第五章 会者定離
ご来訪ありがとうございます。 本作は「第14回ネット小説大賞」応募作品です。 仏教用語をテーマに、僧侶と青年の執着を描いた短い物語です。 (※BL要素を含みますので、苦手な方はご注意ください)
――白檀の香りは僕の身体の奥深くまで染み込んでいった。
父の一周忌はニ月の中旬だった。
この日も住職は腰痛がひどいため慧光が代理で来た。
よほど具合が悪いのだろう。
大晦日に彼の実家に除夜の鐘を聴きに行った時も、
住職は殆ど出て来ることはなかった。
慧光とは年明けに一度会ったきり会えていなかった。
慧光と会うのはひと月ぶりだ。
僕は玄関で慧光を待った。
また肌寒いが、冬の厳しさはすっかり和らいでいた。
深呼吸をして冷たい空気を肺一杯に送り込む。
もうすぐ一年か。
玄関先の梅の枝に濃い桃色の小さな蕾が膨らんでいた。
父との別れと慧光との出会い。
僕はこれまでのことを思い返していた。
微かなエンジン音と共に
黒い軽自動車が家の前で止まった。
慧光だ。
「今日はありがとうございます。」
挨拶をすると、駐車場に車を停めた慧光が
運転席から降りてきた。
少し痩せただろうか。
慧光は法衣の袂を軽く握り、
ゆっくりとこちらに歩いてくる。
その足取りがぴたりと止まった。
僕と目が合うと、
「おはようございます。本日は宜しくお願いします。」
と深々と頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いします。」
どこで誰が見ているか分からない。
僕は挨拶を交わし、慧光を家へと促した。
慧光が僕の前を通り過ぎる。
法衣の袂が揺れ、ふっと白檀の香りが漂う。
一周忌の法話は『会者定離』だった。
「初七日の日に私はここで
『愛別離苦』のお話をさせて頂きました。
この度は『会者定離』について
お話させていただこうと思います。」
あの日と同じ場所。
あの日と同じ黒の法衣。
あの日と同じ香り。
違うのは法話の内容と、僕たちの関係。
僕は立ち上がりお茶を淹れに行った。
「『会者定離』の教えは、
出会った者には必ず別れが訪れるということです。
しかし、浄土真宗において別れは
終わりではありません。
阿弥陀さまの浄土へ還られた方は、
今も仏さまとして私たちを導いてくださっています。
たとえ姿は見えずとも、
いつか同じ蓮の上で再会できる
「倶会一処」の約束が、
私たちには遺されています。」
慧光の声はよく通る。台所にいても法話が聞こえた。
「会者定離か……」
出会った者は必ず別れるという
慧光の言葉に僕は少し胸が痛くなった。
「別れの悲しみを尊いご縁の証として受け止め、
再会の日を信じて、
共にお念仏を称え歩んでまいりましょう。」
慧光の前にお茶を置く。
慧光は右手で左の袂を押さえながら
左手で茶碗を持った。
彼の指先が僕の指に触れた。
身体に戦慄が走る。
ずっと会っていなかったからか、
少し指が触れただけで身体が反応してしまう。
触れてほしい。
父の仏前でこんなことを思うなんて、
なんて不道徳なんだろう。
僕は客のお茶を準備するために台所へ戻った。
パタパタとスリッパの音を立てて母が入ってきた。
「ありがとうね。助かるわ。」
そう言って母は僕の横で茶菓子の準備を始めた。
「ご住職大変みたいね。
年明けに精密検査を受けたらしいんだけど、
大腸癌って診断されたらしいわ。」
母は僕に顔を近づけ小声で言った。
僕は驚いて母の方を見た。
母はこちらを見て厳しい顔で頷いた。
大変な状況であることを
慧光の口から聞けなかったことに、また胸が痛んだ。
僕では彼の支えになれないのだろうか。
何度も肌を重ねたことで
僕は慢心してしまっていたのだろうか。
***
父の一周忌が終わり、さらに1月たった
頃慧光から『会いたい』とメッセージが来た。
僕は何度もその文字を見返した。
忙しくて、電話ができなくても
こうして連絡をくれる。
その優しさが嬉しかった。
春休みだったがその日はサークルがあった。
別の日はどうかと伝えたが
大学まで車で来るというので、
