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第四章 愛染

ご来訪ありがとうございます。 本作は「第14回ネット小説大賞」応募作品です。 仏教用語をテーマに、僧侶と青年の執着を描いた短い物語です。 (※BL要素を含みますので、苦手な方はご注意ください)

――僕は白檀の香りに溺れ、

それがたまらなく心地よかったんだ。



僕たちが口づけを交わした後、

慧光はプールサイドのベンチに再び目をやった。


「慧光さん、もう行こう。」


僕は慧光の手を取り促した。


慧光の目の前に立ち、

こうして手を取れるのは僕なのだ。


慧光は僕の手を握り一緒に歩きだした。


僕の歩調に合わせて少しゆっくりと歩いてくれる。

そんな慧光のやさしさが、

波立っていた僕の心を落ち着かせてくれた。


***


気象庁が梅雨入り宣言をした日が、

父の納骨日だった。


この日も予定していた住職は腰痛が悪化したため

慧光が法要を執り行ってくれた。


彼の低い読経が霊園に響き渡る。


朝から降り続いた雨が父への哀しみの涙のように

しっとりと墓石を濡らしていた。


慧光の目に涙が浮かんでいた。


慧光は去り際にそっと墓石に触れ、

その手を口もとへと運んだ。


その光景を見て僕は

『執着』と言う文字が頭に浮かんだ。


慧光の執着が未だ父に向けられている。


その日の雨は翌日まで降り続き、

僕の驕りを洗い流していった。


***


僕らのデートはほとんどが他県だった。

周りに悟られないように付き合っていたからだ。

慧光が僧侶であることを考えれば仕方がない。


むしろ二人で共有の秘密を持つことの高揚感が、

誰にも言えない関係であることの

否定的な側面をつつみ隠していた。


僕らの関係は言えないのではなく言わないのだと、

そう思い込んでいた。 


***


その日もアルバイトの遅番だった。


梅雨も明け、夏に差し掛かろうとしていた頃だった。

僕はいつものように、助手席に乗り

シートベルトを締めた。


「近所にできたラーメン屋、美味しいんだって。

今度行かない?」


と何気なく慧光を誘った。


高校の時の友達が美味しかったと

インスタにあげていたのだ。


しかし慧光は申し訳なさそうに僕の頭を撫で、

じっとこちらを見た。


「地元は、やっぱりね……」


そう言って、慧光は僕の頬を優しくつねった。


「ほら、笑って。拗ねるなよ。」


慧光は僕に砕けた話し方をするようになった。

僧侶の殻が徐々に剥がれていく。


その度に新しい慧光を発見することが楽しかった。


僕は慧光に笑ってみせた。

じっとこちらを見つめ、指の背で僕の頬を撫でる。


「今日、うちに来る?」


慧光は、僕の目を見ながら聞いてきた。

指は依然として僕の頬を撫でている。


彼の優しい微笑みが僕の身体を締め付けた。


身体の芯がうずく。


慧光の家へは何度か行っていた。


でも、今日はいつもと違う。


慧光から目が離せなくなり、

鼓動がだんだんと早くなる。

知らないうちに左手が自分の服を握りしめていた。


息苦しい。


僕は頷いた。


運転席側の窓ガラスに、少し緊張した僕の顔が映る。

慧光は僕の表情に何か感じただろうか。


慧光の家までは、お互い何も話さなかった。


沈黙が続くほど鼓動が早くなる。


僕は窓の外に目をやるが何も目に入らなかった。

僕は深呼吸し、静かに目を閉じた。


彼のうちは実家のお寺から歩いて

10分ほどのところにある、ワンルームマンションだ。


彼の母親の死後、父親であるご住職が

周りの勧めもあり、後添いを迎えた。


それで慧光は高校卒業と同時に実家を出て、

近くのワンルームマンションに引っ越したのだ。


車はマンションの下にある駐車場に入った。


僕が先に車を降りて、マンションに入り

非常灯のついた扉を開け5階まで登る。


踊り場で待っていると、慧光から着いたと連絡が来た。 


