SF作家のアキバ事件簿272 ミユリのブログ 秋葉原の溜め息
ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!
異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!
秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。
ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。
ヲトナのジュブナイル第272話「ミユリのブログ 秋葉原の溜め息」。さて、今回はスーパーヒロインの過去を執拗に探るメイド協会の会長。笑顔の影で事実に迫る会長に怯え、さらにラブコメお決まりの初キス相手の出現に腐女子の乙女心は揺れに揺れて…
お楽しみいただければ幸いです。
第1章 ミユリのブログ
"素敵な式だったわ。
「神の名において、今ここに、
ジェシとエアリを夫婦とします。
…花嫁にキスを」
2人は、キスをした。
拍手が起こった。
誰もが笑っていた。
少なくとも、その瞬間までは。
その前日。
テリィ様は、メイド協会のマデラと
激しく言い争っていた。
「テリィたんがコンビニ強盗をしたのには
何か理由があるんでしょ?それを教えて」
「本当のことは言えないんだ」
「警察沙汰まで起こしておいて?」
言えるわけがない。
コンビニの地下には、人生補完委員会が極秘にコピーした"時空トンネル"が秘匿されていた。
そんなことを説明したところで誰が信じるだろう。
私だって、いまだに半分しか信じてないのに。
「テリィ様のこと
マデラはアキバ中で聞いて回っています」
「僕のことを?何を?」
「ティルを妊娠させたことです」
「……その件は頼む」
人生には、時空トンネルより説明しにくいことがある。
私は、その夜、マデラのオフィスに忍び込んだ。
そこで目にしたもの。
それは、1枚の秘密のボードだった。
中央に、大きく描かれていたわ。
WHAT IS TERRY-TAN HIDING?
(テリィたんは、何を隠しているのか)
「僕の行動を全部?」
「YES」
私は、頷いた。
「私のことも調べています。
私たちが共犯だと、気づいています」
「まさか……」
親代わりだと思っていたマデラが。
「ティルのことも、バレています」
「……」
かつて、テリィ様は、ツルペタな私から金髪巨乳のティルに推し変した。
そして彼女を妊娠させた。
ティルは万世橋の地下に眠る"リアルの裂け目"、つまり"時空トンネル"を通って"母なる世界線"へ帰っていった。
テリィ様の子を身ごもったまま。
普通の恋愛相談なら、ここまで時空が絡むことはない。
でも、私たちの世界線では、これが普通だった。
「とにかく」
私は、秘密のボードを思い出す。
「テリィ様の行く先を、全部調べているのです」
乙女ロード。
百軒店。
そして、ケッテンクラート。
「あれは処分したハズだ」
「2度と乗る予定がなかったから?」
「YES」
テリィ様は、少しだけ遠くを見る。
「"母なる世界線"に逝くつもりだったからね」
私は、息を呑んだ。
「マデラには、打ち明けた方が良いかもしれません。私たちの正体を」
「いや」
テリィ様は、首を振った。
「それはできないよ」
「どうして?」
「マデラを危険にさらすような真似は、僕にはできない」
しばらく沈黙があった。
「では、どうなさるおつもりですか?」
テリィ様は、私を見る。
「ミユリさんに、あの時渡したネックレス」
「ネックレス?」
「返して欲しい」
私は、薄い胸元に手を入れた。
あの時からずっと身につけていたもの。
私はそれを取り出し、テリィ様の手のひらに戻す。
ほんの一瞬。
自分のカラダの一部を失ったような気がした。
ネックレスは、ただのネックレスではなかった。
それが何なのか。
私はまだ知らなかった。
そして、このときの私たちはまだ知らない。
あの結婚式が、
すべての始まりだったことを。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。御屋敷のカウンター。
ミユリさんが、なぜかビールサーバーを磨いている。
ビールは、1滴も出ていない。
「やだ、姉様。結構ピンチじゃないの」
「そうね」
「マデラ、かなり本気だもの。
ケッテンクラートのこともバレてるし。
ヲタッキーズのみんなにも話を聞くって」
「そう」
ミユリさんは、サーバーを磨き続ける。
キュッ。
キュッ。
まるで何も心配していない人の磨き方だった。
チン。
キッチンのベルが鳴る。
「はい、7番上がり!」
スピアがディッシュ・パスへ飛んでいく。
「ビリィはいつ来るんだっけ?」
マリレが皿を出しながら聞く。
「もう来る頃よ」
スピアは、嬉しそうに皿を抱える。
ミユリさんが顔を上げる。
「ビリィって誰?」
「ビリィ・ダデン」
答えるスピアの顔が、ちょっとだけ少女になる。
「貴女のファーストキスの相手?」
「そう。五反田に行く途中で寄るって」
「元カレが来るって、それは犯罪だよ」
カウンター席のカレルが突然参戦する。
「元カレじゃないわよ」
スピアが振り返る。
「1度キスしただけ。それも13才のときよ」
「1度だけ?」
「マリレにも、ちゃんと話してあるわ」
スピアがディッシュ・パスを指差す。
マリレが、ものすごく普通の顔で手を振る。
「一緒にご飯を食べるだけよ」
その声だけが、ものすごく普通ではない。
「マリレ」
ミユリさんがサラダを見る。
「マヨ抜きって言ったわよね」
「……」
「今、入ってるわよ」
「……入ってないわ」
「白い」
「……ドレッシングよ」
「マヨネーズね」
マリレは、無言でサラダを引っ込める。
ミユリさんが聞く。
「で、ビリィはどこに泊まるの?」
マリレが答える。
「それが……私の家よ。うふふ」
カレルが立ち上がる。
「ママは?」
「鳥海山。2週間、帰って来ない」
「オーケーしてるのか?」
「登山中だから、留守」
「何?」
カレルの顔が変わる。
「ママの留守に元カレ?」
「だから元カレじゃないって」
マリレがサラダを置く。
「ほら。ミユリ姉様。マヨ抜き」
「うん」
ミユリさんは、受け取る。
カレルは、マリレに近づく。
「あのさ、マリレ。お前、わかってんのか?」
「何が?」
「こういうとき、リア充なら嫉妬するものナンだ」
「心配しないで」
マリレは、笑う。
「嫉妬なんかしないわ。
どうせサマーキャンプで出会ったガキでしょ」
「訂正しとくわ」
スピアが割って入る。
「シンガーソングライターのための作曲ワークショップよ」
「どっちでも良いだろ」
「良くないわ」
スピアはカレルの袖口をつまみ、
そのままマリレから引き離す。
「それにビリィはガキじゃなかったわ」
「でも、やせっぽちでニキビ面だったんだろ?」
「……確かに」
「歯も矯正中だった」
「それは、私もしてた」
スピアは、少し遠くを見る。
「確かに、ちょっと冴えないダサい男の子だったけど」
「ほら」
「でも……」
スピアが微笑む。
「キスしたんだ」
カレルが言う。
「1回だけな」
「黙って」
マリレも言う。
「カレル、黙って」
そのとき。
店の入口が開く。
カラン。
ギターケースを片手にした男が入ってくる。
背が高い。髪は整っている。
そして。
普通にイケメン。
スピアが注文を取りに走る。
「おかえりなさいませ、御主人様。
お席はテーブルですか? カウンターですか?」
男が笑う。
「スピア」
「はい?」
「僕だよ」
1拍置く。
「……忘れたのか?」
スピアの目が見開かれる。
「ビリィ?」
「久しぶり」
「ウソ……」
スピアの顔が一気に明るくなる。
「やだ。ホントに?」
次の瞬間。
2人は抱き合う。
ミユリさんは、口を半開きにしたまま固まる。
カレルも固まる。
そしてマリレは……
無言。
ただし、その横に置かれていた卵が……
パン。
パン。
なぜか勝手に割れるw
「外の席に案内するわ」
スピアは先に立ち、誘うように外に出る。
残された3人。
カレルが、ぽつりとつぶやく。
「……歯並び、良いじゃないか」
第2章 成長した初恋
初恋は、ときどき成長して帰ってくる。
そして、現在の恋人は、その成長をまだ知らない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原のパーツ通り。
御屋敷のオープンテラス。
スピアとビリィは、向かい合って座っている。
「それにしても、驚いたな」
ビリィが笑う。
「4年前とは大違いだ」
「あなたこそ」
スピアも笑う。
「あのガリガリの痩せっぽちが
ずいぶんとカッコよくなったじゃない」
「こんなことを言ったら
スピアに怒られるかもしれないけど」
ビリィが少し身を乗り出す。
「君、ちょっと鏡を見た方がいいよ」
「え?」
「あの頃は地味だったのに、今じゃまるで」
ビリィが考える。
「コスプレ盆踊り大会の女王様だ」
「……」
スピアの笑顔が止まる。
「それ、褒めてる?」
「え。秋葉原のヲタクはそう言うンだろ?」
「何それ?」
スピアは、笑う。
笑ったが、耳が赤い。
「じゃあ……怒らない」
「よかった」
「でも!」
急に人差し指を立てる。
「歯の矯正のことは、もう言わないで!」
「だってホントだろ?」
「ホントだから言わないの!」
「わかった」
ビリィは、神妙にうなずく。
そして、心から感心して繰り返す。
「でも、ホントにきれいになった」
「…………」
スピアが固まる。
「どうした?」
「別に」
「顔、赤いけど」
「暑いの!」
「もう秋だよ。台風、来てるし」
「ここ、オープンテラスだから!」
「それ関係ある?」
「あるの!」
スピアは、慌てて飲み物を飲む。
ゴクッ。
むせる。
「大丈夫?」
「大丈夫!」
「水、飲む?」
「いらない!」
「でも」
「いらないって!」
言った直後、スピアは小声になる。
「……ありがと」
「え?」
「聞こえなくていいの!」
ビリィが笑う。
スピアは、さらに赤くなる。
「で、秋葉原にはどのくらいいられるの?」
「2日くらい」
「2日……」
なぜか嬉しそうに復唱するスピア。
「2日ね」
「うん」
「……2日も?」
「2日しか、だよ」
「そうよね!」
スピアは、急に姿勢を正す。
「2日しかないものね!」
「どうしたの?」
「何でもない!」
ビリィが少し心配そうに聞く。
「でも、ホントにお母さんのOKは出たの?」
「もちろん」
スピアは、胸を張る。
「ってか、ママは2週間、鳥海山に登山だし」
「ああ、そうなんだ」
ビリィが笑う。
「じゃあ安心だ」
「何が?」
「いや……何でもない」
「……?」
スピアは首を傾げる。
その仕草を見て、ビリィがまた笑う。
「ああ、そうだ」
「なに?」
「早く君の最新作を聴きたいな」
「最新作?」
「君の歌だよ」
「ああ……」
スピアの顔がまた赤くなる。
「昔、キャンプで君が歌ってた歌詞。
あれ、最高だった」
「やめて!」
「え?」
「その話、今しないで!」
「なんで?」
「あれは……」
スピアは、視線を泳がせる。
「つまらない歌だったから」
「そんなことない」
「ホントに?」
「俺は、つまらない歌詞に曲はつけないよ」
「…………」
スピアが黙る。
今度は、飲み物にも手を伸ばさない。
ただ、ビリィを見る。
目が合う。
慌てて逸らす。
また見る。
また逸らす。
「……何?」
「いや」
ビリィが笑う。
「昔と同じだなと思って」
「何が?」
「照れると、3回くらい僕を見るところ」
「見てない!」
「今、2回見た」
「見てない!」
