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至彼岸

作者: 十夢
掲載日:2026/03/20

春分の日

 今日は春分の日。それは、春の彼岸の中日でもあります。

 そもそも『お彼岸』とは、なんでしょう?

この理由を知ってこの行事を為す人は少ないのではないでしょうか?かく言う自分もその由来を知らずに毎年のこととして行って来たのです。そのような中、今年は折り良く『寺報』が目に留まりました。

 さて、この『寺報』を頼りにすると『お彼岸』とは、年に2回行われる日本独自の伝統行事のようです。この行事の起源は平安時代までさかのぼります。今より1200年前、桓武天皇が亡き弟のため、春分・秋分の日を中日とした7日間に全国の国分寺と国分尼寺で読経・供養を行うように命じたことが始まりと言われています。

春分の日

 今日は春分の日。それは、春の彼岸の中日でもあります。

 そもそも『お彼岸』とは、なんでしょう?

この理由を知ってこの行事を為す人は少ないのではないでしょうか?かく言う自分もその由来を知らずに毎年のこととして行って来たのです。そのような中、今年は折り良く『寺報』が目に留まりました。

 さて、この『寺報』を頼りにすると『お彼岸』とは、年に2回行われる日本独自の伝統行事のようです。この行事の起源は平安時代までさかのぼります。今より1200年前、桓武天皇が亡き弟のため、春分・秋分の日を中日とした7日間に全国の国分寺と国分尼寺で読経・供養を行うように命じたことが始まりと言われています。



どうしてお墓参りをするんだろう?

 何も分からずに子供の頃からお墓参りをする日々でした。その中で、どうしてお墓参りをするんだろう?などと想いもせずに、ただ、これは大切なことなのだと続けた日々です。それがようやく、今年になって、その「どうして?」に至ることになりました。

 日本には伝統として、または、習慣としてお墓参りという行事が続いていますね。死んだらどうなるのか?とか、死後のことは?など、到底、誰にも教えられないはずであっても、その行事は存在します……。これは、一体、どういうことなのでしょうか?人間の死生観の話なのでしょうか?


さて、極楽浄土には行けるの?

 手元に届いた『寺報』には、極楽浄土と書いてあります。さて、それでは、極楽浄土とは如何に……?きっと、どこかの誰かは疑問に想う筈でしょう……?

 ところで、自分は、この手の話を疑うということはありませんでした。「ある」と言われるのだからそれは「ある」のだろう……という具合でした。ただし、それが正しく「ある」ためには、”普通”には「ない」のでしょう……?と、想うのでした。


彼岸はどこにある?

 ここを「此岸」と言うのなら、ここから「彼岸」に至ると言う……。ところが、この「彼岸」が分からない。ここが悩みの種なのですが……。人は、「そこ」が分かるのなら「行く」はずでしょう?誰だって、そう。分かるなら行くでしょう。行かないのは、きっと「そこ」が分からないから。分からないところへは、誰だって行けるはずがない……。そんな時に、あれよ、これよ、と指し示してくれるのが、先人からのありがたい言葉だったりするのでしょう。

 『寺報』が伝えたのは経典のお話でした。それは、経典の説かれるところには、ここではあり得ない場所(境地)があるのだと言うことを……。人が願うその境地は、どこなのか?それが仏の境地なら、「そこ」に行くでしょうと。それを正しく説き明かすのが経典の偉大なるところであると。


至彼岸

 人が彼岸に至るには、正しくその境地を心に起こすことでしょう。『発願』という言葉が用いられるのもこのことかと存じます。

 人の心が『仏の心』を正しく起こす……?はて、なんのこっちゃ?と普通は、想うことでしょう?人の世に居て、そんなことがあるのでしょうか?と……。そう、信じられないことの方が、きっと素直な心意気なのでしょう。それでも、この世に生まれてそれを信じた人たちが居らしたのです……。そのことを経典の言葉たちは伝えているのでしょう。このように書くと信じる人は信じて、信じない人は信じない……。そうして人の道は別れて行くのでしょう。


死んだらどうなるの?死後の世界?

 どうしたって誰も答えられない問いがある……。そうだとしたら、それは、どうなのでしょう?

 そんな時は、自分で確かめるより他はないでしょう。「死んだらどうなるの?」。「死後の世界?」。これらだって、自分で確かめるより他はないでしょう。では、どうやって確かめるのでしょうか?それは、自分を信じることでしょう。その中からでしか通用しない答え……。多くの人は、無関心だからこの事には自信を持たない……。あっても、なくっても、どうでもよい、無関係なことにするから……。その生き方も確かに一つの人生でしょう……。それでも、真面目に答えようとする人は、それを確かめようとする。

 さて、ここで、自分は、どの説を取っても良い事にするでしょう。ある人は、無いと言うし、ある人は有ると言う。有ると言う人は、その事細かなところまで話せるだろうし、話すでしょう。無いと言う人は、それが無い根拠をシンプルに話すでしょう。

 ただ、死後の世界が有っても、無くっても、人の想いは消えてなくなったりはしていないでしょう。自分は、これだけは、この世に生きる人たちには分かって居て欲しいと願います。人の想いが死後を作り、この世を作り、作り出された世界観で生きる時、それを邪魔して許される者はどこにも居ないはずなのです。それが生きた立場であれ、死んだ立場であれ、どの立場からで在っても、その存在毎の尊厳は守られなければならない。それは、死後であろうと生前であろうとその立場は変わらないはずなのです。

 だから、お墓参りを大事に想う人の気持ちは大切に守られなければならないし。死後を想う人の気持ちは守られなければならない。死んだ後も生きる世の人たちを想う人の念いは守られなければならない。誰も軽んじられては生きられないのです。それがこの世界の真理・真実だから……。それは、悲しませない事なのです。それだけに従い生きるなら、そこはいつでも大団円。極楽浄土をそこかしこに見る境地に在るでしょう。


極楽浄土に生きるのは?

 極楽浄土に生きるのは、一体誰になるのだろう?そんなことは、神や仏にもご存じはないと……。でも、そこに確かに導けるのは、あなた一人。いま、今を生きているあなただけが、あなたを導き行ける時……。

 あなたの極楽は見えていますか?

 心がそれを知って、あなたはそこへ行くでしょう。

 南無阿弥陀仏

 そして、それは、正しく南無仏


 ”彼方アナタ”は「あなた」という「御仏」に帰依した……その後です

極楽浄土に生きるのは?

 極楽浄土に生きるのは、一体誰になるのだろう?そんなことは、神や仏にもご存じはないと……。でも、そこに確かに導けるのは、あなた一人。いま、今を生きているあなただけが、あなたを導き行ける時……。

 あなたの極楽は見えていますか?

 心がそれを知って、あなたはそこへ行くでしょう。

 南無阿弥陀仏

 そして、それは、正しく南無仏


 ”彼方アナタ”は「あなた」という「御仏」に帰依した……その後です

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