている米を代わりに持ってくれて、ずいぶん助かった。いい人間に育ったものだ・・・。そう言えば将来はパソコン関係の仕事に就きたいと言っていたな。株にも興味があると・・・。日ごろのお礼に、何か私にできることがあれば・・・ってわぁ!?」


 彼女が突然おかしな声をあげた。無理もない・・・僕が彼女を後ろから抱きしめたから。


「どうした?リオ・・・んぐ」


 僕はそう言う彼女の口もとに手を這わせる。


「り、りお・・・指が口に・・・」

「わかってるよ、入ってるんでしょ?知ってるよ、わざとなんだから」

「んぐ・・・?」

「なんかね、君の口から他の男の事を聞くのは・・・気分がよくないな」


 そう言って彼女の舌を抑える指に力を込める。


「口を・・・塞いでしまいたくなる」

「ん・・・!」

「それともこの舌を抜いてしまおうか・・・?」

「ん・・・り、リオ!!」


 彼女が僕の手を振りほどいた。バチッと手がぶつかり合う音が響く。弾みで僕の指の爪が、彼女の肌をひっかいた。


「痛っ・・・!」


 彼女の手の甲に一筋赤い線が入った。すぐにじわり、と血が滲み始める。


「わっ!ごめん・・・!」


 そう謝る僕を一瞥し、彼女は白い肌に浮かび上がるその色を、無造作に舐めた。


「これくらい、問題ない」

「・・・」


 テレビはいつの間にかニュースを終了しており、そこに映るのは眩しいほどの夕日。なにこの特集、頭の隅で思う。しかし、僕の視界には彼女しかいなかった。ビスクドールと見まがうほどの異様な美貌を持つ彼女が、異様に赤いその舌で、自身の手の甲をなめる様は、なんだか現実離れしているようで、少し恐ろしささえ感じた。加えてテレビに映る夕日を反射し、彼女の瞳は赤く染まっている。


―――あぁ、何か吸血鬼みたいだ。


 何でそんな事を思ったのかは分からないが、きっと血と異様な美貌という点から、はるか昔に見た海外ドラマを連想したのだろう。・・・吸血鬼になった人間は、次第にその肌が白く滑らかになり、瞳に人を惑わす光をたたえ、異様に美しい化け物となる――。


「リオ、突然どうした?」


 はっと我に返った時には、すでに彼女はいつも通りで、テレビはまた違う特集を映しだし、彼女の手の甲の血は収まっており、全てが・・・いつも通りだった。彼女は呆れたように言う。


「あのな、リオ。これでも私はそれなりに人づきあいがあるのだぞ?他人の事を話さないなんて、私に人と話すなとでもいうのか?・・・全く、どうしたんだいったい?」


 ふうと一つため息をつく彼女。


「・・・ごめん、ちょっと寝ぼけたのかな」

「おいおい、まだ3時だぞ?」


 苦笑しつつ、何事もなかったかのように彼女は再びカップケーキに手を伸ばした。


 ・・・僕は馬鹿だ。何を考えている?いや、きっと何も考えていない。彼女を独占したいのだろうか?そんな、馬鹿な。って言うか、何子供みたいなことを口走ってんだ?まったく、わけがわからない。・・・自分のことなのに?何なんだ、これ?

 なんか、すごく、もやもやする。変な・・・感じ。




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