「じゃあ3回目は?」
「……」
スピアは、思わずビリィを見る。
「ほら」
「……もう!」
スピアは、両手で顔を隠す。
「ずるい!」
ビリィは、楽しそうに笑う。
しばらくして、スピアが顔を隠したまま言う。
「……ところで」
「うん?」
「昔のこと、聞かれたら」
「うん?」
「あれは、シンガーソングライター養成講座のワークショップだったって言ってね」
「何で?確かボーイスカウトの夏キャン……」
「絶対よ」
「や、約束する」
スピアは、ようやく顔を上げる。
まだ赤い。
「……よし」
2人は、笑う。
4年前とは、何もかも違う。
背も。
顔も。
歯並びも。
そして……
2人とも、少しだけ恋に慣れている。
ただし、照れ方だけは矯正してた頃のままだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。
御屋敷のキッチン。
僕は、そっと顔を出す。
「マリレ」
「テリィたん。何しに来たの?」
「上がる時間は?」
「あと10分」
マリレは、鍋をかき混ぜている。
「今夜は、スピアの家で食事する予定なの」
「急用なんだ」
「嫌な予感しかしないわ」
「断ってくれ」
マリレの手が止まる。
「……また?」
「悪い」
「テリィたん」
「なんだ?」
「あなた、私の人生を何だと思ってるの?」
「今は、世界線防衛より優先順位が低い」
「最低ね」
そう言いながら、マリレはエプロンを外す。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
引き続き、パーツ通り。
御屋敷のオープンエア席。
スピアとビリィは、何がそんなに面白いのか
笑い転げている。
「だから、そのとき俺は……」
「やだ、ウソ!」
「ホントだって!」
「アハハハ!」
そこへ、エプロン姿のマリレが現れる。
「失礼」
2人が同時に振り向く。
「百合のマリレよ」
「……」
「ビリィだ。よろしく」
2人は、握手する。
妙に爽やかな握手だ。
スピアがマリレを見る。
「もう帰れる?」
「それが……」
マリレは、申し訳なさそうに言う。
「ごめんなさい」
「またドタキャンするの?」
「急用なのよ」
「私の手料理よ?」
「わかってる」
「どんな急用?」
「シフトが入った」
マリレが説明する。
「ステブの奥さんのシリルが風邪をひいたんで、今夜のシフトを代わってくれて」
「そういうこと」
スピアが少し残念そうな顔をする。
「ごめんなさい、ビリィ」
ビリィは、朗らかに笑う。
「仕事なら仕方ないよ」
マリレがスピアの肩をぽんと叩く。
「今度、埋め合わせをするわ」
「……ホント?」
「もちろん」
そして、マリレはスピアに軽くキス。
ビリィがニンマリする。
「わぉ」
「何よ?」
「いや」
ビリィは、笑う。朗らかに。
「仲が良いんだなと思って」
「まあね」
マリレは、平然としている。
スピアだけが少し照れている。
「それじゃあ、また」
マリレが席を離れる。
ちょうどそのとき。
カレルが御屋敷から出て来る。
「お、ご両人……」
マリレは何も言わず、カレルを突き飛ばす。
「ちょ、何するんだ!」
そのままパーツ通りへヨロけるカレル。
「行って」
「どこへ?」
「どこでもOK」
「俺、今から……」
「行って」
預言者のように虚空を指すマリレ。
「……はい」
2人の姿が遠ざかる。
ビリィが笑う。
「楽しい仲間たちだな」
マリレが振り返る。
「ええ」
そして、少しだけ幸せそうに。
「みんな、私には甘いのよ」
幼馴染のせっかくの再会を、僕は邪魔をする。
けれど、このときの僕はまだ知らない。
この2人の笑顔を、もう1度見ることが、
こんなにも難しくなるなんて。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズ。ジェシとエアリの新居。
新築ヒルズの玄関をエアリがドタバタと走り回る。
2人とも、引っ越しの最中だが、メイド服だ。
ココは、秋葉原だからね。
「違うったら!」
エアリがぴょん、と跳ねる。
その後ろからジェシが、山のような段ボールを抱えてヨロヨロと入ってくる。
「その箱は、寝室!」
「了解!」
ジェシは、ヨロヨロと寝室へ向かう。
「……あ、違う!」
「え?」
「やっぱりキッチンでした!」
エアリが指を差す。
ジェシは、真顔で直角に方向転換する。
右へ。
左へ。
また右へ。
「どっちなの?」
「キッチン!」
「最初から言って!」
「ごめん!」
ジェシは、段ボールを抱えたまま
部屋の中を右往左往する。
エアリは楽しそうに笑っている。
「そうだ。思い出した」
「何?」
「忘れてたわ」
「いやーん」
ジェシが突然、エアリを抱き上げる。
「わっ!」
「もう1回、部屋を入り直さなきゃ」
「ちょっと!」
エアリが笑う。
「力持ちなのね。鍛えてるから?」
「伝統だから」
「何の?」
「新居に入る時の」
「そんな伝統あった?」
「今できた」
ジェシは、エアリを抱えたまま玄関をまたぐ。
「私の奥さん。ようこそ」
「ありがとう。私の旦那様」
エアリが笑う。
「愛してるわ、ジェシ」
「私もよ」
2人のメイドは、キスをする。
その瞬間。
スピアのスマホが鳴る。
「出なきゃ」
「じゃあ、私は荷物を運ぶわね」
ジェシが段ボールを抱える。
「キスの続きは、またあとで」
「約束よ」
エアリが電話に出る。
「もしもし?」
お邪魔虫は……僕。
『《呪いのダイア》はあったか?』
「ちゃんと箱の中にあったわ」
『ホントに?』
「テリィたん。少し神経質に考えすぎ」
『いや。本気なのはマデラだ』
「でも親代わりなのよ?敵じゃないわ」
『良いから聞けって』
「エアリ」
背後から声がする。
エアリの動きが止まる。
振り返る。
そこに。
メイド服姿のマデラが立っている。
「……げ」
エアリの顔から血の気が引く。
スマホの先で僕も黙る。
『……誰か来た?』
マデラだ。笑っている。
その手には、大きな観葉植物。
「ごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのよ」
「マ、マデラ……」
「ドアが開いてたもんだから」
エアリは、スマホを握ったまま固まっている。
『エアリ?』
「じゃ、じゃあ後でかけ直すわ!」
ブツッ。
僕とのスマホを切る。
エアリは、ゆっくり笑顔を作る。
「いらっしゃい、マデラ。どうかしたの?」
「新居を見に来たのよ」
マデラは、部屋を見回す。
「やはりヒルズは最高ね。しかも新築」
そして、観葉植物を差し出す。
「これ、私とYUI店長から」
「どうもありがとう……」
エアリは、受け取る。
「嬉しいわ。みんなには、荷物が片付いてから
来てもらおうと思ってたのに」
「いいの。気にしないで」
マデラは、笑う。
「ジェシは?」
「トラックに荷物を取りに行ってるわ」
「そう」
マデラは、部屋を見渡す。
キッチン。
リビング。
そして、まだ開いていない段ボール。
「色々、変わるわね」
「え?」
「貴女は、新居」
マデラは、微笑む。
「テリィたんは、新しいケッテンクラート」
エアリも笑う。
「もうヲタクだもの」
「そうね。物欲のためなら廃人になれる」
マデラが頷く。
「親代わりの出番がなくなって
ちょっと寂しいわ」
「マデラ……」
「新居探しも、新車探しも
私は、みんなの相談に乗りたかったのに」
「急展開だったから」
「ええ」
マデラは、窓の外を見る。
「急展開だったものね」
そして、何気ない口調で言った。
「テリィたんは、前のケッテンクラートはどうしたのかしら?」
エアリの笑顔が凍る。
「…………」
マデラは、笑っている。
ただ、その目だけは笑っていない。
新居の静かなリビングに、
引っ越し業者のトラックの音だけが響く。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
スピアの家。
キッチンに立つスピアとビリィ。
カレー鍋から、良い匂いが立ち上っている。
「あなたがマジで、今や rock 'n' roller の聖地となった五反田に行くなんてね」
「あぁ。有楽街だ。夢みたいさ」
「場末のバーを歌って回るわけね?」
「そうさ。初志貫徹」
ビリィは、鍋を覗き込み、味見をする。
「うん。いける」
「でしょ?」
「でも、君は本気だったろ」
「何が?」
「音楽」
スピアが少しだけ黙る。
「私は、あの頃ちょっと夢中になっただけよ」
「僕には、信じられないな」
ビリィは、食器棚を開ける。
「ちょっと、何を探してるの?」
「コーヒー」
「なんで?」
「カレーに入れる」
「え?」
ビリィは、インスタントコーヒーを1さじ。
「ちょっと!」
「このソース、少し薄いだろ。
ウチじゃ、いつもこうしてた」
「ちょっと!私のカレーにインスタントコーヒーなんか入れないでよ」
「良いから」
「良くないわよ」
ビリィは、平然と鍋をかき混ぜる。
「ほら。味見してごらん」
「自分で食べてよ」
「君のカレーだから」
「今さら責任を私に押しつけないで」
スピアは渋々、かき混ぜ棒の先のカレーを舐める。
一瞬、黙る。
「……あら」
「どう?」
「イケてる」
「だろ?」
「やるわね」
スピアが笑う。
ビリィも笑う。
その笑顔が、13才の頃と少しだけ重なる。
「君に会ってなかったら、俺は今でもガレージのコピー演奏で満足してたと思う」
「大げさね」
「マジだよ」
「私は、メイドになってるけど?」
「それも君らしい」
「食べていけるの?」
「生きていくだけ稼げれば充分だ」
「なんてロマンチックなの」
「言い出したのは君だぞ」
「それは13才の頃の夢物語。最初から無理だって分かってたわ」
「でも、僕は覚えてる」
「何を?」
「君の歌」
スピアの手が止まる。
「……やめてよ」
「良い歌だった」
「カレー焦げるわよ」
「焦げてない」
「じゃあ私が焦がす」
「なんで?」
「恥ずかしいから」
ビリィが笑う。
スピアは鍋をかき混ぜながら、耳まで赤くなる。
カレーは、たぶん少しだけ甘くなる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原ヒルズ。
ジェシとエアリの新居。
洗面所。
上半身裸で、熱心にフロスをしているジェシ。
その横で、エアリが洗面台にもたれている。
「嫌だわ。この床、固そう」
「床?」
「お母さんって呼ぶべきかしら」
「誰を?」
「マデラを」
「急にどうしたの?」
エアリは、考える。
「でも、なんだか照れるわ」
そして突然、顔を上げる。
「そうだ!」
「何?」
「毛布を取ってくる」
「どこに行くの?」
「毛布を取ってくる」
「なんで?」
「セックス出来るように」
エアリは、当然のように答える。
「夫婦が新しい家に引っ越したら、全部の部屋で新居を満喫するのが伝統でしょ?」
ジェシの目が輝く。
「そうね」
フロスを止める。
「じゃあ急いで終わらせるわ」
猛烈なスピードでフロスを再開する。
「そんなに急がなくても」
「急ぐわ」
「楽しそうね」
「新居よ?」
ジェシは、満面の笑みだ。
エアリも笑う。
「そうだ。忘れてたわ」
「何を?」
「マデラから……」
ジェシは、人間離れしたスピードでフロスをしながら、エアリに話しかける。ところが。
「ジェシ」
「何?ふがふが」
「お願いだから、今はマデラの話は、もうやめにしてくれない?」
「あ……そうねフガ」
エアリは、素直に頷く。
「分かったわ」
2人は、見つめ合う。
そしてキス。
ほんの少しの沈黙。
エアリが笑う。
「……で、マデラは何だって?」
ジェシが天井を見る。
「やっぱり聞くのね」
