8.シュヴァルツブルク城での新生活
今日は、本格的にミントポーション作りをはじめる日だ。
イリスは朝起きたら窓を開けて、新鮮な空気を吸いこんだ。
部屋で朝食をとりながらその日の予定を確認し、着替えたら庭園へ向かう。
シュヴァルツブルク城の庭園の庭師は四人いる。
最高齢は八十一歳のマックス、最年少は十五歳の見習いのヤンだ。
マックスはガーデニングの生き字引で、どの植物にどのタイミングで水や肥料を与えるか、いつどれくらい剪定するか、種まきや植え替えのことなどなんでも知っていた。
だが腰の曲がった老人なので力仕事はできず、その分ヤンや他の庭師たちの負担が増えているようで皆忙しそうだった。
あとの二人の庭師は住み込みではなく通いなので、最年少のヤンがあくせくと働いている。
彼らの手をわずらわせたくなくて、イリスは自分でミントを収穫し、籠を作業場へ運んだ。
のみならず、彼らの仕事を手伝おうと草むしりをはじめた。
見事な芝生が敷かれているし、基本的に手入れは行き届いているのだが、目についた雑草をぶちぶちと抜きながら庭園を進んでいく。
すると、西端の高い柵に囲われた場所に行き当たった。
柵の中心には分厚い木の扉があり、頑丈そうな鍵がかかっている。
この中は立入禁止区域らしかった。
すると、マックスとヤンが飛んできた。
「奥様、草むしりなどわしらがやりますので!」
「大丈夫よマックスさん。慣れているの」
「ですが旦那様から、回復魔法を込める以外の仕事は奥様にさせないようにと命じられてるんです!」
ヤンの言葉に、イリスは目を瞬かせた。
レオンがそんな命令をしていたなんて知らなかった。
たしかに作業場にはすでに必要な物がすべて用意されていた。
小瓶の消毒などはメイドたちがしてくれたのだろう。
これで、今日来る予定だという魔導士が到着すれば、すぐにミントポーション作りを始められる。
実家ではすべて自分でやっていたことがここでは至れり尽くせりで、ありがたいが、ちょっと落ち着かない。
イリスはマックスたちに余計な仕事を増やしたくないし、庭師の仕事ならある程度わかると自負していた。
実家では、ずっとヘルマンにくっついて庭仕事をしていたのだから。
「でも、収穫もミントポーション作りの一環だから自分でやりたいし、庭園のことも手伝わせてほしいし……そしたら、あとで私からレオン様にお願いしてもいいかしら? 庭仕事を手伝わせてくださいと」
「本当ですか!?」
「バカッ、ヤン、おまえ奥様がどうなってもいいのか!?」
喜ぶヤンを、マックスが叱る。
どうなってしまうのかしら……と、イリスは一抹の不安を覚えた。
それからまもなく、辺境騎士団から魔導士が数名やってきた。
イリスは彼らの前でもミントポーション作りを実演した。
手練れの魔導士たちもミントシロップに回復魔法をかけるなどやったことがないようで、初めて見る技法にとても驚き、感嘆の声を上げた。
そのあとでイリスは、母のレシピノートを見せながらやり方を説明し、全員にやってみてもらった。
だがやはりすぐにはできないようで、一旦騎士団に帰って方法を検討するということになった。
魔導士たちと話していると、イリスはあることに気づいた。
彼らも、騎士団長であるレオンのことを非常に恐れているようなのだ。
「騎士団長の奥様に実演していただいたというのに、成果がはかばかしくなく申し訳ございません!」
「気にしないでください。こちらこそ、わかりやすくお伝え出来なくてすみません。私の方でも簡単なやり方がないか考えてみますね」
「いえっ、いけません! あの団長がわざわざ王都から迎えた大事な奥様の手をこれ以上煩わせたら、どんな目に遭うか……!」
何か誤解をされているようだが、説明をするわけにもいかないので黙っていた。
○
(レオン様はなぜあんなに恐れられているのかしら?)
魔導士たちが帰り、作業場の片づけをして自室へ戻ると、イリスは考え込んだ。
まだシュヴァルツブルク辺境伯領へ来て数日だが、話してみた感じでは、レオンはそんなに怖い人ではなさそうだ。
最初にここに来たときの彼は魔物討伐帰りで返り血を浴びていて、たしかにちょっと怖かったが……。
広い城の中を迷いそうになりながら、イリスは執事の事務室を訪ねた。
執事のバートンは先代の頃からこの城に勤めている。
最初はフットマン見習いとして雇われ、長い年月をかけて昇格してきた叩き上げの執事だ。
彼は突然のイリスの訪問に驚いていたが、気になっていることを質問すると、慎重に言葉を選んで教えてくれた。
「旦那様が恐れられている理由、ですか…………旦那様はお若いながらも大変ご立派な方なのですが、先代を亡くし若くして辺境伯となられたがゆえに、その当時は困難もありまして……」
「困難? 反対勢力がいたということかしら?」
「はい。代替わりをしたばかりのシュヴァルツ家を狙い、近隣の有力貴族や、山向こうの帝国領の賊や、賊に扮した帝国貴族や……数多くの敵が旦那様のお命を奪おうとしたのです」
「す、すごい状況ね……」
話を聞きながら、イリスはゾッとした。
王国の端のこの辺境で、父を亡くして孤立無援で、寄ってたかって命を狙われる。
想像するだけで恐ろしくなる。
「ですが旦那様は、幼い頃より先代と辺境騎士団から厳しく鍛えられていたので、刺客をことごとく返り討ちにしました。一番有名な話は、敵対していた貴族から友誼を結ぼうと賓客として館に招かれたときのものです。旦那様は夜中に数人の刺客に襲われ、翌朝、返り血にまみれたまま平然と朝食の席に現れたそうです。首謀者だったその貴族の当主は死に物狂いで逃げ出し、旦那様はその館を接収されました」
「……レオン様は、とてもお強いのね」
「ええ。敵の多い厳しい環境でお育ちになったので、強さを周囲に見せつける必要もあったのです。だからこそ裏切りは決して許さず、周りの者からも恐れられるようになったのではないかと」
「………………」
イリスは紅茶のカップに目を落とした。
そこには「イザベラ」のふりをした青ざめた自分が映っている。
(もともとはイザベラのついた嘘のせいで、レオン様はイザベラに求婚した。結果的に彼の目的と合致したイリスが嫁いできたのだけど、別人であることには変わりないわ。もう、使用人たちや魔導士の人たちにも、イザベラとして紹介されてしまったし……)
もしも身代わりがバレたら?
面子を潰されたレオンは、彼を謀り別人を花嫁として送り込んだローゼンミュラー家を、決して許さないだろう。
そしてイリスのことも。
イリスは返り血を浴び、赤く染まった剣を持ったレオンの足元で冷たくなる自分を想像して震えあがった。
やはり、この身代わりは、絶対に気づかれてはいけない。




