「お前の声は耳障りだ」と追放された聖女ですが、この街を魔物から守っていたのは私の『鼻歌』だと気付いてももう遅いです。
「――セレナ・ド・リュミエール、その耳障りな声を今すぐ慎め。聞いているだけで頭が割れそうだ」
石造りの大聖堂。ステンドグラスから差し込む冷ややかな光の中で、我が国の次期国王たる王太子、ジュリアンが忌々しそうに耳を塞いだ。その傍らには、本来ならば王城の最深部であるこの場所に立ち入る資格さえないはずの男爵令嬢、ミラが寄り添っている。
「ジュリアン様、そんなに強くおっしゃらなくても……。セレナ様の歌声は、その、少々……個性的すぎるだけですわ。私のようなか弱い耳には、刺激が強すぎるのかもしれませんけれど」
守ってやりたくなるような儚げな表情。だが、その瞳の奥には勝ち誇ったような光が宿っている。
個性的、か。私はただ、代々の聖女に伝わる『祈りの旋律』を口ずさんでいただけだ。この国を覆う大結界を維持するため、一日に一度、この大聖堂で喉を震わせる。それが、王家と聖女が結んできた数千年の盟約だった。
「この女の厚かましい声のせいで、ミラの『しおらしい愛』が霞んでしまう。セレナ、貴様との婚約はこの瞬間を以て破棄する。聖女の座も剥奪だ。今すぐ、この国から出て行け!」
「……それほどまでに不快でしたか? この『響き』が止まれば、国を護る調律が失われます。それでも?」
「ふん、脅しのつもりか! 結界など魔導具で代用すればいい。お前の代わりなどいくらでもいるのだ。二度とその不快な雑音をこの国の風に乗せるな!」
静かに一礼した。幼い頃から、喉が潰れるほどの研鑽を積んできた『祈り』を、私はその場でぴたりと止めた。
「承知いたしました。お望み通り――私の旋律は、二度とこの国の空気を震わせないようにいたしましょう」
最低限の荷物と、母から受け継いだ銀の竪琴だけを手に、夕闇が街の輪郭を塗りつぶす前に国境を越えた。
半年後。
私は、隣国にある「静寂の森」の王、ライナルト陛下の元で穏やかな余生を送るつもりでいた。けれど、陛下は初めて私の声を聞いた瞬間、その場に跪き、まるで聖遺物に触れるかのように私の手を取ったのだ。
「セレナ、森の精霊たちが歓喜に震えている。君の声は、この国の命そのものだ。どうか、この地でその調べを奏で続けてはくれないか」
「……あちらでは『騒音』だと忌み嫌われておりましたのに。陛下のように、私の音を正しく拾い上げてくださる方がいるなんて」
精霊の加護が満ちるテラス。私が陛下のために、ただ穏やかな日常を願ってハミングを重ねるだけで、世界はどこまでも美しく透き通っていく。
そんな穏やかな充足を切り裂くように、国境の向こうから「崩壊の余韻」が伝わってきた。
ジュリアンとミラの結婚式。愛の誓いを交わすはずだったその日、王都を包んでいた空気そのものが、悲鳴を上げて弾け飛んだのだという。
聖女の調律を失った結界は、砂の城のように脆く崩れ去った。空を覆うのは魔物の咆哮と、逃げ惑う人々の絶叫。かつて私が整えていた清浄な静寂は、今や耳を刺し貫く地獄の騒乱へと変貌していた。
そんな惨状の中から、一匹の這いずる獣のような男が、私の離宮へと辿り着いた。泥と返り血にまみれ、かつての威厳を塵に帰したジュリアンだった。
「セレナ……、頼む、一音でいい、何か発してくれ! 王都が、あの不快な『ノイズ』に呑み込まれていくんだ! 私の耳も、民の精神も、もう限界だ……! 頼む、お前の歌で上書きしてくれ!」
ジュリアンの声は、もはや人の言葉としての体をなしていない。擦れた金属のような、聞くに堪えない雑音だ。ミラという女も、結界が崩壊し、彼の声が「不快な音」に変わった途端、耳を塞いで他国の貴族の元へ走ったという。
私は、ライナルト陛下に肩を抱かれ、冷ややかに彼を見下ろした。そして、そっと自分の首を掌で覆う。
「……残念ですが、ジュリアン様。貴方様が『反吐が出る』と拒絶したその瞬間に、喉から、あの国に捧げるための音が欠け落ちてしまいましたの」
私は、彼との会話を一方的に打ち切り、二度と振り返ることなく背を向けた。
今の私から溢れる調べは、この美しい静寂と、私を『音』として愛してくれる陛下のためだけのもの。泥濘のような騒音にまみれた過去へ届く音など、私の内側には――もう、一音たりとも響いてはいない。
「さようなら。どうぞ、お望み通り『しおらしい』沈黙の果てに、その雑音に抱かれて眠りなさい」
背後で、言葉にならない、そして誰にも理解されることのない「ノイズ」が虚しく響いた。だがそれも、私の耳を汚す前に、清らかな精霊の風が遠くへ押し流していった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
「耳障りだ」と言って聖女の声を捨てた王子が、最後には誰にも言葉が届かない「雑音の主」に成り下がる……という皮肉を込めて執筆しました。セレナには、新しい国で陛下と共に、穏やかで美しい旋律に包まれた人生を歩んでほしいと願っています。
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