「だって気になるもの」
「乙女ロードのことを聞かれたわ」
「乙女ロード?」
「それと、テリィたんのコンビニ強盗の真相について、どう思うって」
「で、あなたは何て答えたの?」
「テリィたんは何か隠してると思うって」
「え。何を?」
「それが分からないから困ってるのよ」
「なるほど」
こっそり胸を撫で下ろすエアリ。
しかし、ジェシは容赦ない。
「で、エアリ。あなたはどう思うの?」
「私の意見を聞きたい?」
「もちろん」
ジェシが近づく。
「私は」
首筋にキス。
エアリの背中がぴくっと動く。
うっかり背中の翅が飛び出そうになる。
「……っ」
必死に抑える。
もう1度、ジェシが近づく。
エアリは耐えきれず、ジェシをそっと推し返す。
「新婚だと言うのに!」
「え?」
「マデラの話ばかりするんだったら」
エアリは、洗面所の扉を開ける。
「しばらく伝統はお預けね」
バタン。
扉が閉まる。洗面所に残されたジェシ。
両手を広げて天を仰ぐ。
「それはないでしょ?」
フロスだけが、手の中で静かに揺れている。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
スピアの家。
ダイニングのソファに並んで座るスピアとビリィ。
ビリィが古い写真を1枚取り出す。
「やめて。恥ずかしいわ」
「これ、あの時の君だ」
テーブルには、キャンドルを灯したカレー。
写真の中では、紫色のマッシュルームカットの少女が真面目な顔をして睨んでる。
「ひどい髪型」
「良いじゃないか」
「メイクも失敗してる」
「"謎の円盤UAP"のコスプレバンドをやった時のだろ?」
「そう。レトロフューチャースタイル」
ビリィが写真を眺める。
「実験的で、カワイイよ」
「もう萌やしてちょうだい」
「だめだ」
「なんでよ」
「五反田へ持っていく」
「何するの?」
「ストリートライブの時、ギターケースに貼る」
「やめて!」
「投げ銭をもらうンだ」
「私の黒歴史で稼がないで!」
2人で笑う。
ビリィが写真をもう1度見る。
「でもさ」
「何?」
「僕が見てるのは髪型じゃない」
「じゃあ何よ」
「この頃の君の瞳」
スピアが少し黙る。
「ほら。見て」
「アイライン失敗してるわよ」
「そこじゃない」
ビリィが写真を指で軽く叩く。
「瞳の中で、夢が輝いてる」
スピアの笑顔が止まる。
「……夢?」
「君、ホンキだっただろ」
「何が?」
「歌うこと」
スピアは、水を1口飲む。
「ただのキッズドリームよ」
「そうかな」
「そうよ」
「僕には違って見えた」
ビリィは、写真をスピアに返す。
「ほら。この子は、美しい夢を持って、美しい歌を歌う子だった」
スピアは、写真を見る。
紫色の髪。
失敗したアイライン。
そして、妙にまっすぐな瞳。
「……あれから、何があったんだ?」
スピアは、答えない。
しばらくして、水をもう1口。
「ただ、ヲタクになっただけよ」
「そうか」
ビリィは、それ以上聞かない。
「……かもな」
カレーの湯気が2人の間をゆっくり上っていく。
スピアは、写真を伏せる。
「ねえ、ビリィ」
「ん?」
「五反田で歌うって、ホントに楽しい?」
「楽しいよ」
「売れなくても?」
「売れなくても」
「お客さんが1人でも?」
「1人なら、その1人のために歌える」
スピアは、笑う。
「バカね」
「君に言われたくないな」
また笑う。
けれどスピアは、写真の裏側を指でなぞっている。
その写真の中の自分は、誰かに合わせて笑っているわけではない。
ただ、自分の歌を歌いたくて笑っている。
「私も……」
「何?」
「ううん。なんでもない」
スピアは、写真をしまう。
その夜、彼女は久しぶりに、自分の昔の歌を口ずさむ。
そして、ふと気づく。
最近、自分が歌う時よりも……
誰かのために料理をしている時のほうが、褒められている。
それは悪いことではない。
ただ。
それが自分の夢だったのかと聞かれれば、少し違う気がする。
カレーの火を消す。キャンドルだけが残る。
スピアは、その小さな炎を見つめる。
「……私、何してルンだろ」
誰にも聞こえない声。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
裏アキバに広がる万貫森。
新しいケッテンクラートのトランクを開ける僕。
その横で、マリレが地面に穴を掘っている。
メイド服で←
「テリィたん。もう良い?」
「まだだ」
「昨夜1晩かけて、ティルの思い出だか、証拠だかワカラナイけど全部集めて、もうくたくたよ」
「じゃあ、それで良いや」
マリレがスコップを放り投げる。
「もう?」
「後は例のダイアだ」
「それなら、スピアの家だけど」
「スピアの家?」
僕は、振り返る。
「それは確かか?」
「YES。たぶんスピアの部屋」
「CDの配列にはあんなにうるさいくせに、大事な石はスピア任せなのか?」
「それはテリィたんが悪いの」
「いや。Mの隣にAを並べるマリレが悪い。アルファベット順に直したんだ」
「発売順に並べてたの」
「だから揉めたんだ」
僕は、メタル製の黒い本をマリレに渡す。
「この中に手掛かりがある」
「まさか……デスノート?」
「違う」
「字が小さい」
「老眼鏡を使え」
「テリィたん。今は私の部屋の居候だったわよね」
「僕のペントハウスは工事中だからな」
その時、スマホが鳴る。
「はい」
『テリィたん?』
「エアリ?」
『ジェシがマデラから質問攻めに遭ってるんだけど』
「落ち着け」
『乙女ロードのこととか、コンビニ強盗のこととか、テリィたんの昔のケッテンクラートのこととか……』
「マデラは、僕らを探ってルンだ」
マリレがすっと顔を寄せる。
「だったら、ちゃんと話し合うのよ」
「敵とはさらに親しく、がモットーか?」
「そう」
『私は反対よ』
エアリの声が割り込む。
『マデラは敵じゃないわ』
「じゃあ、なおさら一度会って腹を探るべきよ」
『腹を探るって言い方がもう敵なのよ』
その瞬間。森の木の陰。
黒い忍者装束に身を包んだ女がいた。
頭には、なぜか妙に本格的な忍者頭巾。
手には大型望遠カメラ。
「……テリィたん」
シャッター。
カシャ。
「……マリレ」
カシャ。
女探偵はメモする。
《テリィたん、ケッテンクラートを使用》
さらにズーム。
《マリレ、穴掘り》
一瞬考える。
《意味不明》
またシャッター。
カシャ。
「次はスピアね」
女は、木の陰から気配を消す。
忍者なので、消えるのだけは妙に上手い。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。スピアの家。
マリレが玄関をノックする。
返事はない。
「スピア?」
もう1度。
返事はない。
マリレは、窓へ回り込む。
中を覗く。
誰もいない。
コンコン。
窓を叩く。
すると。
ガチャ。
ドアが開く。
ビリィが立っている。
上半身裸だ。
マリレの目が細くなる。
「……まだいたの?」
「今日の午後の便で立つ。すまない」
「食事は?」
「そっちこそ。ステブの奥さんの方はどうだ?」
「誰それ」
「風邪をひいたからシフトを変わるって言ってただろう」
「あ。もう大丈夫だから」
マリレは、ビリィを上から下まで見る。
「スピアは?」
「今、出かけたところだ」
「そう」
「伝言ならメモでも置いていけば?」
「いや。モノを取りに来たの」
マリレは、勝手に部屋へ入る。
「何を?」
「……忘れた」
「それは、困るな」
マリレは、ベッドの下を覗く。
「手伝おうか?」
「結構よ」
ギターケース。
Tシャツ。
靴。
謎の靴下。
そして、ギター。
「ないわね」
「何を探してルンだ?」
「ちょっとね」
ビリィは、Tシャツを着る。
「スピアは、音楽をヤメたのか?」
マリレの手が止まる。
「今でも時々やってるわ」
「時々って、どのくらい?」
「……時々よ」
ビリィは、ベッドの上のギターを手に取る。
軽くコードを鳴らす。
「僕は、あの子には音楽を続けてほしいと思ってる」
「どうして?」
「あの子には才能があるから」
「……そう」
「昔からそうだった」
マリレは、バッグの中を探る。
小さな石を取り出す。
「これ?」
ビリィが見る。
「違うな」
「分かってるわよ」
石をしまう。
「スピアは、昔の方がもっと音楽の話をしてた」
「昔は昔よ」
「そうかな」
マリレが振り返る。
「何が言いたいの?」
「いや」
ビリィは、笑う。
「僕が言いたいのは、あの子がまた歌いたいなら、歌えば良いってこと」
マリレは、黙る。
「……覚えとくわ」
そして、部屋を見回す。
「ここには、ないみたい」
「何を探してるの?」
「秘密」
「そうか」
ビリィがギターをケースに戻す。
「じゃあ僕はもう出るよ」
「そう」
「マリアに伝えておいて欲しいんだけど、えっと」
「私はマリレ」
「……じゃあ、マリレに」
「何?」
「スピアに、歌わせてあげて」
マリレの顔から笑みが消える。
「……余計なお世話ね」
「そうかもな」
ビリィは、笑う。
「でも、幼馴染だから」
マリレは、何も言わずに部屋を出る。
その直後。向かいの電柱の陰。
例の女忍者がカメラを構えている。
カシャ。
《ビリィ、スピアの音楽活動を強く支持》
カシャ。
《マリレ、無言》
女探偵はペンを走らせる。
《これは面白い》
そして忍者のように消える。
ただし今回は、派手に電柱に頭をぶつける。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。御屋敷のキッチン。
フライドポテトにカレーをかけるマリレ。
そこへスピアが入ってくる。
「そのカレー、インスタントコーヒーを入れると味が良くなるわ」
マリレの手が止まる。
「……バカ言わないで」
「ビリィに教わったの」
「御屋敷のカレーにインスタントコーヒーなんて入れられないわ」
「美味しかったわよ」
「そう」
マリレは、無表情でカレーをかき混ぜる。
そこへジェシが入ってくる。
「ねえ、スピア」
「何?」
「ビリィって、そんなに音楽が好きなの?」
「そうね。昔から」
「あなたもでしょ?」
スピアが振り返る。
「え?」
「音楽」
ジェシは笑う。
「エアリから聞いたわ。昔、歌ってたんでしょう?」
マリレの手が止まる。
「スピアには、才能があるのよ」
ジェシが続ける。
「だったら、もっと歌えば良いじゃない」
「……そうかな」
「もちろん」
ジェシは、ポテトを1本つまむ。
「新婚生活だって忙しいけど、好きなことをやめる理由にはならないもの」
「新婚?」
マリレが反応する。
「私たちの話よ」
「分かってるわよ」
「なんか怖いわね、マリレ」
「怖くないわ」
その時、スピアがサラダを見る。
「ねえマリレ。このシーザーサラダ、チーズ抜きでしょ?」
「……」
「忘れてた?」
「ごめん」
マリレは、1つずつチーズをつまみ出す。
その顔は、まるで地雷を処理する戦闘工兵だ。
スピアの耳元に顔を寄せる。
「後でボーリングに行かない?」
「え?」
「昨夜すっぽかしたお詫び」
スピアの顔が明るくなる。
「まぁ、うれしい」
髪を指でくるくる巻く。
そして、少しだけ照れながら言う。
「でも私、約束があるのよ」
「誰と?」
「ちょっとビリィと一緒にね」
マリレの手が止まる。
「ビリィ?」
「五反田に行ったはずだろ」
「メトロに乗り遅れたの」
「……もう1泊するつもりなの?」
「そうみたい」
ジェシが空気を読む。
「じゃあ、明日は3人で歌いに行けば?」
マリレがジェシを見る。
「3人?」
「スピアの夢なんだから」
「……夢」
その言葉を聞いた瞬間。
サラダが、
ボンッ!
