第18話 水族館の蛙
墓石と鶴田がデートした次の日
十月二十三日 午前十時
墓石が鍋を持って現れるおよそ三時間程前──
二人は前にも一度デートしたことのある瀬海市水族館に来ていた。
今回ももちろんデートするためである。
待ち合わせ場所は、水族館の前に設置されている大きなクジラのオブジェの前である。
前回のデートの時と同じく、墓石が先に来て待っていた。
「ごめん、待った?」
秋山が待ち合わせ時間より10分遅れて現れた。
秋山が遅れるのは、今回に限らずほぼ全ての待ち合わせで遅れて来ていた。
秋山は、人を持たせることで悦に浸るタイプだった。
ああ、待ってるわ。ゆーたんがチラチラ時計を見て、今か今かとわたしの到着を待っている。この瞬間────、男が待っている光景はいつ見ても、飽きないわ! その姿が愛おしいのよ!
「えんちん、おはよ! 全然待ってないよ!」
「ゆーたん、行こっ!」
手を繋ごうと前に出す。
「うん、えんちん♡」
墓石はいつもの調子で、秋山の手に自分の手を絡め、恋人繋ぎをして、入場券売り場に向かった。
はあ、やっぱ好きだなー、ゆーたん♡ 背が高いし、優しいし、カッコいいし! この後、《《単千尋殺害の犯人》》になって警察に捕まるなんて本当かわいそう……! でも、しょうがないよね。わたしの任務達成のために犠牲になってね。恋人ナンバー99号のゆーたん♡
「っふざけんな! 何でカップル割が使えねーんだよ!? 先月まではあっただろ!?」
あれ? ゆーたん?
墓石が不意に店員を怒鳴りつけた。怒りの理由は、先月まで使えてた“カップル割”という、男女ペアで入場すると少し割引きされるというサービスだ。
どうやらそれが九月いっぱいで終わってしまったたらしい。
「しょーがねーなー。通常料金で払ってやるよ。ほれ二人で3,000円な?」
「……す、すみません。二人だと3,200円になります……」
「はあ!? うるせぇなあ……いいじゃねーか? たかが200円くらい」
墓石は小銭を投げるようにして、レジのテーブルに置いた。
「ゆ、ゆーたん行こう! いーじゃん。行こうよ!」
あれ……? 何か今日のゆーたんおかしくない? 気のせい?
「わりい、ちょっと便所行ってくるわ」
「あっ……うん」
水族館に入るとすぐに墓石トイレへ駆け込んだ。
ん……? あれ……? 何だろう……?
何だこの感じ?
「遅くなったわ! 行こうぜ!」
「あっ……うん」
墓石はトイレで洗った手を上着の端で拭いていた。ハンカチを持って来ていないのだろうか。まるで子どものような振る舞いだ。
ゲロ
「よっしゃ! まずは、海水魚のコーナーに行こうぜ!」
手を繋ごうと差し出す墓石。しかし、上着で拭いた手が水気をまとい光沢を放っている。
「いや……今は手繋ぎは……いいかな」
「? どしたん? えんちん?」
ゲロ……ゲロ……
何だろう……この気持ち……今まで味わったことのないゾワリは?
なんか……今日は隣を歩きたくない。
「見ろよ! えんちん! 鮫デッケー!」
声がデカい。指差すなよ。
ああ、まだ上着の裾が濡れてるじゃん。何でハンカチ持ってきてないんだよ、コイツ。
うっ……なんか気分悪くなってきた。
ゲロゲロゲロ……
「ちょっとここらでお土産コーナー行かないか? チンアナゴのキーホルダー欲しくなってきた」
行かねーよ……
何でこんな序盤でお土産見るんだよ?
まだ、魚を見る時間だろうがよ……
しかも、買いたいのはチンアナゴのキーホルダーって……
ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロ…………
「ゆ、ゆーたん、ちょっと休まない? 今日はお魚さん見るより、早めに本題に入りたいかも」
「おっ、そうか! じゃあ、フードコート行くか!」
「…………」
秋山は、墓石より先に席を確保し、一人で座っていた。水族館に入ってからの墓石の行動の一つ一つが気になり、デートに集中できない──段々と嫌悪を抱き始めている。
秋山の心に灯っている恋の炎が揺らぎ始めている。
うっ……フードコート来たけど、気持ち悪くて何も食べられなさそう……吐きそうだわ。
ゲロ
墓石が戻ってきたら、単の居場所を聞くより、直接殺しに行ってもらいましょう。鶴田、大澄、海川の武闘派ではない三人がいても全く問題無いわ。墓石は強い。一人で十分なはず────さあ、後は単千尋を始末する命令をするだけ────
──ん?
