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第一章 愛別離苦

ご来訪ありがとうございます。 本作は「第14回ネット小説大賞」応募作品です。 仏教用語をテーマに、僧侶と青年の執着を描いた短い物語です。 (※BL要素を含みますので、苦手な方はご注意ください)

――初めて出会ったのは、父の初七日だった。



その日はいつものご住職ではなく、息子さんが来た。

父親がぎっくり腰になって動けないそうだ。


大学を卒業したばかりだという

その若い僧侶は僕の四つ年上だという。

けれども、黒い法衣を纏ったその姿は

若者と呼ぶに似つかわしくない、

貫禄のようなものが備わっていた。


もしかするとそれは彼が経を読む時の

バリトンのような響きのある

低い声のせいかもしれない。


読経が終わると若い僧侶はこちらに向き直った。


色白の、まつ毛の長い人だった。

モデルのような綺麗な顔立ちに

丁寧に剃り上げられた頭が

妖艶な美しさを醸し出していた。


彼は居住まいを正し、


「長い時間お疲れ様でした。

皆様足を崩してくださいね。」


と優しく微笑みながら私達に声をかけた。

読経の時よりかは幾分高いが

低く響き渡るような声だった。


待ってましたとばかりに、弟と妹が正座を崩した。


僕はどうしようかと思ったが、

母も足を崩していなかったし、

若い僧侶も正座のままなので足を崩さずにいた。


「この度は父が腰を痛めてしまい、

ご迷惑おかけいたしました。父に代わり、

初七日の法要を務めさせていただきました、

慧光(えこう)と申します。」


慧光と名乗るその若い僧侶は、

軽く頭を下げた。


「――本日は、『愛別離苦(あいべつりく)

について、少しお話をさせていただきます。」  


慧光はこちらを見ながら、おもむろに話をし出した。


それを合図に母は立ち上がり、台所の方へ行った。


「私たちは普段、『四苦八苦(しくはっく)する』

という言葉を何気なく使っていますが、

これはお釈迦様が説かれた苦しみを表す言葉です。


その中の一つが、


愛する者と別れる苦しみ――愛別離苦です。」


ここまで話すと、慧光は聞いている者の顔を

ひとりひとり確認するようにゆっくりと見渡した。 


そして、少し目を伏せ唇を結んだ。

その一瞬の表情に僕は哀しみの色を見た。


「大切な人を失うと、もう会うことも、

言葉を交わすこともできません。

それでも、思いは消えず、心の中に残り続けます。

忘れられないからこそ、苦しい。

それが、愛別離苦の苦しみなのです。


けれど仏教では、離れたからといって、

愛が消えるわけではないとも教えられています。


亡くなった方を思い出し、語り、

その生き方を胸に留めながら、残された私たちは、

それぞれの日々を生きていきます。」


慧光は若干語気を強めて言い、

母の淹れた茶をひとくち口に含んだ。

茶が唇を濡らし、艶やかに見える。


「愛別離苦は生きているからこそ出会う苦しみです。

そして同時に、

誰かを大切に思ってきた証でもあります。


その苦しみを抱えながら、今日を生きていくこと。

それもまた、一つの尊い生き方ではないでしょうか。」


口元を上げ、目を細めた。

その柔和な微笑みは菩薩のようだった。


弟が少し涙ぐみながら鼻をすすった。


僕は弟の中に隠されている、

本当の自分を見ているようで、

思わず弟の頭をこちらに寄せた。


弟は口を一文字にして、

泣かないように我慢をしながら

僕の黒のセーターに顔をうずめた。


(じゅん)は、あったかいね。

ずっとここ顔くっつけておいてほしいな。」


「……わかった。」


僕らのやり取りを目の端にやりながら、

慧光は少しゆっくりと、

一つ一つ言葉を置くように話を続けた。


「残された私たちは見守っていてくださる、

大切な人に心配をかけないように、

よりよく生きることが最善の道だと思っております。」


そういうと慧光は深々と頭を下げ

再び茶碗を手に取った。


茶碗を口元に持っていく時、

伏し目がちになった目はまつ毛に隠されてしまう。


まつ毛の長い人だなと思いながら、

ぼうっと茶を飲む様子を見ていると、

長いまつげの奥のその目が

茶碗越しにじっとこちらを見据えていた。 


(……!)


いつからこちらを見ていたのか分からない。

慧光の視線に射抜かれたかのように

僕は目をそらすことができなかった。


2人の視線が交差する。


2、3秒ほどの沈黙が、

僕の中では2,3分の時として流れていた。


「ちょっとやめてよ!」


妹の佳代子の声が、しんとした部屋に鳴り響いた。


僕は張り詰めていた糸がぷつんと切れたように、

緊張が解け、小さく身体を揺らした。

僕と慧光だけの空間が弾けた。


声の方を見ると、準が佳代子を蹴っていた。


「お兄ちゃん泣いてるから、

よしよししてあげただけなのに!

もう、してあげない!!」


佳代子の、子供特有の甲高い声が

部屋に響きわたった。


準は顔を真っ赤にして、部屋を飛び出した。


母親を見ると、親戚にお茶を出しながら

僕に目配せをした。


僕はすぐに立ち上がり弟の後を追おうとしたが、

長時間の正座が効いたのか

その場でよろけてしまった。


「危ない!」


低い声が上方でしたかと思うと、

僕は胸と肩を誰かに支えられていた。


仏壇の線香の香りに混じって

微かに香る甘くて深い香り。


揺れる法衣の袂。


慧光だった。


「大丈夫ですか?」


その時、僕はどんな顔をしていたんだろう。


あの甘い香りに鼻腔をくすぐられ、

想像だにしていなかった法衣の中の

がっしりとした体つきが伝わり、

袂がゆっくりと揺れていくのを見た……。


現実世界と切り離されたように

時間がゆっくりと過ぎていく。


心地良い


――その瞬間、羞恥と罪悪感が

綯い交ぜになったものが胸に広がった。


顔が熱い。


「大丈夫ですか?」


もう一度、今度はさっきより声を潜めて、

慧光は僕に聞いてきた。


「すみません、ありがとうございます。

もう大丈夫です」


うるさいくらいの鼓動を

慧光に聞かれてしまいそうだ。


僕は紅潮した顔を隠すように、

俯いたまま告げ、足早に部屋を去った。

お読みいただきありがとうございました。 香りの記憶とともに、少しずつ狂っていく二人の関係を見守っていただければ幸いです。 もし作品を気に入っていただけましたら、下部の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をいただけますと、執着の力(執筆の励み)になります。

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