と爆発。
レタスが飛ぶ。
トマトが宙を舞う。
クルトンが床に散らばる。
沈黙。
スピアが怯える。
「なんでこんなコトするの!」
「私じゃないわ!」
「じゃあ誰よ!」
マリレは、自分の手を見る。
「……暴発した」
「無意識に?」
「ええ」
ジェシが床のレタスを拾う。
「マリレ」
「何?」
「嫉妬って、サラダを爆発させるものなの?」
「違うわ」
「じゃあ何?」
マリレは、答えない。
スピアを見る。
スピアは、飛び散ったサラダの向こうで立っている。
その顔には、怒りよりも困惑がある。
そして、ほんの少しだけ。
昔の写真を見ていた時と同じ目をしている。
マリレはそれを見て、何も言えなくなる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。
神田リバー沿いにある、秋葉原メイド協会。
その奥にあるマデラのオフィス。
窓の外を流れる神田リバー。
マデラが入ってくる。
「……テリィたん?」
「マデラ」
僕は、ソファから立ち上がる。
「何の御用?」
「ちょっと話し合いたいんだ」
「同感ね」
2人の間に、短い沈黙。
その時、受付からインターホンの声。
『お客様がお見えです』
マデラは時計を見る。
「ちょっと待って。これからアポイントがあるの」
「気にしないで」
僕は、立ち上がる。
「帰るよ」
ドアへ向かいかけて、ふと思いつく。
「……いや」
振り返る。
「釣りに行かないか?」
「釣り?」
「川の中なら、誰にも邪魔されずにじっくり話せる」
マデラが微笑む。
「良いわね」
「いつ?」
「明日は?」
「OK」
僕は、少し安心する。
すると、マデラが言う。
「ところで、格言を知ってる?」
「格言?」
マデラは、僕を指差す。
「魚の先を行け」
「……」
「魚は早起きだから」
一瞬、沈黙。
そして、2人で笑う。
昔から知っている者同士の笑いだった。
僕が部屋を出る。
入れ違いに、女が入って来る。
黒い忍者装束。頭巾。手には大型カメラ。
僕は、新しいコンカフェの店員かと思う。
アキバでは、よくあるコスプレだ。
「……あら。失礼」
女は、僕を見て、軽く頭を下げる。
僕は、会釈して立ち去る。
女は、マデラを見る。
「終わりました?」
「ええ」
女は、テーブルの前に立つ。
マデラが椅子に座る。
「報告を」
女は、1枚のボードを取り出す。
そこには、僕の写真が何枚も貼られている。
「テリィたんとマリレは、裏アキバの万貫森に行ったわ」
「何をしていたの?」
「遠くてよく分からなかった」
女が写真を並べる。
「でも、撮ったわ」
森。
ケッテンクラート。
穴を掘るマリレ。
そして僕。
マデラの顔から笑みが消える。
「ケッテンクラート……」
「新しい車ね」
「そう」
マデラは、写真を1枚手に取る。
「他には?」
女探偵が、別の封筒を出す。
「最後に給油した時の領収書」
マデラが見る。
「五月第1週。五反田、有楽街のガソリンスタンドで満タンにしてる」
マデラの指が止まる。
「ちょうど、ティルが消えた頃ね」
女探偵は、黙っている。
「2つの出来事に、何か関係はあるのかしら」
マデラは、領収書をボードに貼る。
僕の写真のすぐ横。
線を引く。
ティル。
五反田。
ケッテンクラート。
そして……僕。
点と点が、1本の線になって逝く。
女探偵が静かに言う。
「車がなくなる理由には、3つあるわ」
マデラが顔を上げる。
「売ったか」
「保険金を騙し取るか」
女探偵は、3本目の指を立てる。
「そして3つ目」
間。
「何かを隠すために、処分した」
マデラは、ボードを見つめる。
「……何を隠そうとしているの?」
女探偵は、肩をすくめる。
「それは、車を見つければ分かるわ」
「車は見つかるの?」
「たぶんね」
「たぶん?」
「そいつは、また別料金よ」
マデラが呆れたように笑う。
「あなた、忍者なのに商売熱心ね」
「プロですから」
女探偵は、写真を1枚、裏返す。
そこには……
万貫森の木々の間に隠された
ケッテンクラートの一部が写っている。
マデラの目が細くなる。
「……テリィたん」
誰もいない部屋で、その名前だけを口にする。
窓の外では、神田リバーの川面が黄金色に輝く。
その川岸で、僕は明日の釣りのことを考えてる。
マデラが何を知っているのかも知らずに。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。スピアの家。
玄関が開く。
両手いっぱいに買い物袋を抱えたスピアが帰ってくる。
「ただいま」
返事がない。
リビングから、ギターの音が聞こえる。
「ビリィ」
「おかえり」
ビリィは、ソファに座り、ギターを抱えている。
「夕飯、ホットドッグで良い?」
「うん。僕の好物だよ」
スピアは、買い物袋を置く。
そして、ギターを見る。
顔色が変わる。
「……そのギター、どうしたの?」
「これ?」
ビリィが弦を弾く。
「マリレが何か探してた時に見つけたんだ」
「どこで?」
「君の部屋」
「……そう」
「音が合ってなかったから、チューニングしてる」
「やめて」
ビリィの手が止まる。
「え?」
「そのギター、触らないで」
「もう少しで終わるけど」
「すぐしまって」
「分かった。でも……」
「ビリィ」
声が低くなる。
「なら、自分で戻す」
スピアがギターを取り上げる。
「おい。どうしたんだ」
「勝手に人の持ち物をいじらないでよ」
「悪かった。でも、そんなに怒ることか?」
「怒るわよ」
「ただのギターじゃないか」
スピアは、ギターを抱きしめる。
「……違うわ」
ビリィが黙る。
スピアは、ギターを見る。
傷のついたボディ。
少し擦れたネック。
何度も弾かれた跡。
「これは、ただのギターじゃない」
「誰の?」
スピアは、答えない。
弦を1本だけ、指で弾く。
低い音が部屋に残る。
「死んだ友達のよ」
ビリィの表情が変わる。
「……ごめん」
「知らなかったんだから、謝らないで」
そう言いながら、スピアの声は震えている。
「でも、もう触らないで」
ビリィは小さく頷く。
「分かった」
スピアはギターを抱えたまま、自分の部屋へ向かう。
ドアを開ける。
1度だけ振り返る。
「このギターは、音が合ってなくても良いの」
ビリィは、何も言わない。
スピアは部屋に入り、ドアを静かに閉める。
いや。
最後だけ、少し強く。
カチャ。
鍵がかかる。
残されたビリィは、しばらく動かない。
テーブルの上には、スピアが買ってきたホットドッグの袋。
さっきまで夕食の話をしていたことを思い出す。遠い過去のことのように。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。閉店した御屋敷。
カウンターで砂糖を瓶に詰め替えるミユリさん。
カチューシャを外したメイド服姿だ。
キッチンからマリレが出てくる。
エプロンを外しながら、カウンターに腰を下ろす。
「ミユリ姉様。今日は忙しかったわね」
「そうね」
「今夜ぐらいなら、儲けはどのくらい?」
ミユリさんの手が止まらない。
「相変わらず、話の切り出し方が下手ね」
「……」
「相談があるなら、さっさと言いなさい」
マリレは、腕を組む。
「私、ビリィとどう付き合えば良いの?」
「ビリィは、放っておいても平気よ」
「でも、イケメンなのよ」
「そうね」
「それでいて、母性本能をくすぐるタイプだし」
「そうね」
「スピアって、結構面食いなのよね」
ミユリさんが砂糖を瓶に入れる。
「マリレ。あのね……」
「メトロに乗り遅れたって、本当かな?」
「そういうことだってあるわよ」
「いや」
マリレは、真顔になる。
「姉様。私はメトロには乗らないわ」
「そうね」
「歌も歌わない」
「知ってるわ」
「カレーにインスタントコーヒーも入れない」
ミユリさんの手が止まる。
「……そこ?」
次の瞬間。
パァン!
