第5話 図書館の“記憶使い”
「墓くん、お疲れ。なんか今日はいつもより暗い顔をしてるね」
「お疲れ様です、海川さん。単さんはもう来てますか?」
「モチのロンだよ。ボスは朝から来ていたね」
ボスとは単千尋のことである。
春野との剣道勝負が終わり、墓石優一は、渋津野図書館に来ていた。
時間は午後八時を過ぎており、すでに閉館していた。
──とは言え、営業時間の午前九時から午後七時の間も、人はほとんど訪れない。
なぜなら、この図書館は個人が経営している私立図書館なのである。そのため、入場料及び貸出が有料であるため、図書館で本を読みたい人は、基本的に市が運営する公共図書館を利用しているのだ。そちらは無料で利用できるのだから。
渋津野図書館は、個人が経営しているため、何か公共の図書館よりも秀でたものがあるのか、と問われるとそんなことはない──中身はその辺にある図書館となんら変わらないのである。
ではなぜ、墓石達はこの図書館にいるのだろうか。
この図書館にはほとんど訪れない(ほとんどというか、ほぼ毎日来客はゼロ人。たまに、本好きな人が珍しい本でも置いてないか、と期待して訪れるが、大抵は何の収穫も無く、肩を落として帰っていく)。
来館者がほとんどいない。単千尋はそこに目をつけ、この図書館を当面の隠れ蓑にするために、ここの運営者に話をつけ、しばらくここに寝泊まりさせてもらっている。
運営者に高額のポケットマネーを払って。
さすがは国家公務員だ。金には余裕があるのだろうか。
そして、単がここを宿にするのと時を同じくして、単の部下にして、“記憶使い”である海川 農里もここに寝泊まりしている。というより、ここの職員として雇ってもらっているらしい。──しかも無給で。
「墓くん、そう言えば、直ちゃんは元気?」
直ちゃん、墓石の妹の名前である。
「はい、元気に学校行ってます。──それにしても、海川さんも大変ですね。ボスに付き合わされちゃって」
「まあね。でも、今回はボスの命がかかってるからね。俺も単さんには色々お世話になってるから、微力ながら協力させてもらってるよ。俺よりも墓くんのほうが大変でしょ?密国庁お抱えの”四大人災”と戦うことになっちゃってさ」
「ええ、まあ」
「辛くなったら、俺に言いなね。持ち場であるこの図書館は離れられないけどさ。墓くんが辛い時は、少しでもサポートさせてもらうよ」
「ありがとうございます」
なんて良い人なんだろう。
ああ──この人と喋ってる時が一番落ち着くな。
“墓くん”って、気さくにニックネーム的なもので呼んでくれるのもいい。
恐らく、墓石が単に協力するようになってから知り合った人物の中で、海川が一番まともな人物だろう。
墓石の海川農里に対する印象は、いわゆる“普通の人”。
海川農里のプロフィール。身長173cm。中肉中背。黒髪短髪。顔もイケメンでも不細工でもないいわゆるフツメン。
趣味や特技も特筆して無いらしい。
性格も普通。
しかし、今の墓石にとっては、その《《普通の人》》ということが、たまらなく癒しになっていた。
密国庁の他の連中とくれば……
単千尋⇒自分勝手、わがまま、マイペース、“探し使い”。
大澄衛時⇒何を考えているか分からない、他人に無関心、冷たい、“観測使い”。
春野由良⇒運動、勉強、共にパーフェクトの完璧超人、墓石を殺そうとしている、“自信使い”。
そんな中、現れた普通の人───海川農里、優しく、人を気遣える、いい人、“記憶使い”。
今、墓石は海川の“記憶使い”の能力で、記憶の消去及び再生を操作されている。
春野に敗れた後、午後7時になると、強制的に記憶が《《再生》》される──忘れさせられた記憶を思い出されるようになっている。
再生される記憶は“単千尋は、渋津野図書館にいる。そして、墓石優一は午後8時以降にそこに向かう”である。
墓石は春野に敗北しすると、毎回この図書館に足を運び、《《準備》》を進めていたのである。
その準備とは───、春野由良を倒すための準備である。
「それにしても、毎回慣れませんね。記憶が急に蘇る感覚───思い出す直前まで、全く思い出せないのが不思議です」
「そういう能力だからね。でもそのおかげで春野さんに、ボスの居場所が探られなくて済んでるでしょ?」
確かに、もし覚えていたら、咄嗟に喋ってしまうことがあるかもしれない。
この“日中は墓石の記憶を一時的に消去しておく”というのは、単の発案した作戦である。
この作戦の意図はそれだけではない──
「しかもこうして、墓くんが春野さんを倒すために特訓していることも隠せるからね」