非常扉を開け、エレベーター脇にある501の部屋を

ノックすると、慧光が出迎えてくれた。


部屋に入ると、日中締め切っていたこともあって、

部屋の中は少しむっとしている。


重いねっとりとした白檀の香りと

洗濯洗剤の匂いがする。


僕はソファに腰を下ろし深呼吸した。


慧光が窓を開けた途端、涼しい風が部屋に入ってきた。 


「もう夏だね。」


夏は慧光も忙しいだろうかなどと考えていると、

慧光がお茶を持って来た。


「早く一緒に飲みに行けるようになるといいな」


慧光はそう言いながら、隣に座り、

ソファの背もたれに手をかけた。


そのまま顔を近づけ、唇を重ねる。


僕は両手を慧光の肩にかけ引き寄せた。


お互いがお互いを欲するかのように、

唇を重ね合った。


指を絡め合い、呼吸する間も惜しむかのように

お互いを貪り合うかのような口づけだった。


吐息と、湿った音が交互に部屋に響く。


熱い……


身体が熱くて何も考えられない。

僕は無意識にシャツに手をかけた。


「いいのか?」


慧光の低い声が部屋に響いた。


じっとこちらを見据えるその目線に

僕は戦慄が走った。


鳥肌が立ち、身震いする。


慧光はそれを見て、ためらうような表情で

手の力を緩め僕から離れようとした。


僕はそのまま慧光の手を強く握り、引き寄せた。


「やめないでよ。」


僕は微笑みながら慧光を引き寄せた。


――僕の笑顔は父に似ている。


僕が笑う度に、

慧光は僕の向こうにある父の姿を見ているのだ。


彼が僕を求めてくれるのなら、それでもよかった。

慧光がかつて果たせなかった願望を

僕を通して叶えていたとしても

それでもいいとさえ思えた。


彼に触れられるのなら、彼に触れてもらえるのなら、父の代わりでも十分だった。


僕が笑顔を作ると、慧光は頭を振った。


「よくないよ……。」


「どうしてさ!僕は、僕は慧光さんが欲しいんだ。

僕じゃだめなの?」


僕は熱をはらんだ言葉を慧光に投げつけた。


「違うんだよ。本当に君のことが好きだ。

愛おしくて仕方がない。

だからこそ、大切にしたいんだ。傷つけたくない。」


「傷なんかつかない。

このまま放っておかれる方が辛いよ。

傷つくよ。ーー父さんの代わりでもいいから!」


僕の言葉を聞いて、慧光は目を見開いた。

そして悲しげに微笑んでいた。


慧光の微笑みは何を意味するのだろう。

僕の言葉の肯定か、否定か。


しかしそんなことは僕にとってどうでもよかった。

ただ彼と離れることが、我慢ならなかったのだ。


慧光は優しく僕を抱きしめた。


どくんどくんと、大きく波打つ心臓の音は

彼のものなのだろうか。

それとも僕のものなのだろうか。


その区別がつかないほど、

僕らは高揚し、昂ぶっていた。


慧光は僕を引き離し、窓に向かった。

窓を閉め、僕の手を取り隣の寝室へと案内した。


「僕は小山先生とは

こんなこと望んでいたわけじゃない。」


慧光は僕の前に立ち、僕の両肩に手をかけて言った。


「でも僕は今、君を無性に抱きたいと思っている。」


そう言って、慧光は僕の両肩を押した。


僕はベッドに倒れ込み体が沈み込む。


慧光は鋭い目で僕の目を見た。

目線はそのまま僕の身体をなぞっていく。


慧光の男の一面を僕が目覚めさせたんだ。


鼓動が速くなり体が火照る。


深く息を吸う。


濃い白檀の香りが鼻腔から脳を刺激する。


クローゼットの前に掛けてある

黒の法衣がこちらをじっと見ている気がした。


慧光に抱きすくめられながら、

僕は法衣を見て微笑んだ。

生唾を飲み、再び慧光に目を落とす。


彼は静かに指を滑らせて、

僕の輪郭を確かめていった。


呼吸がさらに速くなり、身体に緊張が走る。

僕は右手でシーツを力強く握りしめた。


僕は恍惚として彼を求めた。


慧光は力強く僕を抱きしめ、

僕は吐息交じりに何度も慧光の名前を呼んだ。


夜の街の光は、

明かりを消した部屋に影を落とした。

