1-1
晴れ渡る夏の朝、空気を震わせるように蝉の声が響いた。
東京郊外の町、神在坂。坂と木々に囲まれたこの町に、近代の灯はまだ少ない。夜を照らすのは行灯と人の声ばかり──大正のはじめのことである。
高台に建つ燈守神社は、古くから祓いの社として人々に信を置かれていた。
代々、神職の家系として続く灯神家の朝は早い──はずなのだが。
襖を開け、玲が顔をのぞかせた。
「晴兄、まだ寝てるの」
「……起きてる。寝てるように見えるだけだ」
「いや、布団から出なよ……朝のお祈り、もう終わったよ」
「えっ、もうそんな時間か」
「おじさん、怒ってたよ」
この家の跡取り、十九歳の灯神晴臣。神社の隣にある灯神家で、従兄弟の玲と共に暮らしている。
晴臣は社務所の机に、祓い札とお守りを整然と並べていく。
「掃除はこれ終わったらな」
「晴兄。顔、疲れてるよ」
「玲は朝から小言が多いな。……まあ、三つも下なんだから元気で当然か」
外から鳥の囀りが聞こえ、風が抜けていった。
穏やかな朝──そう思った矢先、戸をどん、と叩く音が響いた。
最初は控えめに、次の瞬間には戸が割れんばかりに荒々しく打ちつけられる。
「晴兄」
「……嫌な叩き方だな」
「うん、よくない音」
「ほっとくか」
「それは……だめでしょ」
晴臣が戸を開いた。
転がり込むように、ひとりの男が膝をついた。
息を荒げ、両手を地につき、肩を震わせている。
「た、助けてください……旦那さまが──!」
襖がすっと開き、宮司の灯神敬道が姿を見せた。
白衣に紫の袴をまとい、袂を正しながら、穏やかに言葉をかける。
「どうぞ。落ち着いて、ゆっくり話してください」
敬道は男を奥の座敷へと招き入れた。
その男は震える唇を開き、ようやく絞り出すように言った。
「で、出るんです……!」




