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第二章 沈着

ご来訪ありがとうございます。 本作は「第14回ネット小説大賞」応募作品です。 仏教用語をテーマに、僧侶と青年の執着を描いた短い物語です。 (※BL要素を含みますので、苦手な方はご注意ください)

――あの香りとの二度目の出会いは

母の買い物に付き合った時だった。


「お線香買っておかなきゃね。四十九日だし、

いいお線香でも買おうかしら。

ほら、これ白檀だって。いい香りね。」


仏具店で見かけたその線香は白木の箱と、

紫色の和紙で恭しく包まれていた。

手に取るだけで、甘くて深い香りがする。 


どくん……


慧光の香りだ。


肩から胸にかけてぞくりとする。


記憶よりも体が先に反応した。

あの日支えられた肩と胸に力が入る。


「あら、圭吾どうしたの?熱でもあるの。

具合悪いんなら、言ってくれればよかったのに。」


と言いながら母が額に手を当てて来る。

僕は思わずその手を払い除けた。


「大丈夫だよ。何ともないよ。

ほら、お線香どれにするのさ。

これなんかどう?伽羅だって、五万五千円。」


早口で捲し立て、桐箱に入った

伽羅のお線香を手に取ろうとすると、

母にたしなめられた。


「お父さんはそんなの喜びません。

白檀でいいんです。」


そう言って母は説明書きを見せてきた。


白檀(香木)花言葉は、「不変の愛」「高潔さ」

「平静」「沈着」


不変の愛と言う言葉に、思わず声が漏れた。


次いで僕の視線は「沈着」という言葉の上で

ぴたりと止まった。


僕は初七日の出来事が、『白檀』という名前とともに、

もう一度肌に刻まれたような感覚に襲われた。


***


――四十九日の法要は、桜が咲き揃った

四月の初めに行われた。


朝から母は法要の準備と遠方から来た親戚の対応で

一息つく暇もなかった。


僕は弟と妹の相手をしながら母を手伝っていた。


ピンポン機械的な音が響く。


僕は玄関へ行きドアを開けた。


黒い軽自動車から、紫の法衣に金と銀の紋様が入った袈裟を着た大柄な男性が出てきた。


「ご住職、今日はありがとうございます。」


後ろから母が声をかけた。


「父さん、また迎えに来るから。」


住職の後ろから、深みのある低い声がした。


――慧光だ。


僕は焦る気持ちを落ち着かせるように、

ゆっくりと住職の後ろを見た。


作務衣を着た慧光が運転席から顔を出している。

色白の慧光は濃紺の作務衣がよく似合っていた。


ハンドルを握る指は節々が浮き出ていた。


骨ばった手首、そこに浮き出た筋を見て、

あの手で支えられたんだと、

初七日のことを思い出した。


「あら、慧光さんもいらしていたのね。

お茶菓子もご用意しましたから、

お上がりになってお待ちになったら?」


母は慧光に声をかけた。 


慧光はすぐに返事をせず住職の方を見た。


「よろしいですか?ぎっくり腰をしてから、

まだコルセットが外せないんですよ。

腰痛もひどくて。

送り迎えは息子に頼んでいるんです。」


住職は目を細め答えた。

笑うと、ただでさえ細い目がなくなってしまう。


「ご遠慮なく。 

――慧光さん、駐車場に車入れていただいて

結構ですから、お上がりください。」


母は住職と慧光にそう言った後、

住職を仏間の方へ案内した。


住職は僕に「こんにちは。」と挨拶し、

軽く会釈して通り過ぎた。


僕は自分の心の中のねっとりとした邪な感情が

見透かされそうで、無言で頭を下げた。


残された僕はなんとなく慧光を待った。


駐車し終わった慧光は僕を見て、

優しく微笑んだ。

初七日で見た菩薩のような笑顔だった。


慧光の笑顔が初七日と変わらぬ笑顔であることに、

僕は何か物足りなかった。


「こんにちは。……慧光さん、上がります? 