僕らの影は一つになった。


部屋の湿度と混ざり合った

白檀の香りは僕らと絡み合い、感覚を麻痺させる。


身体が感じてる全ての感覚が愛おしい。


僕は深く息を吸い、ゆっくりと吐く。

涙が頬を伝うと、慧光が指で優しく拭ってくれた。


「圭吾、愛してる。

君は小山先生の代わりじゃないよ。

僕が愛しているのは小山圭吾、君自身だ。」


そう呟いた慧光の目には僕が映っていた。


僕は慧光を抱きしめた。


「うれしい。僕も慧光さんを愛してるよ。

ありがとう。僕を愛してくれて、ありがとう。」


涙が止まらない。


寝室から見える夜景は

小さな地方都市のものだが、

僕にはどんな夜景よりも綺麗に見えた。


その日を境に、僕らは何度も肌を重ねた。 


お互いがお互いに刻印をするかのごとく

深く、深く繋がり合った。


***


お盆は慧光も忙しくお互い時間も取れなかったが

そんな日は携帯電話で連絡を取り合っていた。


携帯電話に送られてくるメッセージを指先で触れ、

目を閉じる。


慧光に余すところなく触れられている僕は

目を閉じれば彼の手の感触を

思い出せるようになっていた。


その後も慧光の父の腰痛は引かず、

慧光はまとまった休みが取れないでいた。


二人で予定していた旅行も流れてしまったので、

僕はサークル仲間を何人か誘い

グループで旅行に出かけた。


旅行中は何度も慧光から電話があり、

友人たちからは束縛系の彼女がいると思われていた。


旅行から帰ってきた日に慧光に会った。


9月に入り、暑さが和らいできたころだった。

慧光は僕を寝室へと連れて行った。


「慧光さん、僕シャワーを浴びたほうがいいと思う。汗がすごいんだよ。」


僕のシャツには大きな汗の染みができていた。


慧光は無言で僕を寝室へ連れていき、

僕の服を脱がせた。

荒々しい野生動物のような鋭い視線を僕に向け、


「圭吾、旅行では友人にこんな姿を見せたのかな」


そう言いながら、僕の身体に視線を落とした。


慧光は僕の身体を塗り替えるかのように、

一分の空白も許さず、彼の香りで包んだ。


彼の執着を全身で受けながら、

僕は彼の黒の法衣に目をやった。

そして、『慧光は僕の男だ』と心の中で告げた。


「僕、慧光さんの香りが好きなんだ」


僕は慧光の胸元に顔を埋めた。


慧光は、僕の髪をくるくるともてあそびながら、 


「白檀だよ。うちは白檀の線香を使っているから。

白檀の香もよく焚くし。

身体にも香りが移っているかも。」


そう言いながら、慧光は自分の腕を嗅いでみた。


「僕にも慧光さんの香りを移してほしい。」


そう言って彼の身体に僕の身体を擦り付けると、 


「圭吾の身体の芯まで、

僕の香りを移せればいいんだけどな。」


と、慧光は僕をやさしく抱き寄せ

こちらをじっと見た。


僕の身体は熱を帯び、全身の力が抜け、

全てを彼にゆだねた。


開けた窓から冷たい風が入ってきた。


***


秋が過ぎ冬を迎えた。


「ご住職さん、まだ腰痛が引かないらしいの」


大掃除をしながら母が言った。

そう言えば慧光も心配そうに話していた。


「だから今度、精密検査を受けるらしいわ。

明日の除夜の鐘は慧光さんがなさるんだって。

あなた、何かお手伝いに行けば。

お世話になってるんでしょう。」


母の何気ない提案に、心のどこかがチクりと痛んだ。


***


慧光の父親が癌の診断を受けたと母から聞いたのは、父の一周忌の頃だった。

お読みいただきありがとうございました。 香りの記憶とともに、少しずつ狂っていく二人の関係を見守っていただければ幸いです。 もし作品を気に入っていただけましたら、下部の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をいただけますと、執着の力(執筆の励み)になります。

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