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身代わり花嫁の幸せガーデニングライフ  作者: 岩上翠


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7.思い出のミントポーション②

 シュヴァルツブルク城の庭園は広く、徒歩で一周するのに三十分はかかる。

 庭園のあちこちで背の高い糸杉が枝を伸ばし、その足元には日陰を好む植物が植えられている。

 バラのトンネルや、ツタを這わせたガゼボはロマンティックで華やかだ。 

 そして地面のいたるところに、どの季節でも花が楽しめるようにと計算された寄せ植えが葉をそよがせている。


 だが、さすがにミント類はきっちりと種類ごとに分けてプランターに植えられていた。

 ミントは繁殖力がとても強く、放っておくとすぐに根を伸ばして増える。

 違う種のミントをそばで育てたりすればすぐに交雑してしまい、香りも弱くなる。

 さらに他の草花のエリアまで地下茎でやすやすと侵食して栄養を奪い、枯らしてしまうため、育てるには注意が必要なハーブだ。

 その対策として庭園の東にペパーミント、南にスペアミント、西にアップルミント……と、離れた場所にずらりと大量のプランターが並べられていた。

 まるでミント畑だ。

 イリスは案内してくれているレオンを見上げた。


「こんなにミントがある庭園なんて珍しいですね。以前からミントを利用していたのですか?」

「いや、すべてきみのために用意させたものだ」


 さらりと言われ、イリスは絶句した。

 期待が大きすぎてちょっとプレッシャーを感じる。


 並んで歩いていると、石畳の上でのたうち回っているミミズがいた。

 イリスは素手でひょいとつまみ、土の上に戻してやった。

 ミミズは土壌を改良してくれる頼もしい存在なので、大事にしなくてはならない。

 今度はレオンが面食らったようだった。


「……素手で触れるのか」

「ええ、あまり触ると弱ってしまいますが、軽く触れる程度であればそれほどミミズの負担にはならないかと」

「いや、ミミズが心配なのではなく……まあいい」


 レオンは気を取り直したように、庭園の入り口近くにある物置小屋へ案内してくれた。

 物置小屋と言っても、普通の民家ぐらいの大きさがある立派なレンガ造りの小屋だ。

 中には大小各種のガーデニング用品が完備されており、庭師たちの休憩室にもなっているようだ。

 この城には四人の庭師が交代で勤めているらしく、イリスはその人数にも驚いたが、庭師の高齢化もあり、それでもまだ人手が足りないということだった。


 イリスは実家の庭師ヘルマンを思いだし、会いたくなった。

 別れ際に渡した銀貨で、ちゃんと医者に診てもらっただろうか。

 心配だが、今は感傷に浸っている場合ではない。

 レオンに「今から実際にミントシロップを作ってみてほしい」と言われたからだ。


 物置小屋のそばには、広々とした作業場が設置されていた。

 大きな作業台と数脚の椅子があり、作業台の上にはイリスがあらかじめ頼んでおいた魔道具や材料が並んでいる。

 けれども使用人の姿はなく、完全に人払いがされていて、ここにいるのはイリスとレオンの二人きりだ。

 結婚までして手に入れた回復効果付きミントシロップのレシピは部外秘ということか。

 昨日から思っていたけれど、レオンはずいぶんと冷静な頭脳派のようだった。


「それでは始めますね」

「ああ、頼む」


 レオンは木の椅子に腰かけ、長い足を優雅に組んだ。

 銀の髪がさらりと揺れ、森のような深い緑色の瞳がまっすぐイリスに注がれる。

 美形に見つめられてなんだか落ち着かなかったが、イリスはシロップ作りに集中することにした。


「まず、ミントの枝を洗い、葉を取ります。私はペパーミントかアップルミントをよく使います」


 よく手を洗ってから、用意してもらったミントの中から見慣れたペパーミントの枝を選び、軽く洗ってから葉をむしってボウルに入れる。


「それから、沸騰させたお湯でさっと煮て、氷水に入れます」


 魔道具のコンロで沸かした鍋でたっぷりの葉を湯がき、すぐにザルに開けて氷水に投入する。


 貧乏だった実家には魔道具など一つもなかったが、さすが辺境伯家である。いいものが揃っている。

 火の魔石が内蔵されたコンロは火力が強く、すぐにお湯が沸いて、イリスはひそかに感動した。

 今は初夏なのに、きちんと氷が出てきたことも驚きだった。魔道具の製氷機もあるのだろう。氷の魔石はとても高価なのに。

 ダメもとで氷を頼んでみてよかった。

 実家では夏場は氷など手に入らなかったが、煮たあとに冷やすと、断然ミントの緑色が美しく出るのだ。


「そして最後に、作っておいた砂糖水にミントの葉を入れて、ミキサーで混ぜます。ミントと砂糖と水の量は1:1:1です」


 ちなみに、風の魔石を内蔵した魔道具のミキサーなどなかった実家では、イリスは地道にすり鉢でミントの葉をゴリゴリとすっていた。

 異母妹のイザベラに「魔女みたい」と言われたのは、その姿のインパクトが大きかったのかもしれない。


「ちょっと待ってくれ。今のところごく普通のミントシロップに思えるのだが、いつ回復効果を付与するんだ?」


 レオンが挙手して質問した。

 イリスはこくりとうなずいた。いい質問だ。


「葉と砂糖水を混ぜるときに、シロップに回復魔法をかけるんです。そのときに私の回復魔法と、ミントの葉と砂糖の微弱な魔力を混ぜ合わせます。すると素材の爽やかさや甘味が魔素化されて回復魔法の苦みを中和し、甘いポーションができあがります」