春野の能力は、まだ完全には理解できていないが、春野が“自信”を持って行動したら、それは実現してしまう。
俺が何かを隠していることが悟られてしまったら、その“自信”を持って暴こうとしたら、こちらの秘策は暴かれていたことだろう。
それも今日まで────
二人は誰もいない図書館の中を進んでいく。
図書館のオーナーも日中しかおらず、閉館とともに帰宅してしまうので、今この図書館の中には、墓石と海川と単の三人しかいない。
長い廊下を、海川と二人で歩いていくと、突き当たりに部屋の扉が見えた。扉の隙間からは光が漏れている。廊下が薄暗いため、遠めでもよく分かる。
部屋の前まで行くと、海川がコンコンと扉をノックした。
「墓くん、来ましたよ」
すると、扉の向こう側から、──ああ、入ってくれ、という聞き慣れた声が聞こえた。
海川は片手を上げ、「じゃあ、墓くん、俺はこれであがるね。今日も特訓頑張って」───そう言った後、海川はもと来た廊下を戻っていく。
墓石は、離れていく海川の背に一礼すると、突き当たりの扉に入っていった。
まず、入ってすぐに、図書館には絶対置いてはいないだろう《《もの》》が目に飛び込んでくる。
卓球台だ。
その傍らに、全身卓球のユニフォームに身を包む長身の女性が立っている。いつもは腰のあたりまで垂れている長い黒髪も、今は丁寧に纏められている。
その片手には卓球のラケット(シェイクハンドと呼ばれるもの)が握られており、もう片方の手には、ボールが握られている。
「こんばんは、墓石くん。今日もしっかり《《負けて》》きたんだろうね?」
「こんばんは、単さん。しっかり負けてきました。あんたとの約束どおり、今日で通算《《十八連敗》》になります。それで、明日はいよいよ卓球で勝負することになりました」
「知ってるよ、大澄くんから報告を受けているからね。ということは──」
「──ここまでは《《計画どおり》》だね」
「そうですね。いよいよ正念場……明日は負けられないですね。卓球で勝てなければ後は無いと思ってます」
「元よりそのつもりだよ。──では、今日もやろうか。秘密の特訓を!」
「よろしくお願いします」
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時を同じくして──
「定例報告です」
春野は借りているアパートの一室で何者かに電話をかけている。
「──はい。──はい。いつものように“三十本勝負”を仕掛けました。今日で十八勝目になります──まさか──当然、墓石優一には、一度も負けてませんよ。──はい。──はい。」
電話の相手は密国庁 秩序維持課の春野の上司にあたる人物のようだ。
「──墓石優一の自慢の“剣道”でも勝ちましたので、もう彼には勝ちの目のある種目は無いはずです。わたしの調査では、墓石優一の一番の特技は“剣道”ですので──、残りは消化試合です」
勝利を確信している春野は余裕の笑みをこぼしていた。もうここから大逆転はあり得ないと言わんばかりに。
「──ええ、ですので、もう墓石の心は折れているはずです。明日にでもわたしに屈服して、単千尋の居場所を教えてくれるはずですよ。もう彼の心に“自信”は欠片も残ってませんよ」
「──“自信”を失い、屈服した人間は、後は“自信”に満ちた者の言いなりになるしかありません。煮るなり焼くなりお好きなようにという感じですね」
春野がちらっと時計に目をやると時間は午後十一時をまわっていた。
「───単を見つけて《《殺す》》ことができたら、心の折れた墓石優一には、自害でもしてもらいましょう。その頃には、わたしに抵抗する気力なんて、全く無くなってるはずですから。──ふふっ、明日が楽しみです」
「そう言えば──わたしがこの任務を無事遂行したあかつきには、昇進の件、考えていただけますか? わたしにとって、四大人災の《《他の三人》》と同格でいることが、とても耐えられないことなので─」
“四大人災 春夏秋冬”──誰が名付けたのか、ダサくてしょうがない。早く脱退したいものだわ。
「──ええ、よろしくお願いしますね。──村雨課長。では、明日またご連絡いたします」
おやすみなさい──と、一言付け加えて電話を切った。
あの単千尋を始末できれば、任務達成に加えて、目の上のたんこぶも排除できる。まさに一石二鳥。
単千尋は出世する上で大きな障害となってるからね。
墓石優一──ひとつの都市の秩序を《《破壊》》した実績があると聞いていたが、実際に戦ったあの男は、大したことのないそこら辺にいる雑魚男だったわね。
さて──定例報告も終わったことだし、後はお風呂に入って、ストレッチとお肌の手入れをしたら──