砂糖の瓶が破裂した。
白い砂糖がカウンターいっぱいに飛び散る。
ミユリさんが固まる。
「マリレ」
「ごめんなさい」
「何するの」
「パワーが暴走しちゃった」
マリレがおどおどする。
「マデラに見つかったら、めちゃくちゃ怒られるわよ」
「分かってる。今直すから」
マリレは、粉々になった瓶に手をかざす。
目を閉じる。
集中する。
砂糖が少し浮く。
瓶の破片がカタカタ震える。
ミユリさんが身を引く。
「マリレ、落ち着いて」
「大丈夫」
破片が1つ、くるくる回る。
2つ、3つ。
そして。
床に落ちる。
カラン。
「……」
「……」
「無理だわ」
マリレが手を下ろす。
「覆水盆に返らず」
「そこじゃないわよ」
ミユリさんは、溜め息をつく。
「スピアは、貴女を愛してるわ」
「……」
「ビリィのことなんか、何とも思ってない」
「でも」
マリレが顔を上げる。
「スピアは、あの人に料理を作ったのよ」
ミユリさんの表情が変わる。
「スピアが?料理を?」
「そう」
「……それは、ちょっと気になるわね」
「ほら」
マリレが身を乗り出す。
「ヤバいでしょ?」
「でも、気にすることないわよ」
「どうして?」
「料理だし」
「違う」
マリレは、首を振る。
「イタリア料理よ」
「……」
「ただの料理じゃない」
「いや、イタリア料理も料理よ」
「姉様は分かってない」
マリレは、立ち上がる。
「スピアは、昔の夢を思い出してる」
ミユリさんは、黙る。
「歌って」
「……」
「曲を作って」
「……」
「昔の自分に戻ろうとしてる」
マリレの声から、少しずつ嫉妬が消えて逝く。
代わりに、不安が薄く募って広がって逝く。
「私には、それをどうしたら良いのか分からない」
ミユリさんは、答えない。
マリレは、エプロンを外す。
カウンターに置く。
「だから、ビリィが嫌なの」
「ビリィが?」
「違う」
マリレは、少し考える。
「……ビリィがいることで、スピアが私の知らないスピアになっていくのが嫌なの」
ミユリさんが初めて、マリレを見る。
マリレは、その視線から逃げるように歩き出す。
「マリレ」
「何?」
「超能力を使っちゃダメよ」
「分かってる」
「OK?」
マリレは、振り返る。
「……努力する」
ドアが閉まる。
静かな御屋敷。
ミユリさんは床に散らばった砂糖と瓶の破片を見る。
そして、ひとりで溜め息をつく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。スピアの家。
部屋の中で、スピアはギターを抱えて泣いている。
泣き声を抑えようとしているのか、肩だけが小さく震えている。
頬には、涙の跡が幾筋も残り、指先は弦に触れたまま動かない。
弾けない。
弾こうとすると、アレクの顔が浮かぶ。
笑っている顔。
少し癖のある前髪。
ギターを抱えたまま、何かを言いかける横顔。
スピアは目を開け、慌てて視線を落とす。
「……やめて」
誰に向けた言葉か、自分でもわからない。
部屋の外から、ギターの音が聞こえる。
ビリィが、さっきの曲を弾いている。
スピアの背中が強張る。
1音ごとに、閉じ込めていた記憶が揺さぶられる。
アレクと初めて合わせた時の噛み合わないリズム。
途中で笑ってしまったこと。
何度やっても完成しなかった曲。
最後に、このギターを弾いた日のこと。
スピアは、耳を塞ごうとする。
けれど、手は膝の上で固まったままだ。
ビリィの演奏は、乱暴ではない。
勝手に触れられた怒りは消えていない。
だが、音に悪意がないことだけは分かる。
スピアは目を閉じる。
涙がまたこぼれる。
立ち上がって、ドアの前に立つ。
ノブに手をかける。
1度、手を離す。
もう1度、握る。
そして、ドアを開ける。
「そこ」
ビリィが振り返る。
「Fメジャーセブンにして」
「え?」
スピアは、自分でも驚くほど強い声を出す。
「Fメジャーセブンにして」
ビリィは、何も聞かずコードを変える。
部屋の空気が、ほんの少し柔らかくなる。
スピアの口元も、ほんの少し緩む。
ビリィもそれを見て、静かに微笑む。
「良い音だ」
「そうでしょ?」
声は、まだ震えている。
けれど、さっきまでの拒絶はない。
「はるかに良くなったわ」
「OK」
ビリィがコードを鳴らす。
「この曲、覚えてる?」
スピアは、息を呑む。
喉の奥が締まり、声が出そうになる。
それでも、指先は膝を叩き始める。
身体が、覚えている。
「さっきはどうしたんだい?」
「……いきなり怒ったりして、ごめんなさい」
声を出した瞬間、また涙がこぼれる。
スピアは、顔を背ける。
「話してみないか?」
ビリィの声は、問い詰めない。
スピアは、しばらく黙る。
唇を噛み、何度も言葉を飲み込む。
やがて、ギターの表面に視線を落とす。
「……あれは友達のギターだったの」
ビリィの手が止まりかける。
「名前はアレク」
名前を口にしただけで、胸の奥が大きく揺れる。
スピアは、息を吸う。
けれど、うまく吸えない。
「去年、亡くなったの」
演奏は、完全に止まる。
部屋の中に、弦の余韻だけが残る。
「そうか」
ビリィは、ギターを下ろす。
「……ごめん。知らなかった」
その顔には、悔恨の情が浮かぶ。
スピアはその表情を見て、責める言葉を失う。
怒りをぶつける相手を失い、悲しみが込み上げる。
スピアはビリィの隣に座る。
「ギターは、ご両親が形見にくださったの」
「そうだったのか」
「でも、とても私には弾けなくて」
声が細くなる。
「ケースを開けると、あの日のことを思い出すの」
「思い出すのも辛い?」
スピアは、頷きかけて、途中で止める。
「余りに若過ぎたのよ」
指がギターの傷をなぞる。
「人生これからって時だったのに」
声が震える。
「何も終わってなかった。作りかけの曲も。
話していた約束も。全部そのまま」
ビリィは、何も言わない。
その沈黙が、スピアにはありがたい。
「彼とは、一緒に曲を作らなかったのか?」
「1度だけ試したわ」
スピアは、苦しそうに笑う。
「うまくいかなかった」
「そうか」
「私が先に進みすぎると、彼が怒るの。
彼が考え込むと、私は、待てなくなる。
結局、完成しなかった」
笑みはすぐに消える。
「作曲のパートナーとして、うまくいったのは……
あなたくらいよ」
ビリィは、少し照れる。
けれど、スピアは笑わない。
その言葉が、アレクへの裏切りのように
思えたたからだ。
「作曲しようとしたんだから歌も歌ってたわけだ」
「……ええ」
「最後に歌ったのは?」
スピアは、目を伏せる。
「彼のお葬式」
その瞬間、喉の奥に冷たいものが込み上げる。
悲しみの時にも、歌わねばならない時がある。
泣いている家族の前で。集まったヲタ友の前で。
それに、声を出している間だけは
アレクが本当に死んだことを認めずに済む。
そして、歌い終えた時、全ては現実になる。
「それ以来、歌ってないの」
ビリィは、黙ってギターを見る。
そして、もう一度弦を鳴らす。
「そうか」
小さく笑う。
「じゃあ、今夜は特別だ」
「何が?」
「久しぶりに歌えば?」
スピアの肩が強張る。
「無理よ」
「歌えるさ」
「無理」
今度は、はっきりと言う。
「歌ったら、また全部思い出す」
「それでも良いから」
「良くないわ」
スピアは、立ち上がりかける。
けれど、膝に力が入らず、座ったままになる。
「私は、もう忘れたいの」
言葉にした瞬間、それがウソだとわかる。
忘れたいのではない。
忘れてしまうのが怖いのだ。
ビリィは、それを指摘しない。
「じゃあ、僕が先に歌う」
ビリィがギターを鳴らす。
スピアは、何も言わない。
けれど、逃げない。
ビリィが歌う。
スピアは、静かに目を閉じる。
最初は、ただ音を聞く。
次に、呼吸を合わせる。
そして、唇がわずかに動く。
声にはならない。
それでも、歌詞をなぞっている。
ビリィは、1度だけスピアを見る。
何も言わず、演奏を続ける。
スピアの喉が震える。
声が出る。
小さく、掠れた声だ。
1音目を出しただけで、涙が頬を伝う。
それでも止めなかった。
2音目。
3音目。
声は、少しずつ大きくなる。
歌っているのに胸が痛い。
痛いのに、歌える。
アレクの死は、消えない。
ギターに残った傷も、作りかけの曲も。
戻らない時間も消えない。
それでも、歌うことだけは出来る。
スピアはそのことに、まだ気づいていない。
ただ、声を止めない。
2人の声が重なる。
窓の外。
マリレが立っている。
部屋の中を見て、動かない。
そこにいるスピアは
マリレが知っているスピアとは違っている。
笑っている。
泣いている。
そして、歌っている。
マリレは、窓から離れる。
夜のパーツ通りを歩き出す。
背後で、どこかの高級車の防犯ブザーが鳴る。
パリン。
フロントガラスが割れる。
マリレは振り返らない。
また1台。
パリン。
「……」
3台目。
パリン。
「マリレ」
自分で自分に言い聞かせる。
「落ち着いて」
その瞬間、4台目の防犯ブザーが鳴る。
マリレは、空を見上げる。
「私は、何もしてない」
誰も聞いていない。
御屋敷でミユリさんに言われた言葉が蘇る。
……スピアは、貴女を愛している。
マリレは立ち止まる。
「……知ってるわ」
けれど。
それだけでは足りない。
スピアには、マリレの知らない時間がある。
マリレの知らない歌がある。
そして今夜、その歌が戻ってくる。
遠くで、スピアの歌声が聞こえる気がする。
マリレは目を閉じる。
「貴女は行ってしまうのに」
呟いた声は、夜の秋葉原に消える。
その頃、スピアはまだ知らない。
今夜、自分がギターを弾いたことが……
自分の人生を選び直す
最初の一音になっていたことを。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。マリレが部屋に戻ってくる。
ソファにドカンと腰を下ろす。
そのソファで寝ていた僕は、飛び起きる。
「おい。どうした?」
マリレは、答えない。
「……もう終わりよ」
「え?」
僕の顔色が変わる。瞬時に理解する。
「マデラにバレたンだな?」
「何ソレ?」
「じゃあ何だよ」
「スピアと、あのビリィって野郎が一緒にいたの」
「一緒にいた?」
「YES」
僕は、眉をひそめる。
「つまり……寝てたのか?」
「違う」
「じゃあ……」
僕は、一瞬考える。
「もっと悪い?」
「……」
「妊娠したのか?」
マリレは、胡散臭い目で僕を見る。
「何を言ってるの?」
僕は、少しだけ残念そうな顔になる。
「いや。違うンなら良い」
「良くないわよ」
「で、何だったんだ?」
「一緒に歌ってた」
「……」
僕は、数秒間、冷静にマリレを見る。
そして、毛布を引き上げる。
「テリィたん!寝るな」
毛布を剥がされる。
「テリィたん!」
「何だよ」
「私、どうしたら良いの?」
「ジェラシーか?」
「ジェラシーなんかじゃない」
その瞬間。
パキッ。
部屋の隅で、なけなしの家具が砕ける。
僕が飛び上がる。
「ちょっと!」
「……」
「今のは、完全にジェラシーだろ!」
「違うわ」
「家具が証言してるぞ!」
マリレが手を見る。
「……パワーが溢れただけよ」
「それを暴走って言うんだよ」
「どうすれば止まるの?」
「ヲヴァンゲリヲンを見ろよ」
「何で?」
「第1話」
「何の役に立つのよ」
「暴走したら大変だってことが分かる」
「分かってるわよ!」
また、ミシッ。
僕は、チェストを抑える。
「今日は周りのものが次々壊れるの」
「わかってるなら、コントロールしろよ」
「できませーん」
「開き直るな!」
マリレが俯く。
「……もう、何もかも嫌」
僕は、頭を掻く。
「マデラの前で、これ以上何も起こすな」
「マデラなんか知らないわ」
「おい」
「クソ喰らえよ」
「そこまで行くな」
「私には関係ないもの」
僕は、溜め息をつく。
「分かった。分かったよ」
しばらく考える。
僕はヲタクだ。
だが、ヲタクにも人間の感情はある。
そのコントロールが恐ろしく下手なだけだ。
「……マリレ」
「何?」
「話し合え」
「誰と?」
「関係者と」
マリレは、顔を上げる。
「それだけ?」
「それだけだ」
「話し合うだけ?」
「そうだ」
「何を?」
僕は、少し考える。
「……好きなんだろ?」
マリレは、黙る。
「だったら、好きだって言えばいい」
「……」
「ビリィのことが嫌なら、嫌だと言えばいい」
「……」
「でも、スピアが歌いたいなら、それを聞け」
マリレは、黙って僕を見る。
「恋人なんだろ?」
「……そうよ」
「じゃあ、殴り合う前に話せ」
「殴ってないわ」
僕は、壊れた家具を見る。
「家具とは殴り合ってる」
マリレが少しだけ笑う。
けれど、その目はまだ赤い。
「……分かった」
立ち上がる。
「話してみる」
「そうしろ」
「ビリィとも?」
「そうだ」
「どうやって?」
僕は、腕を組む。
「そこまでは知らない」
「役に立たないわね」
「恋愛相談に来た相手を誰だと思ってるんだ」
「ヲタク」
「わかってるじゃないか」
心底感心してみせると、マリレはドアへ向かう。
そして振り返る。
「テリィたん」
「何だ?」
「ありがと」
「いいよ」
ドアが閉まる。
僕は、ソファに戻る。
毛布をかぶる。
「……これで全部解決だな」
その瞬間。
廊下から、
ガシャーン!