門の前で待っていた。
桜の花が蕾をつけ、膨らんでいた。
もうすぐ咲くんだろうなと思いながら立っていると、
黒の軽自動車が目の前で止まった。
僕は助手席に乗り、慧光のマンションへ向かった。
彼の父親の話を切り出していいものか
考えあぐねいていると、
「しばらく連絡できずにいてごめんな。
実家で色々あって。」
と、慧光のほうから話を切り出した。
ご住職は癌が見つかった後すぐに手術を受けたが
術後の状態が良くなく、
しばらく入院をしていたらしい。
「癌は転移もしてないし、安心なんだけどね。
今回のことで、
父や寺のことを色々考えさせられたよ。」
慧光は眉間に深い皺を刻みながら
深いため息をついた。
「駅前のラーメン屋へ行こうか。」
慧光は独り言のようにぽつりと言った。
僕は突然の提案に戸惑った。
「いつか、行きたいって話していただろ」
慧光は車をUターンさせ、駅に向かって走り出した。
いいのだろうか。
これまで隠してきた2人の関係が
バレてしまうかもしれない。
僕は心配になって慧光を見たが、
彼はこちらを見ることもなかった。
美味しいと噂のラーメン屋だけに、
客であふれていたが、
ほとんど並ぶこともなく店に入ることができた。
「あら、小山さんところの……。
もう一周忌だったのね。早いものね。」
近所の人が話しかけてくる。
「慧光さん、こんにちは。
君は、いいお兄さんができてよかったな。」
慧光が僕の兄代わりかのように声をかけてくる人もいた。
僕らの関係性を疑う人は誰一人としていなかった。
安心する共に、小さな不満が心を揺さぶった。
「なんだ、案外平気だったね。」
小声で言うと、慧光は小さく頷いた。
ラーメン屋を出て、彼のアパートへ向かう。
慧光は先に車を出て、助手席を開けた。
僕は促されるまま車を降り、
一緒にエレベーターに乗り、彼の部屋に入った。
いつもなら僕が先に出て、
時間を置いて慧光が車を降りる。
いつもと違う行動に、
僕はどうしようもなく不安に駆られた。
慧光は部屋に入ると無言のまま窓を開け、
カーテンを閉めた。
風が吹き込み白いカーテンがうねるように膨らんだ。
僕は慧光の表情がゆがんだ気がした。
しかしすぐにカーテンに隠されてしまった。
慧光はそのまま台所に立った。
「コーヒー淹れるから、座って待ってな。」
もういつもの慧光に戻っていた。
さっきの表情は何だったんだろう。
僕は小さな胸騒ぎを覚えた。
ソファに座り慧光を待った。
「ラーメン屋さん、おいしかったね。」
「うん。」
慧光はこちらを見ることなく答えた。
「また、また行こうよ一緒に。」
慧光は何も答えなかった。
慧光はコーヒーをローテーブルに置き
僕の隣に座った。
「ねえ、どうしたの。今日はなんか、おかしいよ。」
慧光は僕を真っ直ぐ見て強く抱きしめた。
「ごめん……」
慧光の小さな声が震えていた。
「え、何?会えなかったこと?
怒ってないから安心して。
お寺も大変だったんだよね。仕方がないよ。」
僕は慧光の背中に手を回し、
子供をあやすように軽く背中を叩いた。
「違う、違うんだ。そうじゃなくて……」
慧光の声がだんだんと涙声になる。
彼の顔は見えないが、
彼が泣いていることはわかった。
「慧光さん、どうしたの?僕、分からないよ。」
もしかすると、もう僕は全てを
理解していたのかもしれない。
しかし、理解すればすべてが終わる。
だからこそ僕は理解することを全身で拒否した。
「圭吾、別れよう。」
視界が急に暗くなった。
「寺を正式に継ぐことになった。
義母は父の世話もあるしね。
寺の経営は色々あるんだ。
……それで、周りの勧めもあって。」
慧光の言葉が遠くに聞こえる。
「今年の秋、結婚するんだ。」
すうっと背中に冷たいものが走った。
ゆっくりと慧光を見る。
結婚するという言葉と、
今僕を抱きしめる慧光のちぐはぐな行為に
僕は嫌悪感を抱いた。
「離して。」
僕は慧光の腕を振り払おうとした。
慧光はさらに力強く僕を抱きしめた。
「離せっていってるだろ!」
僕は慧光を押しのけた。