最後の詰めね。
ひととおりのルーティンを終えると、春野は外出する服装に着替えた後に、瀬海市の体育館に向かった。
瀬海市中央体育館──約三千人を収容できる巨大な体育館で、スポーツの大きな大会があると、決まって開催場所となる県内でも有数の体育館だ。
また、近くにある瀬海アリーナは、さらに大きく、収容人数1万人、有名な歌手やバンドが、そこでよくライブを開催している。アリーナの上部は開閉式となっており、解放感のある空間を作り出せる。
時間は午後十一時をまわっているというのに、体育館内には電気が点けられており、大勢の人の気配があった。
春野が体育館に入ると、中にはすでに数名の男女が来ていた。
一番広いアリーナには一面に卓球台が敷き詰められている。これから大会でも行われるのか──というほどに。
ユニフォームに身を包んだ春野が体育館に入ると、そこにいた全員が春野に注目する。
全員険しい目で春野を睨みつけている。
春野は体育館の中央まで歩くと、大きな声で全員に呼びかけた。
「今日はわたしのために集まってくれてありがとう。全国の卓球プレーヤー達のみなさん。これから六時間──わたしと試合をしてもらいます。ではさっそく、奥の台から世界ランク順に並んでください」
どうやら体育館に詰めているのは、全国屈指の卓球プレーヤーばかりだった。
世界ランクに名を連ねる者も数名いる。
それらの人物達は、春野によって強制的に集められたのだ。
春野の練習台となるために。
「──お嬢ちゃんよ、急に拉致って日本に連れて来て、『わたしと卓球をやれ』だと? ふざけてんのか!?」
と、中国人選手が叫ぶと、続けてフランス人らしき女性も叫ぶ。
「そうよ、わたし達を自分達の国に返してよ!」
「俺達に何をやらせる気だ!」
「警察に突き出してやるからな!」
堰を切ったかのように、他の選手達も口々に叫ぶ。
それも当然だ。本人達の意思に反して連れてこられているのだから。
体育館の中には、強制的に連れてこられた卓球選手達の他に、黒いスーツを来た人間が数名いた。
彼らは春野と同じく密国庁の人間で、裏方の仕事をしている者達だった。彼らは卓球選手達を取り囲むようにして立っていた。皆黙って選手達を見つめる。
すると────
「黙れ!!!!!」
春野が叫ぶと場が静まり返った。
日本語で叫んだが、言葉の意味は全ての選手達に伝わった。
「わたしと卓球で試合してくれれば、元いた場所に返してあげます。もちろん、わたしの練習に付き合っていただいた方には、満足する形で報酬も払いましょう」
各国の選手の傍らに立っている通訳の人間が春野の言葉を選手の分かる言葉にして伝える。
ちなみに、その通訳も春野が手配した人達だ。
「ふざけるな! こっちは明日の朝から、試合なんだぞ! このままでは寝る時間が無くなってしまう!」
「そういった方はお帰りいただいて、結構です。自家用ジェット機でも手配しますよ」
「──何だよ、意外と良心的じゃねーかよ。帰してくれるなら、帰してもらおうか」
「────ですが」
春野の声で、再び静寂が訪れる。
「──あなた達は、各国の実力のある“卓球プレーヤー”達だ。当然、わたしなんぞ素人なんて、ものの数分で勝ててしまう。でも……もし……わたしに勝てる“自信”が無いのでしたら、試合することはお勧めしません。負けて、さらに“自信”を無くしてしまうのだから──」
「なに!? 誰がお前みたいな小娘に負けること恐れているって?」
中国人選手の1人が、怒りの形相で、春野に詰め寄る。
「てめぇ……台につけ! プロの技を見せてやるよ!」
先程まで抵抗していた中国の選手が自らの意思で台の前に移動する。その様子を見て、
「やあっとやる気になってくれましたか! そうこなくっちゃ! 他の人も帰りたい方は止めません! お好きなようにしてくださーい──」
「──わたしに勝つ“自信”がある方だけ残ってくださいね」
────揺らす──
──揺らす──
人の心を揺らす──
その付け加えた一言で、全員のやる気を掻き立てる。
春野の煽りで火がついてしまったのか、他の選手達も試合の準備を始めだした。
プライドをくすぐり、自尊心を再認識させる。
春野は“自信”を振りかざして、この場を征圧した。
その後、すぐさま帰る者は1人も出ず、朝まで春野と練習していった。
この時、体育館の中の“秩序”は春野由良によって作られていた。
────そして、日をまたぎ、次の日の朝となる。
決戦の日だ。
この日をもって墓石優一と春野由良の勝負は決着を迎えるのである。
続く