「……」
僕は、毛布の中から顔だけ出す。
「未だ暴走してるじゃないか」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌朝。
話し合うのは、僕だ。
昨夜、僕はマリレに偉そうに語る。
「ちゃんと話し合え」
言うのは簡単だ。やるのは難しい。
その難しい方を、僕はこれからやる。
神田リバー。
僕とマデラはボートに乗っている。
釣りだ。
遠くでは飛行艇が離着水を繰り返している。
世界は今日も、妙な方向に未来的だ。
マデラが微笑む。
「釣りなんて久しぶりだわ」
「あぁ。そうだね」
竿を握る。
魚は来ない。
沈黙だけが、よく釣れる。
しばらくしてマデラが言う。
「前のケッテンクラートはどうしたの?」
来た。
魚ではなく、そっちだ。
「売っちゃったんだ。
ルーフの取り外しが面倒だったし」
「そう。値段は?」
「相場だった」
「相手は?」
「イケメンアイドル」
マデラが僕を見る。
「……イケメンアイドル?」
「五反田まで乗って行くって言ってた」
マデラは、ゆっくりうなずく。
「良い車だったわね。買った相手を覚えてる?」
「怖い奴だった」
「撃たれかけたわよね」
「マデラが逃げるからだよ」
「機関銃を出されたときには、私もびびったわ」
竿先がぴくりと動く。
僕たちは、同時に竿を見る。
魚はいない。
「……私に黙って、あの車を手放すなんて。
ひどいじゃない?」
「成り行きだよ」
「で、買ってくれた相手は五反田へ行くの?」
「その前に修理するとは逝ってたけど」
「そう」
マデラは、水面を見る。
僕も見る。
魚は来ない。
代わりに、嫌な予感だけが釣れる。
「マデラのオフィスのボードを見たよ」
「そう。それで?」
「僕をスパイするなんて」
「スパイじゃないわ」
「じゃあ何だよ」
「何が起きているのかを知りたいだけ」
マデラの声が少し低くなる。
「調べられると困ることでもあるの?」
「もっと僕を信じてよ」
何て陳腐なセリフだ。
口にした途端に赤面だ。
昨夜、マリレに言ったことと、
まったく同じだ。
「私は、怖いの」
マデラは、言う。
「テリィたんのことが、わからなくなった。
あなたがどんな人間なのか」
「僕たちは、ヲタ友じゃないか」
「なら、なぜ隠すの?」
マデラの声が強くなる。
「その秘密が、テリィたんに
災難をもたらすかもしれないからよ」
「災難なんて、あるはずがないだろう」
「あるでしょう!」
突然、マデラが立ち上がった。
ボートが揺れる。
僕も立ち上がる。
「危ないから座って!」
「あなたの方が危ないわ!」
「全くだよ!」
「災難だらけじゃない!」
マデラの声が川面に響く。
「私がいなければ、今頃テリィたんは
蔵前橋の刑務所送りだったのよ!」
「だからって、何でも調べて良いのかよ!」
「何も話してくれないじゃない!」
「話してるだろ!」
「話してない!」
「話してる!」
「どこが!」
「……いろいろ!」
自分でも何を言っているのかわからない。
昨夜の僕ならマリレに語るだろう。
……先ず、落ち着いて話し合え。
その言葉が頭をよぎる。
しかし今の僕には、言葉を機能させる余裕がない。
マデラも同じだ。
2人は釣り竿を握ったまま、完全に口論している。
魚から見れば、恐らく迷惑な人間2尾だ。
そのとき、マデラの携帯が鳴る。
マデラが画面を見る。
「なに?」
少し黙る。
「いえ。ちょっと待ってて」
スマホを切る。
そして、僕を見る。
「テリィたん」
「何?」
「話は終わりよ」
「……え?」
「帰りましょ」
「マデラ」
「もう良いわ」
マデラは、竿を置く。
僕も竿を置く。
結局、魚は一匹も釣れない。
話し合いも、釣れない。
昨夜、僕はマリレに偉そうに語る。
……話し合え。
その翌朝。
僕は、マデラと話し合い、ケンカ別れする。
人生は、ときどきブーメランを返してくる。
それも、恐ろしいほど正確に。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。御屋敷。
スピアは、カウンターで御給仕の準備をしている。
皿を並べ、グラスを拭く。
その背後から、マリレが耳元でささやく。
「どうしたの?」
「話がある」
「奥で聞くわ」
2人は、バックヤードへ移る。
扉が閉まる。
「私たちの問題?」
「違う。私1人の問題よ」
「私に何をして欲しい?」
「話を聞いて」
「いつも聞いてる」
「子供扱いしないで」
スピアが振り返る。
「どうしたの?らしくないわね。
何をそんなに悩んでるの?」
スピアは、マリレの顔を両手で包む。
「ねえ。ちゃんと話して」
マリレは、その手をそっと外す。
「ビリィを追い出して」
「……え?」
「今は……時期が悪いの」
「時期が悪い?」
「うん」
スピアが首を傾げる。
「1つ聞きたいんだけど」
「ほら、来た」
身構えるマリレ。尋ねるスピア。
「だめ。ちゃんと聞いて。私は悩みを話したわ」
「うん」
「じゃあ、いつなら時期が良いの?」
「……。ねぇ元カレってそんなに大事?」
「ビリィは、そんなんじゃないわ」
「じゃあ何なの?」
「むかつく」
「ほら、すぐむかつく」
マリレの眉が動く。
「少しは我慢してよ」
その1言で、スピアの中の何かが切れる。
「ねえ!」
声が響く。
「私は、いつになったら、
貴女たちスーパーヒロインに
振り回されずに済むわけ?」
「スピア。今はヤバいの。マデラが……」
「そんなことは、わかってる!」
スピアが叫び、マリレも吠える。
「だったら、ビリィを家に入れないで!」
ドンッ!
棚が揺れ……次の瞬間、棚が倒れる。
食器。
砂糖。
メイド用の小物。
昨日まで平和だったものが
一斉に床へ落ちて、散らばる。
「マリレ!」
スピアが怯えて後ずさる。
マリレは自分でも驚いたように
散らばったものを見る。
「……私と別れるつもりね?」
「違うわよ!」
「じゃあ、何なのよ!」
「わかった!」
スピアが叫ぶ。
「ビリィには、出て行ってって言う」
マリレが黙る。
「……ありがとう」
マリレが1歩、近づく。
スピアは、俯いたままだ。
「結局、いつもこうよ」
その声は、もう怒っていない。
「折れるのは、私」
マリレは、さらに1歩スピアに近づく。
しかし、スピアは、その横をすり抜ける。
「スピア……」
扉が開く。
スピアは、振り返らない。
そのまま、ホールへ出て逝く。
残されたマリレは、散らばった食器を見つめる。
「……話し合えって言ったのは、誰よ」
僕だ。
ホールでは、いつもの御給仕の声が聞こえる。
この世界線は、何も変わってはいない。
ただ、2人の間だけが、少し変わっている。
そして、僕の恋愛相談は……
また1組のカップルを、見事に壊しかけている。
第3章 ケッテンクラートの行方
秋葉原。昭和通り。
朝のガソリンスタンドに、スマホを手にした、油まみれの作業着姿のカレルが現れる。
「テリィたん、マズいことになったぞ」
その頃、僕は。
マリレとカウンターで、お一人様だ。
朝のクロワッサンを食べている。
昨日まで恋愛相談をしていたが、翌朝には、お一人様でクロワッサンを食べている。
人生は忙しい。
「何が?」
「マデラがレッカー車を借りに来た」
僕の手が止まる。
「……で、どこへ?」
カレルが周囲を確認する。
「首都高アキバ線。16番標識の先だ」
「16番?」
「そうだょ」
嫌な数字だ。
嫌な予感しかしない。
カレルは、電話を切ると
そのままレッカー車に乗り込む。
エンジンがかかる。
朝の昭和通りを、油まみれの作業着を着た男を乗せて、レッカー車が走り出す。
僕は、クロワッサンを見る。
もう、バターの香りがしない。
そのときだ。
店の入口から、マリレが歩いて来る。
僕と目が合う。昨日のことが、まだ残っている。
何も言わない。
僕も言えない。
スマホが鳴る。
カレルだ。
「テリィたん」
「何?」
「ケッテンクラートが見つかった」
僕は、マリレを見る。
マリレも僕を見る。
クロワッサンだけが、何も知らずに皿の上にいる。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。スピアの家。
ビリィは、ソファでギターを弾いている。
そこへスピアが、ズカズカと帰ってくる。
ビリィは、顔を上げる。
「おかえり」
「ただいま。あなたに話があるの」
「なんだ?」
「出て行って欲しいの」
腕を組むスピア。
ビリィは一瞬、ギターを見る。
「……今すぐ?」
「YES」
「わ、わかった」
あっさりギターを置き、荷物をまとめ始める。
スピアは、黙って見ている。
「理由は?マリレとモメてるからか?」
「いいえ。一言じゃ言えない。ちょっと複雑なの」
スピアは、腕を組み直す。
「私は、あれこれ考えられないの。
でも、あなたのせいじゃないことだけは確か」
「それは残念だ」
「それ、どういう意味?」
ビリィは、少し笑う。
「昔、ある人に言われたんだ」
「何を?」
「人生、望むように生きるべしって」
スピアが眉を上げる。
「それは、ヒドいアドバイスね」
「君が言ったんだぞ」
「……どおりでヒドいワケだわ」
ビリィが笑う。
そして、少しだけ真面目な顔になる。
「夏キャンプの夜」
スピアの表情が止まる。
慌てて警戒線を張る。
「私は、まだ13才だった」
「あの夜から、僕は忘れられなかった」
「何を?」
「君のことを」
スピアが小さく溜め息をつく。
警戒線を軽々と突破してビリィは続ける。
「あの夜のキス。僕、あれが初めてだったんだ」
「キスは、経験済みだって言ってたじゃない」
「ウソだった」
「最低」
「ごめん」
「4年前の自分に謝って」
「それ、僕が?」
「あなた以外に誰がいるのよ」
ビリィは、困った顔をする。
だが、もう止まらない。
「それで、ずっと思ってたんだ」
「何を?」
「もしかしたら、君もずっと僕のことを」
「私にだって選ぶ権利がある。私には…」
「あんな女。それに百合だろ?」
「百合の前にテリィたんとも」
「え。……あんなヲタク」
「聞こえてると思うわよ」
「とにかく!」
ビリィが1歩近づく。
「みんな君を引き止めてる」
スピアが見上げる。
「私を引き止めてるって、何から?」