秋山は遠くに墓石の姿を発見した。何やら丼ぶりのような物を載せたお盆を持って立っている。
しかし────
キョロキョロ……キョロキョロ……
墓石は秋山を見失い、探している様子だった。辺りを見回し、秋山がいる方角とは若干違う方に進んでいた。それを見かねて秋山が声をかける。
「あの……墓石くん、こっち」
「おお! そこか!」
だから声でかいっての。
ゲロゲロゲロゲロ
お盆を置いた拍子に、お盆にうどんの汁が溢れてお盆の上に水たまりのようなものができる。
──それが秋山の限界だった。
「あの墓石くん……」
「えっ? 『墓石くん』? えんちん、呼び方変えたん?」
「ごめん、なんか冷めちゃった」
「冷めた? うどんは冷めてねーよ?」
ゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロゲロ……!
「別れよう……なんか……わたし達相性良くなかったみたい。ごめん、今までありがとう。サヨナラ」
秋山は早くこの場を去りたくて走り出した。この時秋山の頭の中には、“単千尋を始末する”という任務は完全に頭から消え去り、墓石優一から一刻も早く離れることに専念していた。
ああ、もう生理的に無理! 何であんなやつと付き合ってたんだろう!? あんなに好きだったのに、マジで冷めた! あんなに“恋”の炎が燃え上がってたのに! 本当あり得ない! あっ………
単千尋の場所をまだ聞いていない……!
任務のことを思い出し、急いで墓石の元に戻る。せめて、単千尋のいる所だけでも聞き出すために。
しかし、墓石優一の姿はどこにも無かった。
何でいなくなってるの!? まだうどんを食べてるはずじゃ!?
秋山は急いで水族館から出た。すると、墓石も外に出ており、チケット売り場の従業員と話していた。
その従業員は、先程墓石が怒鳴りつけていた人だった。
「さっきは、怒鳴ってごめんな。あのこれさっきのお詫びなんたけど、もしよかったらどうですか?」
お土産コーナーで買ったであろう手提げ袋を渡している。お詫びの品のようだ。
「いやいや、全然気にしてないですよ! こちらこそ説明が分かりにくくて申し訳ありませんでした」
「いやいや、100%非はこちらにあるので、謝らせて下さい。本当に申し訳ありませんでした」
「もう大丈夫ですから」
従業員も墓石の誠意ある謝罪を見て、先程の非礼を許している様子だった。墓石はお詫びの品を置き、その場を離れようとした。
「墓石優一!」
「秋山か」
つい数分前まで熱々のカップルで“ゆーたん”と“えんちん”と呼び合っていたのが、まるで無かったかのように殺伐とした空気が流れる。
「あんた……わたしを騙したの?」
「騙した?」
「わたしと別れるために、わざと不愉快な行動を取ってたんじゃないの?」
「わざとじゃねーよ。これが素の俺だよ」
「嘘だ! 付き合ってた頃は、店員に怒鳴ったり、服の裾で手を拭いたりしてなかった! さっき店員に謝ってたでしょ!? 怒鳴ってたのも本心じゃなかったってことでしょ?」
カップルの痴話喧嘩なのだろうと、周りの通行人は冷めた目で二人をチラ見しながら通り過ぎていく。
そんなこともお構い無しに秋山は叫んでいた。
「いいや……今の俺はダサい男には変わり無いさ。女に溺れ、言いなりになり、仲間を差し出そうとしていた……最高に情けない男だよ」
「──だから、情けない男らしく振る舞ってみた」
普段の墓石は、比較的礼儀正しく、誰に対しても優しい男だ。それもギャップとなり、墓石の不快感を与える行動が、秋山の“恋”の炎を消したのである。
「“恋使い”秋山円慈──“恋”した相手に“恋”をさせ虜にする。お前の秩序の前提条件は、“秋山が墓石に恋をする”ことなんだろ? それなら、その前提条件を“破壊”すれば、この秩序は壊せる。────────それを可能にしたのが、今流行りの“蛙化現象”だ」