何か母が強引ですみません。」


僕は慧光の顔を見ることができず、

膝のあたりを見て話した。


慧光がこちらをじっと見ているのがわかる。

あの目を見てしまうと、また目が逸らせなくなる。


「こんにちは。また迎えに来ることを思えば、

こちらで待たせていただけるのはありがたいです。――お邪魔します。」  


そう言って慧光は履物を脱ぎ、僕の後ろに立った。

慧光の動きに合わせて、あの白檀の香りがする。


胸がざわつき、体が強張る。


この香りは少しずつ僕を狂わせていく。


あの日は分からなかったが、

慧光は僕よりも背が高かった。

180センチほどだろうか。


僕は慧光を居間に案内した。

居間までの廊下がやけに長い。


慧光が後ろを歩いてるというだけで、

全神経が背中に集中してしまう。


慧光をソファに案内し、僕はキッチンの方へ行った。


「今お茶を入れますね。」


父の葬儀から、お客様にお茶を入れることが増えた。

父さんにもお茶を入れてあげればよかった。


そんなことを思いながら慧光に出すお茶の準備をし、

何気なしにソファのほうを見ると、

慧光がこちらを見ていた。


「手際がいいね。」


「あ、お客さんに出す機会が増えたので…父さんにはこんなことしてあげなかったんですけど。」


思わず、さっきまで考えていたことが

口をついて出た。


慧光は僕の目を見ながら、 


「お父さんのおかげで、

できることが一つ増えたんですね。」 

と言った。


二人だけの静かな居間で、

慧光の低く心地の良い声が響き

父の気配を生み出した。


「そうですね。」


鼻の奥が少しツンとした。

慧光の前にお茶を出す。


「ありがとう。……えっと……」


「あ、僕圭吾って言います。」


僕が名乗ると慧光は改めて


「ありがとう。圭吾くん」


と礼を言い、一口茶をすすった。

その間も慧光はこちらから目を離さない。


「圭吾くんは、大丈夫なんですか?」  


と突然聞いてきた。


不意の質問に、

僕は最初何を聞かれているのか分からなかった。 


「お母様もそうだと思いますが、

君も長男だということで、

気を張ってるんじゃないかな。

君はまだ子供なんだから、

辛い時は辛いと言っていいんだよ。」


そう言って慧光は、僕の肩に手を置いた。


その時、極わずかに親指が肩をなでた。


その温かな手と柔らかい声に、

張り詰めていたものが溶かされていった。


鼻の奥がさらに刺激され、視界がぼやけてくる。


ローテーブルの上にぽたぽたと涙が落ち、

気が付くと僕は声を殺しながら泣いていた。


遠くに妹と弟の声が聞こえる。

仏間の人の気配が、

居間の静けさをより一層際立たせているようだ。


父が亡くなった日、一人で布団の中で流して以来、

初めて人前で流す涙だった。


慧光は僕を抱き寄せ、

僕は慧光の作務衣に顔をうずめた。

微かにしかしなかった白檀の香りが濃くなった。


慧光の体の温みと甘く爽やかな白檀の香りが、

彼の触れたところからだんだんと

僕の身体に染み込んでいく。


「ごめんなさい……本当に、すみません」


僕はひとしきり泣いた後、そう言いながら顔を上げた。

目の前に慧光の顔がある。


慧光はじっとこちらを見た。

優しく僕の肩を抱くその手とは裏腹に

慧光の瞳には鋭い光が宿っていた。


目が離せない。


僕は慧光を見ながら小さく嗚咽した。


目から涙がこぼれた。


慧光は僕を抱き寄せたまま、

僕の涙を親指でぬぐった。


悲しみでいっぱいなはずの心の中のどこかで

高揚している僕がいた。


慧光の喉仏が、大きくうねる。

そして小さなため息をついた。


慧光は僕から手を離し、

鞄から名刺を取り出して僕に渡した。


「何かあったら……、いや何かなくても、

気が向いたら連絡してください。」


僕はじっと名刺を見つめた。

名刺からも、ほのかに白檀の香りがした。


慧光の優しさに、また視界がぼやけてくる。

腕で目を押さえ、


「ありがとうございます。」


僕は礼を言い、名刺をスマホケースにしまった。

慧光の優しさに触れ心のが暖かくなると同時に、

得られた収穫物に喜んでいる自分もいた。


トントン


と誰かが居間をノックした。


そんなことをする人間は我が家にいないので、

誰だろうと思いドアを開けると、

弟の準が立っていた。


「そろそろ法事始まるって……行こ。」


そう言うと、準は居間にいる慧光に会釈して、

仏間の方へ歩いていった。


僕も慧光に軽く会釈をし、

準にせかされ、居間を後にした。


その時、慧光が何かを言おうとしていた

ように見えた。


僕が歩くたびに、ほんの少し白檀の香りが揺れた。

お読みいただきありがとうございました。 香りの記憶とともに、少しずつ狂っていく二人の関係を見守っていただければ幸いです。 もし作品を気に入っていただけましたら、下部の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をいただけますと、執着の力(執筆の励み)になります。

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