「君自身の人生からだよ」
その言葉だけは、冗談にならない。
スピアの顔から笑いが消える。
「そして、この恋から」
ビリィが、さらに1歩近づく。
けれど、そこで止まる。
スピアを見る。
「……ごめん。今、勝手にキスしたら
また俺は、ウソつきになる」
スピアは、しばらく黙っている。
そして、ビリィの胸元をつかむ。
「じゃあ、今度は私が決める」
「え?」
スピアが1歩近づく。
「あなた、4年前からずっと待ってたんでしょ?」
「うん」
「じゃあ、待って」
「え?」
「今、私が考えてるから」
数秒。
スピアは、目を閉じる。
そして、自分からビリィにキスをする。
just one kiss
離れる。
ビリィは、完全に固まっている。
「……スピア」
「なに?」
「今の……」
「私がしたの」
「うん」
「だから、文句ある?」
「ない」
「じゃあ荷物まとめて」
「え?」
「出て行って」
「キスしたのに?」
「キスしたからよ」
ビリィは、混乱する。
「恋って、そういうものなの?」
「知らないわよ」
スピアは、腕を組む。
「私、今それどころじゃないの」
そして、ギターを指差す。
「それ、持って行って」
「はい」
ビリィは、ギターを背負う。
スピアは、玄関まで歩いて逝く。
修羅場の中で、誰よりも冷静だ。
ドアを開ける。
「ビリィ」
「うん?」
「4年前の続きは、私が決める」
ビリィは、何か言いかける。
が、ドアが閉まる。
スピアは1人になる。
そして、小さく息を吐く。
「……私、何やってるんだろ」
修羅場に強い女は、修羅場の後で震える。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
首都高速道路アキバ線と架空送電線路ヨドバシ線が交差するポイント。
焼け焦げたケッテンクラートを、レッカー車がゆっくり引き上げている。
それを見守るマデラ。
その隣に、くのいちコスプレの女探偵。
少し離れて、クレーンを操作するカレル。
そして、さらに遠く離れて僕たち。
ガードレールに首を並べている。
エアリ。
僕。
マリレ。
マリレは、心配そうにレッカー車を見ている。
「テリィたん」
「何?」
「マデラになんて言い訳するつもり?」
「もう僕が何を言っても、信じてくれないよ」
「じゃあ、誰なら信じる?」
僕たちは、顔を見合わせる。
そして、全員がエアリを見る。
「え?」
エアリが自分を指差す。
「私?」
「うん」
「なんで?」
「妖精だから」
「それ、理由になってないわよ」
背中の翅が畳まれている事を
確認するエアリ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
同時刻。スピアの家。
ベッドの上に並んで寝ている
ミユリさんとスピア。
ガールズトークでは、世界線の命運より
恋バナが先行する。
「へぇ。ビリィとキスしたんだ」
「そうなのよ、姉様」
「それで、ビリィは今どこに?」
「まだ私の家にいるわ」←
ミユリさんは、溜め息をつく。
「何考えてんの?」
「わかんない」
「……男って、時々わからないわね」
「姉様にもわからないの?」
「私は、テリィ様を選んだから」
「それは、別の意味でわからないわ」
2人で笑う。
ミユリさんは、スピアを見る。
「でも、ただのキスなんでしょ?」
「まあね」
スピアは、少し考える。
「でも、気持ちは違うかも」
「どんなキスだったの?」
「え?」
「情熱的なキスだった?」
「それは、もう……」
「Wow」
「何、その反応」
「少し女子っぽい?」
ミユリさんは、楽しそうだ。
しかし、スピアは表情を曇らせる。
「恋人とのキスっていうより……」
「うん」
「なんか、私の中で何かが目覚めたって感じ」
「私たちがスーパーヒロインに"覚醒"した時みたいに?」
「そうかも」
スピアは、天井を見る。
「私ったら、ずっと眠っていたのかな」
ミユリさんの表情が少し変わる。
「そうね」
「え?」
「このところのスピアは、昔の自分を取り戻そうと必死なように見えたわ」
「……」
「良かったら、話してみて」
スピアは、しばらく黙っている。
そして、ぽつりと言う。
「時々思うのよ」
「うん」
「姉様たちスーパーヒロインと一緒になって
自分がスゴい犠牲を払ってルンじゃないかって」
ミユリさんは、何も言わない。
「まさか私が、時空漂流者に振り回される人生を送るなんて夢にも思ってなかった」
「うん」
「マリレを愛してるし、2人でいる時間も結構楽しい」
そこで、スピアは苦笑する。
「でも、もう耐えられないの」
「……」
「ワナにハマって、抜けられなくなったみたい」
「わかるわ」
ミユリさんが言う。
スピアが起き上がる。
「なんだか、騙された気分なの」
「でも、それは違うの」
「何が?」
「自分で選んだのよ」
「……確かにそうだけど」
スピアは、少し笑う。
「でも、歌で生きていくっていう夢を
まだ捨てきれない」
ミユリさんは、スピアを見る。
「じゃあ、夢を追いかけるのも良いかもしれない」
「良いのかな」
「だって、夢を諦めたら……
スピアまで私と同じになってしまうもの」
「ミユリ姉様……」
ミユリさんは、少し照れる。
「ごめん。今の、ちょっと自己憐憫だったわ」
「ちょっと?」
「かなり」
2人で笑う。
ミユリさんは、再び天井を見上げる。
「私は良いの」
「……」
「もう決めてるから」
「何を?」
「テリィ様と生きて逝くって」
ミユリさんは、穏やかに言う。
「何を犠牲にしても、この先、後悔はしないと」
スピアは、黙って聞いている。
「でも、スピア」
ミユリさんが振り向く。
「貴女がマリレに対して
そこまで覚悟が出来ていないのなら」
少し間を置く。
「夢は、諦めない方が良いわ」
スピアは、答えない。
ただ、深く息を吐く。
朝焼けが窓を染めて逝く。
電気街の朝が始まる。
そしてその朝、スピアは初めて、
自分が何を失いたくないのかを考える。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
スピアの家。
ビリィは、荷物をまとめている。
ギターケースを閉じる。
何処からかスピアが帰って来る。
「私、すごい決心しちゃった」
「なんだい?」
「私もあなたと一緒に五反田へ行く」
「へぇ」
「決めたの」
ビリィは、荷物を詰める手を全く止めない。
「お母さんには?」
「ママは、恐らくダメって言うわね」
「僕もそう思う」
「だから、少し時間を置いてからの話よ」
「そっか。今すぐじゃないんだ」
「実はまだ、自分でも良くわかってないの」
ビリィが笑う。
「もう良いンだ」
「え?」
「俺が君を混乱させちまったンだろ」
「そんなこと」
「どうしてそんなに焦って、いろいろ決めるんだろうな」
ビリィは、ギターケースを持ち上げる。
「俺が焦らせたのか?」
「そんなコトない」
「いや。僕のせいだ」
スピアを見る。
「急に来てさ。君との思い出まで壊しちまった」
「……」
「でも、この4年間ずっと君にキスしたかった」
「ビリィ」
「だから、止められなかったよ」
スピアは、少しうつむく。
「私も……誤解させるような態度を取ったわ」
「そんなコトないよ」
「でも」
「気にしないで」
ビリィが笑う。
「僕こそ、君に嫌な気分をさせたのなら謝る」
コレで、スピアは何も言えなくなる。
ビリィは、少しだけ迷ってから、言う。
「僕は君が」
「何なの?」
「ギターをしまい込んでるのを見て……」
言葉を探す。
「とても残念だった」
スピアは、黙る。
ビリィは、それ以上何も言わない。
背中を向ける。
荷物を持つ。
ギターケースを片手に、玄関へ向かう。
スピアは、黙って見送る。
ドアの前で、ビリィが振り返る。
「スピア」
「なに?」
「五反田に会いに来いよ」
スピアは、怒ったような顔で笑う。
「当たり前でしょ!絶対行く」
「最前列、取っとくよ」
「じゃあ」
スピアがビリィを指差す。
「下着を投げてあげるわ」
ビリィが固まる。
「……ホントに?」
「冗談よ」
「だよね」
2人とも目を伏せる。
「じゃあ」
ビリィがドアを開ける。
「さよなら」
「さよなら」
スピアは、決然と言う。
笑みを浮かべ外へ出るビリィ。
ドアが閉まる。
静かになった部屋。
スピアは、しばらくドアを見つめている。
そして、小さく息を吐く。
「……さよなら。ビリィ」
ソファの上には、ビリィが残していった
ギターのピックが1枚。
スピアは、それを拾う。
今度は、しまわない。
第4章 秋葉原の溜め息
秋葉原。ジェシとエアリの新居。
僕たちは、食卓を囲み引っ越しソバを食べている。
マデラが、新居の感想を興奮気味に話している。
「布張りされてるのね?バラのプリント生地で」
「どうでしょうか?」
ジェシは、真剣に尋ねる。
「ちょっと、どうかしら?」
「でも、お買い得品だったンです」
「ソレは、とても大事ね」
ジェシは、真顔で大きくうなずく。
エアリは、狭いコーナーに腰を下ろしている。
笑っている。
脳内では僕と対話中。
「嫌ょテリィたん。マデラに嘘をつくなんて」
「僕だって嫌だよ」
「真実を話しましょう。
マデラなら受け入れてくれるわ」
「当局に突き出されるぞ」
「マデラは、そんなことしないわ」
「でも、僕たちを疑ってる。
真実を話すのは危険過ぎる」
エアリは、黙る。
「でも、間違ってるわ」
「何がだょ?」
「私は、真実を話したいの」
今度は、僕が答えられない。
そのとき……
「どうしたの?」
マデラは、エアリを見ている。
「今、何か言いかけたでしょ?」
ジェシもエアリを見る。
エアリは、決心する。
「あのね」
「うん?」
「今から、テリィたんがずっとヒタ隠してた
ホントのコトを話すわ」
マデラは、身を乗り出す。
ジェシは、ピンと背筋を伸ばす。
「ティルのことよ」
マデラの顔から笑顔が消える。
「ティルに、テリィたんの赤ちゃんができたの」
沈黙。
「でも、ティルは出産前に秋葉原を出た」
エアリは、続ける。
「今どこかで、生んで育てているカモしれない」
マデラは、絶句する。
ジェシは、大きくうなずき、納得する。
「そうだったンですね」
そこは、驚くトコロだ。驚けょ!