慧光は少し驚いたようにこちらを見た。
慧光の頬は涙で濡れていた。
混乱した頭を冷やすため、僕は部屋を出ようとした。
慧光は僕が部屋を出るより先に
僕の前に立ちはだかりドアを閉めた。
「だめだ、だめだよ。圭吾。行かないで。」
慧光は再び僕を抱きしめた。
「愛してるって言ってくれたよね。」
口をついて出た僕の言葉は、小さく震えていた。
「愛しているよ。誰よりも君を愛してる。」
慧光の僕を抱きしめる腕にさらに力がこもる。
「会者定離」
僕は一周忌の慧光の法話を思い出し、呟いた。
――出会うものは必ず別れる。
そうであるならば、
出会いなんて最初からなければいいのに。
僕は拳で慧光の胸を叩いた。
ドン、ドン、ドン……
慧光の胸を叩く音が部屋に響いた。
僕は下を向いた。
泣きたくないのに涙が溢れ、
床に小さな染みを作った。
慧光は僕の両腕を掴み、引き寄せた。
左手で僕の腰に手を回し
右手で僕の顎に手をかけて
唇を覆うように口づけてきた。
拒もうとしても拒めない。
僕は身体の力を抜いた。
僕はそのまま床に倒れ込んだ。
***
昨夜僕は白檀の香を焚いた。
白檀の香りが充満する部屋で
僕らは繰り返し求め合った。
お互いの不完全な部分を補完し合うように。
部屋にはまだ昨日の香りが残っていた。
僕はゆっくりと瞼を開いた。
暗がりの向こうには慧光の黒い法衣が掛けてあった。
僕は奥歯を噛み締めた。
鼻の奥に痛みが走った。
空が白み始めた頃、僕はベッドを出た。
もうここへ来ることはないだろう。
今にも泣きそうな慧光の顔を両手でつつみ口づけた。
口角を上げ、目を細める。
最後には最高の笑顔を見せたかった。
視界がだんだんとぼやける。
「さよなら、慧光さん。ありがとう。」
慧光の顔がはっきりと見えなくなる前に、
僕は部屋を出た。
慧光の好きだった僕の笑顔を最後に見せることが
僕の彼への執着だった。
彼の心に少しでも『別れの辛さ』
という傷を刻みつけたかった。
香りの記憶と共に。
***
僕たちの別れは互いの執着を生み、渇きを抱えたまま、
時が移ろうごとに心に沈着していった。
「美由紀、いい香りね。何の香水?」
昼下がり、カフェで女たちの声が響く。
「白檀よ。圭吾が毎年誕生日に買ってくれるの。」
「小山君って結構ロマンティストね。」
ショートカットの女性が美由紀をのぞき込む。
「え、なあにどういうこと」
美由紀は女たちが話しているのを静かに聞いて
微笑んでいた。
ティーカップを持ち、口もとに持って行く。
色白の肌に長いまつ毛が際立って見える。
一口紅茶を口に含み、
「花言葉でしょ。」と答えた。
「そう、白檀の花言葉は変わらぬ愛と高潔さ、
そして平静と沈着でしょ。
そんな花言葉の香水を送るなんて、
さすが結婚を控えたカップルは
やることが違うわね。」
「式、いつだっけ」
「圭吾のお父さんの七回忌がもうすぐだから、
それが終わってから。6月に挙げる予定」
美由紀は幸せそうに微笑んだ。
「でもさ、沈着って物質の付着ってことでしょ?
そこだけ変よね。」
先ほどから黙っていた女が聞いてきた。
「ちょっと、ロマンと無縁の理系女は黙ってて。
冷静沈着の沈着よ。」
ショートカットの女が答えると、
美由紀は意味ありげに小さく笑った。
三人の女は美由紀の顔を見た。
「何ニヤニヤしているのよ」
「いやぁ、まぁ……ある意味、
その『沈着』って正しいかもって思って。」
「物質の付着のこと?」
「そう。圭吾ね、夜にこの香水をつけた時は
すごくって……。」
美由紀は頬を赤らめながら小声で話した。
「キャー!!やだ、何言ってんのよ。
のろけないでよね。」
女たちの楽し気な声が店内に響いた。
完
最後までお読みいただきありがとうございました。 香りの記憶とともに、少しずつ狂っていく二人の関係はいかがでしたでしょうか。 もし作品を気に入っていただけましたら、下部の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をいただけますと、執着の力(執筆の励み)になります。