「…………簡単に言うが、それはかなり高度な技術なのではないか?」

「そうかもしれません。なにしろ魔法学校首席卒業の母が、長年研究して開発した技術ですので」


 レオンは綺麗な緑色の目を瞠った。

 冷静沈着な彼のそんな表情を引きだせたことがうれしかった。

 アザレアは、イリスの自慢の母だから。

 自分も母の理論を理解し、ミントポーションを自力で作れるようになるまでは数年かかった。

 母はイリスのためにレシピノートを遺してくれたのだが、それは魔法学校の高度な魔法理論が駆使された難解なもので、まだイリスにも作れない魔法アイテムのレシピがいくつも書かれていた。

 非常に頭のいい人だったのだ。

 だからこそ、狭量な父からは「女のくせに生意気な」と疎まれたのかもしれないが。


 イリスはミキサーで材料を混ぜながら回復魔法をかけていった。

 出来上がった液体を、茶こしを通して煮沸消毒済みの小びんに移す。

 これで、綺麗な緑色のミントシロップが完成した。


 よく見ると、その液体は微細な魔力のきらめきをまとっている。

 それを見つめながら、レオンは作業台の上で両手を組み思案顔をした。


「……そうか。作業を効率化して大量生産を考えていたんだが、それでは少々難しいな。とりあえずはきみにいくつかサンプルを作ってもらい、宣伝に注力するべきか……」


 ぶつぶつと独り言をつぶやいている。

 イリスは内心、ほっとしていた。

 彼は冷血で残酷と噂されている人だ。

 一見紳士的だが、思い通りにいかないとわかったとたんイリスを脅し、昼夜問わず馬車馬のようにミントシロップを作らされるのではないかと内心怯えていたのだ。


「あの、私は一日に小びん五十本分は作れます。最初はそれを領内の人々に配って、口コミで効果を広めてもらうというのはどうでしょうか」

「……五十本?」


 急にレオンの目つきが険しくなった。

 イリスは思わずびくりと体をすくませた。


「駄目だ。そんなに作ったらきみの体に負担がかかる。無理をさせるわけにはいかない」

「えっ? い、いえ、私は大丈夫ですが……人よりも魔力は多いほうですし、いたって健康ですし……」

「いや、魔力の使い過ぎはよくない。倒れてしまっては元も子もないからな。一日に……そうだな、十本作ってくれればそれでいい。その代わり、辺境騎士団の魔導士たちにきみの作業を見学させてほしい。魔導士が作業を覚えて分担できれば、きみの負担も減るだろうから」

「……わかりました」


 優しい。

 イリスは感動した。


 自分が倒れたら業務に支障が出るからだというのは重々わかっている。

 だが、これまで自分を気遣ってくれたのは母と庭師のヘルマンだけだったので、とてもうれしかった。

 実家の家族は、イリスが風邪で寝込んでも心配するフリさえしなかったのだ。

 そんな感動には気づかず、レオンは完成品のミントシロップを手に取った。


「さて、それではこのミントシロップに名前を付けるとしようか。緑だからグリュン・アルツナイ、あるいはグリュン・ヴァッサー……」


 レオンが名前を考えはじめた。

 なんだか格好よさげだが、自分にとってこれは母がレシピを教えてくれた〈ミントポーション〉以外の何物でもない。

 イリスは慌てて口をはさんだ。


「あ、あの……! 〈ミントポーション〉というのはどうでしょうか?」


 ちょっと面食らったような顔のレオンと視線が合う。

 あまりにもそのまま過ぎて気が引けたが、勇気を出して続ける。


「このレシピを教えてくれた母がそう呼んでいたのです。ですから、もし、可能であれば……」

「……それにしよう」


 少し意外そうな顔をしていたが、レオンはイリスの意見を採用してくれた。

 ぽっと、胸の中が温かさで満たされていく。

 彼は、イリスの母への想いを汲んでくれたのだ。


 これまでにも感じていたけれど、やはり、この人は冷血な人なんかじゃない。

 花がほころぶように笑顔がこぼれた。


「ありがとうございます、レオン様」

「礼など不要だ。きみが作ったものだからな」


 レオンは顔をふいっと背け、行ってしまった。

 いつものようにそっけない態度だが、イリスの胸は温かいままだった。

 

 こうして、アザレアの遺したミントポーションが世に出ることとなった。

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