「ウソでしょう……」
マデラがつぶやく。
エアリは続ける。
「ティルが消えた日、テリィたんは一晩中
ケッテンクラートを乗り回して……」
1拍置く。
「首都高から落としたの」
マデラの表情が変わる。
「……そうだったの」
エアリは、続ける。
「ショックだったのよ。きっと腹立ち紛れに……」
マデラは、しばらく何も言わない。
やがて、エアリの方を見る。
「ごめんなさい」
「え?」
「エアリ。貴女に根掘り葉掘り聞いて……
私が悪かったわ」
「うん。マデラが悪かった」
「そこ、即答?」
ジェシもエアリの肩に手を置く。
「私も悪かったわ」
再びマデラ。
「いろいろ聞いてごめんなさい。
そうだったの。ジェシまで巻き込んで
悪かったわ」
「あ。私は、大丈夫です」
ジェシは、ムダに胸を張る。
「夫婦は、こういうとき支え合うものなので」
「……ありがとう」
エアリは、ジェシを見る。
ホント、場違いに良き伴侶だ。
マデラは、深く息を吐く。
「それを知っていれば
貴女にあんなコトは言わなかった」
「マデラ……」
「ホントにごめんなさい」
マデラが頭を下げる。
「みんなを失望させたくなくて
テリィたんは言い出せなかったのよ」
「そりゃそうだわ」
大きくうなずくジェシ。
何処がそりゃそうナンだ?
「ありがと」
マデラが微笑む。
「ホントのコトを話してくれて」
エアリは、マデラを見る。
マデラもエアリを見る。
ウソは、通ったのか?
たぶん。
マデラは、納得して
食卓へ戻る。
「そういえばジェシ」
「はい」
「このバラのテーブルクロス、どう思う?」
「非常に良いと思います」
「ホントに?」
「はい。少なくとも、私の実家のカーテンよりは」
「比較対象が微妙ね」
みんなが笑う。
だが、エアリはマデラがテーブルの下で
そっと握る拳を見ている。
強く握られる拳。ほんの一瞬。
そしてマデラは、何事もなかったように笑う。
「さあ、引っ越しソバを食べましょう」
エアリは、何も言わない。
マデラも何も言わない。
大成功を収めた舞台を終えて
役者たちは胸を撫で下ろす。
少なくとも、その時は。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
その夜、遅く。
僕は、エアリに電話をする。
「マデラ、信じたみたいか?」
「信じてくれたと思う」
「ホントに?」
「うん。これで、とりあえず安心だわ」
僕は、ベッドに倒れ込む。
「ありがと、エアリ。恩にきるよ」
「どういたしまして」
「借りができたな」
「じゃあ、いつか返してね」
「できれば、現金以外で」
「何それ」
エアリが笑う。
「これで何もかも元に戻れたわ」
「そうだな」
僕も笑う。通話を切る。
長い1日が終わる。
僕たちは、首の皮1枚でマデラを騙し切る。
そう思って、眠りにつく。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋葉原。さらに深夜。
メイド協会。マデラのオフィス。
明かりはデスクの周りだけだ。
マデラは1人、ウイスキーを飲んでいる。
グラスを傾ける。
1口。
机の上には、結婚式の写真。
笑っているエアリ。隣にはジェシ。
幸せそうな2人。
マデラは、写真をしばらく眺めている。
そして、その写真を手に取る。
壁へ向かう。
そこには、秘密のボードがある。
写真。名前。日付。断片的な情報。
そして中央に、1つの文字。
"CONSPIRATOR(共犯者)"
マデラはエアリの写真を、その下に貼る。
カチッ。
ピンの音。マデラはもう1口、ウイスキーを飲む。
「一体、どうしちゃったの?」
誰もいない部屋で、静かにつぶやく。
「みんな」
写真の中のエアリは笑っている。
マデラも微笑む。
「そんなに揃って、同じウソをつくなんて」
グラスを机に置く。
「……不思議ね」
窓の外では、電気街のネオンが
神田リバーの川面に揺れる。
その夜。
僕たちは、安心して眠っている。
マデラ以外は。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜のパーツ通り。
街灯が、一定の間隔で並ぶ。
スピアはテーブルに腰掛け、ベンチに片足を乗せている。
メイド服のまま、黙って夜を見ている。
そこへ、花束を抱えたマリレが歩いて来る。
彼女もメイド服だ。
「貴女が話があるって、私を呼び出す時は
大抵文句だから」
スピアが振り返る。
「先に花を買って来たわ」
「何よ、それ」
スピアは、花束を見る。
「でも、ありがと」
「ビリィは?」
「出て行ったわ」
マリレが小さくうなずく。
「よかった」
スピアの隣に腰を下ろす。
「安心した?」
「ほっとしたわ。で、話って何?」
スピアは、答えない。
ただ、マリレをじっと見つめる。
「……何?」
「別れたいの」
マリレの顔から、表情が消える。
しばらく何も言えない。
「貴女を、どれだけ愛しているか」
マリレがスピアを見る。
「私は、貴女を愛し過ぎているの」
「……」
「私が貴女をどんなに好きか、知らないでしょ」
「話が見えないわ」
「それは私の方」
スピアは、夜空を見る。
「私は今、迷子なの」
「迷子?」
「貴女は私に、わからせようとしてくれてた」
「何を?」
「何もかもよ」
スピアは、笑う。
「時空漂流者騒ぎとか。世界線とか。
何度も命を狙われたり、車が萌えたり」
「楽しいコトだってあったでしょ?」
「もちろん」
少し間が空く。
「楽しかった」
「じゃあ、どうして?」
「でも私は、いつも自分を殺していた」
マリレは、黙る。
「貴女といるために」
「……」
「貴女を失わないために」
スピアの声が少し震える。
「だから、自分が何をしたいのか
だんだんわからなくなった」
「なぜ別れたいの?」
「ホントの自分を取り戻したいのよ」
マリレは、スピアを見る。
「この3年間」
スピアは、ゆっくりと言う。
「貴女が付き合っていた
スピアっていうメイドさんは」
1度、言葉を止める。
「私じゃなかった」
「何を言ってるの?」
「私じゃなかったの」
風が吹く。
街灯の下で、2人のメイド服がわずかに揺れる。
マリレがうなずく。
「人は変わるわ」
スピアは、うなずく。
「YES」
そして、静かに続ける。
「変わるのよ」
マリレが顔を上げる。
「これで、終わりなの?」
「……うん」
「いつか戻って来てくれる?」
スピアは、答えられない。
「わからない」
その言葉だけを残して、スピアは立ち上がる。
手にしていた花束をマリレに返す。
「これは、貴女が持っていて」
「スピア……」
スピアは、振り返らない。
パーツ通りの闇の中へ歩いて逝く。
街灯から街灯へ。
少しずつ、その姿が小さくなる。
マリレは1人、ベンチに残される。
手の中の花束を見る。
その瞬間。
花びらが、黒く変わる。
1輪。また1輪。
白い花も、赤い花も、すべて黒く染まって逝く。
そして、ゆっくりと萎れて逝く。
マリレは、何も言わない。
ただ、遠去かるメイド服の背中を見つめている。
その夜からだ。
秋葉原で、時々聞こえるようになったと逝う。
誰かが失恋したとき。
誰かが夢を捨てたとき。
誰かが、自分の人生を選び直したとき。
パーツ通りの何処からか聞こえてくる溜め息。
誰が呼んだのか。
いつからそう呼ばれたのか。
誰も知らない。
ただ、ヲタクたちはそれを……
"秋葉原の溜め息"
と呼ぶ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夜の秋葉原。
パーツ通りの街灯が、ひとつずつ灯っていく。
小さなライブハウスのステージ。
スピアはギターを抱えている。
アレクから受け取ったギター。
以前は、弾くことさえ出来なかった。
今は違う。スピアは1度、深く息を吸う。
そして歌う。
♪ 私は息をする
その1息から、歌は始まる。
♪ 私は夜の縁で生きている
ステージの向こうには、裏アキバの夜が広がる。
雑居ビルの谷間。ネオン。終電を待つヲタク。
誰かの人生の、すぐ隣。
スピアは、その夜の縁に立っている。
♪ いつ別れが来るかも知らず
歌った瞬間、マリレの顔が浮かぶ。
雨の中、子犬のように立っていたマリレ。
♪ でも貴女と一緒にいると
自分の言葉で話せない
スピアの指は、一瞬だけ弦の上で止まる。
けれど、決して止めない。
言葉を飲み込むための歌ではないから。
言葉を取り戻すための歌だったから。
窓の外。エアリがその歌を聞いている。
妖精である彼女は、数え切れないほどの
世界線を知っている。
ただ、今宵のスピアの声だけは
1本の世界線のように真っ直ぐ届いている。
♪ 夢が近づくと
貴女は離れていく
脳裏に、アレクのギターが浮かぶ。
しまい込んでいたギター。
歌いたかった夢。
そして、その夢を口にするたび
少しずつ遠去かって逝ったマリレ。
夢に近づくことが誰かと離れることと
いつの間にか同じ意味になるなんて。
♪ だから私は1人で待つ。
物語は終わりよ
マデラのオフィス。
1人、デスクに座るマデラ。
ウイスキーを1口飲む。
机の上には写真。
壁には名前。
スピアの写真もある。
マデラは、その写真を見る。
そして、何も言わず次のページをめくる。
♪ 世界線は
リア充の手から滑り落ちて逝く
窓の外では、雨が降っている。
僕は、その雨を見ている。
あの日、誰かと誰かが出会い。
別の日には、誰かと誰かが別れる。
世界線は、そういう小さな出来事から
勝手に枝分かれして続いて逝く。
僕は、少しだけ考える。
そして、考えるのをやめる。
この世界線は、まだ終わらない。
それは、大いなる安心であり
少しの残念でもある。
♪ 世界線は
リア充の手から全て滑り落ちて逝く
スピアは目を閉じる。
別の記憶。
コスプレ盆踊り大会。
人混みの向こうに、マリレがいる。
マリレも、スピアを見つける。
2人は笑う。音楽が鳴り、2人は踊る。
世界線なんてどうでも良い。
ただ、同じ音楽に合わせて踊れれば
それで良い。あの頃は。
スピアはギターを抱え直す。
♪ でも、それをわかろうとしなくて良いわ
マリレの気持ちを全て理解することも。
自分の気持ちを全て説明することも。
もう、しなくて良い。
♪ もっと前に
貴女に言っておくべきだった
ステージの上。
スピアは初めて客席を真っ直ぐに見る。
誰も彼女を止めない。
誰も彼女の代わりに決めない。
だから最後に、自分で言う。
♪ 私は秋葉原で呼吸をしたいの
スピアは、もう1度息を吸う。
今度は、誰かのためではない。
歌うために。
生きるために。
秋葉原の夜を、自分の肺に入れるために。
1拍置く。
♪ お一人様で
歌が終わる。
静寂。
誰も、すぐには拍手しない。
スピアは顔を上げたまま、ただ息をする。
やがて、1人が拍手する。
もう1人。
また1人。
秋葉原の夜に、少しずつ拍手が広がる。
スピアは、笑わない。
ただ、ギターを抱えたまま
もう1度だけ息をする。
その歌をヲタクたちは、こう呼ぶ。
"秋葉原の溜め息"
世界線は、今日もどこかで
限りない分岐を繰り返す。
誰かが出会い。
誰かが別れ。
誰かが夢を拾う。
そして秋葉原では
今宵も1人の歌姫が歌っている。
誰かの物語ではなく。
自分の物語を。
お一人様で。
おしまい
今回は、海外ドラマによく登場する"初キスの相手"をテーマに、王道ラブコメ路線を踏襲しながら最後はシリアスに終えてみました。
海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、すっかり秋の長雨が続き、灰色の街と化した秋葉原に当てはめて展開してみました。
秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。




