4.辺境伯領での驚き
「えっ、ここが辺境伯領なの?」
王都にあるローゼンミュラー伯爵家のタウンハウスから馬車で出発して一週間目。
ついにシュヴァルツブルク辺境伯領に入ったのだが、そこはイリスの想像とはだいぶ様子が違っていた。
馬車の窓から見える景色は一面の緑の山々……ではなく。
ここは王都かと見紛うような、美しく洗練された市街地だった。
途中の道は見渡す限りの農村地帯だったり荒野だったりしたので、この先はもっと田舎になっていくのだろうと覚悟していたのだが、丘陵地帯を超えると急に人里になり、町になり、都市になった。
ローゼンミュラー家から付いてきたメイドのハンナも驚いていた。
このメイドは花嫁を辺境伯のもとへ送り届ける役割だ。
ハンナは屋敷ではイザベラたちに習って、イリスにそっけない態度を取っていた。
だが、イリスは驚きのあまりハンナに話しかけた。
「辺境というくらいだから森の中だと思っていたけれど、こんなに人の多い都市だったのね」
「……そうですね。私もびっくりしました」
「でも考えてみれば王国の端というだけで辺境伯領は外国と接しているし、近くには大きな川もあって水路も充実しているし、発展していてもおかしくないわ」
「はい。なんだか異国情緒もあふれてます」
ハンナの言う通り、ゼールラント王国の王都は明るい赤茶色の屋根の建物が多いが、この街の建物の屋根は落ち着いた青灰色だ。
家々の窓辺には、寒い地方らしい小ぶりの可憐な花々が咲いている。
街全体が高い城壁で囲われているのには驚いたが、魔物や敵の侵入を防ぐためだろう。
「この辺りは文化や風習も王都とはだいぶ違うと聞くけれど……街の人たちの服装も結構違うわね」
「本当ですね。王都はもう夏ですけれど、こちらはまだ春くらいの気候ですし」
会話をしてくれるのがうれしくて、イリスはまるで王都市街にあるかのような大聖堂や劇場、きらびやかな店や賑わいのある飲食店街などを窓から見るたびにハンナをふりかえって話しかけた。
ハンナも旅の解放感からか、ときおり笑顔を見せながら喋ってくれた。
しかし、楽しい気分は長くは続かなかった。
とうとう辺境伯の住む城が近づいてきたからだ。
シュヴァルツブルク城と呼ばれるその壮麗な城は、市街地を見下ろす小高い丘の上にそびえていた。
〇
長い坂道を登っていき、馬車は大きな城門の前で停まった。
眼光鋭い門番に誰何されて、御者がローゼンミュラーの名を告げる。
だいぶ長いあいだ待たされてから、門はギギギ……と重々しく開いた。
馬車が門をくぐる。
(いよいよだわ……辺境伯はどんな方かしら)
これまでに何度も頭に浮かんだ問いが、また浮かんだ。
自分にちゃんとイザベラの身代わりができるだろうか?
イザベラは辺境伯は自分にメロメロだと言っていたから、とにかく彼女のようにふるまい、彼女のように喋らなくては。
いつもレースやリボンのたっぷり付いたフリフリのドレスを着ているイザベラと違って、自分が三着の地味なドレスしか持っていないのは残念だが、仕方がない。
お化粧はハンナに頼んで、できるだけイザベラに寄せてもらった。
それに、すでに引き返すことなどできないのだ。
あとは運を天に任せるしかない。
膝の上の拳をぎゅっと握ってうつむいていたイリスだが、ふと馬車の窓の外を見た。
「まあ……! なんて大きな庭園なんでしょう!」
イリスは目を輝かせた。
立派なお城の前に、見たこともないほど大きな庭園が広がっているではないか。
堂々とした大樹は風に葉をそよがせ、低木類は緑の枝を伸ばし、草花もこんもりと茂っている。
それに、あふれんばかりのミント類。
イリスが一番好きなのは、採れたての新鮮なペパーミントでシロップを作ることだった。
母直伝のレシピで作るミントシロップは爽やかで甘い。
夏は炭酸水で、冬はお湯で割るととても美味しくて、飲むと驚くほど元気が出る。
辺境伯の城にこんなにミントがあるなんて思いもよらなかった。
北部のミントは王都とは味が違うだろうか? 香りは? 色は?
早く庭園に行ってみたくてうずうずする。
「……お嬢様、まずは辺境伯にご挨拶をしませんと……」
「え、ええ。もちろんわかっているわ」
控えめに言われ、イリスは現実に引き戻された。
そのとき馬車が城の正面玄関前に停車した。
御者が客車の扉を開け、イリスとハンナは地上に降り立った。
だが、城の入り口は固く閉ざされており、出迎える者は誰もいない。
「おかしいですね。さっき、門番からお嬢様のご到着が伝えられたはずなのですが……」
「そうね……」
二人で首をひねっていると、背後から馬の蹄の音が聞こえてきた。
それも一頭ではなく複数の。
ふりかえると、馬に乗った騎士たちがこちらへ近づいてくる。
その数、十騎以上。
地響きのように轟く馬の足音がみるみる大きくなり、騎馬隊は砂埃を上げながらイリスたちの目の前で止まった。
怯えるハンナをかばうように、イリスは勇気を出して前に進み出る。
ひときわ立派な白馬に跨った先頭の男性が、ひらりと馬から降りた。
思わず、目を奪われた。
背の高い人だった。
銀髪に緑の瞳。騎士服の左肩にマント。腰に佩いた長剣。
顔立ちがとても綺麗で、細身だが鍛えられた体つきに、騎士の装いがよく似合っている。
だが、何より目を引いたのは、全身に飛び散った赤い血だ。
この辺りには魔物が多く出現する。
おそらく魔物の討伐帰りなのだろう。
(この方が、レオン・シュヴァルツ辺境伯……?)
こんな形で対面するとは思ってもみなかった。
イリスは辺境伯の顔も知らなかったが、王都にいるあいだにイザベラから彼の髪と瞳の色を聞き出してあった。
それによると、辺境伯は銀髪に緑の瞳。
騎馬隊の先頭にいたことや、服装や装備品からも、目の前のこの男性が辺境伯に違いない。
緊張しながらも、イリスは何度も頭の中で練習した「イザベラらしい笑顔と言葉」を相手に向けた。
「お久しぶりですわね、レオン様」
初対面の、しかも辺境伯という重要な地位を占める男性をいきなり名前呼びするなど、イリスの常識ではありえない。
だが男性との距離感が近いイザベラは「辺境伯とは名前で呼び合っているわ」と言っていたので、きっとそうなのだろう。
銀髪の男性は目を細めてイリスを見た。
彼の頬にも血しぶきが点々とついている。
心臓がばくばくする。
嫌でも相手の腰の長剣が目に入ってしまう。
どうして何も言わないのだろう。
もしかして、もう身代わりがバレた?
まさかここでいきなり斬り殺されるなんてことはないだろうけれど……。
じりじりしながら相手の反応を待つ。
すると辺境伯は、驚くほど優雅なお辞儀をした。
「出迎えが間に合わず失礼した。ようこそわが城へ、イザベラ・ローゼンミュラー嬢」
イリスはほっと胸を撫でおろし、辺境伯のあとについてシュヴァルツブルク城へ入った。
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