蛙化現象──Z世代の流行語大賞にもなった言葉。「好きだった相手のささいな行動が気になり恋愛感情が冷めてしまう」ことを言う。
「“破壊”……こんな方法で、わたしの“恋”から逃れられるの?」
「途中までは、本当にお前のこと本当に大好きだったぜ。どんな雑な扱われ方をされていてもな。恋は盲目とは、よく言ったもんだよ」
「急にこんなことをしたのも、昨日の鶴田とのデートがきっかけね?」
「そうだな。鶴田と────あと、うちの妹の直のおかげで元の自分に戻ってこれたよ」
「直?」
「ああ……直の“愛”のおかげだ」
「……何を言ってるの? この男?」
「分からないか? まあ、恋ばっかりしてるお前にはまだ分からねーか。じゃあな、秋山。今まで楽しかったぜ。今日から他人だ。お前の我儘はもう聞かない」
「ちょっ……ちょっと待ってよ!」
「秋は別れの季節。新しい恋を探すんだな。それじゃ!」
墓石は逃げるように走り出した。
秋山が墓石を振ったはずなのに、秋山が振られたような雰囲気で終わる。
「ちょっと……待ってよ……待ってって……あああああ! 悔しい! なんかわたしが振られたみたいじゃん!」
なんか……振られると、逆に意地でもこっちに振り向かせたくなるわ!
再び秋山の心に“恋”の炎が燃え盛り出す。秋山はこの時気がついたのだ。秋山円慈は、追われるより追う方が燃える女なのである、と。
「やっぱり気が変わったわ! また墓石優一を振り向かせてやる! ……これが本当の恋なのかしら!?」
燃える……燃える……秋山の“恋”の炎は再び燃え上がる。以前よりも激しく──!
「待っててね、ゆーたん♡」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
時は戻り──
渋津野図書館 一階 卓球場(鍋パーティー会場)
「じゃあ、逆に嫌われることして、振られて、恋の呪縛から解放されたってこと?……あっつ!」
鶴田は豆腐を口いっぱいに頬張ったが、まだ冷めきっていなかったらしい。
「そういうこと。俺の天才的な判断でこの窮地を乗り切ったってわけ。……あっ、海川さん、すみません。ポン酢取ってもらっていいすか?」
「はいよ、墓くん。────それにしてもヒヤヒヤしたよ。今回はボスも腹くくってたからね。何事もなく、終えられてよかったよ。──はい、ボス。どうぞ、肉多めに取っておきました」
海川は単の分もよそってあげているらしい。さすがはできる男だ。
「おっ、いい配分でよそってくれるじゃないか。さすがは海川くんだ! で、この後秋山円慈は放置でいいのかい? また、墓石くんを落としに来るんじゃないか?」
「もう俺が秋山と“恋”に落ちることはありません。約束します」
その一言を聞いて、他のメンバーには悟られないように鶴田は嬉しそうな顔をしていた。
「そう言えば、大澄先生は帰ったんですね」
「ああ、大澄くん、付き合い悪いからね」
「そうすか────じゃあ、しいたけも投入しちゃいますね!」
「おお! いいね! 墓石! この鍋パーティーも定期的に開催してくれよ」
「まあ、気が向いたらな。──じゃあ、最後に“四大人災”の“冬”を退けたら、またみんなでやりましょう! 次は大澄先生も誘ってさ」
「澄くん、来てくれるといいね」
「その時は、わたし単千尋の権限で強制参加させるさ」
「それって、パワハラじゃないすか……?」
「いいんだよ! 大澄くんも次は来てくれるだろ。────まあ、兎にも角にも、墓石くん──おかえり! よくこちらに戻ってきてくれた!」
「おかえり、墓石!」
「墓くん、おかえりー」
「ただいまです」
墓石は少し気恥ずかしそうに、新しく投入したしいたけをつついた。
秋は別れの季節。
一つの別れを経験し、また一つの季節が過ぎ去っていく。
墓石達は間もなく“冬”を迎えるのである。
続く




