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正義の怪物 ―SNS炎上の観察記―  作者: 都桜ゆう


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第5章 飲み込まれる

 神の部屋は、異様な静寂と、相反するような視覚的狂騒に包まれていた。

 スマートフォンの通知音は、もはや途切れることのない一つの不協和音と化し、耳の奥を金だわしで擦るような不快感を刻み続けている。


 電源を切ろうとしても、再起動を繰り返す画面は彼の操作を受け付けない。まるでデバイスそのものが、神の支配を離れ、ネットの意志に従う独立した臓器になったかのようだった。


「……消えない。なんで、消えないんだ……!」


 神は床にうずくまり、明滅する画面を見つめていた。

 青白い光が、神の顔を不気味に、そして冷酷に照らし出す。その光の下で、彼の顔は土気色に沈み、生気を失っていた。


 画面の中では、無数の文字が猛烈な勢いで、上から下へと流れ去っていく。

 そこに並んでいるのは、彼がかつて、誰かを追い詰めるために磨き上げてきた刃と同じ言葉たちだった。


『神最低』


『神やばい』


『神って前からこうだよね』


 不思議な感覚だった。

 自分が誰かに投げつけたはずの言葉が、時間を超え、質量を持って自分に返ってくる。かつての自分が、今の自分を切り刻んでいる。それは因果応報というスッキリしたものではなく、もっと機械的で、無慈悲な構造の帰結だった。


 一度動き出した炎上のシステムは、燃料が尽きるまで止まらない。そして今、最大の燃料は神という存在そのものだった。

 神の視界の中で、ふいにスマートフォンの液晶が歪んだ。

 整然と並んでいたはずの文字が、互いの輪郭を溶かし合い、うごめき始める。


(……ああ、これだ)


 サナが恐怖した、あの現象。

 画面を埋め尽くす神という文字の羅列が、重なり、ねじれ、巨大な渦を巻いていく。それは黒い海に現れた大穴のようでもあり、すべてを咀嚼する巨大な生き物の口のようでもあった。

 その口は、もはや比喩ではなかった。


 少なくとも神の瞳には、文字の一字一字が鋭い牙に見え、行の間にある空白が、底知れない胃袋の暗闇に見えた。


「助けて……ごめんなさい、私が悪かったです……」


 神は、自分がサナに強いたのと同じ、無意味な謝罪を口にした。

 けれど、その声がネットの海に届くことはない。群衆が求めているのは反省ではなく、標的が完膚なきまでに破壊される結末だけなのだから。


 神の意識が、遠のいていく。

 画面の黒がどんどん深く、濃くなり、部屋の壁も、天井も、神自身の境界線さえも飲み込んでいくように感じられた。


 彼は、自分が自分という個体ではなく、ネット上の叩かれるべきデータの一つへと分解されていく感覚に襲われた。


 やがて。


 狂ったように震えていたスマートフォンが、ふっと、長い溜息を吐くように沈黙した。

 熱を持っていた本体が急速に冷えていく。

 ……。



 翌朝。

 ネットの海には、また新しい悪が発見され、新しい火がつけられていた。

 昨夜まであれほど激しく燃え盛っていた神の名前は、新しい刺激に飢えた群衆によって、あっさりと隅の方へと押しやられていた。


 サナは、久しぶりに開けたカーテンから差し込む朝日を浴びていた。

 アカウントは削除した。机の上のイラストも、もうそこにはない。

 手元に残ったのは、ただの静かな、何も映らない黒い画面だけだった。


 一方で、神のアカウントだった場所には、今も静かに残骸が漂っている。

 彼が最後に必死に書き込んだ弁明の投稿。その下には、延々と続く引用の連鎖が残されていた。


『この人、自分で火をつけて自分で燃えたんだね(笑)』


『自業自得。一生消えないよ、これ』


 画面の中は、死んだように静かだった。

 ただ、彼がかつて誰かを攻撃するために書いた「死ねばいいのに」という一行だけが、コピーされ、ペーストされ、誰かの正義を飾るための引用として、今この瞬間もネットの暗がりのどこかで、延々と増殖し続けていた。


 構造は止まらない。

 次に誰が火をつける人になり、誰が飲み込まれる人になるのか。

 それは、次にスマートフォンを光らせる、あなたの指先次第なのかもしれなかった。



(C),2026 都桜ゆう(Yuu Sakura).


【あとがき】

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

スマートフォン一つで世界と繋がれる現代。画面の向こう側にいるのは「誰か」ではなく、無数の「私」たちの集合体なのかもしれません。

この物語が、読んでくださった皆様の心に、小さな火種として残れば幸いです。


もし少しでも「怖い」「考えさせられた」と感じていただけましたら、感想やブックマークなどで応援していただけると、執筆の励みになります。

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